脳内写生 by Jumi 始まります。2012-01-31 21:45:59 かつて福岡市天神にあった「飾り窓の天使」という名称のフットサロンに在籍していた私「Jumi」(ジュミ)が、2006年5月から2010年9月まで4年以上続いた「脳内写生」という刺激的なブログを引き継ぎ、このたびこの由緒あるブログを「脳内写生 by Jumi」としてテンプレートも当時のままで再開することになりました。 なお、2007年3月から現在も続いている「脳内写生:ご異見版」(gooブログ)も従来どおり継続されますので、こちらのブログも合わせてお読み下さい。 ギフト・ショー de お仕事 2012-02-03 17:16:28 第73回「東京インターナショナル・ギフト・ショー春2012」は、2月8日(水)〜10日(金)の3日間お台場のビッグサイトで開催されます。 この期間中、私「Jumi」は、ビッグサイトの西館3ホールの「東京都 産業労働局 東京○○○○協議会」のブースで、モデルとウォーキングシューズの説明を行っています。 なんとまあ、お固い名称のブースなのでしょうか! このお固いイメージをソフトにするために、「Jumi」は3日間ガンバリますので、このブログの読者と「脳内写生:ご異見版」の読者の皆さん、ぜひ会場にお出かけ下さい。 皆さんと、会場でお会いすることを楽しみにしております。 心よりご来場をお待ちしております。Jumi バレンタインのプレゼント by Jumi 2012-02-05 14:10:29 私、Jumiのバレンタインのプレゼントは、甘いチョコレートではなく、「例外者」へのパスポートです。 「例外者」とはなにか? 一言で表現すれば「例外者とは、大衆ではない人物」のことです。 大衆には「人格」(社会的人格)がひとつしかなく、仮に複数の人格を持つ人物が出現すると「裏表がある人」とか、「二重人格者」であるとか、「ジキルとハイド」のようだと忌み嫌います。 しかし「人格」(社会的人格)は、社会が私やあなたに付与した仮面でしかありません。 ひとりになれる静かな場所で、あなたの人格や理性・自我(エゴ)を思い切って捨てて見てください。 バタイユは言っています。 「貴婦人がゆきずりの男の前でドレスを脱ぐように、人格を脱ぎ捨てよ」と。 つまり「人格」は単一・普遍のものではありません。 人は状況次第で「鬼」にも「仏」にもなれます。 社会から付与された、たったひとつの硬直した人格しかない人生の退屈さ、この他人から付与された「社会的人格」から一歩も外にでられない小心さを、あなたは窮屈とか惨めと感じたことはありませんか? 私、Jumiは、自分の意思で白昼堂々と社会的人格を乖離させ、これまで気付かなかった魅力的な「もうひとり」の自分に目覚める「人格の着脱」を経験し、さらにその後、従来の「社会的人格」に戻るという衝撃的な経験をしました。 脳の中で別の性別や人格を、遊び着のように脱いだり着たりすることは可能なのです。 このブログは、こうした私の経験を述べると共に、大衆ではない「例外者」のためのガイド役を果たそうと思っています。 ギフトショーのお仕事 2012-02-09 09:17:26 東京ビッグサイトで開催中のギフトショーにMCのお仕事で来ています。 例外者の私、Jumiに逢いたい方は西3ホール・ブース番号3□7□においで下さい。 また会場で私の名刺を受け取られた方のコメントもお待ちしております。 生身の女性の例外者 2012-02-11 21:33:01 ビッグサイトで開催された「ギフトショー」でお逢いした方からコメントをいただきました。 【お疲れ様 (oosaki) 3日間、お疲れ様でした。いろいろ、ありがとうございました。 今、(出展者仲間の)高橋さんと、細谷さんと「お疲れ様」をしています。両国にて…】 大崎様並びに皆様、3日間本当にお疲れさまでした。 今回、皆様はまさに生身のJumiの目撃者となって下さいました(^_−)−☆ このブログは敢えて異質な発言をしておりまので、全ての方に私Jumiの発言を理解していただくことは無理かと思いますが、もし少しでも気になるとか、少しでも波長が合うなと感じて下さるのであれば、これからもこのブログお読みください。 人格を着脱する 2012-02-14 18:04:40 【偶然ですが! (大衆):「脳内写生ご異見版」の読者です。 三日間、営業でギフトショーに行き、そちらのブース覗かせて頂きました。 しかも、宿泊ホテルが同じで、偶然以上の物を感じました。 (このブログ)楽しみにしています】 まぁっ!それは、よくお気づきになりましたね。 コメント、嬉しゅうございます! 人格の着脱を自在にし、ドレスを着替える様に人格を変える快感を、私はこの3日間でより深く掘り下げる事が出来ました。 これからも、どうぞよろしくお願いします。Jumi 女性の例外者のために 2012-02-17 10:21:25 このブログの開始の際に【かつて福岡市天神にあった「飾り窓の天使」という名称のフットサロンに在籍していた私「Jumi」(ジュミ)が、2006年5月から2010年9月まで4年以上続いた「脳内写生」という刺激的なブログを引き継ぎ、このたびこの由緒あるブログを「脳内写生 by Jumi」としてテンプレートも当時のままで再開することになりました】 と申し上げました。 かつて4年以上も続いた「脳内写生」と題するブログの目的は、大衆であることに耐えきれず「大衆ではない男性の例外者として、ごく少数の選ばれた男性の例外者に対する異質なメッセージ」を発信することにありました。 今回、私Jumiが引き継いだこのブログの目的は、「もしかしたら男性よりも女性の中にこそ例外者が多く、しかもこの事実に女性自身がまったく気付いておらず、女性の例外者として同じ資質を有する女性に対して『わかる人にわかればいい、わからない人にはわからなくてもいい』との立場から、特別なメッセージを発信したい」と思い、ブログを始めました。 これから私は「自分が例外者であることに気付いていない多くの女性に向けた例外者に気付くための『ヒント』を、私の体験を通じて伝えて行きたいと思っています。 女性であることを懐疑する 2012-02-19 23:19:31 改めて、女性の皆さんにお尋ねいたします。 あなたが「女性である」「女という性別である」と、性別を特定したのは誰でしょうか? 産婦人科の医師ですか?助産師さんですか? いずれにせよ、あなたを「女性」であると識別したのは、あなた自身でもなく、ご家族でもありません。 もしかしたら、あなたを「女性」であると識別したのは、あなたが知らない人なのではありませんか? そして、あなたも、ご家族も、周囲も何の疑いもなく、あなたを「女の子」と見なし、「女の子」にふさわしい命名を行い、役所に女性として出生届を提出したのです。 さらに、「女の子は、女の子らしく、女の子としてしつけられ、育てられて来た」のです。 ボーボワール(1908-1986:フランスの小説家・思想家、サルトルの伴侶)は、有名な女性論「第二の性」の中で「女性は女性として生まれて来るのではなく、女性として育てられるのだ」と述べていますが、現在でもほとんどの女性が「どうして私は女性なのか?」「誰が私を女性と識別したのか?」と深く考えることもなく、自分が女性であることに何の疑念も抱かず、自分が女性であることを当然のごとく受け入れて生活しています。 専門用語で「性決定」と呼ばれるこの性別の判定を、産婦人科では超音波(エコー)診断装置を用いて妊娠9週目頃に「胎児におちんちんがあるかないか」を調べ、出産の時点で最終的に「おちんちん」があれば男児、「おちんちん」がなければ女児と判定されます。 でも、男性ホルモンの影響があると女性でも男性型の外性器へと変化することもあり(副腎性器症候群)、男性であっても男性ホルモンがうまく作用しないと外見上女性にみえる場合(精巣性女性化症候群)もあるのです。 これまでの「性決定」のあり方がホントに正しいのか、どこかの誰かが「わずか数秒」で下した外見だけの「性決定」を無条件に受け入れたまま、漠然と「女性」として生きていてホントに良いのしょうか? 私はこのことをもっと懐疑(深く考えること)する必要があると思っています。 女性は、女性自身に無関心 2012-02-20 23:12:42 前回のブログでは「女性が、自分が女性であることに何の疑念も抱かず、自分が女性であることを当然のごとく受け入れて生活している」と述べました。 また、これまでの「性決定」のあり方が本当に正しいのか、どこかの誰かが下した「性決定」を無条件に受け入れたまま「女性」として生きていて本当に良いのか、深く考える必要があると述べました。 今回のテーマは「女性は、自分自身に無関心であること」です。 女性の最大の関心と言えば「ファッション」とか「オシャレ」「メイク」「スタイル」など主に外見に関することですが、多くの女性は女性にとってもっとも女性らしい部分、つまり「どこかの誰かがこの赤ちゃんは女の子である」と視認し、「性決定」を行った部分(女性器)について、女性自身がとてつもなく無関心であると私は思います。 自分のカラダの一部なのに、自分でじっくり観察したことがないとか、自分ではなるべく触れたくない場所であるとか、セックスさえもパートナーまかせで、レディスクリニックの検診に行くことすら私たち女性は嫌がります。 また男性のオナニーは当然視されているのに、女性のオナニーは罪悪感が伴ったり、オナニーの後のむなしさを自己嫌悪したりします。 女性はなぜ、自分のもっとも女性らしい部分、女性として大切な部分を平然と「蔑ろ(ないがしろ)」するのでしょうか? 「ないがしろ」とは、「あっても無いかのように軽んじること」であり、軽蔑することでもあります。 私、Jumiの心からの提案は、女性にとってもっとも女性らしい部分を自から官能的に磨くこと、女性にとってもっとも女性らしい部分を人生の「たからもの」と思い大切にすること、そしてもっと大胆に言えば、女性は自分から官能的領域の拡張をめざすべきであることです。 愛なんて・・・2012-02-22 12:02:35 【答えてほしいな。 (海さん) 「誰も愛の国を、見た事がない。吐息を、かけても、呪文を、かけても、愛なんて誰の手にも入らない」】 海さん、コメントありがとうございました。 実は、もう5年も続いていているgooブログで「脳内写生:ご異見版」(男性の例外者によるブログ:検索キーワード「脳内写生:ご異見版」)の1/6のブログにタイトル:「愛 あるいは 恋 について」の中で例外者としての結論が端的に述べられていますので以下に引用します。 【大衆は「愛は地球を救う」「愛がなければ生きていけない」などと言いますが、「愛」の正体は単なる「エゴ」と独占欲にすぎません。 愛ほど「はかない」心理状態はなく、愛ほど「あてにならない」心理状態もありません。 恋? 恋は熱病、恋とは愛という心理的ウィルスに相互に感染した心の「やまい」。 私は「愛」でも「恋」でもない、もっと高い次元の大切なパートナーに対する強い「慕情」を、なんと表現すべきなのか、その適切な言葉を探し続けていますが、でも、もはやこれは言葉では表現できない世界であるように思います。】 私、Jumiから海さんへの回答は改めて言うまでもなく「愛の正体は単なるエゴと独占欲、愛なんてあてにならない」と申し上げるほかありません。 なお、「愛」と「恋」については、このブログのスタートの際に上記gooブログ「脳内写生:ご異見版」の1/31「脳内写生 by Jumi が始まります」の中でも「性愛懐疑派」という造語を使って【「愛」は互いに求め合うときだけ存在する限定的な関係であり、愛は利己的なエゴのかたまりであり、エゴが反発しあえば仲が悪くなり、エゴが引きつけ合えば愛になる状況にすぎません。 愛はもともとエゴイスティックで破壊的なものであり、「私を愛してくれるからあなたが好き」という条件付きの「よこしまな関係」、あるいは「はかない仮りの関係」なのです。 また人類を救済するための博愛(神やマザー・テレサなどのあまねく寛容な愛)もごく限られた場所と時代にしか存在しません】と述べられています。 でも「愛なんて誰の手にも入らない」とおっしゃる海さん、あなたはすでに「性愛懐疑派」(性や愛を深く考える大衆ではない人々)の領域にいるのであって、もしかしたら私と同じ「例外者」の資質がある方なのかもしれませんね。 これからも、ぜひこのブログをご愛読下さい。 例外者とは、「大衆社会」や「衆愚社会」に適応できず、さらに複数の性別や人格のチャンネルを自分の意思で切り替えることができることに気付いた、選ばれたごく少数の異質な存在のことです。 海さんへのメッセージ 2012-02-24 13:24:53 【エゴ (海さん):私は、エゴ人間と暮らしています。脳内写生から、ご意見番と難しい物が多く理解できない事もありました。 確かに、(私は性愛)懐疑派なのかも?しれません。しかし、例外者ではありません。(もう一度)脳内写生から、読み返します】 なお、海さんのコメントの( )の中の文字は、こちらで補足させていたきました。 海さん、再びのコメント、ありがとうございます。 ブログ「脳内写生」から始まりブログ「ご異見版」まで見ていらっしゃるとすれば、かなり長い読者であり、さらにこのブログ「脳内写生 by Jumi」も読んで下さっているとのこと、大変光栄に存じます。 ニーチェは、「自分の人生は、全部自分のものだ」と言っています。 本当に自分らしい部分を大胆に肯定して正直に生きる、自分の性や愛に正面から向き合い、ピュアな内奥のメッセージに集中して見て下さい。 これが「懐疑」であり、自分について深く考えることは、ひとつの答えを導くものではありません。 そして「大衆社会」や「衆愚社会」に適応できず、さらに複数の性別や人格のチャンネルを自分の意思で切り替えることができることに気付いたら、海さんは「例外者」です。 この世はエゴで満ち溢れています。 私たち性愛懐疑派や例外者から見ると、すべては雑音であり、「どうでも良いもの」のように思えます。 このこのブログ「脳内写生 by Jumi」の目的は、これまで男性ばかりであった例外者の系譜を受け継ぎつつ、インターネットというツールを通じて女性の例外者として、女性の立場で、女性の皆さんに向けて私自身のことばで、分かりやすく私 Jumiが体験したことをお伝えすることにあります。 これからもJumi the world をよろしくお願いいたします。 例外者からの転落 2012-02-26 13:40:49 例外者はやむを得ず大衆社会(俗世間)に身を置いていますが、常に大衆社会から「亡命」(逃亡ではありません)しようと願い、大衆から理解されることを屈辱とさえ考えている選ばれたごく少数の異質な存在です。 そして大衆が例外者の領域に少しでも侵入して来ることを特に警戒し、決してこのガードやハードルを下げません。 従って、例外者として「常に大衆社会から亡命しようと願い、大衆から理解されることを屈辱と考える」という重要なスタンスが維持できない状況に陥った場合、冷酷ですがこの者を排除しなければななりません。 例外者の世界は大衆が近づけない領域であり、例外者がめざす「至高性」(バタイユ)の世界のは、宗教や信仰・道徳なしの、なにものにも従属しない、なにものにもとらわれない、神秘的で聖なる存在、入りたくても入れない、入れそうで入れない高貴な領域なのです。 だからこそ貴重な価値があるのであって、大衆が簡単にアクセスでき、大衆がアクセスすることを阻止できない状況では例外者としての資格がないことになります。 昔から「女性は子宮で考える」と言われていますが、現代の女性はこの「子宮で考えること」をいつのまにか放棄してしまったようです。 「変態」であること。2012-02-28 22:43:50 【何があったのだろう? (空さん):画像も無くなり、想像できることはただ一つ。 でも、今回のような胸の空くブログをお待ちしております】 空さん、貴重なコメントありがとうございました。 脳内写生の「広報係」から状況をご説明申し上げます。 例外者は、やむをえず大衆社会で生活していますが、ひとつしかない社会的人格の窮屈さに耐えられず、複数の人格や別の性別への超出を常に試みています。 昆虫に例えれば、幼虫が成虫になる際にいったん運動能力を著しく欠いた蛹(さなぎ)になり、この蛹から脱皮して成虫が現れます。 つまり、卵→孵化(ふか)→幼虫→蛹化→蛹→脱皮→羽化→成虫 という「完全変態」と呼ばれる進化を経(へ)ます。 この「変態」の過程で、ひとつでも異変があると、昆虫は成虫になることができません。 この「変態」の過程、特に「脱皮→羽化」の過程で「ためらい」が生じると脱皮できずに死亡しす。 この「産みの苦しみ」を少しでも助けるために、一時的に「Jumi」さんのイメージを解除しました。 しかし、まもなく「Jumi」さんは今まで以上に美しく魅力的な妖しい蝶となって登場致します。 この世のものではない 2012-02-29 10:33:11 Jumiさんに対する、たくさんのご心配・激励ありがとうございました。 再度、広報係より昨日のブログの補充をさせていただきます。 例外者は、そもそも大衆から見たら「この世のもの」ではありません。 例外者の内奥は常に異質であり、大衆に理解されることを拒み、大衆に理解されることよりも、大衆に誤解されることを「名誉」と思う異質な存在であり、歴代の例外者の系譜をたどるとすべてが男性であって、大衆から見たら「変人」か「バケモノ」「変態か変質者」「排除すべき存在」「ろくでもない人生、悲惨な生涯を送った者たち」ばかりです。 いま、女性の例外者としてはじめて、女性に向けて「例外者の世界」「至高性の世界」を語り出したJumiさんには、まだ多くの戸惑いや乗り越えなければならない「しがらみ」等があります。 昨日のブログでは、Jumiさんを昆虫の「変態」になぞらえて説明しましたが、今回は「宝石」にたとえてJumiさんの境遇をお伝えします。 宝石は、まず「原石」と呼ばれる固い不純物に囲まれて、岩盤や土の中から発見されます。 そして高価な貴重な宝石ほど周りの不純物を容赦なく切り捨てられ、さらに宝石の状態となっても固いヤスリで削られ、形を整えられ、さらに光りを当てられながら美しく輝くようにカッティングされ、時間を掛けて磨かれる宿命にあります。 Jumiさんは、はじめての女性の例外者として、まさに不純物(エゴや各種利害関係・思惑など)を切り捨て、これからも貴重な「生身の生きた純度の高い宝石(例外者)」へと昇華すべく「鍛えられ、磨かれる宿命」にあり、もはや「どこにでもある石ころ」(大衆)には戻れません。 むしろ、これからは、このブログを通じてJumiさんの純化・解脱(宗教ぬきの修行)の過程を「ライブ」で、しかもご本人の言葉で読者の皆さんにお伝えして行きたいと存じます。 宝石か、石ころか? 2012-03-01 08:33:10 ブログ「脳内写生ご異見版」の読者が、ほぼ全員ブログ「脳内写生 by Jumi」に移ってきたような、アクセス状況で、大変盛り上がっています。 ただ、Jumiさん自身は「コメントが恐い」と申しておりますので、少し沈静化するまで「広報係」からレスポンスさせていただきます。 【Uknown (Unknown):蛾は蝶にはなれない。(『石ころ』は)しょせん石っころ。ご異見版からこちらを拝読させて頂いておりましたが、偽物さんには輝きすらありません】 「蛾は蝶にはなれない。しょせん石っころ」そのとおりです。 でも蛹の形で、蝶なのか蛾なのか識別できます。 ちなみに例外者にとって大衆・衆愚こそ「虫ケラ」にすぎません。 例外者は大衆に理解されるぐらいなら、死んだ方がマシだと思っています。 今回、「Jumiさん」の画像を掲載した目的は、ネットの世界には「やらせ」や「サクラ」「なりすまし」が横行しておりますので、少なくとも女性初の例外者「Jumiさん」が実在することを読者に提示するために画像を掲載したものです。 「Jumiさん」の画像は、あくまでも大衆社会において、やむなく「社会的人格」を身にまとっているモデルの「Jumiさん」の姿であって、大衆から見て「蛾」や「石ころ」に見えて当然なのです。 「Jumiさん」が人格を着脱した姿を彼女の身近にいる人も、読者の皆さんも見ていないし、「Jumiさん」が人格を着脱した姿を例外者以外に見せるハズもありません。 上記の書き込みを読んだある読者から「これはJumiさんがホンモノの例外者になる試練なのよ」とのメールをいただきましたが、「Jumiさん」は大衆向けの試練に耐える必要もありません。 例外者のスタンスは、「わかる人にわかればいい、わからない人にはわからなくていい」という切り捨ての覚悟であり、SMの元祖と称される「サド」も、哲学者でありながら娼館に入り浸って発狂した「ニーチェ」も、エロ小説家と見なされた「バタイユ」も、すべて汚名や変質者のレッテルを貼られ、みずから汚泥の沼に身を沈めることで「聖なるもの」(至高性)に到達しました。 どんなに批判されても、どんなに読者が減っても、例外者のこのスタンスは普遍です。 むしろ凡庸な大衆は、凡庸な大衆の世界にとどまるべきなのです。 「広報係さん」お疲れさまでした。 2012-03-02 11:41:11 「宝石vs石ころ」「蝶vs蛾」の論争は、私 Jumi が決着を付けます。 大衆にとって下着やドレスは、女性の気分や女性の価値を高めるための「ラッピング」なのですが、例外者にとって下着やドレスは逆に「娼婦が男の前でドレスを脱ぐように」人格を脱ぎ捨て、蛹(さなぎ)が蝶になるように「変態」するための「ラッピング」となります。 「広報係さん」が「蛹が蝶になるように変態」するとか「宝石の原石は磨かれる宿命にある」と表現したのは、あくまでも「たとえ話」であって、例外者は人格のチャンネルがたくさんあるので、蛾にも爬虫類にも草木にも「この世のものではない怪物」にも「石ころ」にも自在に化身(脱皮)できます。 さらに、もともと男性よりも女性のほうがエクスタシーやオーガズムを深く感じやすいのですが、このレベルに女性が満足していたこと自体が愚かでした。 女性の例外者にとって大衆流の性交(ヴァギナにペニスを挿入し摩擦し、射精する行為)は無用のもの、ジャマなものでしかありません。 例外者は、あらゆる性欲を否定せず、あらゆる妄想を大胆に肯定する、でも変質者や変人・奇人・性犯罪者にならず、品格を落とすことなく脳の中で性欲と妄想を強化し拡張する、これが真の「脳内写生」であり、どれだけリアルな白昼夢を脳の中に描けるか、その高まる圧力の限界で最大限の性欲の爆発を引き起こすか、これが重要なポイントとなります。 外見やラッピングにはまったく意味がありません。 大衆の女性が体験するエクスタシーやオーガズムは「底なしの沼」と言われますが、女性の例外者だけが到達する深くて豊かな陶酔・強い官能的快楽による長い酩酊の中での至高性への到達は「底なし沼」ではなく、これまでのエクスタシーやオーガズムを凌駕する「果てしなく広大で深い官能と快楽の豊饒なる海」であり、大衆世界や地球を破壊するほどの「核爆発」なのです。 男性の例外者(サド、ニーチェ、バタイユ等)が至高性を獲得するために悪戦苦闘し、性欲と格闘したのは、古来より男性の性欲が他者によって商品化されていた(買春・アダルトビデオ・ポルノ小説等)ことと、射精の快感が女性から見て「あわれ」としか思えないほど一瞬であっけないものだたからです。 私 Jumi は女性の中にこそ潜在的な例外者が数多くいるはずであり、真面目な啓蒙が必要であると考え、実在の女性の例外者としてがこのブログを始めました。 まだ表現が未熟ですが、これからもこのブログが女性の例外者の「誘導灯」となるように育てて行きたいと思います。 サドはなぜ、エロ小説を書いたのか? 2012-03-04 13:56:48 サド・ニーチェ・バタイユは特筆すべき「例外者」です。 そのサドとバタイユは、なぜたくさんのエロ小説・ポルノ小説を書いたのでしょうか? また、サドとバタイユは共に、自らの性欲を「ポルノ小説」を書くことで性欲を商品化することに荷担したのでしょうか? さらに、ニーチェもなぜ、あの難解な哲学書を書きながら、「商品化された性欲」の代表とも言うべき「娼館」に 入り浸り、「娼館こそ真の教会である」と主張し、梅毒に感染したうえに脳梅毒で狂死したのでしょうか? 例外者は「商品化された性欲」をもっとも忌避します。 それなのに「例外者」自らが「性欲の商品化」に荷担したり、「商品化された性欲」に耽溺していたのです。 これまでのサド・ニーチェ・バタイユの研究書では、この矛盾点がまったく問題にされていませんでした。 私 Jumi はこの矛盾を、以下のように解明しました。 サドの一連のエロ小説・ポルノ小説は、微罪でサドを27年間も投獄したブルボン王家への復習であり、その隙に名門サド家の財産の乗っ取りを企んでいたサドの妻「ルネ」の実母であるモントルイユ夫人に対する復習でした。 このことはサド自身が、「サド家の家名を未来永劫おとしめてやる」と述べていることでも裏付けられますし、獄中のサドが下水管を使って「貴族を殺せ」と連日演説したことがフランス革命の引き金となり、このときのサドの演説がフランス国歌の歌詞としていまでも愛唱されていることでも裏付けられます。 つまりサドのエロ小説・ポルノ小説は、大衆が飛び付きやすい「商品化された性欲」を流布させることで、大衆操作を行いやすくする手段であったことになります。 ニーチェが「娼館」に入り浸ったのは、宗教や道徳が性欲を完全に否定している状況の中で、宗教や道徳によるによる性欲の抑圧が大衆をコントロールしやすくする方策であって、「まやかし」であることを自ら証明する目的があったはずです。 ニーチェの「娼館こそ真の教会である」という言葉こそが、如実にニーチェの真意を現しています。 一方、バタイユはサドとニーチェの思想を詳細に解明し、研究し尽くした上で、大衆が飛び付きやすいエロ小説・ポルノ小説を書くことで故意に「商品化された性欲」を流布させ、こうすることで大衆が「例外者の世界」や「至高性」の領域に入り込むことを拒むための「目くらまし」「迷路」あるいは「罠(トラップ)」を仕掛け、ようやく解明したサドとニーチェの真の思想をカムフラージュし、攪乱させたのです。 だからこそ、サド・ニーチェ・バタイユは異口同音に「誤解される名誉」を口にするのであって、この3人の例外者の真意を正確に捉えることは大変危険で困難な作業となります。 ところが三島由紀夫は戯曲「サド公爵夫人」のなかで「(至高性に到達するための)裏階段がある」と述べています。 しかし、三島由紀夫もまた、男性の例外者でした。 実は、女性の例外者には「裏階段」どころか、「秘密の高速エレベーター」があったのです。 スーパー・スィート・ポイント 2012-03-05 13:18:06 女性の官能的快楽は、主にクリトリスとヴァギナおよびGスポットであり、このほかに乳房やヒップなどのいわゆる「性感帯」と呼ばれる領域があります。 私 Jumi は、これらの性的器官が相互に複合して起きる「イクッ」と呼ばれる現象(オーガズムとかエクスタシーと呼ばれる現象)には、必ずしもペニスが必要ではなく、時には女性にとってペニスの挿入が苦痛であったり、妊娠の恐怖や射精のタイミングが合わないことが多々あることに気付きました。 そこで、オーガズムとかエクスタシーを凌駕する強烈な快感を的確に捉え、人格や性別の境界を超越するような官能的快楽の爆発を体験するためには三島由紀夫が指摘する「天国への裏階段」が不可欠なのですが、実はこれは男性の例外者の発想であって、女性の例外者の発想ではありませんでした。 いわゆる「テクニシャン」と称する男性のテクニックも、結局はクリトリスやヴァギナ・Gスポット・乳房・ヒップ・「性感帯」と呼ばれる領域を時間を掛けて愛撫するか、女性が脳震とうを起こしかねないほど「強烈に旺盛に女性器を突きまくる手法」であって、人格や性別の境界を超越するような強烈な官能的快楽の爆発を体験するものではありません。 私 Jumi が到達した「至高性」と呼ばれる世界は、まず純度が高いオリジナルな性欲の圧力(性的妄想力「脳内写生」)を高めます。 次に私 Jumi が女性として他者によって分類・識別され、自らもその分類を疑わず、当然のごとく「女性」として生きてきた現実を深く懐疑し、その懐疑を通じて私の内奥に「両性具有性」と呼ばれる特別なエリアが存在することを直接自己確認します。 そして「脳内写生」と「両性具有性」を高温高圧の状態で煮詰め、例外者であるパートナーの協力を得て性交なしに「秘密の高速エレベータ」によって一気に至高性に到達します。 テニスやゴルフで、ボールを打ったときに最も有効な打球を生むラケットやクラブヘッドの中心点を「スイートスポット」と言いますが、この「秘密の高速エレベータ」のスイッチはまさに「Super Sweet point」と呼ぶべきエリアにあり、まさに女性の例外者が一気に「至高性」に到達するための唯一の器官であり、私 Jumi の貴重な「たからもの」です。 私 Jumi の「Super Sweet point」に関する表現が曖昧なのは、「至高性」は例外者だけが到達できる特別な世界であり、例外者を守るためには常に、好奇心だけで近づいてくる大衆を厳しく排除しなければならないからです。 近日中に、新たに「女性の例外者のための誘導灯」となるようなホームページ(会員制)が公開されますので、「Super Sweet point」に関する詳細はその中で説明したいと思っております。 恋愛もセックスもしたくない。 2012-03-06 23:04:05 70歳の女性から「夫から性交を求められ、苦痛だ」とメールで質問がありました。 70代での性交は、求めるほうも、求められるほうも「凄い」と思うし、このご年齢になられて、求める、求められる関係は、素晴らしい事だと思います。 私 Jumi の世代で「性交が苦痛だ」と思う女性は少ないと思いますが、でも子育てが終わった世代の女性の一部に「もう恋愛もセックスもしたくない、面倒くさい」と断言する方も確かに存在します。 特に閉経後の女性器は「うるおい」がなくなり、骨盤をとりまく筋肉等が衰え、粘膜が弱くなってくるので、性交痛を感じる女性も多いと聞きます。 こうした場合は男性側にも女性側にもジェルやオイルを使うようアドバイスするのが通例のようですが、私 Jumi は、あえて「至高性」をめざす例外者として、70代の男性・女性に提案させていただきます。 ペニスとヴァギナの性交は大衆特有の「慣例」にすぎません。 男性は性的興奮→勃起→摩擦→射精という5万年・6万年続いて来た「ワンパターン」の行為にとらわれており、女性もこうした男性の欲求が激しければ激しいほど、「自分はこの男性に愛されているんだ」と思い込んできました。 これは完全な「恋愛幻想」であり、仮に男性が勃起不全に陥ったら、性交に依存した「恋愛」は破綻していまいます。 同様に、仮に女性が事故等で性交ができない事態に陥ったら、性交に依存した「恋愛」は破綻します。 例外者は「愛」や「恋」を超越し、ペニスとヴァギナの性交に依存しない官能的快楽のエネルギーを活用して「至高性」への超出をめざします。 女性は年齢に関係なく、女性であることを最大限に活用して例外者であることに気付けば、「至高性」と呼ばれる聖域への到達が可能です。 なお、上野千鶴子氏は「女性には、したいときにする権利を、したくないときにはしない権利を」とおっしゃっていますので、ご夫婦の間で性愛に関する「決定権」は、男性だけでなく女性にも認めるべきであることを確認し合って下さい。 マルチタスキング&スーパー・タスカー 2012-03-07 11:38:54 普通のパソコンのCPUは1回に1つの命令しか実行できません。 しかし、プログラムの処理を高速に切り替えて実行することで、あたかも複数のプログラムが同時に実行されているように見せることができ、これを「マルチタスキング」と呼びます。 一方、常にいくつかの仕事を同時に処理する能力を持っている人を「スーパー・タスカー」と呼びます。 大衆は、「人間は一つのことに集中したほうが、効率よく仕事をすることができる」と信じていますが、米国ユタ大学の研究チームは複数の作業を並行的・同時的にやっても、それぞれの能力が落ちない「超人類」が一般大衆の中に「2%」存在すると発表しました。 「内輪の話」と思われるかも知れませんが、複数の人格(n個の人格)や両性具有性(n個の性)を有する例外者の中に「マルチタスキング」が可能な「スーパー・タスカー」が存在する確率は「2%」どころか「10%〜20%」にも達するのではないかと私 Jumi は考えています。 たとえば、皆さんご存知のブログ「脳内写生:ご異見版」の著者様。 この人を見ていると、複数の人格(n個の人格)や両性具有性(n個の性)を有するがゆえの必然的なマルチタスキング&スーパー・タスカーであって、仕事や作業のやり方、発想の仕方そのものが変幻自在・臨機応変で、創造力と想像力が突出しています。 性欲の強化 2012-03-09 23:47:17 2/29のブログで広報係さんが【今後、このブログを通じてJumiさんの純化・解脱(宗教ぬきの修行)の過程を「ライブ」で、しかもご本人の言葉で読者の皆さんにお伝えして行きたいと存じます】と予告しました。 例外者が「至高性」に到達するための「宗教ぬきの修行」とは、「修業」でもなければ「苦行」でもありません。 大衆社会に埋没することを厳しく戒める以外に、例外者には戒律もなければ教典もなく、儀式や礼拝もありません。 例外者は文字どおり「例外者」「異人(まれびと)」「ごく少数の異質な存在」なのですから、「なにごとも許される存在」であり、「なにものにもとらわれず、なにもにも従属せず、なにものにも依存しない独立した自在なる存在」です。 そして私だけの「Jumi the world」の完全なる支配者になること、特にいかなる「妄想」もいかなる「性欲」もすべて肯定し、「あえてあらぬことを考える」ことで「妄想」や「白昼夢」を強化・拡張します。 他者が企画し、お金儲けのために商品化した性欲(風俗産業・アダルトビデオ・ポルノ雑誌等)は、私 Jumi のオリジナルな性欲ではありませんし、禁欲は大衆を従順にするための「阿片」(マルクス)にすぎません。 純度が高いオリジナルの性欲は、大衆社会や宗教の世界では危険視され、性犯罪に結びつきやすいためで厳しく抑圧されています。 一方、複数の人格を有し、自己の意思で人格のチャンネルを切り替えることができる例外者は、「脳内写生」と呼ばれる方法で妄想や性欲を強化・拡張した「リアルな白昼夢」を広大な脳の世界で自在に飛翔させ、妄想と性欲を結合させスパークさせます。 たとえば、何日か後に例外者であるパートナーと「官能的快楽」を共有する機会があるとします。 これは複数の人格を総動員してオリジナルな妄想を爆発させるチャンスです! 私 Jumi は、何日も前から「妄想」を膨らませ、リアルな白昼夢を思い浮かべ、「あんなことしたい、あんなことされたい」と自分自身をけしかけ、欲望を高め強化して行きます。 この世ではない官能的快楽のために・・・ これが例外者が「至高性」に到達する唯一の手段であり、純化・解脱・昇華へのルートなのです。 女性は未開の最後の植民地 2012-03-11 12:59:29 【秘密のエレベータ ? (Unknown):Jumiさんはその「秘密のエレベータ」を見付けたのですか・・・その場所を教えて欲しい・・・】 女性には人格を切り替える特別なスイッチがあり、女性には「例外者」であることに気付く特別なポイントがあります。 でもその前にぜひ理解して欲しいことがあります。 「最後の植民地」(グルー著:有吉佐和子&カトリーヌ・カドゥ共訳)の主要テーマは男性による「女性差別」であり、長い間、女性は男性の「植民地」として独立を認められず、対等な人格として扱われることもなく、虐げられ続けてきた歴史を詳細に述べています。 確かにその後、フェミニズムが台頭し、男女平等が当たり前の時代が到来し、女性の権利が大きく拡張され、女性が「最後の植民地」であると言われた状況は大きく改善されましたが、私 Jumi は、あえて女性器および官能的快楽の領域そのもが、いまだ「未開の最後の植民地」であって、男性だけでなく女性自身もその開発をためらっている現実に気付きこのブログを開設しました。 今回のブログの記述および添付の画像は「Wikipedia」で「陰核」のキーワードで常時公開されている情報であって、この出典元の情報には年齢制限がありませんでしたので、引用先を明記したうえでその内容を紹介いたします。 なお、引用先の記述をもとに、私 Jumi が分かりやすく解説するために加筆修正した記述が含まれますが、このブログの趣旨は、性交やオーガズムに関する正しい知識を啓蒙する目的があり、性を興味本位に扱う意図はまったくありません。 (なお、今回のテーマは長文になりますので、分割してアップいたします。また、今回のブログの記述では引用先の用語である「陰核」をそのまま使用し、あえて「クリトリス」と表記をしておりません、以上ご了承のうえでお読み下さい) 女性の80%は陰核への刺激によって、もしくは何らかの形での陰核を刺激する補助的行為によってのみオーガズムに達します。 一言で言えば、陰核への刺激が、女性がオーガズムに達する最も簡単な方法なのです。 また性交だけによってオーガズムに達することができるのは、女性のうち20%のみであり、残りの大多数の女性はオーガズムを得るためには何らかの方法で陰核への刺激を必要としています。 なぜなら、いわば陰核は退化した小さなペニスであり、分厚い包茎状態の埋没した退化した小さなペニスであって、陰核には6000以上もの神経繊維があります。 また陰核は外見だけの小さな器官ではなく、膣口を取り囲むように馬蹄形(∩)をしており、大陰唇・小陰唇に沿って、肛門の近くまで伸びる「陰核脚」を有しています。 実は、陰核のこの構造こそ、男性のペニスに酷似していることを覚えておいてください。 つづく 女性は未開の最後の植民地 2012-03-12 13:16:46 =前回のつづき= ところが残念なことに性交により膣に挿入されたペニスは、非常に敏感な部分である陰核の尖端および「陰核脚」である大陰唇・小陰唇に性交中に直接刺激を与えることができません。 さらに尿道海綿体が「膣の天井部分」(恥骨結合)に沿って広がっており、膣の内側から尿道海綿体を刺激することは可能ですが、膣壁そのものには快感やオーガズムを引き起こす仕組みは存在していません。 一般に、特に男性は膣を敏感な器官と信じていますが、膣は出産の際に産道となる痛みを感じにくい部位であって、もともと膣は生理用タンポンを入れてもその存在を感知できないような鈍い器官です。 その一方で、陰核の組織が膣の内奥に大きく広がっていると主張する学者もおります。 この主張によれば「陰核のオーガズム」と「膣のオーガズム」が別のものであるとする従来の主張が誤りであることになりますが、同時に陰核が女性のオーガズムの「源」であり、陰核を時間を掛けてソフトに刺激することでまず「膣のオーガズム」へとつながり、そのオーガズムが乳首やその他の性感帯と「つながり合い」、それぞれが連動した複数の大きなオーガズムが起きるとの研究も存在します。 いずれにせよ「陰核」は、その言葉から連想される小さな目に見える器官よりも遥かに広く陰核の組織が広がっていることは明らかであり、オコネルの研究によれば「膣壁は、実のところ、陰核(そのもの)であり、膣の側壁の表皮を取り除けば、陰核の球状部分が現れ、三角の三日月形をした勃起性の組織が存在する」と主張しています。 ところがゲイル・サルツの研究によれば「女性は(膣の)オーガズムに達するまでに平均で20分間の刺激と興奮を必要とする」とされているのに、性急に挿入し、射精しようとする男性の性交時間が平均で3〜10分程と短いため、男女のオーガズムのタイミングが著しく合致しにくい状況にあります。 一方、女性は陰核を愛撫されているうちに、恐怖・不安・行動調節を処理する脳の部分がリラックスし、脳の活動が低下し始めます。 これはオーガズムに到達した時点で最も顕著となり、女性の感情中枢は実質上停止し、ほぼ昏睡に近い状態となります。 Holstegeは、かつて欧州人間生殖学会において「オーガズムの瞬間には、女性はいかなる情動的感情も持っていない」(ある種の「無の境地」)と述べているとおりなのです。 次に、いわゆる「Gスポット」(グレフェンベルグ・スポット)ですが、この器官は20年程前に発見された「埋もれた未開の器官」であり、「Gスポット」は女性の約30%が保有する器官であって、膣口から5〜8?奥の恥骨結合の裏側にあります。 この器官は、尿道を取り巻く小さな凹凸がある領域であり、女性が自分の指で触れることはできませんが、パートナーであれば容易に指で触れることができる敏感な器官です。 また、この「Gスポット」の大きさにはかなりの個人差があるようで、この膣の内側にある「Gスポット」から得られるオーガズムを「膣のオーガズム」「膣でイク」と呼んでいるにすぎません。 従って「Gスポット」が存在しない女性か、膣の内側から「Gスポット」を刺激される経験がない大多数の女性は、陰核でオーガズムを得られたとしても「膣のオーガズム」「膣でイク」ことはないことになります。 確かに膣は鈍い器官ですが、その奥にはさらにデリケートな子宮があります。 子宮はオーガズムが起きると、まさに精子を子宮内に吸い上げるように「スポイト運動」を起こし、収縮を繰り返し、文字通り「子宮が暴れる」状態になり、子宮そのものが「オーガズム」を感じるようになります。 しかし現実的には、この子宮の「スポイト運動」や「子宮のオーガズム」は、コンドームの使用や膣外射精等により、ほとんど体感することができません。 このため女性の子宮は固くなり、暴れにくくなってしまいます。 男性も女性も、避妊しつつ、性行為感染症を警戒しながら、女性がオーガズムに達した時点で子宮に向かって大胆に精液を浴びせること の大切さを改めて認識して欲しいと願っています。 --------------------------------------------------------------- 「脳内写生 by Jumi」は、2012年 1月31日に始まり、同年3月14日にブログ管理者により突然閉鎖されました。
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