2007年1月〜12月 年頭に念頭せよ。 2007-01-01 23:13:12 「謹賀新年」 年末に予告したように、本日よりこのブログは「至高性」をめざす「性愛懐疑派」および「例外者」のために、さらに内容をヴァージョンアップすることといたします。 その前に、読者の皆さんにお断りしておかなければならないことがあります。 1.このブログは、ごく真面目に性愛と官能的快楽について論じますので、興味本位の読者は閲読することを差し控えてください。 2.このブログは、いかなる思想・宗教・道徳・常識・社会規範等にとらわれることなく自在に論じ、懐疑します。 このブログを不快と感じる方、批判を試みる方、反発を感じる方は閲読を中止してください。 特にウツ傾向や心に病がある方は閲読をしないでください。 3.今後このブログにおいて引用する文献の解釈についても、著者はあえて従来の解釈と異なる解釈を試みます。 なぜなら著者には「誤読する権利」(井上ひさし)があるのであり、むろんその権利は読者にもあります。 しかし性愛懐疑派および例外者・至高性に関して読者が誤読したり、「はやとちり」した場合、著者は一切救済の手段を講じません。 それは選ばれた少数の異質な読者を選別するためであり、大衆に広く理解を求めるものではなく、あくまでも知的レベルの高い異質な読者を「発掘」するためです。 4.読者は全体のテーマや文脈を無視して故意に曲解したり、揚げ足を取る等の言動をしないでください。 今後そのような書き込みはただちに削除します。 5.このグログは宗教を批判しますが、宗教の撲滅が目的ではありません。 むしろ大衆にとって宗教が必要であることを著者は誰よりも認識しているからです。 そのうえで既存の宗教や大衆が到達できない選ばれた例外者のための、大衆から見たら「呪われた領域」である「至高性」への超出をめざします。 6.このブログは、あらぬことを考えつつ読む「触発連想」(梅棹忠夫)や「独自の思索思考を引き出す読書法」(上野千鶴子・中村雄二郎)を取り入れており、引用文の多くをあえて大胆に解釈します。 これは従来の知識人たちの「常識」という凡庸な解釈を逸脱せぬ限り、新たな視界がひらけないからです。 したがって、「引用文の解釈が間違っている」との指摘は無用です。 読者の皆さんも以上の前提を忘れず、これから先は心してこのブログと格闘してみてください。 (「こいつ、生意気なヤツじゃ」と著者に対して反発を感じたあなた、ついてこれますか?) コメント 見るだけ… (Unknown)読むだけにします。 見てるだけなら楽しいから!だからしっかり毎日楽しませて下さいよ! 至高性・序文 2007-01-02 16:55:13 賢明なる読者からの書き込みがありました。 【見るだけ…:読むだけにします。見てるだけなら楽しいから!だからしっかり毎日楽しませて下さいよ!】 はい、ぜひ著者の主張を最後まで見届けてください。 それも立派な選択なのです。 では例外者のための至高性の「序文」から始めます。 あなたは自分の人生を自分らしく生きているだろうか。 自分が生きていることを心底楽しんでいるだろうか。 日々ただ、惰性で生きていないだろうか。 ただ漫然となまぬるい生き方をしていないだろうか。 退屈と倦怠の中で、なにか面白いことはないかとキョロキョロあたりを見回していないだろうか。 忙しい日常の雑事に追われて空しい人生を送っていないだろうか。 自分の本当の問題から目をそらしたり、結論を下すことを先送りしていないだろうか。 目先のささいなトラブルを避けるために、いつも譲歩していないだろうか。 仕事や家族を失うまいと思うあまり、正常さや「まともさ」に固執していないだろうか。 人生の最期に「これだけやりたいことをやってきたのだから満足だ」とか「自分の時間と人生を自分のために使いきったのだから本望だ」と心から言えるだろうか。 せめて一度でもいいから、いったい誰のための人生なのか考えたことがあるのだろうか。 世間並みの暮らし、中流意識にどれほどの価値があるのだろうか。 もしあなたがここで、「そんなこと言われても、ほかの人と違う生き方をしたら浮いてしまう。 仲間はずれになる、世間から抹殺されてしまう」と考えたとしたら、あなたは例外者ではない。 あなたは凡庸な大衆のひとりにすぎず群れを作って行動するか弱い一匹の草食動物でしかない。 群れの中で強がっているだけなのだ。 くりかえす。世間並みの平凡な生活、家族に囲まれたささやかな人生にこそ意義があると考えるなら、あなたは例外者ではない。 本書の読者たる資格はない。例外者と大衆は住む世界が異なるのだ。 「本当は何がしたいのか、何を求めているのか、何を考えているのか、なぜ生まれてきたのか、なぜここにいるのか」(パスカル・要旨)とか、自己という存在に意味があるのか、なぜこの時と場所が私に与えられたのかと言う問題に多くの哲学者が取り組んできた。 しかし実は、その理由も答えもないのだ。 もしこの問いに答えがあるという人は、かならず宗教や思想に拘束されている。 この人もまた例外者ではない。 「人間は意味もなく生まれ、意味もなく死んでいく。その人生の中で充実感を求めて「自分探しの旅」をしても、結局何も見つけられず愕然とするだけだ」(雨宮町子・要旨) 自分というものを自分の外に探しても意味がない。 まして趣味やレジャー、一時の気晴らしが、人生を充実させるはずがない。 あなたは自分の問題の解決を求めて人生論や宗教書に解答を求めたことがあるのではないか。 しかし大衆向けに大衆の一員でしかない人物が意見を述べたところで、それは内輪の慰めあいでしかない。 人生はあなたが主人公の一回限りの貴重な実験なのだ。 そして人生は思っているよりも、ずっと短い。天国も地獄も来世もありはしない。 人生とは、かけがえのない唯一の自分、他人が代わることができない自分だけの人生なのだ。 「あなたの一日は全部あなたのものだ。あなたの一生は全部あなたのものだ」(「恋人たちの森」森茉莉) 遠慮することはない。自分らしくのびのびと、本当にやりたいことをやりたいときにやればいいのだ。 「自分でリスクを負ってなんでもやりなさい」(「女遊び」上野千鶴子) −序文:つづく− 序文:つづき 2007-01-03 13:03:10 まず、他人とは違った生き方、他人とは違った見方、他人とは違った考え方をあえてすること。 これが本物の個性である。 外見だけの個性は真の個性ではない。 そしてその自分の生き方をいつも評価し、肯定してやるのだ。 自分のもっとも自分らしい部分を最大限に尊重せよ。 弱者や大衆のための道徳を守ることや、誠実さを装ったり、良識ある人物と思われたいと思う気持ちがあったら、そのエネルギーは自分のために使うべきだ。 これまであなたは、他人の目に映ったあなたの人格を自分の人格だと思い込んで、その人格をただ演じてきただけなのだ。 人は、実にきわどい自己コントロールによって人格を保持しているにすぎない。 他人の目を恐れず、なんと言われようとも、嫌われてもいい、リスクを覚悟の上で大衆のための道徳や宗教・良識から逸脱してみよ。 大衆にとって危険なことでも、例外者にとってそれが名誉となるのだ。 あなたにとってそれが新しい人格となるのだ。 ここまで読んで、これまでの自分の生き方に疑問を抱いたあなたは、もはや大衆の中の一員ではない。 例外者は何をしても許される。なにごとも断念しない。 はっきり言う。熟慮の上で決意したことであれば、なにごとも許される。 例外者は大衆から見ると「この世のもの」ではないからだ。 自分の行為の結果を厳然として受け入れるなら、なにをしてもよい。 そして、何をしてもよい状況のもとで、大衆のための法律や道徳を超越することが強者の特権なのだ。 「このような強者が、どうして弱者のために作られた道徳に従属しなければならないのか」(ニーチェ・要旨) ニーチェと言えばすぐニヒリズムだ・永劫回帰だ・超人だと即断する。 しかしニーチェは、ニヒリズムではない。 自己の固有性の追求なのだ。 それが大衆から見てニヒリズムや超人に見えるにすぎない。 ただし、自分らしく生きることを貫く者は、かならず大きなトラブルに直面する。無用のトラブルを回避したかったら、大衆に対して最小限の規範をまもり、善人と思わせる必要がある。 そのうえで、自分だけの、自己を素材とした真の芸術をきわめるのだ。 人生を踏み外すことが、こんなに心地よいとは思わなかった。 人格を脱ぎ捨てることが、こんなに気持ち良いとは思わなかった。 「かつて退けてきたもの、見まいとしてきたものに最後に魅せられる」(「戒老録」曽野綾子) そして、このよろこびが至高性なのである。 用語の定義 2007-01-04 21:07:36 このブログにおける用語の扱い方について、あらかじめ定義しておく。 読者はくれぐれも用語の混乱に注意されたい。 このブログにおける「性愛懐疑派」とは、大衆社会における性欲の浅さや画一化・商品化に疑問を感じ、その卑属さに満足できない者の総称である。 このブログにおける「例外者」とは、大衆社会の浅さや奥行きの無さに疑問を感じ、その低俗さに順応できない者の総称である。 「例外者」とは、単に大衆社会に順応できない者やアウトローのことではない。 このブログにおける「至高性」とは、法律等の社会規範や道徳・宗教・常識等にとらわれず、いかなるものにも所属・従属せずに、商品化されていない高純度のオリジナルな性欲の爆発的エネルギーを活用して神仏抜き・儀式抜きの真の解脱やさとり・強烈なエクスタシーに到達しようとする試みの総称である。 一般に「セックス」と「性」と言う語は同じ意味に受け取られている。 ところが「セックス」と言う単語には別に「性別」と言う意味があって、「フリーセックス」と聞くと、ほとんどの人は「性行為の自由」と解釈するが、本来は「女性開放運動」のことなのである。 同様に、「性同一性障害」とか「性的自己決定能力」といった概念にも同様の混乱が見られる。 このため本書では、あいまいなまま用いられている用語を排除するするとともに、「性」にまつわる微妙な問題を扱う以上、用語の定義にも配慮するとともに、用語を細分化せざるをえない。 「性」「セックス」という用語には、「性別」と「性交」の両方のニュアンスがあり、それが明確に区別されぬまま用いられているので、本書では引用文以外、「性」および「セックス」の用語は使わないことにする。 特に本書では、出生の時点で判定された「戸籍上の性別」と、のちになって本人が自己選択した「心的性別」と、他者から見た「外見上の性別」を明確に区別して論じる。 性器の結合や、それに至る行為は「セックス」と表記せず、すべて「性交」と表示する。 それ以外の擬似性交、身体接触はそのつど具体的に表示する。 また男性器は「ペニス」、女性器は「ヴァギナ」と表示し、その周辺の器官はそのつど具体的に表示する。 「オーガズム」と言う用語は、性交における絶頂を示す意味に限定し、より深い至高の陶酔・興奮を「エクスタシー」と表示する。 念のため断っておくが、本書で論じる「性交」は生殖を目的とした行為(子孫を残す行為)ではない。 性交による快楽は、普通低俗な問題とみなされ、人前で語ることさえはばかられてきた。 だが、エロティシズムをめぐるさまざまな情報が氾濫し、エロティシズムが根本的に歪んでいる現代こそ、生殖から離れた快楽を真摯に論じる必要があるのだ。 特に生殖行為としての性交回数よりも官能的快楽のための性交回数のほうが、圧倒的に多いのである。 それなのに官能的快楽につて真摯に論じる環境がほとんどないのである。 本ブログは、その官能的快楽を強化・拡張しつつ、内奥の至高性をめざすことを目的としている。 なお著者男性であり、どうしても男性側の論点・視点になりやすい。 しかし著者は、けっしてアンチ・フェミニストではない。 女性の自立・女性の解放をこころより願うものである ペニスとヴァギナをめぐる幻想 2007-01-06 12:55:03 街にはさまざまなエロティックな情報が氾濫し、混乱している。 エロティシズムに関しては、手に入れようとすればなんでも手に入れることができる。 なんでも体験することができる時代だ。だが、誰も官能の世界の入口すら知らない。 また自己の固有の性欲を自覚する機会もない。 そもそもあなたの性欲は、あなたの性欲ですらないのだ。 エロティックな情報や商品化された擬似性交サービスは、それを求める者に劣情を催すべく企画されたものであって、大衆はその企みにまんまと乗せられ、ひきずり廻されている哀れな漁色家にすぎない。 このような、他者によって企画された快楽は、その人固有のものではないから、いくら繰返しても真に満たされることはないのだ。 所詮、売れるものしか市場に出てこない。お金で買える性欲は、あなたの性欲ではない。もしそのような安易な商品で性欲が満たされるとしたら、あなたは例外者ではない。 他者の企みによって、簡単に無害で衛生的な性欲に転化させられてしまうほど例外者の欲望は単純・軽薄ではないし、生の根源にかかわる性衝動が、そうした安易な方法で繰り返し無害化されることに、なんら疑問を抱かないような者に例外者の資格はない。 「性の解放」とは、エロティックな表現の規制緩和と女性解放のことと理解している。 確かにエロティックな表現は、文章による性交描写が野放しになり、ヘアヌードの出現など一見解放が進んだかに見える。 いわゆる「性表現の自由」の進展である。 だが、これも良く見てみると、単にペニスとヴァギナを見せずにどこまで露出するかという従来の手法の延長でしかない。 では、「風俗営業」はどうだろうか。いまではまさに「射精産業」は百花繚乱の観がある。 女性の読者のために風営法を解説すると、風俗営業における「異性の客に接触する役割」(ヘルス嬢の役割)とは、パンティ姿の18歳以上の女性従業員が手指で客の身体を揉んだり、身体を擦り合わせるサービス」 (同法・風俗関連営業第5号:要旨)と定められている。 実際には、手指や身体を擦り合せるだけでなく「フェラ」や「素股」 「肛門性交」は黙認されているそうである。 はたしてこうした状況が、エロティシズムの前進といえるのだろうか。 「フェラ」や「肛門性交」という変則的擬似性交が黙認され、正常であるはずの「本番」が禁じられるという状況こそ「倒錯」ではないのか。 管理売春(強制売春)や、未成年者の「援助交際」こそ厳重に処罰すべきであって、フランスやオランダのように成人が自己の意志で売春することは国家が禁止すべきことではない。 大衆社会では性交に関する定義が完全に本末転倒しているのだ。 −つづく− ---------------------------------------------------------------- 質問 が2件ありました。 「ここは何教ですか?」 このブログはいかなる宗教・信仰とも無縁です。 宗教には?礼拝の対象(本尊・十字架・経典等)?教会や寺院?教団?僧侶・神父等の聖職者が必要ですが例外者や至高性には????のすべてが存在しません。 また洗脳もありません。 「ホモについて想うことって何ですか」 「ホモ」と言う用語自体がかなり曖昧です。 また「同性愛」は細分化されており、その世界には多くのカテゴリーがあります。 またゲイやバイセクシャル、性同一性傷害などは安易に論ずることができないほど広く深いフィールドを抱えています。 したがって「ホモセクシャル」については、このブロブでもう少し性愛について議論を進めてから考察したいと思っています。 なお待ちきれない読者は、このブログの平成18年8月5日の「6つの性別」をご一読ください。 男性の性欲の単純さ 2007-01-07 00:52:39 −つづき− なぜ男性は、買春・レイプ・痴漢・セクハラと悪いことばかりするのか。 それは性欲が外部から操られており、外部に向けて性欲を発散しようとするからだ。 また、男性は女性を支配・コントロールしたり、「商品」やヴァギナそのものにおとしめることで優越感や征服欲を獲得したがる。 しかしこのことは、裏返せば男性の性欲はつねに「商品」に依存し、ヴァギナに従属していることを意味する。 つまり、あなたの性欲はあなた自身のものではなく、まして自由な欲望ではなかったのだ。 例外者は、外部からのエロティツクな刺激と内的ファンタジーを明確に認識でき、外的刺激を巧みに内奥に取り入れてこれを独自にアレンジし、自己の固有の性欲に従属させ官能を強化してしまう。 だがそのためには、人知れぬ強烈な奇癖が必要となる。 もうひとつ避けて通れない問題がある。男性はヴァギナにとらわれている。射精にとらわれている。 性交の目的は射精であり、射精によってしかオーガズムは得られないと思い込んでいる。 そして飽きもせずヴァギナを見たい・触りたい・覗きたいと切望しつづけている。 この執着はやはり「外的刺激・興奮・勃起・性交・射精=オーガズム」という一連の抜きがたい固定観念に由来する。 だが、射精とオーガズムは一体ではなく分離可能な現象であり、射精は真のエクスタシーではないのである。 ヴァギナ自体には大きな個体差はない。「処女も経産婦も陰唇はチョコレート色」であり、「ヴァギナの細かい襞を感じないペニスと、ペニスの大きさも判らないヴァギナ」(「日本女性の外性器の研究」「幸せの性革命」笠井寛司・要旨)なのだ。 そんなヴァギナから得られるオーガズムに大差はないのに、どこかにピンク色の花弁があるのではないか、名器があるのではないか、という幻想にとらわれて男性はヴァギナを求めさまよう。 笠井寛司・医博によれば、ヴァギナに挿入してから射精までの所要時間は平均数分であり、10分から20分持続する人はめずらしく、数分持てば早漏ではないという。 色も形も感触も大差ない「鈍いヴァギナ」をめざして「鈍いペニス」が勃起し数分で射精するという性交を男たちは数万年も繰り返してきたのだ。 この単純さ、つまらなさにどうして男性は気がつかないのか。 実は女性たちはとっくに男性の性欲の単純さを見抜き、ときには退屈でうっとおしく感じているのだ。 そればかりかこの単純さを逆手にとって、性交をエサに平然とオヤジを利用することを十代の少女までが覚えてしまった。 この性欲の単純さから抜け出ぬかぎり、男性は女性に振り廻され、裏切られつづけるだろう。 −つづく− 愛の流刑地・考 2007-01-08 00:04:15 −つづき− もはや性交は他者との「きずな」にならない。ほかの利害と結びついたときだけ「きずな」となりうる。 性交には、人をつなぎとめる力はない。どんなに激しい性交をしても心の溝は埋まらない。 オーガズムは単なる「なれ」とタイミングの結果であり、生理反応でしかない。 男性は、性交とオーガズムによって女性の心まで手にいれたと錯覚するが、そのとき女性は好きでもない男性にオーガズムを覚える自分の肉体にあきれ果てているのかもしれないし、ただ演技しているだけかもしれないのだ。 性交しただけで「深い関係」になった、相手を征服したと思い込んではならない。 たとえ夫が妻に対して所有権を示すペニスという杭をヴァギナに打ち込んでも、それは気休めでしかない。 気休めどころか、それはヴァギナを借りた「ひとりよがりのオナニー」 でしかないのだ。(「発情装置」上野千鶴子・要旨) 実に矛盾したことなのだが、男性は性交中ずっとオーガズムを我慢し続けている。 快楽を求めて性交しているはずなのに、それを感じてはならないと自分に言い聞かせている。 それにくらべ女性のオーガズムは貪欲で際限がない。女性の快楽に比べたら、男性の快楽はあまりにも貧弱すぎる。 「どうして男性には、身も心も溶けてなくなるような官能的性交がないのか」(「YES YES YES」比留間久夫・要旨)という状況なのだ。(同様の記述は「愛の流刑地」渡辺淳一著にも見られます) だが、ここで男性は官能的快楽の探究にむかわず、女性を恐怖したり「女には知性がない」とか「女はけがれている」とみなして軽蔑したり差別してきたのである。 しかし、もし射精の直後に女性から「早漏」とか「ヘタクソ」といわれたときのことを想像してみるがいい。 あなたは自信をなくすか、逆上するかのどちらかだだろう。 だがその一言は、男性が性交によって女性を満足させ支配するという戦略が、もはや通用しないという女性からの異議の申し立てかもしれず、性交の主導権を手に入れたいという女性の意志表明であるかもしれないのだ。 結婚願望の強い時期をのぞいて、女性も他者に独占・所有・支配されない独立した固有の人格を有する。 したがって、「女性はヴァギナそのものだ」とか「ヴァギナは火消し壺である」といった古い観念はもはや通用しない。 それどころか既婚女性の70%、女子大生の45%がオナニーをするという調査もある。 このため「もはや女性にとって、ペニスは最適な快楽器官ではなく、女性のオーガズムにとってペニスは不可欠なものですらないのだ」(ベイカー&モリスの研究・要旨)という状況なのである。 こうした状況が懐疑(深く考えること)できれば、例外者にとっても「もはやヴァギナは最適な快楽器官ではない」ことに気付くことができる。 そうすれば「外的刺激・興奮・勃起・性交・射精」という男性の性欲の単純さに気づき、さらに射精とオーガズムを分離できれば、男性は鈍いヴァギナに従属せずにすむのである。 −つづく− 性交なき時代 2007-01-09 01:25:00 −つづき− 著者は、「生身の女性より映像や空想のほうがオーガズムに達しやすい」といっているので はない。 大衆のエロティシズムの世界では「テレクラ」「アダルトビデオ」「エロゲーム」「フィギュア」など、生身の女性に触れない官能の横行や、男性が「ケダモノ君から降りようとしている」状況(「スカートの下の劇場」上野千鶴子)にあり、さらに献身や自己犠牲を嫌い、男女のドロドロした関係を回避する「セックスレス・カップル」の増加が見られる。 しかし著者は逆に、脳の中にオリジナルで豊かなファンタジーをリアルに描くことで、オーガズムを凌ぐ強烈なエクスタシーを獲得し、これにより至高性と呼ぶ魂のの浄化をめざしている。 だが「性欲という危険物は抑制しがたく、高い代償を伴う」 (「自己への配慮」フーコー)のである。 また栄養が充分でなかった時代は、「過度の性交は体力を消耗させ、子孫に悪い影響を与え、種族が滅びたり、寿命を縮める」(「快楽の活用」フーコー・要旨)と信じられていた。 現代でも過度の荒淫・多情は品性を落とし、信用を失い、軽蔑される。 つまり世間は、あなたの性欲が完全に満たされることを断じて許さないのだ。 もともと人間は一瞬の射精の予期せぬ結果で生まれてくるのに、人々は性欲を他人に気づかれぬように隠し、性交を人目につかぬように行う。 それは外部や自己に対して性欲がむきだしになることを恐れ、世間から慎み深い道徳的な善人だとみなされたいからだ。 なぜ大衆は快楽を恐れるのか。 それは世間体と体面だけでなく、荒々しい快楽がときに理性を失わせ、平安を乱すからである。 だからこそ、エロティシズムは常に道徳・宗教から攻撃されてきたのだ。 このため大衆は、 文化・道徳・宗教・常識・学校・会社・家庭という見えない檻の中に性欲を閉じ込めて、その中で臆病な慎ましい人生を送るのである。 だがそれは、世間から押しつけられた人生・人格でしかない。 「人間であることは、演技者であることだ。内奥において人間ではないのに、ひとりの人間として振る舞うことだ。人類の一員であると自称することだ」(ゴンブロヴィッチ・要旨) 「人生とは自分をごまかして生き続けることだ」(「仮の宿」・曽野綾子) しかしこれらは、群れの中で生きる弱者の生き方・大衆の生き方である。 それは、自分自身になりきる意志のない人の生き方だ。 たった一度の人生なのに、お金があってもやりたいこともせず、「偽りの生き方をして自他共にごまかしている」(夏目漱石) はたしてそんな人生にどんな価値があるのか。 これは単に「まと もな人間」の成れの果てではないのか。 多くの人が、「自分らしく生きたい」「本当にやりたいことは仕事より優先させる」といいながら、実際にやっていることは趣味であったり、家族サービスでしかない。 どうして、一度だけのかけがえのない自分の人生を、一時の気晴らしや家族という他者のために浪費するのか。 あなたも著者も、先祖と両親の性欲によって生まれた。 性欲ある父母から生まれた人間が、性欲を満たすことがどうしていけないのか。 どうして性欲ある父母から生まれたことを誇りに思わないのか。 −つづく− ---------------------------------------------------------------- 実は昨年150名余の読者がいたのに、年末に予告した通りハードルを高くしたら、閲読者の数が急速に絞られ、現在およそ半分になりました。 判る人に判ればいい、判らない人には判らなくていい。 選ばれたごく少数の例外者のために、これからもこのスタンスを貫きたいと思います。 不純な性欲 2007-01-10 00:09:48 −つづき− 人間の欲望は金銭や商品、レジャーだけで満たせるものではない。 また、愛ほどあてにならぬものはない。 そして人間の心の奥には破壊的で非生産的な衝動がたしかに存在する。 その「性欲や快楽を否定することは、生を否定することだ」(ニーチェ・要旨) 自己の固有の欲望を直視できぬ者は例外者ではない。 例外者ではない大衆は、無用の存在である。 もし、本物のエクスタシーを知らずに死ぬなんてまっぴらだと思うなら、性欲に多くの妄想を与えて活性化させることだ。 人間の性器は大脳の中にある。 激しい性欲が大衆のささやかな平安を乱す「呪われたもの」ならば、例外者はあえて脳の中で性欲を強化すべきだ。 いかなる性欲も断念せず、あらゆる快楽の開花をめざせ。 全身全霊で官能的快楽をむさぼれ。 大衆にとって性交は単なる肉欲の吐けくちでしかないが、例外者にとって性交やエクスタシーは宗教以外の方法で聖なる至高性に向かう唯一の手段なのだ では、どのようにしたら商品化された性欲や外部からの性欲の刺激、あるいは「ペニスとヴァギナの幻想」から解放されるのか。 以下はそのための忠告である。 単なる性欲で衝動的に性交してはならない。 遊びで性交してはならない。 愛を獲得・維持するために性交してはならない。 親密さを維持・確認するために性交してはならない。 孤独や寂しさを逃れるために性交してはならない。 他者とつながるために性交してはならない。 好意を求めて性交してはならない。 独占・所有・支配・和解・憎悪を理由に性交してはならない。 優越感・自尊心を満たすために性交してはならない。 義務・義理・権利のために性交してはならない。 いつわりの愛・演技で性交してはならない。 愛や恋の名目で性交してはならない。 地位・権力・出世・へつらいのために性交してはならない。 相手をあやつる手段として性交してはならない。 なにかを要求する見返りとして性交してはならない。 疲労・不満・ストレスの吐けくちとして性交してはならない。 習慣・間隔・惰性・暇潰し・成りゆきで性交してはならない。 無力感・倦怠感を埋めるために性交してはならない。 妥協のために性交してはならない。 好奇心・興味本位で性交してはならない。 人数・回数・テクニックを誇示するために性交してはならない。 スキャンダルを起こすために性交してはならない。 射精を目的に性交してはならない。 性交を強要してはならない。 妊娠および出産を目的に性交してはならない。 換言すれば、大衆はじつに多くの理由から性交しているのだ。 だが理由や目的・相手のある性交は、理由や目的に従属したものであり、性欲に不純物を含んでいる。 また、他者によって企画されたアダルトビデオやポルノをいくら見ても、エロティシズムの本質が判るものではないし、自己の固有の性欲をつかめるものでもない。 オーガズムを手がかりに、聖なるエクスタシーに到達するためには、その人固有の内奥の隠された純粋な性欲・オリジナルな性欲を発見する必要があるのだ。 官能領域の自己拡張 2007-01-11 00:02:59 コメントを戴きました。 【わからないです:どうしたら性交していいんですか?著者はどういう時にどう思い、どんな相手と性交なさるんですか?体の関係はいけないんですか?】 実は同様の質問が複数ありました。 たぶん以下の文章が難解であったためでしょう。 「理由や目的・相手のある性交は、理由や目的に従属したものであり、性欲に不純物を含んでいる。また、他者によって企画されたアダルトビデオやポルノをいくら見ても、エロティシズムの本質が判るものではないし、自己の固有の性欲をつかめるものでもない。オーガズムを手がかりに、聖なるエクスタシーに到達するためには、その人固有の内奥の隠された純粋な性欲・オリジナルな性欲を発見する必要があるのだ」 何か目的がある行為や理由がある行為は一見合理的な言動に思えますが、その行為は「目的なるもの」に従属しており、完全にフリーな行為ではありません。 至高性とは「なにものにもとらわれないあり方」「なにものにも従属しない生き方」あるいは「なにものでもないものをめざす生き方」が基本ですので「理由や目的・相手のある性交」は、理由や目的に従属したものであり、性欲に不純物を含んでいる」ことになります。 このテーマはこのあとすぐ取り上げますので、ここでは詳しく説明しません。 イメージとして言えば、人格や理性・自我を捨て、誰も知らない自分だけの王国に亡命すること・・・、そこにはパートナーがいてもパートナーは存在しないし、何も存在しないがゆえに自在なる自己はその瞬間にのみ確実に存在します。 パートナーも同様なのであり、「かけひき」や羞恥心・人格・理性等の不純物がない性欲は出会った瞬間に激しく燃焼し完全に消尽します。 では、次のテーマに進みます。 -------------------------------------------- 「官能領域の自己拡張」 現代は、他者によって企画され商品化されたエロティシズムが氾濫しすぎていて、自己の固有の純粋な性欲が衰退・退化してしまっている。 実は、これほど快楽をめぐる情報があふれていても、大衆がけっして立ち入ることのできない私秘的領域があるのだ。 あなたには、はかつて世間体や羞恥心から逃してしまった、はかない恋の想い出があるのではないか。 また、自己の品性を落とす危険や、自己の醜悪さに直面することを恐れて踏み込めなかった快楽の世界があったのではないか。 さらに、通勤の途中や街の中で見かけた、ほんの一瞬のスカートのひらめきや、見知らぬ女性が見せた、なにげないエロティックな光景に強く魅せられたことはなかったか。 過去の性交の一場面だけが鮮明に脳裏に残っていて、それが時々白昼夢となって出現することはなかったか。 実は、こうした誰もが経験したことのある断片な出来事こそ、他者が企画したものではない、あなた固有の性欲を知る貴重な手がかりとなるのだ。 大衆はこうした経験があっても、それ以上自己のファンタジーを追究することはない。 だが、自己の性欲の実相を見極めようとする者は、抑圧されて満たされなかった性欲やエロティックな白昼夢、忘れられない光景をすべて書き出す必要がある。 そればかりか白昼夢をスケッチしたり、ほんの少しでも性欲をそそる写真や映像・文章を見つけたら極力切り抜き、あなた独自の官能のデータベースを作るべきである。 あなたは本当は何をしたいのか。何をされたいのか。何をされたくないのか。 ヴァギナにとらわれた単純な性交から自己を解放したうえで、正常とか異常とか低俗とか卑猥とか羞恥心などの一切のとらわれを捨てて、ひたすら内的ファンタジーの翼をひろげ、自己の性欲の世界を自在にとびまわれ。 あさましいとか、グロテスクだという意識が働くときは、あなたはまだ人格にとらわれている。 人格は社会があなたに付与した仮面でしかない。 人格・理性・自我を捨てよ。 貴婦人がゆきずりの男の前でドレスを脱ぐように、人格を脱ぎ捨てよ。 人格という仮面を剥ぐもっとも確実な方法は、強烈な奇癖を持つことだ。 人格は単一・普遍のものではない。人は状況次第で鬼にも仏にもなる。 社会から付与された、たったひとつの硬直した人格しかない窮屈さ、己れの人格から一歩も外にでられない小心さを、あなたは惨めと感じたことがないのか。 別の性別や人格を、遊び着のように脱いだり着たりしたくはないのか。 自己の官能のデータベースを作り、あなたがどういう状況で欲情するのか、なにに魅せられるのかという固有の性欲が自覚できたら、こんどはその固有性・異質性を強化する方向へあえて性欲を集中するのだ。大衆が考えてはならぬことを考え、従来の自己の性欲の限度を超え、自分で自分の快楽・官能のあり方を決定せよ。 あなたの行く先には道がない。 だが性欲に集中していれば、暗闇の中に狐火のようなほのかなあかりが見えてくる。 例外者は、そこをめざせ。 信教の自由 2007-01-12 00:02:44 −つづき− 例外者は、「性の解放」を求めてはならない。宗教・道徳を破壊してはならない。 エロティシズムは、けがれること、抑圧されること、差別されること、誤解されることによって高められるのであって、タブーや道徳・常識をあえて破ること、超越することに「貴重な価値があり」(「ニーチェ・要旨)これによって至高の聖性に到達するからだ。 人目を忍ぶ仲でなければ、激しい恋は生まれないし、教師は断じて猥褻なことをしてはならないというタブーがあるからこそ盗撮や援助交際をしたくなるのだ。 「タブーを破ることなくして快楽はない」 (「純然たる幸福」バタイユ・要旨)と言われるように、間違いなく快楽は禁止や抑圧がささえている。 そして禁止の侵犯によって官能領域は拡大する。 禁じられたものは、禁じられることによってかえって怪しい魅力を持ち始めるのだ。 深い快楽と至高性を認識するためには、脳の中であえて大胆に「考えてはならないことを考えること」あるいはタブーを破ること、さらに大衆が嫌悪する「呪われた領域」(バタイユ)への超出、罪ある冒とくが不可欠なのだ。 バタイユは、この仕組みが判らぬ限り、エロティシズムも宗教も理解できないと断言している。 たとえばエロティシズムの領域で、最大のタブーはインセスト(近親性交)である。 本来、「インセスト・タブーは女性を公平に分配し、労働力とするためのルール」(「書物の解体学」吉本隆明・要旨)だった。 また、「外部との婚姻が人質として戦略的に有利であった」(「象徴交換と死」ボードリヤール・要旨)こと、さらに女性が子供を生む資産であったことから発生した。 ところが、インセスト・タブーによって、近親者のエロティックな価値は逆に高まってしまう。 そして、やがて禁断の果実だからこそ食べる価値がある、「最も聖なる掟を侵犯すことで、超自然的な危険な力を獲得する」(「人間と聖なるもの」カイヨワ・要旨)と同時に、聖なる血筋を守ろうとする王者が出現する。 わが国にも「ロイヤル・インセスト」の史実がある。 「インセスト・タブーが厳しく問われたのは、それだけ獲得するエネルギーが大きい」(渋谷申博・要旨)と信じられたからだ。 つまりインセストというタブーをあえて侵犯する高揚感こそが王者の特権だったのだ。 だが、確実な避妊が可能なこんにち、もはやインセストを禁じる明確な理由がない。 「この世に侵犯してはならないタブーなどない。打算があるだけだ 」(「貴人論」宮原浩二郎・要旨) まさにその通りである。 「信教の自由」を持ち出すまでもなく、脳の中では考えてはならないタブーなど何もないのである。 −つづく− ハーレム・亡命 2007-01-13 00:32:49 −つづき− しかし、ここで安易に行動して変質者の汚名を着せられることは、もっとも愚かしいことだ。 また侵犯は、「ばれないようにやればいい」とうものでもない。 熟慮の上で重い罰や死を覚悟し、さらにあえて禁止を侵犯する者には、いかなる法も道徳も意味がないといっているのだ。 この意味において、インセストは無論のこと「なにごともためされるべきであり、殺人も人食も許される」(「資本主義の文化的矛盾」 ダニエル ベル)の主張は正しいのだ。 そのうえで、自己の官能領域をくまなく渉猟し、自らの性欲の多様さと底無しの深淵をつぶさに見届け、タブーをものともせず「穢れる」ことが重要である。 しかしこれは、生半可な能力や勇気でできることではない。 固有で異質な純度の高い性欲と、内奥の自在なファンタジーが結合すると、とてつもないエネルギーが突如として噴出してきて、おおかたの者はコントロール不能に陥ってしまう。 だからこそ性欲は恐れられ、快楽は戒められてきたのだ。 だが実は、このとてつもないエネルギーの噴出こそ「聖なるもの」であり、至高性に到達する唯一のルートなのである。 だが同時に、大衆にとってこれは「呪われたもの」「呪われた領域」以外のなにものでもないのである。 ここで求められる能力は、高純度の性欲と内奥の抑圧されていないファンタジーが一気に混ざらないように両者を区別し、状況に応じて混合率をコントロールする強い抑制力である。 (「飾り窓の天使」福岡市大名:における「ファンタジー気功」の本来の目的は、商品化されていない高純度の性欲の発見と、各自の内奥に潜む妄想やファンタジーを抑圧から解放するためのお手伝いを視覚を通じて行うことにあります) そのためには良く目を見開き、多様な性欲と自在に飛びまわるファンタジーが不用意に結びつかぬようにつねに警戒しつつ、少しづつ両者をコントロールする訓練を行い、そのコントロールが可能になったら大衆の目が届かないところで目の眩むような本物のエクスタシーを満喫すればよいのだ。 その場合かならずしもパートナーは必要ではない。 白昼堂々と人格を脱ぎ捨て、ぬけぬけと固有の快楽に浸り、妄想を激しくシェイクしながらタブーを侵すことは、実は日常的な性交より深いエクスタシーが得られる。 頭の中で考えることに罪はない。人格や理性・自我を捨て、誰も知らない自分だけの王国・自分だけのハーレムにときどき亡命せよ。 亡命は逃避ではない。トラブルを回避するための一時的な避難である。 あなたの嗜好がどんなに変わったものでも、それはあなたの人格や精神の異常性を裏付けるものではない。 どのような奇癖があろうとも、あなたは病気ではないし倒錯者ですらない。 むしろあなたは明確な意識を持ち、自己の意志で人格を脱着したのであり、たぐいまれなる陶酔を有する、選ばれた至高の例外者なのだ。 「ペニスやヴァギナにとらわれないことは、全身に官能性が偏在する」(「ポケットフェティッシュ」松浦理英子・要旨) ことであり、快楽のために全身の器官を総動員することを意味する。 そして官能領域の自己拡張は、際限のない豊かな創造力をもたらし、無分別な性欲の暴走を食い止める安全装置となることが判るはずだ。 本書は、大衆に向かって無秩序なエロティシズムの狂宴にふけろと主張しているのではない。 「欲望と執着は断つことができない。その怪物のような妄執にさいなまれつつ生きることが地獄」(「大河の一滴」五木寛之・要旨)であり、その大衆の地獄こそ例外者のすみかだといっているのだ。 一方、固有の高純度の性欲と、広大な官能領域と、そこを自在に飛び回る豊かなファンタジーを獲得できぬ者が、変質者や犯罪者になるのだ。 ちなみに、大衆の中には性豪とか色事師、ナンパ師という性交した相手の数と、一夜の性交回数やテクニックを自慢する男女がいる。 かれらにとって、ナンパや性交、強姦は「手柄」(「レイプ・男からの発言」ティモシー ベイケネ・要旨)であって、性交は相手をおとしめる手段なのだ。 この手合いは一見いかにもエロティシズムの達人や、例外者のように思えるが、かれらこそ外部の刺激やペニスとヴァギナをめぐる幻想にとらわれたあわれな漁色家でしかない。性交回数を自慢する人物はただの早漏である。 コメント お願い。 (Unknown) 2007-01-14 05:57:55 今年になって難しすぎます。もっとゆっくり優しく書いて下さい。 毎日楽しみにしていたんですから… 仏教という迷路 2007-01-14 10:38:08 コメントを戴きました。 【お願い:今年になって難しすぎます。もっとゆっくり優しく書いて下さい。毎日楽しみにしていたんですから…】 当然です。昨年は約10ヶ月掛けて至高性という領域のアウトラインを説明し、今年からは読者を絞り込み、少数の選ばれた例外者のためのブログへとバージョンアップしたばかりなのです。 これまで著者以外、誰も解説できなかった至高性に到達する方法を、大衆には理解できないようにさらにハードルを上げて論じています。 したがって、「判らない人にはわからなくてもいい、判る人にだけわかればいい」というスタンスを崩すことはできません。 冷酷かもしれませんが、このブログは毎回ハードルを上げることで読者を選ばせていただいております・・・ なお、東京・福岡にて講演会を準備しています。 詳細は「飾り窓の天使」のHPからメールでお問い合わせください。 これからしばらくの間、宗教や信仰について懐疑(深く考えること)します。 なぜ宗教を批判するのか?その理由はこのブログを宗教と結びつけたり、「至高性とは、ある種の宗教ではないのか」と言った書き込みや、「読者を洗脳しようとしているのではないか」等の間違ったとらえ方をする読者が多く、さらにこれから先は宗教と至高性を厳格に区別する必要があるためです。 ちなみに、至高性とは神仏抜き・信仰抜き・教団抜きの「さとり」であり、自己解脱・自己陶冶・自己覚醒なのです。 ---------------------------------------------------------------- 「大乗仏教批判」 これまで、「もう一人の自分にめぐりあう」とか、内省によって「自己にめざめる」といった「内的体験」(バタイユ)を獲得する最も一般的な方法は、なんらかの信仰を持つことであった。 ところが、日本の宗教は完全に世俗化してしまっていて、いまでは多くの不純物や迷妄を抱え込み、エロティシズムを完全に排除するとともに、多くの教団が様々な「いかがわしい真理なるもの」を振りかざして多くの信者を惑わしている。 ここでは、わが国の宗教のありのままの現状を述べることで、至高性をめざす例外者が宗教に呑み込まれ、貴重な人生を浪費しないように注意を促したい。 なお、仏教の創始者である「ゴータマ・シッタルダー」(仏陀)のことを、本書では大乗仏教の呼称にならって「釈迦」と記述する。 釈迦は35歳のとき、生老病死と愛欲の苦悩を断ち切るために断食と座禅によって、厳しく自己をみつめる瞑想をおこなった。 そして釈迦はこの体験をもとに瞑想を広め説法し、やがてのちに初期仏教と呼ばれる素朴な教団を形成した。 この間、釈迦はいかなる経文も唱えず、いかなる秘密の教えもないと断言し、死後の世界にも触れなかった。 これが約2000年前の釈迦の業績のすべてである。 ところが釈迦の没後約500年たってから、釈迦の教えに忠実だった弟子たちを批判するかたちで、大衆の救済を目的とした大乗仏教という改革運動が起こり、多くの経典が創作され、釈迦の直伝として偽造された。 そしてさらに後世になって、この大乗仏教はあくまでも大衆向きの教えであり、大衆にはつかめない秘密の教えが別に存在すると主張する一派が現れて、これが密教となった。 こんにちでは、多くの誠実な仏教研究者がこの事実を立証している。(「バウッダ・仏教」中村 元・要旨) 日本の仏教はすべて大乗仏教と密教である。 結局、釈迦の瞑想法は大衆に普及せず、わが国で最も釈迦の修行に近いといわれる曹洞宗ですら、釈迦の原体験への回帰を説いた道元の教えに背き、座禅以外の読経・偶像礼拝祈祷を取り入れ、作法と儀式にとらわれてしまっている。 大乗仏教には、大衆を救済するという聖なる目的のためなら嘘も方便、経典を偽造することも辞さないし、悪業を重ねる者を救済するためなら、殺してでも転生させるという究極の発想がある。 そのために、東洋では大乗仏教という「なんでもありの宗教」を作ってしまったのである。 しかも、ここで偽造された大乗経典は、すべて釈迦の直伝ではないのに「直伝」と称し、釈迦を讃美するが実は釈迦とは直接関係がないという実に紛らわしい状況になっている。 大乗経典の実体は、「大乗文学」でしかない。 問題は、この歴然とした事実をわが国の僧侶たちが今も知らず、知っていてもあえて無視していることにある。 端的にいえば、日本の仏教は釈迦の仏教ではない。 それなのに僧侶たちは「釈迦の弟子」を自称し、仏像を礼拝し、意味ありげな儀式を毎日機械のように繰り返している。 密教もまた、自らの教えが一番すぐれていると主張するが、護摩行は利己的な願いを煙に託して天に届けるもので、時として森林資源を浪費し、煙で大気を汚染するだけの実に他愛ない呪術にすぎず、もちろんこれもまた釈迦の仏教ではない。 わが国の大乗仏教は、釈迦の直伝という金看板を掲げながら、なんでもかんでも取り入れて、「人を見て法を説く」という口実のもとに曲解を重ね、結局釈迦の教えより宗派の開祖の書を重んじたり、釈迦や開祖の意に反して巨大な教団や寺院を作り、死者の霊を独占的に管理しつつ、法外な戒名料を取ったり墓地を管理する税金のが掛からないビジネスとなり果ててしまった。 もはや大乗仏教は、衆愚仏教である。大衆を救済するために間口を広げすぎ、妥協し過ぎた仏教は、まったく原形を留めぬほど変容してしまったが、このあいまいさゆえに多くの宗派に分裂し、結果的に宗派の拡大だけが目的の「教団のための仏教」となったことで生き延びてきたのだ。 −つづく− 宗教ごっこ・信仰あそび 2007-01-15 00:54:32 きょうもコメントが届きました 【プログの紹介 (井上勇):わたしも勉強中の身でよくわかりませんが、釈尊の実像にもっとも近いのは南伝大蔵教と理解していてます。基本的に学者・・平川彰さんなんかのもの、まだ途中なので断言はできませんが大乗経典の成立・・には興味あります。正法中の成立・・久遠実成・・ゴータマ、そのひとというより無名性に仏陀がいたように思われます】 これは井上勇氏のブログの引用なのでしょうか? 井上勇氏は画家・彫刻家の井上さんですか?あるいは翻訳家の井上さんですか? いずれにせよ著者のスタンスは宗教に関心を抱くこと自体が「人生の浪費」であると見なすことです。 では先を続けましょう。 ---------------------------------------------------------------------------- 大乗仏教という名称は、釈迦がはじめた「座禅による個人の救済」に対して、大衆をたくさん乗せて此岸から彼岸へ渡り、一度に大勢を救済する「大きな乗物」という意味を込めて、大乗仏教側が付けた呼び名である。 乗り合いの渡し船である以上、目的地があり目的地に着いたら船を降りなければならない。 ところが現実に大乗仏教がしていることは、この船の大きさ・豪華さ・乗り心地の良さ・きめこまやかなサービスを自慢したり、船の中でのイベントや信者同士の交流・親睦を深めることに重点を置いている。 そればかりか困ったことに船頭も目的地が判らず、いつまでも漂流し続けるか、別の岸にたどり着ついてしまったことも知らず、乗り物であるはずの船を神輿のように担いで喜んでいるのである。 長く漂流していればその快適さが忘れられなくなるし、船の中で親しくなった仲間たちと苦労話をしていれば、義理人情のサークルができあがって何か心強い気がしてくる。 古来より日本の大衆のあいだでは、信仰を口実にした一種の観光旅行がさかんで、これはその伝統の名残りなのかもしれない。 だが単なる義理人情のサークルにしては、お金が掛りすぎる。 これでは揺れる籠に客を乗せて乗物酔いにかからせ、介抱しながら金品を奪う雲助とかわりない。 結局、仏教もどきのエセ宗教と、それをネタに荒稼ぎするニセ僧侶と乗物酔いの信者が衆愚仏教を相互に支えあっているのだ。 「信教の自由」は憲法で保障されている。なにを信じようとそれは勝手だ、だが信じても信じなくてもいい宗教などに、なんの意味があるのだろうか? 大乗仏教がなにを布教しようが、それは勝手だ。 しかし、まったく関係がないのに「釈迦の弟子」を自称したり、偽造した大乗経典を釈迦の「直伝」と僭称することは詐欺であり、大衆をだます犯罪(表示法違反)である。 ニセモノと公に認めたうえで、なおもそれを信じることこそ「信教の自由」なのである。 大乗仏教に限らず、宗教は巨大なフィクションである。 天国・地獄・彼岸・来世という概念は釈迦の思想にはなく、すべて後世の創作でしかないし、死者が再び生まれ替わることもない。 釈迦はむしろ、輪廻転生の苦しみから脱出することを目指していたのだ。 したがって、前世の宿業を消滅させるべく現世で徳を積むとか、地獄の世界を説くことで現世での行動を悔い改めさせるとか、天国へ行くために現世で徳を積むといった教説は、まったくのでたらめ・ハッタリ・まやかしでしかない。 インドや中国に残る多くの仏教遺跡は、外部の異教徒の侵略によって破壊されたとされるが、それは同時に、こうした架空の教説が挫折したことを意味している。 また日本の僧侶は僧侶ではない。出家したはずなのに、厳しい戒律をなし崩しにして妻帯し、家庭を持ち、家族を養い、高級外車を乗り回し、ホステス相手に酒をのみ、金ピカの腕時計をして、金儲けばかり考えている。 こうしたニセ僧侶が、きらびやかな法衣を身にまとい、大乗仏教という偽造された宗教の中から、自派にとって都合のいい教説だけを取り出し、さも高尚な真理として弄んでいる。 本来、出家した僧侶は女性を遠避け、いかなる私物も所有せず、世俗を離れ清貧を保つべきものだ。 しかも宗教の専門家であるべき者が、おのれの無知を自覚せずに信徒を誤った真理へと導き、そのあげくに大衆の錯誤につけこんで、「ありのままの自分を受け入れよ」 とか、「いまのままで、すでに救われている」といった、言葉の詐術によって救済をごまかすことはもはや容認できない。 こんなものは宗教ではない。 信仰とはもっと切実で真剣なものであり、世間の常識や道徳を超越する純粋さ、ひたむきさがあるものだ。 −つづく− 宗教マニアの国 2007-01-16 00:32:14 新しいコメントです。 【どっちでもいい (ima):悪い事をして人に迷惑かけるより 善い事をして社会の役に立つ方が キモチ良いじゃん。大乗でも小乗でも、どちらでもいい。世の中が善くなれば、何だって構わないんですよ】 実は、ものごとは善悪だけでは割り切れません。 善かれと思って成したことが「アダ」になることもあれば、悪意で成したことが善意に転じることもあります。 例外者をめざすのであれば、まず善悪の根拠を懐疑すること、大衆社会の規範を超越することです。 社会の役に立つこと、有用であること、社会規範に服従して生きるくらいなら例外者は死んだほうがマシと考えます。 世の中が善くなる?キモチ良い?それがどうした?これが例外者のスタンスです。 大衆社会は衆愚社会であり、大衆など虫けらです、救済する意味がありません。 ------------------------------------------------------------ −つづき− 日本人は、ほとんどの人が無神論者であると思っている。 だが、商売繁盛・家内交通安全・合格良縁安産祈願・厄除け占い開運など実利的な祈りが実に多い。また70%の人が死後の世界を信じており、死者や祖先の供養も熱心だ。 そしてクリスマスにはケーキを食べ、除夜の鐘を聞き、初詣でに行き、節分には豆を撒き、バレンタイン・デーにチョコレートを贈る。 この節操のなさは、換言すれば、日本人は大変な宗教好きか、単に宗教を生活習慣として眺めていることを意味する。 だが、なにもかも許容することは弱さのあらわれでしかない。 弱いからあっちこちに賽銭をばらまき、ささやかな「ごりやく」を祈願するのだ。 ところがこの弱さに僧侶はつけ込み、無知で凡庸な大衆に対して、死者の霊や悪因縁をでっちあげて「たたり」があると脅したり、バチがあたるとか地獄に落ちるといって不安を煽り、次にそれを鎮めると称して金銭を巻き上げ、修行や奉仕を強要し、搾取する。 しかしこれこそマッチポンプなのであり、宗教の名を借りたオドシでしかない。 念のためいっておくが、釈迦の教えには悪霊も因縁も「たたり」も地獄もない。 僧侶は宗教という嘘の世界に住み、まことしやかな虚言を説きながら自分は神仏に仕える聖職者だと思い込んでいる。 しかし、大衆を脅迫する宗教は宗教ではなし、脅迫している限り大衆を救済することはない。 「お布施が少ないとゴリヤクがないとかタタリがあるという、そんなガメツイ奴は断じて神仏ではないし、僧侶ではない。 僧侶の説教は何百回聞いても効果はないし、たとえ日本中を神社仏閣・仏像で埋め尽しても、平和にはならない。餓死するだけだ。 人間は、宗教だけでは生きていけない。 また全財産を教団に寄付しても天国へは行けない。 天国などどこにもないし、これまでに天国へいった者もいない。 宗教は、それを信じる国民の知性を反映している。 いったい、いつまで幼稚な宗教とニセ僧侶に騙され続けるのか。 僧侶は、頭で考えることはすべて「はかりごと」であって、自分でものごとを判断することは、救済や「さとり」のじゃまになると説く。 こうしておけば信徒は教義を疑うこともないし、教祖や僧侶の虚飾に気付くこともない。 結局、無知な僧侶が仏教を説き、無知な大衆が信徒となるのだ。 神仏は、愚かな大衆の中にしか存在しない。 もともと信じやすい大衆が、本物の宗教とニセモノの宗教の見分けもつかぬまま信仰を求め、さらに権威ある者から思考の停止を要求された場合、こうした状況は避けられないのである。 しかも宗教は、「外部から強く批判されない限り、どんなに誤った教義でも生き延びてしまう」(「民族と国家」山内昌之・要旨)ものなのだ。 −つづく− 大衆と宗教 2007-01-17 01:38:22 【違うな:世の中をよくするなんて事は出来ないんだから考えない!迷惑かけないで生きる事を考えるべきだよ】 しかし、他人に迷惑を掛けない人生なんてありえません。 でも「世の中をよくするなんて事は出来ない」とのコメントのほうが例外者のスタンスに近いと思います。 ------------------------------------------------------------------------ −つづき− すべての伝統宗教は、文明が未発達の段階から生まれ、それぞれ発生した地域の特徴や気候を反映している。つまり宗教には、後進性と地域性と民族性と肌の色の違いが濃厚に織り込まれているのだ。だからこそ、民族紛争は常に宗教紛争を内包するのであって、こうした宗教をひとつに統合したり、宗教が高度の科学文明を救済しうると信じることは幻想でしかない。 もともと宗教は、民族の正当性を裏付け、共同体を結束させ、災いをなくし、幸運を求める儀式・祈祷・呪術を伴って発展し変容してきた。 そして原始教団が大きくなると、やがて権力者が宗教を政治的に利用し始めるのである。 たとえばイエスは、ユダヤ人の権力者から政治犯として処刑されたが、「キリスト」はローマ帝国の救世主として利用されたし、わが国でも当初、仏教は、「怨霊を鎮圧する技術」(井沢元彦・要旨)として為政者に利用された。 なぜなら宗教には、大衆を支配したり、それに加担させたり、それを他者に伝染させる機能が付随していたからだ。 従って、信仰を持つことは必然的に何物かに従属することを意味する。 魂の解放なり、世間のしがらみから逃れるべく信仰を求めたはずなのに、信仰を得た途端、皮肉にも教義や教団・僧侶に従属しなければならないことになる。 これでは孤独を保ち、至高性をめざす例外者にとって宗教は足かせでしかない。 宗教は、為政者にとって大衆の不満をなだめる阿片であるといわれる。 だからこそ権力者は宗教を保護し、ときには宗教国家も成立した。 また僧侶たちも長期間の宗教的幻術の鍛練のおかげで、大衆のこころを掴み、とろかす術を身に付け、一瞬良く効くと思わせるニセ鎮痛剤の処方を巧みに行なっている。 だが、実は大衆の側にも絶えず何かにすがりたい、安楽な生活をしたい、やすらかな死を迎えたい、厳しい現実や自己を直視したくないという強い要求があるのだ。 むしろ釈迦やイエスの教えは、こうした大衆の要求に応えるかたちで改革を迫られ、変容してきたのである。 特に大乗仏教とキリスト教は、大衆が安心して思考停止にひたれるように、神の愛や仏の慈悲を説話の中にちりばめ、その要求に応えている。 そして、為政者や僧侶が大衆の不満や欲求をなだめたい時と、大衆の「何かにすがりたい・救われたい」という思いが一致したとき、宗教は阿片や鎮痛剤ではなく、陶酔と激情をもたらす覚醒剤や興奮剤となって、暴力的狂信者を生み出すのである。 しかし、依存心がなければ狂信者は生まれない。依存心のない者には宗教など無用である。例外者はこのことを忘れてはならない。 むしろ他者が調合した大衆向けの薄い興奮剤ではなく、自分だけの高純度の興奮剤を内奥に求めるべきである。 −つづく− 善と悪・幸福と不幸 2007-01-18 00:51:43 【毎回興味深く拝見させて頂いてます!!影ながら応援させて頂きますのでこれからも一段と深いお話を聞かせてくださいね】 「じゃむ」さんコメントありがとうございました。 実はハードルを高くしたら、当然のごとく読者が一気に半分に減少しました。 しかし2週間たったらまた読者が増え始め、昨年の年末のアクセス数に戻る勢いなのです。 --------------------------------------------------------------------- −つづき− 宗教は、2000年ものあいだ人類の不幸や苦悩を救済するという誇大な目標を常に掲げてきたが、はたして宗教は本当に不幸や苦悩を救済してきたのだろうか。 そして、善行を勧め徳を積むことで、人類はけっして悪いことをしない、善人だけの幸福で平和な社会を実現したのだろうか。 残念なことに、有史以来地上では人間同士の殺戮が途絶えたことがなく、宗教の違いによる紛争は増加し、むしろ人類は宗教のために多大な犠牲とエネルギーの浪費という高い代償を払ってきた。 しかし人間は、罪を犯すことなく生きられないし、他の生命を損なうことなしには生きていけない。 だがそれは人間の罪なのではなく、まして悪ですらない。 あなたは、血の滴るステーキや活魚を食べるとき罪や悪業を感じるだろうか。 そうではなくて、ただ「おいしい」という率直な感情を抱き、時にはそのおいしさに幸福感を覚えるはずだ。 このように、人間が生きていくうえで、やむなく犯した殺生はけっして罪ではないし、たとえそれを罪と感じる人があっても、それは人間が償える罪ではないし、その罪は単なる錯誤でしかない。 そもそも罪という意識は、善と悪を前提にしている。 だが、善なるものとはただ、自己にとって利益となるものを指しているにすぎず、悪なるものとは単に自己にとって損失となるものを指しているにすぎない。 善悪は、いずれもエゴであり、時代や文化によって基準が異なる曖昧な概念なのだ。 また、 良かれと思って成したことが結果的に悪意に転じることもあれば、悪意をもって成したことが善意に受け取られることもあるし、人間の強欲・野心・虚栄心・きまぐれが消費や経済活動を支えていることを忘れるべきではない。 結局、善と悪は同じ現象の異なる側面にすぎず、互いに補完しあっているのであり、むしろ物事を善悪という二元論によって区別することに無理があるのだ。 同様に幸福と不幸も表裏一体であり、幸福は善・不幸は悪とみなすことは、自己中心主義でしかない。 しかも未来の幸福のためにいま努力することは、幸福という目的のために現在を犠牲にすることであり、現在を定かではない未来に従属させることである。 しかもその幸福なるものは、たかだか「安定したライフスタイル」でしかなく、それを可能にするものはほとんどお金なのだ。 だが、お金で手にいれた幸福はお金が尽きれば消滅してしまう。 そこで幸福を持続させるためにさらに現在を犠牲にして働きつづけ、結局・現在の自己を見つめ充実させることを忘れてしまうのである。 バタイユは、「幸福を願うこと自体、苦痛に耐える能力の欠如であり、弱者の願望にすぎない」と述べている。 例外者にとって、民主主義が標榜する「最大多数の最大幸福」などまったく興味がない。 誰でも手に入れられる幸福など本物の幸福ではないからだ。 宗教は、善悪や幸福にとらわれ、それに従属している。 また善悪を区別したり、幸福を願うこと自体が、「はかりごと」でありエゴイズムであることに、僧侶はまったく気付いていない。 しかも、善良で幸福な者にかぎって、成すことは小さく、人間として魅力がない。 もしこのことに気付けば、おのずと罪の意識とか良心の呵責・不幸嫌悪は幻想であって、ただその幻想におびやかされて自分で自分を追いつめ、自分を傷つけていたことに気が付くはずである。 大衆がとらわれていて抜け出せない善悪観・幸福不幸などさっさと見捨てて、例外者は「猛毒にして特効薬・聖なるものにして呪われたもの・有害にして有益・有罪にして無罪」という、選ばれた者だけに許される、両義的な世界をめざすべきなのだ。 −つづく− なんでもありの宗教 2007-01-19 00:03:52 コメントを紹介します。 【愛してるから、もう殺してしまいたいと思います】 脳内殺人なら何百回も恋人を殺せますよ! 例外者は「何をしても許される」のであり、熟慮のうえで決断したことは後悔することもありませんし、罪悪感を覚えることもありません。 【自分ら夫婦の金儲けしか考えてないアンタさんにどんな事を書き込まれても信じられんな。一人でもいいからなんとかしてやりなさい。何が人助け半分だ!笑わせるなよ】 著者は、著者を信じて欲しいなどと一度も記述しておりません。 また「夫婦で金儲けしか考えていない・・・笑わせるな」との記述は公開された場所での侮辱であり、明らかに著者と配偶者の名誉を毀損しています。 何度も警告しますが、このブログは「著者には読者を選ぶ権利がある」と宣言しているのであり、それを無視して著者のブログに「いやがらせ」等の書き込みをするのであれば「業務妨害」が成立します。 なぜ業務妨害が成立するか判りますか? それはこのブログが「飾り窓の天使」という店舗のホームページと連動しているからです。 愚かな大衆は、場違いな発言をせず黙って閲読するか即座に退席してください。 もし今後も執拗に書き込みを続けるのであれば、著者は裁判所を通じてプロバイダーに情報の開示を求め、名誉毀損および業務妨害で損害賠償請求訴訟を行います。 著者はインターネットの匿名性を利用して、物陰から石を投げるような卑劣な行為を断じて許しません。 さて前日の続きを論じることにします。 ---------------------------------------------------------------------- −つづき− 仏教における善悪の問題を論じるとき、無視できないのが、親鸞の「嘆異抄」における悪人正機説と造悪論である。 親鸞は、大乗仏教を極限まで拡大解釈し、人間が救済を求めて自力で修行したり、徳を積むことは、すべて「はかりごと」であって、人間は生きている限り煩悩を断つことはできないと主張する。 そして、仮に努力して「さとり」に到達しても、それは阿弥陀仏の慈悲や加護があっ たからであり、阿弥陀仏は、人間の「はかりごと」や善悪を超越した存在であるから、人間の思惑などまったく通じないと考える。 実はこのあと異説があって、ひとつは「どんな悪人でも念仏を唱えれば、無条件に浄土に生まれ代われる・従ってわざと悪事を犯しても成仏できると」主張する説と、悪人であっても「反省し罪深さを自覚した者は、念仏を唱えることで浄土に生まれ代われる」と主張する説がある。 ここでは、どちらが正しいのか論じることはしない。 なぜなら、この悪人正機説も造悪論も、「浄土」なるものが存在することを全面的に信じることが前提になっており、どの主張も善悪を区別し、善悪に拘束されているからだ。 それだけではない。 親鸞は、「浄土」という架空の世界を創造し、「念仏」という「コトダマ」信仰を取り入れたことで、釈迦が説いた仏教から大きく逸脱しただ けでなく、阿弥陀仏や浄土の存在を信じさえすれば、あとはすべて阿弥陀仏に「おまかせ」して呑気に暮らせる「あなたまかせ」の甘えの信仰を作りだしたのである。 しかも親鸞は、わざと悪を成しても成仏できるという異説に困り果てて、「異説を嘆く」という意味の「嘆異抄」を著わし、薬があるからといって毒を好んではならないと苦しい反論を試みているが、ここまで間口を広げてしまったら、もはや「なんでもあり」の状況は、身から出た錆というほかはない。 ちなみに、親鸞自身出家を否定し、教団を形成する意志もなかったが、その子孫たちが本願寺を創建し、親鸞に習って妻帯・肉食・蓄髪・寺院の世襲相続を今も受け継いでいる。 蓮如にいたっては、5回結婚し27人の子供をもうけ、84歳で34歳の妻を娶っている。 これがすべて阿弥陀仏のはからいというのであろうか。 −つづく− キリスト教を懐疑する 2007-01-20 00:44:06 「懐疑」とは深く考えること・熟慮することであり、大衆は軽挙妄動に走ります。 道徳と宗教の関わりについて考察する上で、最も興味深い宗教はキリスト教である。 当初イエスは、自己陶冶・自己救済・完璧な自律をめざして各自が努力せよと説いたのであって、自己の行動の責任は自己にあると明確に述べている。 しかし大乗仏教の台頭とまったくおなじに、イエスの死後パウロはこの教えを捨て、イエスは人間の罪を背負って処刑された救世主キリストであり、イエス亡きあとは教会が人間の罪を救済しうるとする、現在の教理のきっかけとなる大変な曲解をしてみせたのである。 史実上のイエスは、ユダヤ教の権力者によって政治犯として処刑されたのに、パウロはこれを、「人間の罪を償う身代わりの生け贄」として処刑されたと独自に解釈し、実にみごとな神話を創作した。 このため、キリスト教が信じるイエス像は穏和で慈愛に満ちているが、聖書の中のイエスはまったく逆に、規律と自律によって自力で困難を克服せよと説く厳格な人物となっている。 またイエス自身、自分が教祖となることを拒み、偶像礼拝も否定していた。 これは釈迦の考えとも共通する。 しかし、釈迦の死後、弟子たちが瞑想を捨て大乗経典を創作したり、親鸞のように自力の救済を否定し、ただ念仏だけで救済されるという、より安楽な宗教への変容がキリスト教にも明白に見ることができるのである。 むしろ親鸞の他力救済は、「十字架のないキリスト教」ではなかったのか。 それほど両者には多くの共通点があるのだ。 キリスト教を批判する場合、聖書を精読しその不合理性や矛盾点を指摘するのが従来の手法だったが、本書は聖書そのものがファンタジックな詩集にすぎないという視点から極力、聖書の内容には触れないことにする。 また、キリスト教の牧師・神父・司祭・修道士などの聖職者を本書ではすべて一括して「僧侶」と記述する。 パウロは、人間は神に対して償うことができない罪を負っているのであり、イエスは人間の身替わりになって磔刑になったと解釈したが、罪など犯した覚えのない者に対して、「お前の罪はもうイエスが償ってくれたんだ」というありもしない恩を売りつけることは、どう見てもペテンであって思考力の弱い大衆に漠然とした疚しさを植えつけることはある種の詐欺や脅迫でしかない。 もともとイエスの宗教活動は長くて3年、30代前半の若さであった。 その若きイエスが、2000年も前に説いた宗教がいまだに信じられているということは、大衆の精神はその間ほとんど進歩していないことを意味する。 だからこそ宇宙時代の人間の精神が、2000年も前の書物によって拘束されている事実を不思議とも思わないのだ。 むしろ、2000年も前にユダヤ人がイエスを処刑したという思い出に、いつまでもしがみついて復活にこだわる未練がましい人たちや、たかがイエスひとりの処刑にいまだに決着をつけられず古傷を舐め合う人たちは、決して健全な精神ではないという事実を直視すべきである。 歴史上、若くして非業の死を遂げた者は、イエスひとりではないからである。 ホーキンスはビックバン理論によって、天地創造には神が介入するチャンスがなかったことを証明した。 また人類は神が創造したのではなく、原始の海の中の微生物から分岐し進化したのであり、人類の祖先である原人は食人者であって、 人類は食人者の子孫、殺人者の子孫であることが明確になってきた。 人間は、自分たちのこうした卑しい出自を否定するためにさまざまな神話を創作し、わが民族だけは神によって創造された特別な存在であると主張したのである。 しかし、宗教は未開の人間が作り出した欠陥だらけの不良品を、のちの時代の要請に合わせて修理してきたため随所にほころびが目立ち、冷静に見るとずいぶん継ぎ接ぎだらけの、粗雑な神話であることが判然としてくる。 宗教の歴史は、人間の都合に合わせて神仏も教義も好きなように取捨して留まることがないのだ。 イエスの最期のことばである、「わが神なぜ私を見捨てたのですか」という悲痛な叫びは、パウロが解釈したように覚悟の上の身替わりではなく、イエスの高尚な教えを理解できなかった大衆に裏切られ、その大衆によって政治犯として処刑されてゆくイエスの無念さを物語るものでしかない。 イエスの最期は、事態を回避しようとするのではなく、逆に最悪の事態へ自ら踏み込んでゆく例外者の生き方であり、これは決して疑いをかけられても一切弁明せず、なにもしないという無抵抗な生き方とは異なる。 また、キリスト教の神は決して平等ではなく、神を冒とくし続けた者に奇蹟を与えることもあれば、一生を祈りに捧げた者を無慈悲に見殺しにすることもある。 むしろ神は、人間の思惑など無関係に、「不条理を行使する例外者」(暴君)という見方が成り立つのだ。 −つづく− 不条理なイエス・キリスト 2007-01-21 00:05:27 −つづき− たとえばイエスは、「地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない剣を投げ込むために来たのである。火を地上に投じるために来たのだ。火がすでに燃えていたらとどんなに願ったことか」(マタイによる福音書・要旨) と述べている。 また旧約ヨブ記には、「神よ、私はあなたに向かって助けを求めているのに、あなたはお答えにならない。神はなぜ不幸な者を救うおうとしないのか。私は幸いを望んだのに災いがきた」とヨブが不平をいうと、神は「私が天地を創造したとき、お前はまだ存在していなかった。大地に雨を降らせ草木を茂らせたのも私であり、お前をこの世に送り出したのものも私だ」と答えたといわれる。 これに対しヨブは、「軽々しくものを申しあげました。もう二度と不条理に直面しても不満は申しあげません」といって詫びている(ヨブ記・要旨) つまり、神自身が「不条理を行使する者」であることを明確に宣言していたのである。 ところがパウロは、こうした神の過激さをまったく理解していない。 つまり、パウロはイエスが例外者であることをまったく理解していなかったのだ。 むしろパウロが作ったキリスト教は、苦痛と暴力に対する弱者の抗議であって、あくまでも不条理に抵抗する。 そればかりかキリスト教の神は、神への貢献や服従の度合いに応じて人間を罰したり報いたりするし、愛する者に試練を与えて懲らしめるという、まるで新入社員の研修係のように意地が悪く、最後に人間のささいな罪を集計して審判を下すという「決算」までするのだ。 新約聖書の「新約」とは、新しい救済の約束のことことであり、隣人を愛すれば自分も愛されるという神との約束のことである。 しかしこの約束は、すなわちキリスト教が「愛」を人間関係を円滑するための手段として利用していることを意味している。 キリスト教は、神の愛は世俗の愛と違って片寄ることなく公平にそそがれていると考えるが、それはあくまでもキリスト教徒に限られている。 しかも神は、愛する者にたびたび厳しい試練を与えるのであり、ときには善良で慎み深い者に思いがけない災難すら与えるのだ。 換言すれば、教会が説く愛には神の報復という脅迫が潜んでいるのであり、決して無償の愛ではないことになる。 人間の愛は単なるエゴイズムだが、人間が神に愛を求めることも実は人間のエゴイズムなのであり、愛と罰を与えてくれる神は、子供が親に求める理想にすぎず、きわめて未熟な概念というほかはない。 とるに足らぬ大衆の中で、はたして隣人を愛することにどれだけの価値があるのか。 「自分すら愛せぬ者が隣人を愛することで善人と錯覚する」 (「ツァラトゥストラ」ニーチェ・要旨)だけではないのか。 むしろ世俗の愛にせよ、神の愛にせよ人間が関わる限り、「愛とは執着という醜いものにつけた美しい嘘」 (「変容」伊藤整・要旨)でしかないのである。 キリスト教は、大衆を悪魔や魔女という恐怖によって怯えさせ教義を補強してきた。 繰り返すが、恐怖心や脅迫を利用し、信者の心を萎縮させる宗教は宗教ではない。 それは恐喝である。それだけではない。 キリスト教は、13世紀から17世紀にかけての魔女裁判で900万人ともいわれる無実の女性を拷問にかけ、火あぶりにしたのである。 しかもこれが正式に禁止令として布告されたのは1951年(イギリス)であった。 この事実だけでも女性はキリスト教を永久に信じてはならないのである。 さらに、2000年のキリスト教の歴史の中に、異教徒の抹殺と略奪が目的の度重なる十字軍遠征、異端審問、奴隷売買、中世スペイン・ポルトガルの強制改宗の際の火あぶりなど、教会がキリストの名のもとに行なった長期間の大罪がいくつも実在する。 また宣教師は、侵略者の手先としての任務を帯びて植民地とすべき未開の国へ乗り込み、支配しやすい従順な国民へと教化することで、植民地支配に積極的に加担していた。 だからこそ、わが国はキリシタンを弾圧したのである。 しかもキリスト教は、十字軍の遠征の際には妻等に貞操帯を装着するとか、穢れの多い女性は礼拝のときベールをかぶれとか、公の席では慎みのため女性は帽子をかぶれとか、一貫して女性差別を拡大してきたのである。 また、女性が教会で歌うことを禁じられていた時代には、讃美歌を美しいボーイソプラノで歌わせるために、教会は少年を去勢させた時代もあった。 とにかく教会は、血で穢れきっている。 キリスト教は多くの宗教の中で、とびぬけて殺戮と流血を実行している。 「汝、殺すなかれ」といいながら、信仰の名のもとに異端者を殺戮し、自殺を禁じつつ殉教の奨励したこともある。 なんと空虚で自分勝手な戒律だろう。 しかも、神の名を乱用して大罪を犯しながら、誰ひとり司法の裁きを受けていないのだ。 さらにアメリカ国民は、原爆の完成を神に祈り、投下後その威力を神に感謝している。 このように贖罪と隣人愛を説く敬虔なキリスト教徒が、身の毛もよだつ冷酷な殺戮を幾度も繰り返してきた事実を見るとき、宗教というものの恐ろしさをまざまざと見せつけられた思いがする。 キリスト教は、もし反省心があるなら聖書の冒頭で過去の幾多の過ちを真摯に認め謝罪し、信仰を求める者に対して信仰に伴うさまざまな危険性を「表示法」に準拠して明示すべきである。 そうでもしなければ敬虔なふりをしながら、同じ宗教を信じないというだけで、神の名のもとに容赦なく抹殺するという過去のあやまちを防げないであろう。 なにしろイエスが、「異なる主張を強制的に正してはならない」と述べているのに、教会は平気でこれを無視してきた。 しかもその期間がとてつもなく長いからである。 −つづく− 宗教という浪費 2007-01-22 00:39:28 例外者および至高性をめざす者は宗教に係わってはならない。 宗教は大衆向きの迷妄であり、係わることは時間の無駄である。 宗教や信仰抜きで例外者は解脱できるのだ。 著者が大乗仏教やキリスト教を批判するのは、このためである。 ------------------------------------------------------------- −つづき− 神など怖くない、本当に恐ろしいのは一神教の僧侶(牧師・神父・聖職者等)だ。 かつて教会は、売春宿から収入を得ていたことをクルーティエは「ハーレム」という本ので中で述べているし、地中海のジュデッカ島の修道院で、19年間も僧侶が修道女をレイプし続けた(「海の都の物語」塩野七生・要旨)事実もある。 もっともイグナチオが、「長上は神の代理人、どのように扱われようと、されるにまかせよ」と修道女にいったときから、修道女が僧侶にレイプされることは必定のことだったのだ。 また、私生児を作らなかった教皇のほうが少ない(中丸 明)し、性交不能を理由に妻が離婚を申し立てた場合、法廷で僧侶が夫の勃起不全を確認するという重大な人権侵害の歴史もある。 さらに、バチカンに寄付されたお金の半分をキックバック(「汝の父の罪」ロナルド ケスラー・要旨)し、企業や政治家の裏金作りに協力したこともある。 なお、ローマ法皇が無痛分娩に同意したのは1956年のことであり、女性の聖歌隊が認められたのは1970年のことだった。 「女性蔑視と男性支配のシンボルであるキリスト教を、なぜ女性が信仰するのか判らない」 (「宗教の森」・要旨)と、上野千鶴子は首をかしげるが、それはたぶんキリスト教の女々しさが女性を魅了するからだ。 こうしたキリスト教が犯した罪に比べたら、大衆が犯す日常のささいな罪などまるで問題にならない。 キリスト教徒は、日々の小さな善意にいったいなんの意味があるのかと、疑問に思わないのだろうか。 むしろ、キリスト教の僧侶達の長年の大罪を許してきた神を、まだ信じようとする大衆の無知に呆れるべきではないのか。 それとも、この暴走を食い止めることができなかった神を許すのが神への愛なのだろうか。 すべての宗教は、必ず迷妄に惑わされる。 そして、その迷妄のためにどれだけ尊い犠牲が払われ、資源や財貨が浪費されたてきたことか。 信仰を持つ者は時折このことを考えてみる必要がある。 なお、キリスト教の迷妄は現代も続いている。 ローマ法皇庁公認の「エクソシスト」(悪魔祓師)は今日でも実在するし、本人の意志に反する幼児の洗礼は、日本では信教の自由を保障した憲法に違反するのに、いっこうに止めようとしない。 また、ローマ法皇ヨハネ・パウロ2世がダーウィンの「進化論」を承認したのは1996年だが、その何年も前に進化論は否定され、「適者生存説」が主流となっていた。 そのうえ、同法皇は「希望のかなたへ」という著書の中で、「仏教は無宗教的システム」であると批判している。 しかし彼は、宗教家が別の宗教を批判することの愚かさにまったく気付いていない。 実はこうした独善こそが、キリスト教を暴走させてきたのである。 キリスト教の礼拝対象は十字架そのものであるはずだ。 だが、その一方でキリスト教は、十字架上の苦悶するイエスの姿など、神の形を人間に似せる努力を熱心にしている。 しかし、神に人格を付与し擬人化・偶像化することは、神を人間のレベルに引き降ろすことであって、神聖さを損なうことに繋がる。 また、「全能の神」という理想を求めること自体がすでに人間のエゴであり、同時にそれは神によって人間の無限性を否定し人間の可能性に限界を設定するものとなるのである。 −つづく− 神の「しもべ」 2007-01-24 01:10:49 −つづき− ニーチェは、はじめてキリスト教の神に「死」を宣言し、道徳を否定し、自力救済の方法として仏教をとりあげたが、それはまだニーチェが、宗教が人間を救済しうるという幻想から完全に離脱していなかったことを示している。 また、ニーチェのようにキリスト教を改革しようとする試みは、結果的に宗教に従属することを意味する。 彼自身、人間は「自分を支えてくれる確かなものを、どれほど必要としているかによってその人の弱さが判る」 (「悦ばしき知識」要旨)といっていたのだから、むしろ彼は宗教を離脱して神仏なき至高性をめざすべきであったのだ。 この世に神仏は存在したことはない。従って神が十字架に処せられるはずもないし、ニーチェが神の死を宣告するまでもなく、神は初めから存在しなかったのである。 キリスト教の神は、救済を切実に願う人々をはたして救済しただろうか。 キリスト教は宗教というより、大衆道徳そのものだから救済よりも、ただ不満を和らげそこに留まらせるだけの力しかない。 このように、あてもなく救済を先送りすることは、いたずらに信者の苦悩を引き伸ばすことでしかないのである。(「批判的信仰の論拠」タイセン・要旨) こうした鋭い批判を浴びると、教会は巧妙な理屈をこねてあらゆる言い逃れをする。 このため無知な信者は僧侶特有の老獪な言い回しにたぶらかされてしまうのだが、実は僧侶こそ信者の苦痛を引き伸ばす慈悲深い顔をした残忍な拷問者なのである。 ここでいかに宗教を批判しても、それを信じる人は絶えることはない。そのことは僧侶が一番よく知っている。 人間の弱さ、愚かさにもとづいた宗教はしぶとく生き残る。 また宗教を撲滅すると、大衆は間違いなくニヒリズムに陥りそこから抜け出せなくなる。 つまり宗教の撲滅をめざすこと自体徒労なのだ。 大衆は宗教という幻想の中でまどろんでいるべきである。 しかし信仰を有する者は、少なくとも自分は凡庸な大衆であると自覚すべきである。 凡庸な大衆の一人でしかない者が、ただキリスト教徒であるというだけで「敬虔なクリスチャン」と呼ばれるとこは大変な欺瞞であるからだ。 キリスト教徒は他人に同情するひまがあったら、自分の無知に同情すべきだ。 そして人間は神の栄光をたたえるために存在する神の「しもべ」であるというなら、人間もしくは大衆は神の「しもべ」になりきるべきである。 しかしアメリカには、WASP(ホワイト・アンクロサクソン・プロテスタント)だけが世界を救済しうると固く信じている支配階級が厳然と存在する。 ところがイスラム教徒はアメリカ人こそ災厄をもたらす悪魔だと信じているのだ。 ちなみに、アメリカには5万人以上の信者を有するキリスト教の会派は80件以上あり、全米に35万件の教会が存在する。 また、国民の6割がキリスト教徒であり、そのうち6割がプロテスタントである。 しかし、多くの者にとって慈善事業や寄付・社会奉仕・日曜ごとの礼拝は社交の一部であって、信心深いふりをしているほうが有利であるからそうしているにすぎないのである。(「宇宙からの帰還」立花 隆・要旨) −つづく− ミケランジェロ&ルター&フロイト 2007-01-25 00:05:07 −つづき− キリスト教も道徳も、2000年に渡って官能的快楽を圧殺し、罪悪視してきたが、これは生命の活力を抑圧しただけでなく女性差別を助長し、誰にもある性欲を屈折させ、倒錯という罪を捏造してきた。 そして教会で罪を告白することは、聞き手の密かな好奇心を刺激し、それによって告白者の奇癖が掘り起こされ、それがやがて世間に広がり、結果として告白する罪が増えることになる。(「知への意志」フーコー・要旨) 人間は、自己以外の者に対して醜悪な心底を無防備にさらけ出すことはないし、告白したことが自己の罪のすべてであるとは限らない。 また人間が罪悪と感じたことがすべて罪悪とは限らないし、罪を告白することで罪から解放されたと感じるならそれは本物の罪ではない。 それは単に、他人との利害を告白したにすぎないのだ。 「自己の罪悪感を強化することは自己を傷つけること」 (タイセン)であり、自分を許し励まし誉めることができれば宗教も精神科医も必要ない。 自己を励ますことができることは重要な才能のひとつなのである。 かつてキリスト教は、夫の性交は妨害するな、しかし妻は性交によって快楽を得てはならない、性交は生殖に限定すると命じていた。 キリスト教がなんと弁解しようと、キリスト教の敵は女性であり、官能的快楽は宗教の敵なのだ。 キリスト教にとって男性を堕落させるのは女性であり、本質的に女性は悪魔であると考え、僧侶は自分が女性から生まれたことを否定したいのである。 実は「マリアの処女懐胎」そのものが、こうした性交と快楽の否定の産物なのだ。 このように、エロティシズムを罪悪視するのは、もっぱらキリスト教とフロイトであり、フロイトは性欲をコントロールしたり、これを活用することができなかったからこそ、精神分析をでっちあげ、「キリスト教は肉欲を恐怖するからこそ、悪魔祓いや魔女狩りをした」(「G・バタイユ伝」シュリヤ・要旨)のである。 いったい、教会の壁画に性器もあらわな男女のヌードが現存することを、キリスト教はどう説明するのか。 アダムとイブの楽園を描くために、どうして性器まで露出しなければならないのか。 実は、この壁画を描いたマニエリスム派のミケランジェロやグレコは、罪悪を表現するという口実のもとに官能を描いたといわれる。 「ルネッサンスはキリスト教の本拠地イタリアにおいて、高貴で良質で健康的でおおらかなエロティシズムを回復しようとする運動」(「これがニーチェだ」永井 均・要旨)であり、こうした脱宗教化の試みを叩き潰したのがルターであった。 このルターによって、エロティシズムを排除されたキリスト教はいっきに道徳化し、やがて産業革命を推進する有用な原動力となるのである。 −つづく− 聖地と巡礼 2007-01-26 01:22:31 1月15日の「宗教ごっこ・信仰あそび」というテーマに関してコメントがありましたので紹介します。 【それも違う:あなたは迷惑かけずに生きてますか。人間、他に迷惑かけっぱなしです。それにさえ気づかない人の多いこと・・・。むしろ、前者の「どっちでもいい」imaさんの方が真実に近い】 「あなたは迷惑かけずに生きてますか?」→お答えします。 著者は大衆にとって、あえて「ヒドク迷惑な存在・邪悪な存在・異質な存在」であろうと心掛けています。 また著者は「大衆などどうでも良い、大衆は所詮・虫けらである」と、このブログで何度も暴言を吐いてきました。 だから著者にとって大衆など「どっちでもいい」ことなのです。 このブログを読んで道徳的なスタンスに戻ろうとする読者は例外者ではありません。 大衆に迷惑を掛けていると気遣うヒマがあったら、至高性をめざして自己陶冶に専念するべきなのです。 ちなみに、大衆にとって「真実」はひとつかもしれませんが、例外者にとって「真実」はものごとのひとつの側面にすぎません。 そのようなものに固執することは人生の浪費なのです。 ---------------------------------------------------------------------- −つづき− キリスト教に限らず、宗教は必ず聖地にとらわれている。 たとえば、エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であり、この聖地をめぐる宗教ナショナリズムがたび重なる紛争の原因になっている。 それぞれに由来があり、歴史があることも承知しているが、聖地だけに「聖なるもの」が存在すると信じること自体、神の力を限定するものであり、まぎれもない執着心と人間の所有欲・感傷主義でしかない。 また、まるい地球の上で聖地に向かって礼拝することは、すなわち聖地に尻を向けて礼拝することであり、聖地に向かって進むことは、すなわち聖地から遠ざかることになるのである。 しかも聖地が存在することは、その宗教なり神仏がきわめてローカルなものであって、世界にあまねく存在する人間を超越した「聖なるもの」という神仏のイメージと著しく矛盾する。 端的にいえば、キリスト教は十字架以外は、聖書も教会も神父等もいらないのであり、ユダヤ教は律法、イスラム教はコーランさえあればいいのである。 仏教にいたっては、「無」も「空」も「さとり」もない境地に達すれば、自己すら真空になってしまう。それが「なにものにもとらわれないこころ」なのだ。 パスカルは「パンセ」の中で、「われわれもう船出してしまっている」と述べ、宗教を信じれば死後の世界が得られ、信じなければ何も得られないと主張した。 これが有名なパスカルの「賭けの理論」である。 そしてパスカルは、理性で判断するのでのなく、信仰はイチかバチか乗るか反るかの賭けであり、自分をその不確実な賭けに丸ごと差し出せというのである。 しかし、はたしてこの賭けは八百長なしの、偶然が左右するフェアな賭けなのだろうか。 仮に宗教を信じるほうに賭けても、救済が保証されている訳ではない。 賭けに勝ったとしても、そこで勝負がつくのではなく、そこから隣人愛や罪の告白がはじまるのである。 またキリスト教自体が人為的に作られた大きな乗物であって、他人が作ったものに乗るくらいなら、自己の可能性に賭けてみるべきではないのか。 これこそ自己を丸ごと差し出した本物の賭けなのである。 至高性はその「自己を丸ごと差し出した偉大なる賭け」なのである。 修行・禁欲・救済・解脱 2007-01-27 10:18:42 人間はなぜ、宗教を信じるのだろうか。 幸福になりたい・災難からまぬがれたい・安らかな死を迎えたい・悲しみを和らげたい・死者を弔いたい・何かよりどころとなるものを見つけたい、などいくつかの理由が考えられる。 そして、これらの願いをかなえるために宗教は三つの方法を呈示してきた。 それは、自力で修行して「さとり」をひらき煩悩から解脱する方法であり、もしくは親鸞のように、人間を超越した人格を有する神仏を掲げ、その神仏に救済を委ねる「あなたまかせ」の方法と、呪術・祈祷・占いによって神仏や精霊の加護を求める方法である。 はたして「修行する」ことに、どんな意義があるのだろうか。 釈迦の「禅」と呼ばれる瞑想法は、本来自分だけが解脱することを目指した個人救済の方法であり、神仏を想定することなく、深く自己をみつめることで欲望や苦悩の正体を洞察し、それは皆「とらわれ」や利己的な「はかりごと」でしかないと気付くための、単なる内省行為であった。 ところが釈迦の死後、弟子たちの中から、禅は煩悩を断ち切り彼岸という理想の世界にゆくための修行であるとか、修行は釈迦仏に接近するための「しきたり」であるとか、修行して解脱すれば運命的支配から脱出できるという、まことしやかな教説が派生してきたのである。 しかし、修行が解脱や救済という目的に従属すること自体「とらわれ」であって、そのような修行はいくら続けても人徳とならない。 そればかりか、修行の成果を確実なものとするために多くの方策が考案され、それがやがて厳しい苦行や禁欲、戒律となって修行する者を束縛し、幽閉してしまうことになる。 (そして、この苦行・禁欲・戒律に耐えられず、しかも、ひとりしか救済できないという制約を嫌った人たちによって、大衆向きの安楽な大乗仏教が案出されたのである) しかも、苦行・禁欲・戒律に耐えて、いかなる苦悩にも実体がないという「さとり」に到達しても、美しい女性の裸を見ただけでたちまち心は乱れてしまうし、石に躓いただけでその痛みにのたうち回ることになる。 なぜなら、その「さとり」は、女性を恐れ、官能をまったく排除した結果であり、苦痛が実は快楽に深く関わっていることすら自覚していない、きわめて浅い「さとり」にすぎないからである。 脳内麻薬と修行・禁欲 2007-01-28 00:40:50 −つづき− はたして、苦行・禁欲・戒律に耐え、官能的快楽を排除した修行に特別な価値があると誰が定めたのか。 人類の半分を占める女性を排除し、女性を「けがらわしいもの」と見なしたうえに、生の本質に深く関わっている性欲を圧殺して到達した「さとり」にどれほどの意義があるというのか。 そして、本当に追求しなければならないことは、人間はどうして自分で自分を傷つけるような苦行・禁欲・戒律・束縛・抑圧を自発的に求めるのか、ということではないのか。 そこで考えられることは、「欲望を制限すること」が大衆にとって「名誉ある欲望」になるのであり、禁欲の代償として「さとり」を得たり、聖職者たる地位を獲得するのであり、さらに禁欲することが災難をまぬがれるための一種の代償行為となり、禁欲と災難の間である種の取引きが成り立つからこそ、大衆は自発的に抑圧や束縛を受け入れるのだという結論である。 人々は災難をまぬがれたいからこそ身銭を切って安全を祈願するのであり、我が子の回復を願うからこそ看病する親は自分にさまざまな断念(茶断ち等)を課すのである。 だがこれは、見返りを期待した神仏に対する一種の強要でしかない。 しかも人間の脳は、外部から苦痛や圧迫を受けるとモルヒネの6.5倍の効力を持つ脳内麻薬が分泌され、精神が高揚し陶酔状態となる。 そればかりか、個性や感情も脳内麻薬や脳内ホルモンによって左右されており、自己に禁欲を強いれば強いるほど脳内麻薬が分泌されて脳は酩酊してしまい、これが繰り返されると、やがて条件反射によって容易に恍惚感が得られるようになる。 従って人間が苦行・禁欲・戒律・束縛・抑圧を自発的に求める現象は、すべてこの脳内麻薬による陶酔の獲得のためであったと考えられる。 そして、天国・地獄も神仏も神秘体験も、慈悲も愛もすべて脳内麻薬の産物であって、もはや宗教そのものが脳内麻薬を利用した巨大な幻覚装置であると考えざるを得ない状況に至るのである。 ここまでくれば、いかなる修行にも「さとり」にも、真の救済などありえないことが明確になってくる。 修行も「さとり」も、実は幻想ではないのか。 結局、宗教に何かよりどころとなるものを求めても何も得られないばかりか、僧侶は信者の苦悩を放置し、助けを求めている者に対して、徳を積むために「人助けをせよ」といって苦悩の引き延ばしを謀るのである。 これほどみごとなペテン・論理のすりかえはない。 −つづく− 自然と神仏 2007-01-30 23:54:13 コメントが届きました。 【あなたがご存知のことが悟りの体験や宗教のすべではありません。 あなたのしている単純なミスは、今、手持ちのピースがこれから組み立てる悟りの体験や宗教というジグソーパズルを組み立てる全てのピースだという思い込みです。私にも体験がありますが、組み立てるジグソーパズルのこまが全部手許に揃わないうちに、それらを組み合わせて強引に全体像を作ろうとしてしまうことです。 悟りや宗教というジグソーパズルの全こまを集めて組み立てると次のようになります。 http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/】 上記のHPを拝見したところ「一般法則論」なる独自の見解を披瀝しているブログでした。 「一般法則論」とはこの人物の独自の論理らしく【神+自然法則+エネルギーの一体不可分の働きによって造られた存在に基づく創造主が、神自らも絶対的に従わなくてはならない自然の掟や自然法則】のことだそうです。 彼は【神の存在証明】にとても熱心なのですが、あえて言わせていただくと彼は「宗教なるもの」「聖なるもの」の意味まったくが判っていません。 神仏とは「あらゆるもの・こと」を超越した存在なのであり、自然の掟に服従するような卑属な存在は創造主や神仏とは言えません。 神仏とは時には不条理を平然と行使する存在であり、自然法則など始めから無視した「邪悪にして聖なるもの」なのです。 「一般法則」なるものに服従したり、一般的な規範に従属するものは道徳や常識・衆愚宗教であって、断じて聖なる神仏ではありません。 著者はジグソーパズルによって至高性(神仏抜きの解脱・法悦)に到達したのではなく、また悟りや宗教を通じて至高性に到達したのでもありません。 またホーキンスの理論によれば、天地創造のビックバンには神仏が介入する余地すらないことがすでに証明されており、「一般法則論」なる論理は、はじめから神仏が存在することを前提にしており、典型的な宗教家による我田引水の論理です。 宗教を論じるなら民俗学や考古学・心理学・宗教の歴史・仏典経典類の研究書・芸術論等、幅広い文献を深く渉猟してください。 --------------------------------------------------------------------- −つづき− この世には何ひとつ確かなものはなく、来世も神仏も霊魂も悪魔も最後の審判もない。 「さとり」もなければ救済もなく、人間は未来を予測することもできないし、祈祷や呪術よって物事を操作する力もない。 奇蹟のような出来事は、偶然がいくつも重なり合っただけの「まぐれ」でしかなく、災厄も天災と偶然と自業自得の結果でいかない。 また努力しても報われるとは限らず、正義がつねに勝とは限らないし、真実もひとつとは限らない。 しかし、それでも「さとり」を求める者は後を断たないし、宗教によりどころをもとめ、救済を求める者も後を断たないだろう。 だが、例外者は決して大衆を救済しようとしてはならない。 無知で依存心が強く、自由であるよりも従属を好む。 こうした大衆を救済しようとすると、大衆に絡みつかれ引きずり込まれ身動きできなくなる。 釈迦もイエスもマホメットも、大衆を救済しようとしたために貴重な人生を浪費してしまった。 その意味でこれら「聖人」は本物の至高の例外者ではない。 大衆には救済する価値すらない。 大衆の苦悩は大衆に委ねよ。 大衆には、大衆の苦悩を和らげてくれる大衆のための宗教がふさわしい。 そのためには大衆のための宗教の撲滅を企てたり、論争をしてはならない。 宗教は迫害や攻撃を受けると逆に強くなる。 否、むしろ迫害や攻撃を期待すらしているのだ。 それが判っているだけに、例外者は宗教にかかわりあってはならないのである。 自然 宇宙 迷妄 不純物 2007-01-31 00:00:01 大乗仏教に限らず、宗教は多くの迷妄や不純物を内包しており、本来なら宗教と関係ないものが混入したまま、それが宗教としてまかり通っていることを指摘したい。 例外者はそうしたものにも関わるべきではないからである。 たとえば、どの宗教も必ず教義の中で自然や宇宙に対して尊敬や感謝の念を表明し、信者にもこれに従うことを要求する。 また自然現象や天体の動向の中に神仏や精霊のメッセージが隠されているとして、これをさまざまに解釈したり、山や巨木を礼拝して、五穀豊穣を祈願する。 そして、人間は自然と調和した生き方をすべきであり、太陽のようにまるい心を持てとか、大地や海は母ように慈愛に満ちており、あらゆるものに神仏は宿っていると説く。 だが、自然は美しく、「めぐみ」をもたらすと同時に、凶暴で冷酷でみごとな嘘つきであり、人間の思惑などまったく拒絶して、無慈悲に残酷に人命を奪い、文明を破壊し人間を裏切ってきた。 宗教はただ自然の穏やかで「めぐみ」をもたらす有益な一面だけを、センチメンタルに讃美しているにすぎない。 その自然の脅威と戦い、自然を作り替えようとするのが文明であり、それによって人間は環境を汚染し、破壊し続けているのである。 ややゆきすぎた面もあるが、電力や交通手段のない文明に戻れない以上、これはやむをえないことなのだ。 ところが、大衆はその罪悪感から環境保護やエコロジーという、ある種の新しい禁欲や戒律をまたもや造りだそうとしているのである。 自然だけでなく、宇宙にも人格を有するいかなる超越的存在もなく、天体の動きと人間の運命のあいだに、いかなる支配関係もないし、天国も「あの世」もない。 天地創造さえも、ビックバン理論によって神の介入の余地がないことがすでに解明されてしまった。 宗教に公益性があるか? 2007-02-01 01:50:41 −つづき− いずれにしても宗教は、余りにも多くの迷妄と不純物を抱え込みすぎている。 端的にいえば、人間にとって苦悩や不安を解決する方法は三つしかない。 本人が内省や努力で克服するか、人間を超越した「なにものか」を信じて、その前に自分をまるごと差し出し、「わたしを守って下さい」と供えものをするか、祈祷や呪術を用いて状況のコントロールを試みるかのいずれかだ。 しかし、人間の形をした神仏(偶像)はもちろんのこと、天国も地獄も、天使も悪魔も、輪廻も転生も、因縁も霊魂もすべて実体がなく、迷妄でしかない。 またそれを支える教団も僧侶も建物も、偶像も絵画も、経典も戒律もすべて大衆が作り出した不純物にすぎず、日々行なわれている礼拝・勤行・修行・儀式・祈祷・占いも、神秘体験も「さとり」も所詮 夾雑物でしかないことになる。 毎日同じ時間に、同じ方法で祈りを捧げなければ願いが通じないほど僧侶等の祈りは弱いのであり、大衆向けの神仏はごますりが好きなのであり、呑み込みが悪く、いずれにせよ例外者および至高性とは関わりのないことである。 宗教の中に、これほど多くの迷妄と不純物といかがわしい教説が存在しているのに、宗教は公益性があるとして法律によって手厚く保護されている。 それはなぜか。 それは宗教が道徳を広め、為政者にとって支配しやすい従順な大衆をつくることに貢献しているとみなされており、信徒団体は選挙のとき投票マシーンとして利用できるからだ。 ところが、この道徳こそ宗教における最大の不純物なのであり、宗教が有用なものであるとする見解こそ、宗教の本質を失わせる最大の脅威なのである。(有用性については、後日詳しく論じます) 新興宗教・新宗教について 2007-02-02 00:37:43 大乗仏教やキリスト教は救済を実現できないし、解脱・悟りを獲得できない。 では新興宗教や新宗教あるいはカルトと呼ばれる新しい宗教の実体はどうなのか。 創価学会は目先の現世利益を強く約束する、日蓮系の宗教団体である。 現在、同学会は本山から破門され、僧侶もいないただの信徒団体にすぎない。 それなのに宗教法人の認可取り消しすら問題にされず、信徒数の多さと年一回の財務で数千億円稼ぐという集金力と票田だけが「とりえ」の巨大宗教団体だ。 また同会は、「法華を唱えるヒトラー」といわれている池田大作名誉会長のカリスマ性だけで維持されている宗教団体であり、本山から破門されてもびくともしない秘訣は、ひとえにこの強烈なカリスマ性にある。 なお同名誉会長は常日頃、「信心は賭けだから御利益が欲しかったら100万円賭けてみよ」と信徒を挑発してやまない人物であり、これほど金銭を露骨に要求する宗教家も珍しい。 ちなみに彼は、「われらは 幸福の大船の仲間、人間主義の新しい朝を・・・みな幸福にみな社会の勝利者に」とか、「永遠なる民衆勝利の大叙事詩をつづれ」(「池田大作全集75 スピーチ・要旨)と壮大なことをいっているが、実はこの短い引用文の中に同会の欺瞞がすべて凝縮されているのである。 「大船」とは、同会が大乗仏教・衆愚仏教そのものであることを意味し、「仲間」とはその乗物の中で乗物酔いという思考停止状態にある凡庸かつ同質な信徒集団を意味する。 また「人間主義」「民衆勝利」とはヒューマニズム以外のなにものでもなく、これは弱者の全体主義のことであり、同名誉会長は弱者の理想を唱えるファシストであり、同会は部外者との共存を強く嫌悪し排除することを示している。 さらに、「幸福」を人生の目的とすることは、「ささいな苦痛に耐える能力の欠如」(バタイユ)を意味し、漠然とした幸福という目標に従属することを意味する。 ひとことでいえば、彼らは足元を見ていないのである。 この状態で未来の幸福のために100万円賭けることは無謀というほかはない。 同名誉会長は、創価学会を批判する者を「魔」とみなし、これを打倒すれば福がさずかると説くが、「禍福はあざなえるナワの如し」なのであり、善悪を区別し幸不幸にこだわる宗教家は、そのことすら判っていないのである。 カルト教団 2007-02-04 23:58:32 たとえば統一教会は韓国に本拠地を置く、キリスト教系のカルト教団である。 カルトとは、教祖自身が神仏の生まれ変わりであると自称し、その教祖に絶対服従を要求するものであり、そこでは経典や聖書よりも教祖の言動のほうが優先される。 この教団の場合、教祖が写真だけで選んだカップルを集団結婚させることで有名になったが、金銭を集めるためにひとり暮らしの銀行員・保母・看護婦ばかりを狙って高価な物品を売りつける霊感商法でも再三批判され、数年前からは、「土地の悪因縁を除去してやるから、教団のために金を貸してくれ」といって多額の借入れをしながら、まったく返済しないというトラブルが続発したことがあった。 良縁に恵まれない男女に、キリストの生まれ変わりである教祖がパートナーを与えてくれるという布教のやり方は誠に巧妙だが、そのために多額の金銭が求められることはいうまでもない。 はっきり断言しておくが、ガメツイ宗教は宗教ではない。 また、恐怖や不安をちらつかせたり、脅迫・恐喝をおこなう僧侶は救済をかたるペテン師・詐欺師である。 幸福の科学という団体の場合は「ノストラダムスの予言」や、「ハルマゲドン」を信じることが信仰の前提になっている宗教法人である。 しかしキリスト教系ではなく、世界中の宗教・哲学・科学の「おいしいところ」だけ掻き集めた教義を際限もなく展開し、これを教祖の出版物として売り出す、ある種の宗教情報産業であり、宗教を売り物にした出版業というべき教団である。 世界中の宗教を掻き集め、そこからエッセンスを抽出するという手法は一見有効に見えるが、実は宗教は人間が都合良く作り上げたものであって、その中に真理が潜んでいることはないのである。 真に例外者として至高性(神仏抜きの解脱・悟り)を求めようとするなら、そうした大衆の手垢にまみれた宗教を乗り越えなければ新たな視界は得られないのだ。 阿含宗もカルトの側面があり、教義にまともな思想がないことを取り繕うために、宗教行事をイベント化することで常に信徒を欺いているし、法の華三法行は足裏診断で信者を脅迫し、「大金を布施することも大切な修業だ。お金のない人こそお金を出すべきだ」と、教祖自ら公言するほど金銭に執着していた。 大別すれば新興宗教は、宗教をビジネスの手段ととらえ、「信教の自由」と宗教法人の「非課税」と宗教法人法を逆手に取った「金と権力の亡者型」と、宗教は口実で、ただ出会いの場を提供し、信者同士で愚痴や体験談を交換しあう有料の「仲良しサークル型」があり、さらに定期的に大規模な宗教行事を行なうことで信者を集める、「儀式・イベント・レジャー型」の三つタイプに分類される。 「信じるだけで救われる」という宗教は、「お金さえ出せばサービスしますよ」という、束の間の安らぎを売るサービス業であり、「西洋医学が治せない病気を治す」という触れ込みで、あやしげな施術を売り物にする宗教は催眠術師であり、巨大な建築物を誇る宗教はハッタリばかりで教義が粗雑である。 いずれにせよ、どの宗教も依然として伝統宗教の枠内に留まっており、それを超越する叡智が見られない。 そのうえ「信教の自由」と「非課税」と「プライバシーの保護」というバリアにがっちり守られた宗教法人ほど犯罪や脱税の隠蓑になりやすい組織はないのである。 しかも教祖とは限りなく詐欺師に近い狂信者であるのだから、トラブルが起きないほうが不思議なのだ。 そして、こうした「教祖の周囲に社会に受け入れられない人物が集まってきて、やがて排他的教団へと発展していく」(「権力者の精神病理」小田 晋・要旨)のであり、その結果、「いかなる組織も不可避的に大義のために邪悪なものになる」(「平気でうそをつく人たち」MSペック・要旨)のである。 宗教法人は公益性が高いから「非課税」が認められているのに、その宗教法人が大衆をだましたり、「金と権力の亡者」や狂信者となって、貧しい者から大金をむしり取るという事件が後を絶たない。 かくなる上は、教祖は年一回、宗派に属さない複数の精神科医の精神鑑定を受けることを義務づけ、結果を公表させると共に、教団や教祖個人および親族の資産の公表を法律によって義務づけることを真剣に検討すべきだ。 特に、「レベルの低い宗教ほど大きな宗教になりやすい」(「人間における幸福の探求」桜木健古・要旨)という重大な事実があるからである。 また、ほとんどの宗教団体が選挙の際、政党や政治家を支持し、時には宗教団体の圧力によって政策や閣僚のポストが決まるという「政教一致」の事実も忘れてはならない。 宗教団体は、純真な信者が想像している以上に金と権力にまみれているのであり、憲法が政治と宗教を分離しているからといって、教祖が政治的野望と無縁であるとは限らないのである。 −つづく− 宗教ビジネス 2007-02-05 00:52:40 −つづき− 最近、宗教の中にオカルトミステリーや心霊術・超能力・占い・水子供養・気功・臨死体験・血液型性格診断など、宗教と関係のないものが手当たり次第に持ち込まれ混沌としているが、これは宗教にとって邪道であり、いかがわしい霊能者がマスコミに登場して人心を惑わす事態を見ていると、日本人はエセ宗教家に永久にだまされ続ける無知なカモでしかないと改めて認識させられる。 釈迦やイエスが心霊術や占いをしただろうか。彼らは占いはおろか、死者の供養すらしていないのだ。 実は、こうしたオカルトや占いこそ迷妄であり、煩悩なのであり、とらわれなのだ。 仮に超能力(ESP)が実在しても、それは宗教とは一切関係がない。 未来を予測することは未来に従属することであり、現在の自己の陶冶に専念すべき例外者にとって、それは不純物でしかない。 従って超能力を売り物にする宗教は間違いなくニセモノであり、手品師である。 たとえば「開運グッズ」とよばれる印鑑・ 水晶アクセサリー・絵画・仏具・お守りという大量生産品も、宗教にとって無用のものでしかない。このような商品でひらける運などはじめから存在しないし、それで安心を買ったとすれば、あなたの不安はその程度のささいなものでしかなかったのだ。 宗教法人は全国に18万4000件あり、これは美容院の数と同じといわれている。 そしてこの宗教法人の中には、不動産業者・観光業者が宗教法人の名のもとに巨大な仏像を造り、拝観料を取り墓地を販売しているものや、観光客から事実上の入場料を取りながら、案内も宗教上の説話もせず、文化遺産を私物化している有名観光寺院もある。 また、「戒名」と称する死者の「送り名」に法外な値段を付け、戒名の「相場」まで定めている宗派もある。 あまりにも明白なことなので、改めて記述するまでもないことなのだが、宗教家は明らかに宗教に投資している。 宗教法人が行なっている副業のことではない。 宗教法人法に定められた副業によって生計を立てている者は、まだ良識があるほうだ。 ここで問題にしている投資とは、巨額の広告費を投入した宗教団体の広告のことである。 たとえば自動車の交通安全祈願や厄除け・初詣のテレビコマーシャルや、全国紙に一斉に掲載される宗教イベントの全面広告、さらに教祖の著作物の大量広告などは、明らかに広告費以上の収益が見込めるからこそ実施されているものである。 これは、まぎれもない投資である。 効率良く投資して、より多くの利潤を獲得するという営利企業の戦略そのものである。 このように広告によって参拝者を獲得しようとしたり、信者を獲得しようとする教団は、その教団が信者のためにあるのではなく、教祖や僧侶の利益のために存在していることを如実に示している。 宗教にすがり、救済を求めている信者を放置するだけでなく、その信者から大金を巻き上げ広告費として使うことは二重の裏切りでしかない。 宗教を糧として生計を立てている者を信じてはならない。 愚かな大衆の切実な気持ちを察する心があれば、その信者から金銭を取ることなどできる訳がないのである。 −つづく− 宗教法人課税論 2007-02-06 00:20:31 宗教は本来、金銭がまったく通用しない世界であって、どんな金持ちでも信仰心がなければ神仏の加護は得られないし、どんなに貧しくても信仰心が厚ければ神仏が救済してくれるというのが宗教の世界なのだ。 結局、日本の宗教は低俗・虚偽・欺瞞・誤謬・幼稚・無知蒙昧が宗教という美名のもとに粉飾され、金儲けに利用されているのである。 最近では新聞の人材募集欄に、サラリーマン僧侶を募集する広告を時折みかける。もはや僧侶も所得税を払っている労働者でしかないのだ。 いったい、このような宗教のどこに「公益性」があるというのだろうか。 また、宗教法人を「非課税」によって国家が手厚く保護するだけの価値が本当にあるのだろうか。 消費税引き上げの前に、宗教団体に無縁の政党はこの議論をすべきであろう。 宗教法人として認可を受けるには、「信者が存在すること」「組織があること」「礼拝の対象があること」が不可欠な条件とされている。 ところが、この三つの条件は釈迦もイエスも新鸞も道元も否定したものであり、彼らは布教することも、信徒団体を形成することも、儀式も偶像崇拝も完全に否定しているのである。 それなのに、この三条件が宗教法人の認可に不可欠であるということは、国家がエセ宗教を作ることに加担しているのであり、国家がペテン師や詐欺師・狂信者を保護育成していることになるのだ。 日本の宗教が、かくも幼稚で俗悪になった原因は、実は宗教のことがまるで判っていない宗教法人法にあったのである。 宗教は任意団体でもやれるし、もともと無所有が原則であることを忘れてはならない。 決して目立つことはないが、信者のことだけを思い清貧を守り続けているごく少数の僧侶がいることを忘れるべきではない。 しかし問題はこれだけではないのだ。 宗教法人の非課税は、信仰を有しない人の不利益の上に立って、国が宗教法人の蓄財を支援しているに等しい。 宗教法人は、「高度の公益性を有する」との理由で法人税がなく、収益事業をしても27%の課税率でしかない。 このため信仰を持たない人は、納税額の少ない宗教法人の分まで税を負担しなけれならず、税の公平な負担の原則に反する扱いを受けていることになる。 むしろ広大な土地を所有し、なんら生産もせず雇用も産出しない、きわめて不経済で人心を惑わすだけの宗教法人にこそ高率の課税をすべきであって、宗教法人の非課税は「宗教団体は、国からいかなる特権も受けてはならない」という憲法に違反している疑いが濃厚なのである。 周知のように宗教法人は、宗教上の収入には課税されない。 たとえば各種の祈祷料・戒名料・葬儀、法要の謝礼・お守りの販売収入などすべて非課税である。 また、禅寺などで社員研修の名目で企業戦士を育成しているが、これなども宗教活動とみなされている。 だが、これらを非課税にする根拠がどこにもないのである。 繰り返すが釈迦もイエスも、いかなる祈祷も儀式もフェティシュ(拝物愛)も明確に否定しており、彼らは死者の供養すらしていないのである。 さらに、神仏に供物や賽銭をあげて見返りを求めるということは、広い意味の投機であり経済行為である。 また、神仏に高額の金品を捧げて見返りがあるのなら、その行為に当然課税すべきである。 いったい何を根拠に宗教法人を非課税扱いにするのか、そして何を根拠に宗教法人に対する贈与に課税しないのか、その明確な理由を是非知りたいものだ。 むしろ、宗教法人法のいう「高度の公益性」とは、選挙のつど政治家が宗教団体を利用するから、その見返りとして税を優遇しているとしか思えないのである。 なお、アメリカの宗教法人は非課税ではなく、申告審査制である。 時事放談&ご意見番 2007-02-07 07:00:32 =お知らせ= 最近この「脳内写生」というきわどいブログが他のブログで引用されたり、公的機関のHPにバナーとして表示されることが多くなりました。 これまでに著者が公的機関のHPに「脳内写生」というバナーが張られていることを確認することができたものは、小倉南警察署(「レイプ事件」平成18年10月21日のブログ)・麻生太郎公式HP(「核武装論」平成18年9月21日・同10月23日のブログ)・国際事業委員会(「日本スケート連盟」同10月9日のブログ)・日本捕鯨協会(「KFCとIWC」同10月19日のブログ)等がありました。 今年になって、このブログはより知的で異質な読者を選別するために、故意にハードルを上げ「至高性」のみについて高度な議論を続けています。 しかし実は著者のもとに「従来のように国際紛争や国内の時事問題・事件等について独自の見解を聞かせて欲しい」との要望がいくつか来ております。 このため、もう一つ「脳内写生:ご異見版」なるブログを開設して著者独自のあえて異質な見解(暴言)を連発することにしました。 ただし、どれだけ「脳内写生:ご異見版」のほうに時間が割けるかは、かなり問題ありなのですが・・・ 近々・「脳内写生:ご異見版」の新しいブログアドレスを告知いたします。 勤勉かつ有用な人間 2007-02-08 01:43:51 プロテスタントは、欲望と消費を押さえ、倹約し快楽をいましめ、勤勉を美徳と説いたことで初期の資本主義の発展に大きな貢献を果たし、宗教が経済活動や生活水準の向上に多いに役立つことを立証してみせた。 そしてこの事実がアメリカ流の民主憲法を受け継ぐ日本の憲法にも反映され、宗教を手厚く保護する法律が制定された。 しかし、宗教の本質は人間を抑圧や隷属から解放し、生存していく上で必然的に生じる、さまざまな重圧を和らげることにあったはずだ。 その宗教が、人間を抑圧や隷属という現実に押し戻し、社会の歯車となることが美徳であると肯定することは、実は大衆にとって大変な裏切りであり、ひいてはもはやその宗教に大衆を救済する力がないことを意味している。 しかも大衆社会にとって有用な人物は、有用であるがゆえに、みじめなほど凡庸でしかないのである。 本来、宗教は、人間はパンのみに生きるのではなく、無益なことであっても、それを行なうことに意義があると説くのが本筋だった。 だからこそ大衆も、労働をせず信仰ひとすじに生きる僧侶に特別な価値があると認め、各自の生活を切り詰めてでも僧侶に寄進してきたのではないか。 その僧侶が、大衆に向かって勤勉と倹約と信仰の両立を説けば、その瞬間から僧侶は、労働者のうわまえをピンハネする卑しい不労所得者に転落するほかはない。 なぜ、こんなことになってしまったのか。 僧侶自身まったく気付いていないが、実はすべての原因は宗教の中に際限もなく道徳を持ち込み、宗教に道徳の衣を着せることで、もともと不合理で消尽を目的とする宗教を合理的で有用かつ蓄積を目的とする宗教に改造して大衆に広めやすくしたことにある。 とくに宗教は、救済を求める弱者が集まりやすく、弱者の保護が目的で作られた道徳が、容易に浸透する下地がすでにあったのだ。 そして、宗教が合理的で有用なものとなった時点で、かつての宗教が有していた、「聖なるもの」にまつわる非日常性や、規範からの逸脱という祭祀性が完全に放棄され、合理的かつ道徳化された宗教の登場によって祝祭は単なる娯楽へと堕落させられてしまったのである。 たとえば、道徳家からみれば犯罪者は断じて許されない存在だが、非日常性や祭祀性を有する例外者から見れば、犯罪者は禁止を侵犯する快楽を共有する、愚かな友人でしかない。 だからこそ、かつては寺院に逃げ込んだ犯罪者は補縛をまぬがれたのであり、「かけこみ寺」へ逃げ込んだ人妻は、妻の側から離縁することが許されたのだ。 だが、道徳と融合することで合理化してしまった宗教には、もはや犯罪者はもちろんのこと、異質なものや「聖なる狂気」を包含する余地がない。 −つづく− 自由と自在 2007-02-09 12:05:40 −つづき− もともと道徳は、従順で規範を守る社会にとって有用な人間を作ることが目的で作られたものであり、出る杭は打たれるように妥協と諦念に慣らされ、規格化された大勢に順応する扱いやすい人間を大量に生み出す狙いがあった。 しかし道徳は所詮、臆病な弱者同士の申し合わせであり、エゴイズムを調整し、烏合の衆をたばねるものでしかない。 宗教も含めて、道徳を信奉する者は弱者自身かその支配者であり、支配者にとって道徳は弱者を支配するための道具となる。 しかし、その結果できあがった道徳社会は、従属や服従を好み、ささいなトラブルを嫌悪する弱者中心の、弱者だけを善良で有用とみなす、弱者だけが勝利する卑小な社会となる。 道徳に従っていれば自己判断の必要はなく、責任も回避でき、助け合いや同情心、隣人愛があれば自立する必要もない。 だが道徳や宗教は生を抑圧し拘束する。 人間の内奥には表に出ない強い欲望があるのに、道徳のために自分の欲望を殺して一生をすごす。 大衆はただ、道徳と法律を守っているだけで幸せになれると信じている。 しかし、ブレーキだけでは文明も活力も生まれはしない。 生涯、自己の固有の快楽と無縁でよいのか。それで本当に幸せなのか。 道徳と宗教を否定したからといって、すぐ自由が実現するわけではない。 自由とはなんら制約もない随意の言動のことだが、人間は国籍・人種・母国語・親兄弟・宗教・慣習・自然・風土・環境・性別すら自分では選べないのであり、大衆社会において「なにものにもとらわれない自由」はすべて幻想であり、みせかけの自由でしかない。 ところが大衆は、道徳や常識に飼馴らされ、「しがらみ」に囲まれて生活しているというのに、自分を単純に自由な存在だと思い込んでいる。 しかしそれは真の自由ではなく、自分では選べない生存条件に束縛された、強いられた人生であり、規範という目に見えない檻に入れられ、死刑を宣告された強制労働の囚人でしかない。 また、法律によって与えられた自由は、基本的には監獄の中庭を歩く自由と変わりない。 結局、大衆は宗教・道徳・常識に従っていれば安心していられるが、規範や指示がないと何をして良いのか判らず不安になり、依存できるものを必死で探すか、ニヒリズムという「何をしなくても良い自由」に陥ってしまう。 しかし、「なるようにしかならぬ」という諦めは、無責任で主体性がない。 大衆は不動産を所有すれば不動産に逆所有され、ペットを飼えばペットに逆飼育されてしまう。 なぜなら、大衆は本質的に自由な支配者ではなく、従属を好む奴隷であるからだ。 そして、自由でもないのに自由と思い込み、自由を標榜すれば自由が実現すると錯覚し、自由を掲げる政党を支持するが、それはまた政党への従属でしかないのである。 真の自由主義とは従属を好む大衆のものではなく、いくつもの真実が併存する無政府主義的思想であり、宗教・道徳・性別・地位・年齢・職業・因襲にもとらわれぬ独自性をめざす戦闘的で利己的なものなのだ。 このように、大衆の自由と真の自由の意味が大きく乖離している状況では、自由という言葉を使えば使うほど混乱を大きくしてしまう。そこで例外者が求めるべき随意の精神を、本書では、「自在」と記述することにする。 呪われた存在 2007-02-10 09:49:45 −つづき− ところで、未来に目的や期待・希望を抱きそれを実現しようとすると、それは利害損得に従属したことになり、自己の外部によりどころを求めれば隷属となり、外部の規範を破れば犯罪者か変質者とみなされ、そうでなければ特権を要求するエゴイストとなり、トラブルが絶えない。 つまり自己の外部にはいかなる自由もなく、また現実から逃れるための自閉・気晴らしも、ただ弱者の逃避でしかないことになる。 こうした不自由な世界から、いかにしたら脱出できるのだろうか。 そのためには外部からのいかなる救済も拒み、まず孤独を恐れず、自己を完全に支配することで例外者としての尊厳を獲得するのだ。 宗教・道徳はもちろん、いかなるジンクスにも迷信にもとらわれてはならない。 例外者にはいかなる規範も無用である。 自己を絶対視すること。 自分ですべてを定義し意味付けること。 いかなる既成価値をも否定し、なにごとも自分で選択し決定し責任を取ること。 この重圧に耐えたうえで、自分のためだけに人生を使い切ると決意した者にのみ、社会的制約に拘束された人格を脱ぎ捨て、内奥の自在なる精神にめぐりあう資格が与えられる。 例外者は自在であっても常に自在を求め続ねばならぬ。 ひとつの場所に留まることなく常に変化し、他者に意味付けされてはならない。 例外者の自在なる精神は、内奥の官能の全面的解放から生まれる。 官能領域を極限まで自己拡張すれば、もはやいかなる内的拘束も消滅してしまう。 あふれるほどの豊かな想像力だけが、自在なる精神を生むのだ。 そのためには、いかなる官能や快楽にも無条件で自分を差し出せ。 多様な欲望を決して罪悪や堕落と考えてはならない。 自在なる精神とは大衆から見れば破廉恥であることなのだ。 そして、例外者は破廉恥であることを誇らしく思うのである。 無論、熟慮のうえで成したことに疚しさなどあるはずがない。 ただし、内奥に自在なる精神がない者は例外者ではない。 例外者は、大衆のことなど斟酌する必要はない。 自在なる精神なき者は虫けらにすぎぬ。 自在なる精神にとっていかなることも罪ではない。 だが、自在なる例外者は大衆にとって邪悪で危険な存在でしかない。 自在であることは、神仏も宗教も道徳も社会的規範も常識も平然と侵犯し、善悪も禍福も不吉も吉兆も区別せぬ化物のような「呪われた存在」であり、もはや「この世のものではない」からである。 自在であることは大衆にとって有害な存在であり、社会に現前すれば犯罪者であり、変質者であり、破壊者でしかない。 しかし、例外者はそれすら名誉と感じる。 もはや他者に好まれようと、嫌われようと「私は私」なのだ。 他者に依存しなくても一人で生きられる、選ばれた例外者なのだ。 死ぬことも生きることも、生かすことも殺すことも自在な例外者なのだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「脳内写生:ご異見版」の準備ができました。 ブログのタイトルは「ご意見番」ではなく「ご異見版」です。 ブログのアドレス→ http://blog.goo.ne.jp/nounai-syasei-goikenban/ (検索できない場合は、gooブログ検索で「脳内写生:ご異見版」とキーワードを入力してください) 民主主義・ヒューマニズム 2007-02-11 00:01:12 −つづき− 自由を疑えば、民主主義やヒューマニズムも疑わしくなってくる。 もともと民主主義は封建的独裁者に対する下剋上として生まれてきた。 そして民主主義は、有権者が個々に判断して直接政策を選ぶものであって、権力や行政の介入を極力排除するのが本来の民主主義のあり方だった。 ところが人口が増大し行政区域が拡大したため、地域ごとに代議士を選出する議会制民主主義へ移行したことから、さまざまな矛盾が露呈しはじめたのである。 ここで一票の重みなど論じる意味がない。 あなたの一票で決まるのは評決スタッフの一員でしかなく政策そのものではないのだ。 そもそも重要な決断を、凡庸な大衆が選出した利権の代表に一任すること自体、正気の沙汰ではない。 現実には、代議士は大衆にその場限りの公約をし、常にそれを反故にしなければ、政府も行政も拮抗する勢力囲まれて身動きできないのが実情なのだ。 従って、あなたの一票で政策が決まる確率などはじめからないのであって、投票所までの往復で事故にあう危険のほうがむしろ高いのである。 しかも、政権を手に入れるためなら、戦後つねに敵対してきた社会党と自民党すら連立してしまうし、官僚も企業や官庁に「たかり」、便宜・供与・接待・天下りのやり放題という卑賎さ、堕落のありさまなのだ。 労働運動ひとつ取って見ても、春闘・ストライキ・賃上げというお決まりの労働運動は、何もしなかったほうが効率が上がり、むしろ所得は増えていたといわれる。 一方、国民も勝手に子供を作っておいて、あげくに教育も安全も福祉も国家に委ねることは実におこがましい。自分の子供すら「しつける」ことができない者は、もともと親になる資格などなかったのだ。 もはや民主主義は、依存心や従属心の強い大衆の愚かさを長期間維持するためのシステムでしかない。 確固とした主張がない大衆が、「世論」という意見を有するという前提自体幻想であり、国益の確保という強い意識と、統治能力がない民主主義はかならず衆愚政治におちいる。 民主主義のもとで、大衆の要求が常に通るのは正しいからではなく、単に数が多いためで、か弱い女性と劣等者を合わせただけで過半数を超えてしまうからだ。 世の中はバカが多い決まっている。 つまり多数決そのものが、愚者に有利にできているのである。 それでもなお多数決がフェアで正しいといえるのか。 世の中には、数の多さだけでは決められないものがあるはずだ。 たとえば、最大多数の最大幸福の実現は、例外者にとって大きなお世話でしかなく、代表を選挙で選ぶこと自体、至高性をめざす生き方に反する。 人権・人命も突然の暴力や自然災害の前ではまったく無力であり、そもそも虫けらどものヒューマニズムになんの意味があるのか。 大衆など救済する価値がないのであって、民主主義もヒューマニズムも羊の皮を被った、弱者のための全体主義でしかない。 自由主義・民主主義・ヒューマニズム・ 平等主義こそ神仏なき大衆の宗教であり、「世界平和・人類愛・世界はひとつ皆兄弟」という弱者の理想を唱える者はファシストである。 大衆は決して、少数派や異質な者との共存を好まないからである。 それでいて大衆は、万民の平等のもとで同質者との微細な差異を競うことに明け暮れているのだ。 もはや例外者は宗教だけでなく、民主主義やヒューマニズムにも関わることをやめて自己陶冶に専念すべきなのである。 哲学・芸術 2007-02-12 00:28:23 いかなる宗教も、道徳や迷妄にとらわれていたり女性を蔑視しており、至高性をめざす例外者にとって、宗教に関わることは人生の浪費でしかないことが理解いただけたと思う。 また自己の外部に自由の拡大を求めても、それは法律や規則・規範という目に見えない檻の中を歩く自由でしかないことも理解してもらえたはずだ。 さらに、大衆と共に民主主義やヒューマニズムを拡大して行くことが、いかに愚かなことであるかも理解してもらえたと思う。 しかし、まだ哲学や芸術の分野にこそ至高性(神仏抜きの悟り・解脱)があるはずだと考えている人も多いはずだ。 しかし、どこかに疑問の余地のない真理が存在すると考えること自体、すでに関心が自己以外のものに向いている証拠である。 哲学のように、難解な概念をいくら積み重ねても現実は何も変わらないし、なにも解決しない。 真理を求める人は要するに暇を持て余している人なのであり、哲学を学んでも至高性に到達した者は皆無である。 一言でいえば、真理とは仮説に立脚したある種の偏見であって、「真理とは疑問の余地がないと思える誤謬」なのであり、平たくいえば思考の遊びもしくは錯覚でしかない。(ニーチェ・要旨) なぜなら仮に、真理なるものに到達しても、すぐまた新たな問題に直面するからである。 つまり、永遠の真理や不変不滅の真理はどこにも存在しないのであり、いかなる生存にも意義などないし、真理を求めること自体不毛なのだ。 無論、宗教や経典の中に真理など、はじめからあるわけがない。 エントロピーの法則を持ち出すまでもなく、この世に確実なものは何ひとつなく、すべては変化し、消滅する。 人間にとって有益なものは真理ではない。 有益な真理は、道徳のように必ず何かに依存し従属している。 しかも道徳は善悪を前提とし、人間のエゴに従属している。 従って不変ではないし永遠不滅でもない。 例外者から見れば、カントやプラトンの善悪論ほど俗悪なものはない。 大衆は、まがいものの真理なくして生きられない気の毒な生き物だ。 唯一絶対のものなど存在しないのに、それを「ないものねだり」のように探している迷える子羊にすぎない。 −つづく− 疑似芸術・商業芸術 2007-02-13 22:37:49 −つづき− 哲学も生を抑圧し、その弱体化を企て、女性と官能を排除しており、決して真理を含まない。なにより哲学は言語と先駆者の言論に従属している。 また、真理や愛を崇高なものとして大衆に説く者はペテン師であり、真理を口にする者は独断と狂信の輩であり、真理をふりかざす者は教条主義者でしかない。 真理は決してひとつではない。主観の数だけ真理があるのだ。 従って、世界をひとつに束ねようとする思想や、世界を救済しようとする真理は、多様性を否定する抑圧者の支配欲の現れでしかない。 大衆が集まるところに真理はない。 真理があるとすればそれは純粋なフィクションや内奥のファンタジーの中にある。フィクションやファンタジーこそ、なにものにも従属していないからである。 だが、たかが真理ごときのために、人生を浪費すべきではない。 例外者は、大衆が到達不可能な世界、大衆にとって有害な領域を追求し超越しつつ、大衆が信じる真理を懐疑することを快楽と感じる。 では、芸術に真理や至高性があるのだろうか。 実は、一般に芸術と呼ばれているものは、展覧会入選の肩書きを有する擬似芸術の生産者と美術商が作りだした商業芸術であって、いちかばちかのハッタリと奇抜さ、スキャンダラスを売り物にしている大衆向きの商品でしかない。 音楽を含めて、芸術を商品として売り物のにすることは、芸術の自殺であり、投資や投機の対象となった芸術は商品や消耗品でしかない。 残念なことに、芸術は文化やビジネスという有用性に従属しており、生の抑圧にも加担している。 たとえば、芸術としてのヌードはモデルに表情がなく、ポルノとしてのヌードには蠱惑的な表情があるとして両者は明確に区別されている。 つまり、芸術も官能的快楽を排除しているのであり、快楽や官能を軽蔑しているのだ。 真の芸術とは、社会的人格を脱ぎ捨て内奥の陶酔や酩酊の中から瞬間的に現れる他者に理解できない鮮明なヴィジョンのことであり、自己を素材とした非商業的な無益なイメージの表現に限定される。 このイメージを薄めて視聴覚的に表現したものが、一般に芸術と称される商品であり、さらに鑑賞者・消費者を明確に意識して作品化されたものは、鑑賞者の価値観に従属したイメージの切り売り物品でしかないのである。 自称芸術家たちが常用する「インスピレーション」なるものは、単なる思いつきでしかなく内奥のヴィジョンとは似ても似つかない軽薄なイメージでしかない。 真の芸術は至高性やエクスタシーの中にしかなく、社会や秩序に対して反抗するものであり、大衆の理解を拒否するものなのだ。 俗物のための芸術はひとつの誤謬であり、そこにはいかなる真理もない。 性の宗教 2007-02-15 01:09:17 ようやくこのブログの本来のテーマである至高性の入口にたどりつくことができました。 宗教や道徳、あるいは民主主義・芸術等を一貫して批判してきたのは、すべてこれから論じる「官能と快楽の宗教」のためのイントロダクションにすぎなかったのです。 しかし「官能と快楽の宗教」にも多くの迷妄がまぎれ込んでおり、これらの宗教をそのまま肯定することはできません。 ------------------------------------------------------- 性交を解脱や覚醒の手段とする宗教は、古代ヒンドゥー教のタントリズムやチベット密教のヤブユムが有名である。 「タントラ」とは秘密を意味し、性欲という煩悩のエネルギーを利用して常識や理性を破壊し、修行を積んだ者との性交によって短期間に宗教的法悦を獲得するものをいう。 つまりタントラとは性交ヨーガの修法のことで、これを公開しないために「密教」とも呼ばれてきた。 わが国では「真言立川流」のタントラがもっとも有名だが、この教団は室町時代に焚書に合い、慶長年間に徹底的に弾圧されて絶滅してしまった。(「封印された聖なる性の秘密」渋谷申博・要旨) この教団には、死者の頭蓋骨に精液や膣液を塗り、これに漆や香を炊き込み7年間修行するとすべての願いが叶えられるという呪術があり、後醍醐天皇はこの立川流の熱烈な信者だったといわれている。 またこのほかに、「玄旨帰命壇」という性交を用いた魔術教団も存在したが、やはり江戸初期に排斥されほとんど記録が残っていない。 また中国から伝わった房中術は、過度の性交は寿命を縮めると考え、余った精液を脳へ廻すという健康法でしかないし、インドのカーマスートラも性交にまつわる技巧がおもなテーマであって、至高性をめざすものではない。 むしろ興味深いのは「理趣教」と呼ばれている大楽金剛不空真実三麼耶経である。 この経典はわが国の多くの寺院で採用されているが、その内容は、性欲も性交もオーガズムもすべて自然であって清浄なものであるという誠に大胆な経典なのだ。 そして大乗仏教はこの経典を、般若心経の「空」の思想を仲介にして、この経典は「なにものにもとらわれない心」に到達した者の理想の境地として肯定するのである。 従って理趣経は最高の乗物と見なされているのであって、わが国の密教寺院で性交ヨーガの修法が実際に行なわれている訳ではない。 ところが大乗仏教は、理趣経に書かれている性交ヨーガを実践していた古代ヒンドゥー教のタントリズムやチベット密教のヤブユムを仏教界の異端とみなし、これを否定しようとする。 たが、大乗仏教・衆愚仏教の視点からタントリズムやチベット密教を批判することは誤りであり、そうした宗教家こそ密教を理解していないのである。 儒教も仏教もキリスト教も、性欲のコントロールができずこれを忌避することしか考えなかったが、「タントラは善悪を区別したり女性や性欲・煩悩を敵視しない真に健全な唯一の宗教」(「タントラ・ヴイジョン」OSHO・要旨)なのであり、エロティシズムこそ至高性の入口であることを堂々と宣言する、たぐいまれな宗教なのだ。 そして、誤ったエロティシズムの氾濫と、エセ宗教ニセ僧侶が横行する現代こそ、官能と快楽の宗教を復活させるチャンスでもあるのだ。 しかしオウム真理教の麻原も、タントラという教義を弄んだものの愛人に子供を生ませただけで、むしろ凡人がいくら性交しても至高性に到達できないことを証明してしまった。 それはタントラの修法そのものに多くの迷妄が含まれるからであり、特に性交ヨーガ自体が性交にこだわっているという欠陥に誰も気付かないからである。 たとえばタントラは、チャクラという至高性の邪魔になる不純物を抱えているし、ヒンドゥー教のように性器そのものを信仰しても意味がない。 また、タントラもヒンドゥー教もパートナーに依存しており、いずれもペニスとヴァギナと射精にとらわれている。 パートナーがいなければ解脱できないというタントラは本物ではなく、オーガズムによる心身の合一が解脱への道であると説くタントラも本物ではない。 性交に伴うオーガズムは、内奥の至高性に到達する重要な手掛かりではあるが、オーガズムは単なる慣れでしかないし、ペニスとヴァギナは必ずしも最適な快楽器官とは限らないからだ。 しかも、射精そのものはエクスタシーではないし、性交が男女の「きずな」になるとは限らないのである。 では、タントラから迷妄と不純物を除去したら、どのような宗教になるのだろうか。 −つづく− 天国への裏階段 2007-02-16 00:25:16 −つづき− 実はこれこそ、もはや宗教とは呼べない宗教を超越した未知なる叡智であり、性交と性器とパートナーにとらわれない、宗教と宗教的法悦を凌駕した絶対のエクスタシーと究極の至高性をもたらす「官能的悦楽ヨーガ」なのである。 ニーチェがあれほどキリスト教を批判してもキリスト教はしぶとく生き残ってきたし、宗教を下手に迫害すれば集団自殺やサリンを密造されてしまう。 従って今すべきことは、宗教を批判することではなく、宗教やカルトを超越する叡智を確立することだ。 ここに至ってはじめて、大衆によって商品化・卑小化されてしまったエロティシズムを捨て、道徳化された宗教を解体したあとに問題となってくる高純度の性欲と宗教的法悦の関わりを詳しく説明する必要が出てくるのである。 バタイユは、「宗教の本当の意味が判らない者にはエロティシズムの意味がわからないし、エロティシズムの本当の意味が判らない者には宗教の意味も判らない」(「エロスの涙」要旨)と述べているが、この「宗教の本当の意味」とは道徳と迷妄を除去した宗教のことであり、善悪・幸福不幸・清浄不浄を区別しない、両義的で「なにものにも依存しない」自立と自律をめざす宗教を意味している。 また「エロティシズムの本当の意味」とは、他者によって企画され商品化された性欲ではなく、あくまでもオリジナルな高純度の性欲を意味している。 そしてバタイユは、この「本当の宗教」と「本当のエロティシズム」は驚くべきことにほとんど同一であり、むしろ両者は渾然と溶け合っていることを、サドやニーチェの研究を通じて気付いたのである。 だからこそバタイユの友人であるクロソウスキーも、「エロティシズムは宗教の役割を代行しうる」(「歓待の掟」)といったのであり、バタイユ自身も、「極楽に至る道は地獄の歓楽を潜り抜けていく」(「よろこばしき知識」ニーチェ・要旨)という記述から啓示を受けて、「娼家こそ真の教会」 (「有罪者」バタイユ・要旨)であるとか、「娼婦は神である」(「聖なる神」バタイユ・要旨)と繰り返し強調したのだ。 そしてこの事実に気付けば、サドがありとあらゆる汚濁と悪徳を掻き集めて、「天国への裏階段」(「サド侯爵夫人」三島由紀夫・要旨)を築き上げたとする三島の主張は、まさにサドが獄中で性欲を純化し、キリスト教道徳を否定し続けた事実とみごとに符号し、正鵠を得ていたことが証明されるのである。 −つづく− 至高のエクスタシー 2007-02-17 23:53:47 −つづき− ところで「本当の宗教」によって獲得した法悦と、「本当のエロティシズム」によって獲得したエクスタシーが、まったく同一であるとするニーチェやバタイユ等の主張の根拠はどこにあるのだろうか。 「なにものにも依存せず」「なにものにも従属しない」と言う両義的で自律的な自己を求めることは、野蛮に回帰しない限り自己の内奥に至高性や宗教的法悦を求めることを意味する。 一方、官能的快楽によって至高のエクスタシーに到達するためには、外的人格・性別・理性・自我・社会通念を捨て、禁止の侵犯や穢れをいとわず、自己の内奥に深く沈潜し純度を高めた固有の性欲と、自己拡張した広大な官能領域を自在に飛び回る多様なファンタジーを結合させ、その強烈なエネルギーをコントロールしつつ、自己の意志で複数の人格や性別をも自在に着脱する能力の獲得を目指す必要がある。 そしてこの両者は、自己の内奥においてなんら障害もなく出会うのであり、そこでは宗教的法悦も至高のエクスタシーも同じ脳の中で分泌されるβ−エンドルフィンという脳内麻薬(快楽物質)によって生じる同一の現象として知覚されるのである。 このため宗教上のタブーや道徳を侵犯することは、とりもなおさず官能的快楽を刺激することになり、禁欲や苦行・羞恥心の強化は、むしろ性欲を昂進させ官能を喚起することになるのだ。 同様に、固有の性欲の純度を高めることは、とりもなおさず宗教的法悦に接近するし、その結果獲得したエクスタシーは紛れもなく宗教を凌駕するのである。 なぜならこのエクスタシーは、宗教上のタブーを侵犯することで獲得したものであるからだ。 おそらく、現代に伝わっている宗教が生殖以外の性交を否定し、エロティシズムを厳しく排除し女性を嫌悪してきた真の理由は、宗教とエロティシズムを厳格に区別しなければ、宗教そのものがエロティシズムに呑み込まれ、消滅してしまうという危険性や危機感に僧侶が気付いたためと思われる。 性交ヨーガが絶滅したのは、単に道徳と宗教が結託したからではなく、エロティシズムが時として宗教を凌駕することがあるからこそ、僧侶や為政者から敵視されてきたのである。 僧侶は宗教が消滅すれば信者を搾取できないし、為政者は道徳を広め自己の威厳を保つために宗教を利用できないからである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「飾り窓の天使・脳内写生研究所」では、「至高性」と呼ばれる官能的快楽のエネルギーを活用した神仏抜きの法悦や解脱・さとりに関する非宗教的セミナーを開催いたします。 詳細は「飾り窓の天使」のHPよりメールにてお問い合わせください。 性欲なき解脱とは 2007-02-19 16:21:08 −つづき− なおこの脳内麻薬は、心拍が急激にあがると分泌されることが判明している。 ジョギング中に急に気分が良くなるのは、この脳内麻薬のせいであることは周知のことである。 また、脳には死後のイメージや神秘現象などあらゆる幻想の発生源がストックされているのであり、善良な道徳家も殉教者も結局は脳内麻薬によって気分がいいからそうしているにすぎないのであり、「幸福かどうかも脳内麻薬で決まる」(「脳内麻薬と頭の健康」林 美一・要旨)とされている。 しかし、脳内麻薬を一度に大量に分泌させる方法はこれだけではない。 身体を圧迫したり、オイルマッサージを加えたり、フェティシズムや女装等によってもそれは起きる。 このように禁欲や苦行・解脱までが、脳内麻薬の分泌を求める行為とみなされる状況では、もはやいかなる修行も意義を失ってしまう。 また、官能的快楽を抑圧したり商品化された性欲に振り回されることは、生を否定し生を浪費することでしかない。 もともと、性欲という生来の欲望を否定した悟りなど価値がなかったのだ。 人間なら誰でもある性欲と格闘することは無意味であり、一時的に追放しても必ず回帰してきて徒労に終わる。 それくらいなら快楽を活力として活用すべきだろう。 「性交なくして生命の増殖はなく、性交なくして人生も宗教も成り立たない」(「解脱に性がなぜ必要か」志田行賢・要旨)というがその通りである。 厳密には「性欲なくして至高性はなく、性欲なくして解脱もない」といって欲しかった。 サドとマゾッホ 2007-02-20 18:56:40 純度の高いオリジナルな性欲と神仏抜きの解脱(さとり)を語る場合、しばしばサドの思想が引用される。 このためまず、はじめにサドとマゾッホに関する誤解を解く必要がある。 一般に「SM」と呼ばれる行為は、軽度の苦痛によって脳内麻薬の分泌を促すための単なるゲーム・手順・演技のことである。 なぜなら「SM」は、宗教を否定する訳ではないし、重大な罪を犯す訳でもないからである。 「SM」には主人と奴隷という役柄があり、もっぱら主人が奴隷を拷問するか調教し、奴隷はひたすら主人に服従する。 特に女主人は「女王様」とみなされ、男性奴隷から珍重される。 そしてこの役柄は、パートナーの人格や生命をまったく無視して、自己がひたすら偏愛する奇癖をどこまでも追求したサドの小説の主人公と、主人の意志に全面的にわが身を委ねる奴隷の幸せを描いた「O嬢の物語」(レアージュ)や、マゾッホの「毛皮を着たヴィナス」という小説から派生したキャラクターをまねた「芝居」や、商品化された「コスチュームプレイ」にすぎない。 ところで「SM」の語源は、クラフト エビングや、ハブロック エリス等が、これらの小説に登場する人物と小説の作者の人格や行為を明確に区別しないまま、攻撃的に快楽を求める者を「サディスト」と命名し、その攻撃を快楽として甘受する者を「マゾヒスト」と命名したことに由来する。 そしてフロイトが、この命名をなんら検証することなく踏襲したため、あたかもこのふたつの概念は表裏をなすものとして一般に流布してしまったのである。 (参考文献「マゾッホとサド」 ジル ドゥルーズ・要旨) だが、「実在のサド」の官能嗜好はそのように単純なものではなかった。 サドは、他者に苦痛を加えることで快楽を感じるのではなく、固有の性欲を強引に満たそうとする過程で攻撃や暴力が二次的に発生するのであり、時には自己もしくは他者に苦痛を加えつつ、自己の残酷さにあきれながらも、さらに苦痛を与え続ける自分を被虐的に讃えることすらあるのだ。 そのうえサドは、肛門性交を実行すれば死刑を宣告される時代にあえてそのタブーを犯し、キリスト教と道徳を全面的に否定した上で、キリスト教が恐れる罪こそ官能的快楽にとって不可欠な要素であることを実証したのである。 そして、これこそエロティシズムによって至高性をめざす例外者に必然的に生じる「リスク」でしかないのであり、その高度な修法が大衆から見てことさら奇異に見えたのである。 しかし奇異に見られること自体、例外者にとって名誉なことであり、大衆から理解されることを拒否するとここそ例外者の特権なのである。 一方、「実在のマゾッホ」は、奴隷に甘んじる女性を説得と契約と訓育によって主人に仕立てあげ、自らその奴隷となることで彼固有のエロティシズムを獲得した人物である。 この手法は契約やパートナーに依存しているため、厳密には至高性の獲得にあたらないが、そこには苦痛による自己破壊・自己消尽さらには供犠や神聖売春という、原始宗教の核心に触れる重要なテーマが潜んでいる。 エロティシズムとは 2007-02-21 18:14:07 −つづき− 結局、「実在のサド」と「実在のマゾッホ」の間にはいかなる関係もなく、サドの小説が実話であるという事実もなく、さらにサディストの裏返しがマゾヒストであるとか、サディストにとって理想のパートナーはマゾヒストであるといった俗説には、いかなる根拠もないことになる。 また、大衆の「SM」と「実在のサド」と「実在のマゾッホ」の思想には明確な違いがあり、実在の人物の希有な思想と商品化された「SM」を混同することは、その人物の功績を著しく害するだけでなく、至高性を追求する者にとって貴重な手掛かりを見落とす重大な過失となる。 この実例は、大衆化されたエロティシズムの言説が、多くの誤解と無知によって支えられていることを如実に示す最適な資料なのである。 しかも無知なのは、大衆ばかりではないのである。 実は、高名な心理学者もエロティシズムの研究者もこのことをまったく理解しておらず、小説の作風や主人公の性格とその作者の人格を混同するという、きわめて幼稚な錯誤を改めることなく100年近くも放置してきたのだ。 また、著名な作家たちも知ったかぶりをしてサディズムやマゾヒズムを捏造し、「SM小説」なる分野を開拓してきのである。 もはやエロティシズムを探求しようとする者は、安易に「SM」とか「サディズム」 「マゾヒズム」という用語を使用すべきではない。 「SM」は、倒錯でもなければ変態でもない。 実体はただ役柄にあわせた芝居であり、商品化されたプレイなのだ。 そのことは「女王様」たちが、「男をひっぱたいてこんなにお金がもらえるんなら、OLなんかするんじゃなかった」という告白でも充分証明される。 またサドがしたことは、エロティシズムによって宗教を凌駕する至高な試みであり、彼は脳内麻薬を大量に分泌させるためには苦痛や暴力が有効であることを実証したにすぎない。 ただ今日まで、その独特の修法が理解されなかっただけなのだ。 従ってフロイトの言説など、「たわごと」でしかないのである。 もはや「サディズム」「マゾヒズム」「SM」の呼称は、至高性の探求者たるサドおよびマゾッホに対して誠に無礼であり、特に名門サド家に対する名誉毀損という他はない。 脳の中を無法地帯にせよ! 2007-02-22 13:34:04 −つづき− 例外者は、至高性のためなら「なにをしてもかまわない」のである。 そしてこのことを生涯貫いたのが、「アルフォンス ドナチアン フランソワ ド サド」なのだ。 そしてSMとは、そのサドの過酷な生き様の一部だけを見て、凡庸な大衆は恐れを抱き、大衆が理解できるレベルであれこれ解釈し議論したにすぎないのである。 そしてその結果、エクスタシーによって魂を浄化するという修法は大衆にとって呪われた領域であり、特にキリスト教にとって神を凌駕するものだけに断じて許せないものと決めつけられたのであった。 事実、エロティシズムによって至高性を目指した多くの者が、キリスト教によって断罪され処刑されてきた。 しかし、もはや宗教にエロティシズムを断罪する力がない。 むしろ宗教や道徳がエロティシズムを否定した結果、罪の意識ばかり強調されて性欲が歪み、倒錯や犯罪を作り出し、それがまた新たな罪を生み出すという悪循環すら起きているのであり、性欲を否定する宗教や道徳によってエロティシズムが絶滅した訳でもなかったのだ。 そして「大衆による大衆のための大衆の性欲」がおおらかに謳歌されている今こそ、大衆が決して入るとができないサドが発見した「宗教を凌駕した聖なるエクスタシー」を獲得する絶好のチャンスなのである。 高純度の性欲と自在に飛翔するファンタジーが結合したときの荒々しい陶酔や酩酊は、官能を否定し続けてきた僧侶にはとても制御できない爆発的なインパクトがある。 しかもこのエクスタシーは、簡単に死の恐怖を超越する。 僧侶等が説く天国とか来世・彼岸・救済なるものがいかにまやかしか、その瞬間明確に認識できるのだ。 人間は死を体験できない。 死の瞬間、死を認識できないからである。 従って死や死後のことを思い悩むことは単なる恐怖でしかなく、それは弱者が関わるテーマにすぎない。 だからこそサドは、死にとらわれることなく至高のエクスタシーに没頭できたのである。 分身探し&自分探し 2007-02-23 21:37:20 商品化されたSMはあくまでも「プレイ」であって、官能的快楽の探求にはなりえない。 では自分自身を深く見つめる「内省」や「内観」はどうであろうか? 信仰を通じて自我を抑制することに目覚め、自己の内奥に関心を集中させたとき、そこに「もうひとりの自分」を発見するとか、深い内省によって「新たな自己にめぐりあう」ということは、多くの宗教書や心理学の本に記述されている。 また右ききの人は右脳に「沈黙せる分身」が潜んでいると主張する大脳学者もいる。 ところがこれらの体験は、「もうひとりの自分」にめぐりあったところで軽率にももはや目的を達したと即断し、それ以上の探求を放棄してしまうのだ。 だが本物の至高性は、そのように簡単に到達できるものではない。 なぜなら「新たな自己」や「もうひとりの自分」にめぐり会ったとしても、その分身が道徳や宗教あるいは禁欲にとらわれていたり、あるいは内省や覚醒のレベルが浅い場合、せっかくめぐり会った分身がごく低いレベルの分身にすぎず、結局大衆が好む低俗な「自分探し」に終わることになるのである。 たとえば安易に宗教にハマる人やボランティアや奉仕活動に没頭する人、あるいは善行や徳行を積むことに専念する「善意の人」などがそのケースに該当する。 つまり、せっかく内省によって覚醒しても、禁欲や大衆の救済に向かおうとする者は本物の至高性に到達していないのである。 もうひとりの「自分」について 2007-02-24 16:36:39 しかし問題はもっと別のことにあるのだ。 それは、深い内省等により「もうひとりの自分」の存在に目ざめたとき、その分身がそれまでの自分と同じ外見であるとは限らないし、同じ性別であるとは限らないのである。 だが、これまでにこの事実に言及した宗教研究家や心理学者は、一人もいなかったのである。 通常、人間は出生の時点で他者によって判定された戸籍上の性別を違和感なく受入れていて、自己の性別にことさら疑問を抱くことはない。 出生時に男性と判定されたものは男性として育てられ、当然のこととして女性を愛し女性と結婚する。 女性の場合も、女性差別を受けたとき「男性として生まれれば良かった」と思うことがあっても、基本的には出生時に女性と判定されたら女性として育てられ、当然のこととして男性を愛し男性と結婚する。 そして大衆はこのシステムに疑問を抱くこともなければ、このシステムから逸脱しようとも思わない。 従って「もうひとりの自分」にめぐりあったときも、当然自分とおなじ性別であると思い込んでしまうし、あえてそれを怪しむこともなかったのである。 つまり宗教の「さとり」や解脱・心理学的自己邂逅も、結局この盲信・盲従のシステムから一歩も踏み出すものではなかったのである。 もちろん大衆は、大衆によって作られた大衆のシステムの中に安住していればよいのだ。 しかし至高性の獲得をめざす者は、他者によって判定された性別を懐疑することなく受け入れることはできないし、社会制度に拘束されたまま例外者を志向することは許されぬことである。 むしろ固有の性欲を純化していく過程で、同性や人間以外の異形の官能的イメージが出現しても決して否定せず、あえてそのイメージに耽溺すべきである。 そうすることで真に官能領域は拡張されるのであり、ファンタジーが強化されるのだ。 そして、もはや商品化された性欲にもペニスやヴァギナ、性交や射精、パートナーにもとらわれぬ自在な官能的快楽を獲得したからには、同性との快楽(同性愛)や女性の衣服を身にまとうこと(異性装)も、サドのように苦痛や暴力を利用することも、フェティシズムもなんらためらう理由はないことになる。 また社会的人格を脱ぎ捨てた後で、新たに着用するイメージは同じ性別でなくてもかまわないし、ときにはヒト以外の動物や怪物でもかまわないのである。 たとえば男性が社会的人格を脱ぎ捨てた瞬間、「さなぎ」から美しい蝶が現れるように目ざめた「もうひとりの自分」が、エロティックな女性の裸体をもつ分身として現前することだって起こり得るのである。 特に完璧なパートナーは、自己の内奥にしか存在しないのだ。 著者はこれこそ選ばれた少数の例外者のみが体験できる、知的で貴重な「変態」であると確信している。 (著者自身を「変態」と思う読者は、これ以上の閲読厳禁。錯乱から抜け出せなくなります) ジェンダー議論の不毛性 2007-02-26 10:55:28 例外者は「ひとつの人格・ひとつの性別」しか持たない大衆の常識の、その窮屈さに耐えられない。 脳内における例外者の人格はいくつもあるのであり、自己の明確な意思で異なる人格を選択することができる。 しかもその選択した人格の性別についても自在に転移することが出来るのであり、両性具有や性別がない存在にもなりうる。 またその際、例外者は人間以外の存在にも転移できるのであり、至高性に到達した例外者には「n個の人格」と「n個の性別」を有し、「この世のものではない」ものや、動物・植物・昆虫・怪物等に自在に転移・変態することができるようになる。 このように脳のなかに豊かなファンタジーをリアルに描き出し、その世界を自在に飛翔することは明確な意識と鮮明な自己選択権もしくは自己決定権に基づく創造的な営みなのであり、官能的快楽の積極的な活用なのである。 この手法は、たとえばビリー・ミリガンのようなコントロール不能の病的な多重人格でもなければ、なにものかが人体に「憑依」する現象とは異なり、例外者および脳内写生による「あらゆる官能の開花」と深い自己陶冶の産物であって、いかなる精神病理とも無縁のものなのである。 「性別にとらわれない」と著者が述べると、かならず「それは性同一性障害ではないのか」との反論が出てくる。 いわゆる「性別適応障害」ともいうべき「性同一性障害」とは、一人の人間が男性・女性もしくは両性具有として持っている性愛の個性の統一性・一貫性・持続性(ジェンダー・アイデンティティ)が「ゆらぎ」その統一性等が保てなくなる状況のことである。 ただしこの用語における「同一性」とは、「身体的性別と心理的性別が一致して同じであること」との意味ではなく、「自己の性愛に関する個性(性意識)が継続的に同一であること」を意味するのであり、身体的性別と心理的社会的な性別の一致を意味しているわけではない。 換言すれば、この「自己の性愛に関する個性(性意識)が継続的に同一ではない」ことに自ら気付くことを、部外者が「性同一性障害」と定義しているにすぎない。 しかもこの定義の根底には「男女いずれかの典型的な身体的特徴にもとづく性別と、その性別と一致した心理的脳内性別を有するものが正常であり、そうでないものは精神異常である」との抜きがたい固定観念が潜んでいるのだ。 例外者は脳内写生により、こうした固定観念を議論するのではなく、単に飛翔・超越してしまうのである。 性別の自己選択権 2007-02-27 12:53:09 あらゆる官能は留保なく即座に開花させるべきであり、あるゆる快楽は躊躇なく即座に満たされなければならない。 それはすべて、至高の例外者の特権であるからだ。 もし快楽が先送りされるとしたら、それはより強いエクスタシーのために、自己や他者をじらしているときだけである。 ところで最近、他者によって判定された戸籍上の性別と自己の心的性別(ジェンダー)が一致せず、ときには「性転換」を求める「性同一性障害」と呼ばれる症例が増加している。 確かに、心が女性であるのに男性であることを周囲から強制されたり、心が男性であるのに女性であることを周囲から強制される苦痛は察するに余りある。 しかし良く考えて見ると、この症例は肉体と人格が分離できないことが前提になっており、さらに性器や性交・射精・生理にとらわれているのことになる。 いわゆる「男らしさ」や「女らしさ」という社会的類型にとらわれたままではないのか。 また、性別は不変のものと思い込んでいないだろうか、という疑問が次々と浮かんでくるのである。 たとえば、人間には六つの性別があると考えることが可能だ。 それは他者によって判定された「戸籍上の性別」と、自己選択した「心的性別」と「外見上の性別」、「部分的性別」および「医学上の性別」と例外者としての「両性具有性」である。 なお、この「外見上の性別」とはあくまでも「見た目」の印象であり、その外見によって周囲から与えられた性別をいう。 また「部分的性別」とは性器を除外した身体上の特徴のことであり、身体や衣服の一部および所持品・生活様式の一部が異性の特徴を示すとき適用される。 たとえば、戸籍も心も外見も医学上も男性であるのに、話し方や仕種・物腰がほんの少し女性的であるために、周囲から「おかまっぽい人」と見られがちな男性や「ボーイッシュな女性」をここではひとつのカテゴリーと見なしている。 世の中には戸籍が男性であっても、心が女性であるために女装する者もいれば、戸籍も心も男性なのにファッションとして女装するタレントもいる。 カラオケを女装して楽しむとか、女装して街を歩くことを楽しむ男性も確かに存在するのだ。 だがこの場合、両方とも女装しているために、一般的に「ゲイ」や「おかま」とみなされるが、実は「心から女装している者」と「外見だけ女装している者」という、決定的な違いがそこにあるのだ。 また、ファッションとして女装していてもその完成度によって「おかま」と見なされることもあれば、本物の女性として通用することもあり、本人の意識と周囲の認識が一致しているとは限らない。 さらに、心が女性であっても必ずしも女装するとは限らないし、女装していても外出しなかったり、下着だけ女装していれば周囲に気付かれることはない。 一方、戸籍も心も男性であるのに性転換手術によって職業としての「ニューハーフ」を選択する者もいるし、「性同一性障害」を克服するために、戸籍以外はすべて女性化した者もいる。 従って、女装しているから「ゲイ」とか「おかま」と特定できる訳ではないし、見た目が女性だからといって子宮があるとは限らない。 また、ペニスを有するから男性とは限らないし、ヴァギナを有するから女性とは限らないのである。 なぜなら、ペニスを有しても、心も外見も女性であることは可能だし、性転換手術によってヴァギナを作ることも可能なのだ。 さらに、ごくまれだが戸籍も心も外見も男性であるのに、染色体を調べたら医学上は女性であったという事例もあるし、戸籍も心も外見も男性なのにペニスとヴァギナを両方所有する「ふたなり」という事例もある。 それだけではない。 戸籍も心も外見も男性なのに、官能を求めるときだけ女性として扱われたいと思う者もいるし、戸籍も心も外見も男性である者が、戸籍も心も外見も男性である者に官能を求めることだってあるのだ。 そしてこのように多様な性別の可能性は、やがてバイセクシャルと「両性具有性」の混同という問題に直面する。 バイセクシャルとは、あくまでも官能の対象として同性でも異性でも区別することなく無差別に選択するが、パートナーに依存している者をいう。 これに対し「両性具有性」とは、内奥の分身に気付くことが不可欠で、しかもその分身が性別を転換しうる者にのみ与えられる「なにものにも依存しない」特権のことである。 残念なことに、これまでに述べてきた事例の中には、自己の意志で心の性別を転換した者は一人もいなかった。 しかし内奥の分身の存在に気付き、その分身の性別が戸籍上の性別と一致していないことに気付いた者は多いのだ。 あとはそれを肯定し、さらに男性としての身体と女性の心を総動員して官能領域を拡張していけば良いのである。 同性愛について。 2007-02-28 21:29:38 官能的快楽によって至高性の獲得をめざす例外者は、社会的人格や性別・善悪にとらわれることなく自在に人格を着脱することで、いかなるものにも変化(へんげ)し得るのであり、男性でありながら女性の官能に浸り、女性でありながら男性の官能に浸るという、両義的かつ「両性具有性」に到達する。 つまり内奥で「異質なものを激しくシェイクする」(黒木香)のである。 そして、パートナーを選ぶ必要があるときは相手の性器や性別・外見にこだわらず、相手の官能の豊かさと至高性の確かさを基準にパートナーを選ぶべきであり、そのパートナーもまた、両義的かつ「両性具有性」が求められるのである。 このような「至高の例外者」と「至高の例外者」が官能的快楽を求め合うとき、初めて「もはやこの世のものではない」存在としてのエクスタシー・陶酔・酩酊が出現する。 そしてこの視点から見ると、「性同一性障害」は必ずしも性転換に固執する必要はなく、肉体と心の性別の不一致を戦略的に活用して至高性と「両性具有性」を目指したほうが、より豊かな官能が獲得できるのではないかと思われる。 なぜなら至高性によって「両性具有性」を獲得してみると、あたかも「性同一性障害」を楽しんでいる事実に気付くからである。 ところで、性別を自己決定し得るという問題を論じていると、一般に同性愛と呼ばれている現象が、実は異性愛の側からの一方的命名であって、同性愛の世界はもはや同性愛という単一の用語で括ることができない、きわめて広範囲な現象であることが判ってくる。 同性愛とは、単に官能のパートナーを同性に求めるという単純なものではなく、むしろ「性別自己選択権」というべき、きわめて高度な概念ではないのかと思える。 つまり、自分で自分の性別を決定すべきであると気付いた人たちが、そのことに気付かない人たちから同性愛という偏見を受けてきたことが真相ではなかったか。 性別自己選択権 2007-03-01 23:17:49 コメントを紹介します。 【崩れました。(目からウロコ):今まで読ませて頂いているだけでしたが、いゃ難しすぎて読むだけしかできなかったんですが、今日初めてあぁ同性愛って両性愛?と考える事ができました。明日から見てるだけじゃなく考える事もできそうです。考える気力を頂きありがとうございます】 著者はこの難解なブログを、ほぼ毎日のように熱心に読んで下さっている60名前後の読者に対して、実は少々驚嘆しております。 このブログは選ばれたごく少数の例外者を対象に「判る人に判ればいい、判らない人には判らなくてもいい」との強引なスタンスを貫いて来ました。 それなのに、これほど多くの読者が閲読を続けてくれており、しかもときおり感謝や励ましのコメントを頂戴しています。 このブログを通じて、考えることの面白さ(思考力)に気付いていただけたら幸いです。 --------------------------------------------------------------- −つづき− ところで、前回論じた「性別自己選択権」という用語は、以下に述べる概念ときわめて紛らわしく、混同される可能性が高いので注意を要する。 たとえば、援助交際の可否を議論する場合、ただ善悪論で片付けるのではなく、各自が自分で官能のあり方を考える「性的自己決定能力」の向上を育成すべきであるという主張がなされる。 これは判りやすくいえば、売春の善悪を考えるのではなく、売春するか否かを各自が決断する勇気を育成すること、もしくは自分を粗末に扱うか、大切に扱うかを自己決定する教育の必要性を意味している。 そしてこの性的自己決定能力にもとづき、「したいときに、したい相手とセックスする自由を。したくないときに、したくない相手とセックスしない自由を」(「発情装置」 上野千鶴子)という「性の自己決定権」の確立を求めることになる。 従ってこの決定権には、性別の自己選択権は含まれてはいないのである。 一方、著者が主張する「性別自己選択権」とは、「性別の自己決定は個人のアイデンティティの核である」(「性の署名」マネー&タッカー・要旨)という概念を発展させたものであり、さらに一度自己決定しても性別は変容しうるから「決定」ではなく「選択権」と改めたのである。 いずれにせよ、男女の境界自体が曖昧なのであり、自分がどの性別に属するかは本人が選択し、決定すべきものであって、その決定も随意に変更し得るものでなければならない。 すみやかに「性別自己選択権」は確立されるべきである。 そして婚姻は異性・同性に関わりなく認めるべきであり、重婚・多夫多妻を含む、いかなる婚姻形態も法律で禁止すべきではない。 個人のエロティシズムに国家が介入すること自体、「大きなお世話」なのであり、プライバシーの侵害なのだ。 また、性転換を希望する者にいかなる制約も付与すべきではなく、性転換した者の戸籍上の氏名・性別の変更はもちろんのこと性転換者の婚姻も制限してはならないのである。 男らしさ・女らしさ 2007-03-02 12:45:30 もはや、男らしさのイメージ、女らしさのイメージは幻想でしかないし、男性は女性を、女性は男性を愛するのが自然だという常識も疑ってみる必要がある。 そして、それは外部から押しつけられたシステムであり、異性愛も結婚制度も所有と支配に従属していることに早く気付くべきである。 もし例外者をめざすのであれば習慣として男性が女性と性交し、女性が男性と性交するのではなく、性別を超えた新しい官能のあり方をめざすべきなのだ。 そのときはじめて異性愛の退屈さや窮屈さに気付くことだろう。 (「発情装置」上野千鶴子・要旨) なお、男性同性愛で起きることは女性同性愛にも当てはまる。 しかしレスビアンは男性が論じきれるものではないし、興味本意に受け取られかねないので割愛した。 ------------------------------------------------------------------ ちなみに、男性である著者の性愛のパートナー(官能的快楽の対象)が男性なのか、女性なのかと言う「素朴な質問」を受けることがあります。 まず重要なことはパートナーが男性であるか女性であるかは問題ではありません。 例外者として至高性を目指せるパートナーであれば男性・女性にとらわれることはありません。 また著者の場合、内奥の「もうひとりの自分」が男性にも女性にも怪物・動物・昆虫・両生類・植物等、自在なるファンタジーの活用でいかなるものにも「変態」することができます。 したがってこのようにファンタジーを活用できる自在なる存在であれば、パートナーとなることは可能です。 いわゆる男女の役割や男女の性器の結合・射精等の固定観念にとらわれてる限り、自在なる官能的ファンタジーの活用は理解すらできません。 至高性とは? 2007-03-03 12:01:52 著者はこれまで、例外者や至高性についてあまり明確な定義をしてこなかった。 今後も例外者の定義は、あえて明確にするつもりはない。 なぜなら、このブログを読み進むうちに、大衆およびその文化制度・思想など、ありとあらゆるものを批判し、懐疑(深く思考すること)し、これらを否定しつつ、すべてを自己定義する(自分独自にものごとを定義し直す)ことが、おのずと自己を大衆から分離し独立させることになると考えるからだ。 仮に大衆批判をしても、そこから分離・独立できない者は所詮、例外者ではないのである。 また分離・独立しても、変質者や犯罪者になる者には至高性はないし、エロティシズムによって至高性をめざすことが、犯罪や精神病から遠ざかることを認識できない者は、例外者たる資格がない。 至高性をめざすからには、周囲に対して完全にまともと思わせる自制心と適応力があることと、品格や強い自律心を維持する精神の強靭さが必要である。 この自覚と配慮がないと至高なエクスタシーを求める行為が、大衆から見て、ただの助平や犯罪にしか見えないことなるからだ。 もちろん、至高性に到達した上で、あえてそのように見られたいというのであれば、もはやいうべきことはない。 例外者にとって大衆に理解されないこと、大衆から誤解され続けることは最高の名誉(「誤解される名誉」)であり、特権であるからだ。 禁止の侵犯をあえて犯し、固有の性欲を発見すべく官能のデータベースを作り、自己の性欲の純度を高め、官能領域の自己拡張をはたし、自在に飛翔する豊かなファンタジーを獲得せよ。 そして内奥の最高純度の性欲の爆発力を利用して、残っている社会的人格や理性・常識の残骸を破壊し尽くせ。 そして長い間、自己の暗い内奥の檻に閉じ込めてきた、あなたの分身を見よ。 心の奥底に隠れている、頑丈な鉄格子に体当たりしながら脱出の唸り声をあげていた飢えた凶暴な怪物をよく見よ。 実はこれこそ、あなたが世間から隠し通してきた「あなたの正体」なのであり、内奥の分身(もう一人の自分)なのだ。 そして、この内奥の分身や秘密の性欲を暗殺してきたのが宗教であり道徳であり、法律であり両親であり、教育であったのだ。 むしろ、内奥に頑丈な鉄格子の檻があるという者こそ例外者にふさわしい。 そしてその中に恐ろしい動物や怪物・バケモノがいる者ほど至高性に近い。 あなたは勇気を持ってその鉄格子を開き、「そのもの」に名前を与え、慈しみ泣いて幽閉を詫びるべきである。 もし「そのもの」が美しい女性や牝(雌)であったら、ためらうことなく一体となれ。 あなたの分身は女性もしくは牝(雌)であったのであり、その人には「両性具有性」という、たぐいまれなる官能が約束される。 いずれにせよ鉄格子を開く一瞬の、あの「目もくらむような破滅感」(「エロティシズムの歴史」バタイユ)を、あなたはきっと生涯忘れないだろう。 鉄格子を開くときは、社会的人格の完全なる破滅をめざせ。 生き延びようと考えるな。 そして「そのもの」に妄想という栄養を与え、体力をつけさせ、場合によっては、あなた自身を「ごちそう」として差し出せ。 これが宗教や民俗学における本来の「生け贄」なのだ。 自分を生け贄として差し出す・・・「聖なるもの」にとって、これほど素晴らしい「ごちそう」はないのである。 かつてサドが、「全人類を犠牲してでも自己の性欲と快楽を満たせ」 「最も醜悪な乱行を常に優先せよ」(「美徳の不幸」要旨)といったのも、実はこのことなのである。 しかし、誰にも破壊されたくない「完璧な自己」という強固なナルシシズムがあるため、それを官能的快楽によって破壊し尽くすには大変な勇気がいる。 −つづく− 汝の性(さが) 2007-03-04 23:09:33 「宗教と道徳・人格と理性・常識を捨てたら、悪人か犯罪者になる」と考える人は大衆である。 それは小心な者が抱く恐怖感であり、固定観念なのだ。 実は宗教と道徳を捨て、人格と理性を捨てられる人はきわめて少ない。 宗教と道徳を捨て、人格と理性を捨て、例外者として評価できる人物はサド・ニーチェ・バタイユ・信長しかいないからである。 「(宗教・道徳・人格・理性に)しがみつくことで、人間はかろうじて自己を維持しているのだ」(「反ニーチェ」フェリー他・要旨)とあるように、外的人格を捨てられるか、捨てられないかで大衆と例外者は最終的に選別されてしまう。 そしてこのハードルを下げることは、必然的に至高性の水準が低下することを意味する。 もはやこのハードルを超えられない者は、切り捨てるしかない。 また内奥に檻などないという人物も例外者の資格はない。 これらの者は即刻お引取りいただくほかはない。 それはまさに「なんじのさがのつたなさをしれ」(芭蕉)なのである。 (芭蕉は旅の途中、道端に捨てられ泣き叫ぶ赤子を見つけたとき、捨てられた赤子に向かって「親に捨てられてしまった自分の宿命や運のなさを自覚しなさい」と説いたのだ。 しかし、この薄情さ・冷酷さ・達観に大衆は耐えられないのである) ゴヤとゾラ 2007-03-05 19:29:08 エロティシズムを、軽蔑や嘲笑の対象とみなすことは大衆の特徴である。 愛とか恋はエゴイズムであり、結婚は支配欲や従属心・依存心にもとずく。 そうではなくて、「性欲という暴れ馬に乗って官能の涯まで行け」(「内的体験」バタイユ)これが例外者の生き方なのである。 そして、自己の欲望の多様さ・不可解さ・好色さに驚き、あきれつつも、自分の人生を自分らしく消尽(完全に使い切ること)するために、いかなる性欲も断念しないのが例外者のあり方なのだ。 そして例外者なら、エクスタシーのあとに生き延びることを考えてはならない。 まさに「他人を犠牲にして快楽三昧に耽ることを恐れていては駄目、自分以外の人間は家畜である」(「ナナ」ゾラ・要旨)という生き方を貫くのである。 そのためには、商品化されていないオリジナルな性欲を官能的快楽という「るつぼ」の中に掻き集め、こね合わせ、煮詰め、臨界まで圧力を高める必要がある。 そして、官能の果ての地獄の沼にこのスープをそそぎ込み、その沼にひっそりと我が身を沈め、その生暖かい汚物の中で心からくつろぎ、にんまりと微笑むのだ。 ここまで来たら本物の例外者である。 そして性欲と官能の汚泥にまみれたら、「さなぎ」から蝶が飛び立ち、蝶から毛虫が生まれるように鮮やかに「変態」し、拡張された官能領域を自在に飛び回るのだ。 「怪物を生み出す理性の眠り」(ゴヤ)という至高性はその中にしかないのである。 至高性については、サド・ニーチェ・バタイユ以外にもゾラやゴヤ等何人かの作家や芸術家がその世界に触れていたのである。 自分を許せない者たち 2007-03-06 23:57:02 例外者は決して、大衆社会における「性の解放」を要求しているのではない。 むしろポルノがコンビニで無差別に売られていることは国辱であり、援助交際もチャイルドポルノも厳しく規制すべきであると考える。 しかし同時に、大人が自己の責任において、成熟した大人の快楽をプライベートに追求することは規制すべきではないと考える。 特に内奥において、いかなる官能を追求しようと、それは各自の随意であり、内奥の分身がすることになんら罪はないし責任もなければ反省する必要もない。 大衆は「自分を自分で許せない」状況に落ち込むが、例外者は常に自己を肯定し、何事も後悔しない。 その上で例外者のあらゆる性欲は完全に満たされるべきあり、完全燃焼すべきなのだ。 しかし、例外者といえども官能の世界こそハイリスク・ハイリターンの世界であって、いかなるリスクも自分がすべて負担しなければならない。 特に、純度の高い性欲をストレートに露出することは大変危険であり、「なにごとも断念しない」「なにごとも許される」という特権を振りかざして公道を爆走することは、決して至高の例外者のすることではないのである。 あくまでも、純度の高い性欲と内奥の自在なファンタジーが結合するときの巨大なエネルギーを制御しつつ、そのパワーによって「至高なるエクスタシー」の獲得をめざすのが例外者なのである。 妄想の怪物 2007-03-08 01:07:37 高純度の性欲をプールしておくための、狭い自分だけの空間(アジール)を持つことを是非お勧めする。 サドが27年間閉じ込められた牢獄こそ、例外者にふさわしい場所だったからである。 サドやジュネの修法は、監獄という制度を利用し、外部から遮断された瞬間、自らそこに「立て籠もる」ためにみずから内側から施錠し、それ以後、外界は虫けらか家畜の世界と見なすのである。 このやり方は逃避ではなく離脱や「亡命」であり、投獄という大衆世界からの追放に乗じて、自分だけの固有の官能の世界を確立させるものなのだ。 しかも、自閉症は自分の力だけでその世界から出ることは困難だが、牢獄は時期がくればより巨大になった妄想の怪物を「更生した人間」として解放してくれるのである。 しかもその間、衣食住が保障され、女性や性交・ヴァギナにとらわれることなく、固有の性欲をひたすら純化することに専念できるのだ。 牢獄には官能的陶酔という、きわめて魅惑的な機能があるからこそ、そこへ入りたがる者があとを絶たないのではないか。 いずれにせよ例外者には、他者に知られることなく合法的に外的人格を脱げる場所がどうしても必要なのだ。 妄想の怪物 2007-03-08 01:07:37 高純度の性欲をプールしておくための、狭い自分だけの空間(アジール)を持つことを是非お勧めする。 サドが27年間閉じ込められた牢獄こそ、例外者にふさわしい場所だったからである。 サドやジュネの修法は、監獄という制度を利用し、外部から遮断された瞬間、自らそこに「立て籠もる」ためにみずから内側から施錠し、それ以後、外界は虫けらか家畜の世界と見なすのである。 このやり方は逃避ではなく離脱や「亡命」であり、投獄という大衆世界からの追放に乗じて、自分だけの固有の官能の世界を確立させるものなのだ。 しかも、自閉症は自分の力だけでその世界から出ることは困難だが、牢獄は時期がくればより巨大になった妄想の怪物を「更生した人間」として解放してくれるのである。 しかもその間、衣食住が保障され、女性や性交・ヴァギナにとらわれることなく、固有の性欲をひたすら純化することに専念できるのだ。 牢獄には官能的陶酔という、きわめて魅惑的な機能があるからこそ、そこへ入りたがる者があとを絶たないのではないか。 いずれにせよ例外者には、他者に知られることなく合法的に外的人格を脱げる場所がどうしても必要なのだ。 エロティシズムとは・・・ 2007-03-10 11:02:09 かつて、オウム真理教の麻原は、「神秘体験は性体験より甘味だ」といったが、この言葉ほど麻原が性交ヨーガたる「タントラ」の奥義を把握していないことを如実に示す発言はない。 むしろ、官能的快楽による至高のエクスタシーは、宗教的神秘体験をあっさりと超越してしまうのであり、このエクスタシーの強烈さに比べたら、禁欲的・宗教的法悦など屁でもないのである。 (繰り返すが、だからこそ宗教は宗教を凌駕する性欲を忌避するのだ) 宗教が、自己の外部に来世や天国・彼岸を仮定するのは、内奥の世界に背中を向けている証拠であり、宗教そのものが内奥の分身を黙殺し暗殺することで成り立っている。 宗教は欺瞞と虚構の仮説でしかないのだ。 一方、官能の叡智である「至高性」は、高純度の性欲による例外者のための叡智であり、そこにはいかなる欺瞞も虚構も抑圧もない。 また、「至高性」には、いかなる経典も修行も儀式もなく、ひたすら性欲を純化し、内奥の官能領域を自己拡張してゆくだけで良いのだ。 もし、至高性の獲得に失敗するとすれば、それはこの性欲の純度と禁止の侵犯のレベルが低いときであり、ファンタジー(妄想)の制御不能は必ずしも失敗を意味しない。 その制御不能の妄想こそ、至高性そのものであることが多いからである。 性欲が不純な大衆は、いくら性交に励んでもまともなオーガズムにすら到達しない。 また、いくら放蕩(女たらし等)に耽ってもエロティシズムの奥義に到達することもない。 なぜなら、あなたの性欲そのものが他者によって企画されたもの、あるいは商品化された性欲であって、さらにヴァギナや性交や射精にとらわれており、パートナー に依存した快楽であるからだ。 このようなエロティシズムは何百年続けても意味がない。 男性のクリトリスとは? 2007-03-11 10:09:25 実は、男性のオーガズムは性交や射精と関係ないのであり、オーガズムもエクスタシーも性器ではなく、すべては脳の中で起きる陶酔や酩酊なのだ。 ただし通常、男性は射精しなければオーガズムに到達できない。 だからこそ男性は、性交や射精にこだわるのである。 しかし至高性によって「両性具有性」を獲得した例外者者は、自在なるファンタジーの中で、女性同様に射精しなくても射精以上の深く長いオーガズムを獲得できるようになるのだ。 考えてみれば、男性は性交と射精にとらわれていたため、射精とオーガズムは分離できるとか、ペニスに未知の機能があることに気づく機会がなかったのである。 すでに著者はこのブログの中で、「男女の区別は明確ではない」と述べてきた。 たとえばヒトの卵子は精子と出会い受精すると子宮に着床し、その後9週目になって男女の性差が始まるのである。 そして着床後11週目になって女性器にはクリトリスや大陰唇が形成され、男性器には亀頭や陰嚢が形成される。 こうした性徴(性の特徴)のから見ると、亀頭にはクリトリス同じ感覚器官が潜在しているはずであり、同様に大陰唇=陰嚢 卵巣=精巣 膣=陰茎包皮等、その他の性的部位にも各々男女共通の器官が存在していることが判る。 従ってもともと性欲が強く、フェティシズムやゲイなどの官能領域が豊かで広大な男性が至高性を修得すれば、女性をしのぐ豊かな官能的快楽を獲得できるようになるのである。 民俗学では、善悪も秩序も法律も及ばない非日常的領域を「お祭り」と呼び、かつて「お祭り」といえば乱交(歌垣・雑魚寝)が必ず付随していた。 俗に性交のことを「おまつり」と表現する方言は現在も残っており、釣りをしていて隣の釣り人と釣り糸が絡んだときも「おまつり」と表現したりすると聞く。 例外者が自己拡張したオリジナルな官能領域は、実はこの「お祭り」と呼ばれる祝祭空間でもあるのだ。 なぜなら「祝祭とはなにものにも従属しない禁止の侵犯、動物への回帰」(「純然たる幸福」バタイユ・要旨)であり、「性欲・陶酔・酩酊・暴力こそ祝祭の原点」(「権力への意志」ニーチェ・要旨)だからである。 そのうえで、「自己のすべてを留保なしに、内奥の分身に贈与せよ、これが本物の祝祭である」(「バタイユ 消尽」湯浅博雄・要旨)を行うのである。 ただし、近代の「イベント」や「気晴らし」としての祝祭は真の祝祭ではない。 地獄の血祭り 2007-03-12 19:52:57 例外者としての内奥の祝祭には、もうひとつ重要な要素がなければならない。 それは「不条理の行使」という特権である。 たとえばサドは、エロティシズムによって至高性をめざすためには「禁止の侵犯」というリスクが必然的に伴い、さらに脳内麻薬を一度に大量に分泌させるためには、官能的苦痛が最も有効であることを実証した。 だが、実はこの「禁止の侵犯」も「官能的苦痛」も至高性から見れば、まさしくそれは神仏ですら行使をためらった不条理を自在に行使していることになるのである。 神仏はごくまれに「奇蹟」という幸運を授けてくれるかもしれないが、勤勉で道徳的で信仰心あつい者を突如として襲う不条理だけは、防ぐことができないのである。 一方、この「禁止の侵犯」は単なる規範の逸脱や犯罪ではないし、「官能的苦痛」も単なる攻撃や暴力ではなく、自己や他者の運命や生命を左右する恐るべき災厄をもたらす、至高の例外者に与えられた不条理という殺傷与奪の特権なのであり、しかもその「不条理の行使」によって至高のエクスタシーが恩恵として例外者に与えられるのである。 そしてこの両義性こそ真の祝祭なのであり、不条理をこうむる自己および他者こそ、至高のエクスタシーに捧げられた生け贄や供犠(くぎ・きょうぎ)なのだ。 かくしてここに、「聖なるもの」にして「呪われた」る地獄のような血祭りが復活するのである。 このため、著者のように至高のエロティシズムに到達しても正気で戻ってきた者はきわめて少なかったし、たとえ生還してもこの体験を説明できる者がいなかったのである。 高性とは何か? 2007-03-13 19:38:07 至高性とは、いかなるものにも従属せず、いかなる有用性も拒否し、なにものにもとらわれず、なにものにも束縛されず、あらゆる規範をあえて侵犯する非宗教的解脱のことである。 至高性に到達したものは、もはや人間ではないし、この世の者でもない。 まさに大衆から見てバケモノであり、怪物であり呪われた穢れたものでしかない。 至高性や聖なるエクスタシーを、なにか有用なものに活用しようとすると、すぐさま不純物が混入して堕落する。 所詮、愛など幻想である。 大衆など愛する価値もないし、救済する値打ちもない。 それよりも例外者はなにごとも断念せず、なにものも所有せず、固有の性欲の純化と、あらゆる可能性の開化と、あらゆる官能の開花に専念することだ。 --------------------------------------------------------- 今年の年頭から続けてきた、ハイレベルな論理が、あと数回のブログまもなく終章を迎えます。 著者はこのブログを通じて、正気のまま至高性より生還した例外者として、「まだ見ぬ例外者のために伝えたいこと」をこの約70日間に集約して一気に論述しました。 もはや付け加えることは何もありません。 途中で脱落した読者の皆さん、お別れです。 最後まで愛読してくれた皆さん、この異質な主張を最後までお読み下さりありがとうございました。 大衆に理解されぬ名誉 2007-03-14 00:01:19 至高性に到達した例外者は孤独そのものであり、もはや至高の例外者としての感傷すら捨ねばならない。 もはやこの世には、安息の地も安息の時もないのであり、わが身の置き場所すらない。 しかし、この過酷さこそ至高の例外者の棲家なのである。 例外者は大衆に理解を求めてはならないし、大衆に理解されてはならない。 そして、官能的快楽のために無条件でわが身を差し出し、いかなる反省もせず、いかなる責任もとらず、いかなる罪も負わない。 むしろ大衆が禁ずるもの、呪咀するものにあえて耽溺し、大衆に誤解され、差別され、軽蔑され、除け者にされ、敵視されることこそ例外者の誇りであり名誉と感ずる。 なぜなら大衆にとって、至高性を有するものに不条理を行使されることほど不幸なことはないからである。 危険思想 2007-03-15 12:51:15 至高性に到達することはきわめて困難だが、ひとつだけ可能な方法がある。 それは神仏や宗教・道徳・哲学・芸術・真理・ヒューマニズム・民主主義を超越した叡智、すなわち「至高性」を体現しつつ、明確な意識のもとで社会的人格を自在に着脱することだ。 エロティシズムによって至高のエクスタシーをめざすと同時に、非宗教的・非道徳的至高性をめざすことは、従来なかった新しい修法であり、この修法は例外者にとって「呪われている」と同時に「祝福されたもの」であり、この両義性こそが至高性なのである。 「呪」(咒)とは、わが国では「のろい」や「まじない」という負のイメージがあるが、本来は「魔物や迷妄を払う」「神仏を招く聖なる言葉」という意味があり、古代サンスクリット語では「マントラ」(真なる言葉)を意味する両義性を包含した文字であり、「呪」(咒)とは「聖なるもの」であると同時に「呪われたもの」を意味している。 例外者がめざす至高性は、大衆的人間性から逸脱するものであり、大衆にとってまぎれもない危険思想である。 しかも至高の例外者は、「熟慮の結果であれば何をしても悔いはないし反省もない」(「歓待の掟」クロソウスキー・要旨)のであり、自己の陶冶と官能にのみ専念し、これを妨げる者はためらうことなく抹殺する特権を有しているのである。 (著者は、単に「なにをしてもかまわない・なにをしても許される」と悪事を扇動しているのではない。犯罪者になることは至高性をめざすこととは正反対の愚行なのである) サド ニーチェ バタイユ 2007-03-16 23:54:34 大衆に誤解されることを名誉としたサド、大衆に決別したニーチェ、大衆に理解されることを拒否したバタイユ。 サドからニーチェへ、ニーチェからバタイユへと受け継がれた思想からさらに不純物を除去し、新たな視点を導入したのが「至高性」であり、この修法はこのままでは消滅しかねない危惧がある。 著者はこの三人の思想を整理し、大衆を惑わすために仕掛けられた先人の多くの罠を迂回し、地雷のような夾雑物を慎重に除去したうえで、この難解かつ異質な三人の思想の純度を高めてきた。 このブログは、サド・ニーチェ・バタイユの衣鉢を継ぐ著者から、選ばれた極少数の例外者へ送る「大衆には判らない」メッセージである。 大衆社会では「性」を論じることも制約され、宗教を批判することも制約されてしまう。 したがって、このふたつの制約を潜り抜けるだけでも実は大変な障害に直面する。 このため本書はたとえ世間の顰蹙を買おうとも、選ばれた少数の例外者のためにこれだけは伝えたいと思うテーマだけを厳選した。 本書は、例外者をめざす決意と自制心と聡明さを有する限られた者にしか解読できないような「たくらみ」を含んでいる。 従ってこのブログを読めること自体、大変な僥倖であり、まれな栄誉である。 大衆のことなど、はっきりいってどうでもよいことだ。 大切なことは、このブログを再読し自己の陶冶に専念することである。 本書は、判る者にしか判らない内容であり、判らないなら判らなくても良いと考えている。 =END= 大衆レベルの快楽 2007-03-18 01:09:09 「性を知ってしまった体や性を知ってしまった脳を元に戻す方法を教えてください」 これは大衆の発想です。 カルト的信仰にハマルか、記憶障害にでもならない限り、脳から性体験を排除することはできません。 そもそも官能的快楽を軽蔑したり、これを忌避することは道徳や宗教等に無意識に従属している証拠であり、小心者が自己の社会的人格を一時的に破壊するとき、強烈な恐怖心を抱いてしまい、脱兎のごとく逃げ出すことがあります。 このように性を嫌悪したり、脳内写生(脳の中の妄想の爆発)に耐えられない人は所詮・例外者ではなく、至高性に到達することもありません。 大衆は大衆にふさわしいレベルにとどまるべきなのです。 憲法改定について 2007-03-19 10:08:41 憲法改正に関するサイトのトラックバックがありました。 憲法改正と書くと「正しく改める」との意味になります。 誰にとって「正しい憲法改定」なのでしょうか? 憲法は正しい・正しくないのレベルで議論するのではなく、大所高所から大いなる英知と決断をもって改定すべきであり、国会議員の思惑や様々な利権・庶民的視点を基準に改定すべきものではありません。 著者はかねてより、「原爆を2回も投下されたわが国こそ、抑止力として核武装すべきである」と主張してきました。 大衆向けの憲法改定では不可能とは思いますが、この論理は世界の軍事バランスを考える専門家・政治家の間では、日本の核武装は当然と見なされています。 もうひとつ憲法改正について、加えるべき条項があります。 婚姻は男女間だけではなく、男性同士・女性同士でも認めるべきであり、性転換者や性同一性障害の人たちにの婚姻も制約すべきではありません。 成人した国民が、誰と結婚するかは国家が干渉すべきことではなく、現行の憲法でも両親ですら干渉できないことなのです。 フィルタリングについて 2007-03-20 18:41:58 有害サイトを自動的に遮断するフィルタリングというプロバイダーサービスやソフトウェアがあります。 これは主に子どもたちに対して特定のジャンルの閲覧を規制するものであり、規制する方法として「ブラックリスト式」と、プロバイダーが独自基準で遠別したサイトだけ見られる「ホワイトリスト式」があり、子ども達がアダルト系・出会い系サイトや犯罪系・薬物系・自殺系・掲示板の閲覧・利用ができないようにしています。 こうしたサービスの可否について論じるつもりはありません・・・ なぜならすべてのPCにこうしたサービス等を導入することは無理であり、子ども達はフィルタリングされていない友達の家に行っていくらでも有害サイトにアクセスできるからです。 実は「飾り窓の天使」のHPとこのブログが、いくつかのフィルタリングの対象になっていたことを最近知りました。 宗教・道徳・民主主義・ヒューマニズム・愛・法律・常識等すべての社会規範を批判し、官能的快楽を大胆に肯定し、性欲の純度を高めることで至高性に到達することを1年近く論じてきたのですから、この処置はむしろ当然の帰結と思います そして大衆が大衆的基準によって選別した大衆の予備軍ためのフィルタリングの対象となっていたことに、特に大衆にとって「有害」と見なされたことに著者は深い充足感を覚えています。 例外者の論理は例外者にのみ伝われば良いのであり、判る人に判ればいい、判らない人は判らなくてもかまわない、というスタンスを貫くことにこのブログの意義があるのです。 しかも、こうしたフィルタリングが構じられていたにもかかわらず、現在なおも50名以上の読者が毎日のようにこのグログを閲読しております。 大衆によるフィルタリングという「名誉」、それにもかかわらず熱心な読者・・・ 一度は=END=マークを出したのですが、こうなると、もはややめることがでなくなって来ました。 どこまで読者が付いてこれるのか、試してみましょうか? 愛を超えることは可能か? 2007-03-22 00:34:05 愛は「はかなくて」、独占と従属をもたらし、エゴや利害と結びついています。 至高性はこうした愛に依存することなく、例外者たるパートナーとの官能的快楽を深めて行くのですが、何かあったときは貴方が責任を取る事になります。その覚悟はありますか? その過程でおのずと愛や恋という大衆レベルの性愛を超越することになります。 またパートナーとの性交等にとらわれたり低俗な肉欲に溺れないために、ときにはパートナーの身体に触れることなく遠く離れたところにいるパートナーの「子宮をペニスで鷲掴み」にしたりします。 これは脳のなかで行う自在なるファンタジーの飛翔なのですが、こうした脳内写生を繰り返していると、やがて離れたところにいるパートナーが、あたかも同時に「子宮をペニスで鷲掴み」にされたような衝撃を感じるようになります。 超能力者や霊能者でなくても、純度の高いオリジナルな性欲を活用すると驚くほどストレートな思念をある種のパワーとして外部に飛ばせるようになり、パートナーはこのパワーを感じたとき、まさしく「愛を超えた」存在を体感するのです。 「愛の流刑地」(渡辺淳一:著)は、残念ながらいまだ愛を超えておりません。 ファンタジー気功:その後 2007-03-23 12:04:35 「飾り窓の天使」では視覚を通じて脳の中のファンタジー(妄想)を広げ、お客様の脳のリラクゼーションを行う新しい気功法を開発しています。 判りやすく言えばファンタジー気功は「視覚を通じたアロマテラピー」なのです。 「飾り窓の天使」ではいま、このファンタジー気功を広めるためのデモンストレーションDVDの制作準備を進めていますが、ほぼ撮影の方針が決まりましたのでリポートいたします。 1.笑顔は必要、でも照れ笑いはダメ 2.始めに「気」をため込むためのポーズを入れること たとえば宇宙から「気」のエネルギーを浴びるようなイメージ 3.2m四方の狭い場所でも演技が可能であること 4.難しいポーズが含まれないこと(練習に耐えられない可能性があります) 5.飛び跳ねる・床に寝そべるというポーズは避ける (ソファーやベンチに寝そべる等のポーズはOK) 6.ファッションショーのモデルさんのように一瞬静止して相手を見つめること (「私を見て」というメッセージをこめて) 7.「うなじ」かき上げるとか、メイクの仕草・着替えなど、日常のさりげないポーズのなかで「ハッ」とさせるポーズを取り入れること 8.太極拳でもない、ストレッチ体操でもない、ダンスでもない振り付け 9.鏡を活用することで視覚的効果を高め、場所を広く見せる 10.振り向いて眼を合わせるなど、目線の活用 (思わせぶりな仕草・甘えるポーズ・恋人をみつめる視線など) 11.小道具の活用(小さな模造刀、乗馬用のムチ、水晶玉、バラの花など) 12.リオのカーニバル風の振り付け 13.コスチュームはアニメ系にとらわれず、できるだけ多くの要素を取り入れる 14.デモ用DVDは2〜3種類のバージョンを用意しておく たとえば ?素人っぽいバージョン ?成熟したオトナのオンナのセクシーなバージョン ?神秘バージョン・・・邪気を払う・祈りのポーズ (キリスト教風・イスラム 風・仏教・ヒンズー教等・スモークを焚く・ローソクなど) ?ディスコ風バージョン(ジュリアナのお立ち台のイメージ等) ?フラメンコ風・タンゴ風バージョンなど ?宝塚風バージョン(男装の麗人) ?音楽ありバージョン(ガムラン音楽やモンゴルの音楽等) ?音楽なしバージョン 代理出産・続報 2007-03-25 12:27:08 タレントの向井亜紀さん(41)と元プロレスラー、高田延彦さん(44)夫妻が2人の人工受精卵を使い、米ネバダ州で代理出産によって双子を得た件で東京高裁は出生届の受理を認める判決を下しましたが、最高裁では代理出産による法的な親子関係を認めず、「(現行の法律のもとでは妊娠・出産を実際に行っていない向井さんのケースは)実の母とは認められない」との決定を下しました。 しかし最高裁は同時に、こうした親子関係について早期の立法を求めています。 代理出産を巡っては、禁止する法律がないまま生殖補助医療の現場が先行し、国や産婦人科医の学会などが対応に追われる状況が続いており、国の審議会や学会は代理出産を現在も禁止しています。 その一方で、残留孤児の親子鑑定や犯罪における犯人特定の鑑定ではDNAの一致が大きな判定基準として完全に定着しています。 このため、国内で夫婦の受精卵を用いてその妻の妹が代理出産したケースを公表したある医師は「科学は進歩しているのに、民法は明治時代にできたものを尊重し続けている。これまで自分が手掛けた代理出産については、養子縁組の手続きを取ってきたが、今後は遺伝子的に実の親子ならば、子供の将来を考え、実の親子として出生届を書こうと思いたくなる」と述べています。 お腹を痛めて産んだ「嫡子」だから実子扱いすることは当然としても、少子化対策の観点や多様な生殖のあり方、女性同士・男性同士あるいは性転換者の結婚など多様な婚姻のあり方を認める時代を迎えると代理出産も勿論のこと人工子宮での出産とか男性が妊娠出産を行えるようになるとか、安全なクローン技術の確立される等の近未来の社会形態も視野に入れた不妊治療や生殖補助医療のあり方を検討すべきであると考えます。 実は自民党の内部にも「子供を産む権利を国が規制するのはおかしい」という指摘があり、代理出産の罰則が3年以上たった現在も実現しておりません。 婚姻制度の瓦解 2007-03-26 11:00:19 昨日の「代理出産」のブログについて「シャープな切れ味がない・物足りない」との鋭い指摘がありましたので少々補足します。 なぜ昨日のブログが「切れ味がない文章」になったかと言うと、ストレートな表現をためらったからです。 実は著者が本当に言いたかったことは「ペニスをヴァギナに挿入して性交を行い、ヴァギナの中で射精して自然妊娠し、その子宮から生まれない限り実子とは認めない」という「嫡子」「嫡出子」の定義が古すぎるという事実でした。 嫡子(ちゃくし:てきし)とは家督を相続する者のことであり、古来より原則として実母もしくは側室が産んだ直系の長男(最初の男児)のことであり、相続に関する法律や戸籍等もすべて「ペニスをヴァギナに挿入して性交を行い、ヴァギナの中で射精して自然妊娠し、その子宮から生まれない限り実子とは認めない」という「嫡出子」重視の観点から制定されています。 たとえば離婚後300日以内に生まれた子は、自動的に前夫の子と推定され、前夫の戸籍に入籍され、この子の親権者は母になり、戸籍には「親権者母」と記載されます。(その後家裁の調停により親権者を代えることも可能) 一方、離婚後300日を過ぎて生まれた子は、前夫が遺伝子上の父であればその男性の認知を受けることになり、認知を受けるまでは非嫡出子として母の戸籍に入り親権者は母になります。 もし離婚後300日を過ぎて生まれた子が前夫以外の男性の遺伝子であった場合、遺伝子上の父である男性からの認知はできません。 この場合、遺伝子上の父が自分の子として認知を望んだとしても、前夫の子として前夫の戸籍に入籍されてしまいます。 そして、前夫の戸籍に前夫を父としていったん入籍した後で、前夫が地方裁判所に嫡出子否認の訴えを提起します。 (もし、子および親権者の母と前夫との間で父子関係について争いがなければ、家庭裁判所の審判を申し立てることもできます) 最近問題になっているのは、離婚後300日以内に生まれた前夫以外の男性の子が前夫の戸籍に入ってしまうという制度や、離婚後300日を過ぎて生まれた子が前夫以外の男性の遺伝子であった場合、遺伝子上の父である男性からの認知はできないという制度について女性側からの不満が高まっていることです。 現行法では離婚後、前夫以外の男性が遺伝子上の父である子を出産した場合、出生届を提出する前に前夫との間に父子関係がないことを、家裁の審判で確定しない限り、前夫の戸籍に入籍しないで出生届を提出することができません。 結局、すべての原点は「ペニスをヴァギナに挿入して性交を行い、ヴァギナの中で射精して自然妊娠し、その子宮から生まれない限り実子とは認めない」という「嫡出子」の定義に固執することが、もはや時代にそぐわなくなっているのです。 やっと離婚してすぐ新しい彼と親密な関係になり、妊娠・出産してみたら憎き前夫の籍に血のつながりがない我が子が入籍されてしまう・・・ これでは女性が気の毒です。 「代理出産」のみならず、誰と結婚するか、結婚しないか、あるいは誰の遺伝子を受け継いだ子を産むか、誰の子を入籍するか、しないかは国家が規制すべきことではなく、まして「ペニスをヴァギナに挿入して性交を行い、ヴァギナの中で射精して自然妊娠し、その子宮から生まれない限り実子とは認めない」という制度そのものが「大いなるお節介(国家の干渉)」となのです。 ジョディ・フォスターは「結婚」という制度を避けて人工授精により2児を出産していますが、わが国でこうした方法で出産すると「未婚の母」「私生児」(婚外子)とみなされ社会的に大変不利な立場となります。 しかし、それでも大衆社会は「自由」という権利もとづいて結婚制度を確実に瓦解せしめているのです キリング・ミー・ソフトリー 2007-03-27 23:56:17 渡辺淳一著「愛の流刑地」では官能的快楽の極致で女性が「首を絞めて欲しい」「殺して欲しい」と懇願する場面があります。 実は性交の際、女性がパートナーに向かって「首を絞めて欲しい」と要求することは、さほど珍しいことではありません。 映画「キリング・ミー・ソフトリー」(意訳:『優しく殺して』)のテーマも官能的なラブ・ストーリーのなかで「もしかしたら彼は愛する女性を殺す趣味なのかな?」とパートナーに思わせるような首を絞められるシーンがあり、官能的快楽と「首を絞める行為」がミステリアスでエロティックに絡まって、スリリングに物語は展開していきます。 女性が「首を絞めて欲しい」と願うその理由はいくつかあります。 1.信頼できるパートナーに首を絞められることで普段体験できないスリルを味わいたい 2.男性に首を絞められることで疑似レイプ体験をしたい(被虐趣味・単なるSMプレイ) 3.頸部を圧迫されることで軽い脳貧血が起き、エクスタシーが加速すると共に「失神」状態を体験する 4.愛する男性から少々手荒に扱われ、それに耐えるとか許すことで「自分が彼に愛されている」ことを確認する等 ただし、性交の際にパートナーの首を絞めるという行為は危険を伴います。 危険ですので、安易にマネをしないでください。 (ちなみに法律上、性交の際に偶発的に絞殺してしまった場合、「殺人罪」ではなく「傷害致死」が適用されると思います。またパートナーから「殺して」と要求されて絞殺した場合でもベッドの中の会話は証拠能力がありませんので「嘱託殺人」ではなく「傷害致死」が適用されると思います) 昨日のブログの補足 2007-03-29 01:21:33 昨日、「愛の流刑地」や「キリング・ミー・ソフトリー」のテーマである性交中の絞頸行為について論じたとろ、大阪地裁で、インターネットの自殺サイトで知り合い、一緒に自殺すると偽っておびき出し、男女3人を相次いで殺害した元派遣会社員:前上博被告(38)に対し死刑が言い渡されたとの報道がありました。 判決によれば、犯行は計画的で証拠隠滅行為をしており、被告は違法性を十分に認識し犯行時の記憶の欠落もないことから「犯行時に完全な刑事責任能力があった」と認定しています。 さらに判決は「人を窒息死させることに性的興奮を覚えるという特異な性癖があり・・・自己の性欲を満足させるために他人の生命をいとわないという、余りにも自己中心的で身勝手な動機に酌量の余地は皆無」と被告を厳しく糾弾しました。 ちなみに公判における精神鑑定では、前上被告を「犯行時、性的サディズム、フェティシズム(性的倒錯の一種)、反社会性人格障害の混合状態だった」と結論付けていました。 昨日は性交中の絞頸行為の動機として、 1.信頼できるパートナーに首を絞められることで普段体験できないスリルを味わいたい 2.男性に首を絞められることで疑似レイプ体験をしたい(被虐趣味・単なるSMプレイ) 3.頸部を圧迫されることで軽い脳貧血が起き、エクスタシーが加速すると共に「失神」状態を体験する 4.愛する男性から少々手荒に扱われ、それに耐えるとか許すことで「自分が彼に愛されている」ことを確認する等の4つの理由をあげましたが、上記の判決を聞いて、動機がひとつ漏れていたことに気付きました。 それは性交中の絞頸行為に伴う女性の膣痙攣や全身の痙攣あるいは苦悶する姿を一部の男性は快楽と感じることがあるという事実です。 なお、この事件は明らかな計画的連続殺人であり、死刑はむしろ当然であると思います。 痴漢の季節 2007-03-30 16:32:21 春先は痴漢の季節でもあります。 そう思っていたら、MSNの毎日新聞ニュースに 痴漢:容疑の台東区課長を逮捕…電車で女性触る 千葉 10:16 痴漢:容疑の元格闘家を逮捕…女児の体触る 神奈川 10:13 痴漢:小田急小田原線で容疑の文科省係長を逮捕 12:06 痴漢:東大病院の医師逮捕 東急田園都市線で女性に触ると3件の痴漢事件が報道されたいました。 痴漢(ちかん)とは、 相手の意に反して(または無視して)性的な言動や相手に近づいて体にさわる等のわいせつな行為のことであり、満員電車の混雑した所や、暗い夜道など人気のない所などで加害者が特定されにくい方法で、しかも被害者が対処しにくい状況で行われる軽度の性犯罪のことです。 「軽度の性犯罪」と言うと、痴漢に遭って不快な思いをされたことがある女性は「許せない」と反発するかも知れませんが痴漢行為は刑法や軽犯罪法に具体的な定義がなく、軽犯罪法第1条第5号や刑法第176条強制わいせつ罪、各地方公共団体の 迷惑防止条例しか取り締まる法律がありません。 換言すれば痴漢行為を取り締まる法律や条例自体が男性側の視点で作られており、「男性が女性を性の対象と見なし、その身体に触れたくなることはある程度やむを得ない」との抜きがたい先入観が背景にあることになります。 例外者は女性を性の対象と見るのではなく、性別にとらわれることなく自己と対等な人格であることを重視します。 そのうえで「脳内写生」という純度が高い官能的な白昼夢に耽溺するのです。 これができないと下記のようになるからです。 「児童買春:中2女子と再三、81歳逮捕 札幌」 札幌白石署は22日、札幌市白石区の無職中村 某(81)を児童買春・ポルノ禁止法違反(児童買春)容疑で逮捕した。同市内の中学2年の女子生徒(14)を相手に買春を繰り返していた疑いが持たれている。北海道警によると、同法(99年11月施行)違反容疑の逮捕者としては道内最高齢になる。調べでは、中村容疑者は昨年12月30日午後2時ごろ、同市内のホテルで少女に現金2万円を渡し、みだらな行為をした疑い。容疑を認めているという。今年2月に少女が家出。家族から届出を受けた同署が、帰宅した少女から事情を聴き、発覚した」毎日新聞 2007年3月23日 春は大衆の男性を惑わす恐い季節なのですね・・・ ある「愛の流刑地」 2007-03-31 11:15:44 めずらしくコメントを頂きました。 【愛ルケは平凡な性愛:私の彼は、映画を見終わって一言!「私なら後を追って死ぬヨ。ただそれだけ」…と。生きている時は夢中で、今死んでもいいと思いながら愛し合い、最愛のパートナーがいなくなるくらいなら潔く自分も死ぬ。私は黙ってたけど、私は貴方を殺してから死ぬから貴方は後を追う事はないよって心で呟いた】 映画かTVドラマか、いずれにせよ「愛の流刑地」をご覧になった女性からの書き込みです。 もしここで著者が安易に「そうですか・・・」とか、単純に「おおッ、恐わ!怖ろしい女だ」と反応したら、もはや例外者ではなくなります。 官能的快楽の極致である至高のエクスタシーに到達したら、生きて帰ることを願ってはなりません。 ただ消尽・蕩尽あるのみなのです。 消尽とは自分の人生を自分らしく、潔く贅沢に使い切ることです。 至高性の世界は、性別にも法律にも道徳にも宗教にも常識にも善悪にも自由にも生病老死にもとらわれない自在な存在なのです。 丸ごとすべてを「なにものでもない聖なる至高なるもの」に差し出してしまえば、生きることも・死ぬことも・生かすことも・殺すことも「すべてはとらわれ(固執)」にすぎなくなります。 この女性は映画かTVドラマの「愛ルケ」を見ながら、隣にいる彼を時折見つめつつ「最愛のパートナーがいなくなるくらいなら潔く自分も死ぬ。私は貴方を殺してから死ぬから貴方は後を追う事はないよって」何度も心のなかで呟いたのでしょう。 でももしその「最愛のパートナー」が例外者だったら、あなたと一緒にドラマを見ながら「いつか君を、聖なる至高性に捧げる聖なる供儀(読み方→くぎ・きょうぎ:意味→お供えのこと、民族学では一番大切なもの〔人柱・人身御供・生け贄〕を太陽や自然・神仏・悪魔等に犠牲として捧げる行為)として一緒に生け贄になろう。一緒に至高性に到達した例外者として十字架に処せられよう」と脳内写生していたのかもしれませんよ。 ちなみに、前回「痴漢」をテーマに取り上げたところ、このブログのアクセス数が一気に2倍になってしまいました・・・マイッタ! 三島由紀夫 2007-04-01 23:23:09 またまたコメントが届きました。 【悪戯電話の季節:外の痴漢ばかりじゃなくハァハァ言うだけの小心男、勝手に会話を楽しむイキなりハァハァ男、無言男も気持ち悪い!】 あいにく「ハァハァ電話」を受けたことがありません。 もしかしたら女性がこのテの悪戯電話で簡単に不快になるから、卑劣なイタズラ電話が続くのかも知れません。 いっそのことこうした悪戯電話が掛かって来たときは、陰気な声で「はい、こちら火葬場です」とか、あのTVニュースの口調で「こちら朝鮮民主主義人民共和国、駐日大使館です」と真面目に応答してみたらいかがでしょうか? 【よく読んで!:(「愛ルケ」を見た後で)後を追うと言ったのは彼です。私は男のためになんて死にません。★愛と男は違いますから★】 つまり男と心中するのではなく、あなたとあなたの大切な愛に殉ずるということなのですね? もしそうなら、これはもの凄い美学です。 かつて三島由紀夫は日本という国家を愛し、憂うるあまり市ヶ谷の自衛隊駐屯地(当時)を訪れ、自衛隊幹部を人質にとり「自衛隊は国軍として決起すべきである」と訴えてから、みごとな割腹自殺を遂行しました。 あのとき、政治家やマスコミが様々な憶測を行いましたが、真相は「三島は三島しか理解できない理由で、三島にしかできない死に方をしたかった」のです。 (従って、わが国の右翼が三島を右翼の神様のように崇拝することは大いなる間違いです) この書き込みをしてくれた女性は、たぶん「私は私にしか判らない理由で、私にしかできない方法で私の愛を貫きたい」と確信しているのです。 あなたのパートナーな相当な果報者ですぞ。 江原啓之氏について 2007-04-04 13:18:20 江原啓之氏はヒーラー(ヒーリングする人:霊能者による霊性を通じた自己や他者の癒しのこと。わが国にも霊媒師やイタコ等が存在)であり、スピリチュアル・ワールド(霊界)の存在を確信するスピリチュアリズム(霊との交信によるメッセージの伝達やその生き方)に準ずるスピリチュアリストであり、彼は英国スピリチュアリスト協会に所属しているのだそうです。 英国ではスピリチュアリズムが広く認知されていますが、その理由の一つとして英国王室が歴史的に見て、この分野の影響を受けやすいとの背景があります。 スピリチュアリストはポルターガイスト(室内等で異音がしたり、不意に物が落ちるなどの現象)はスピリチュアル・ワールドからのメッセージであると考え、霊の問題は自分の心の問題、霊(たましい)の問題であると考えます。 そして「病は気から」ではなく「病は霊(たましい)から」とみなし、病気を完全に治したいなら、まず霊を癒さなければならないと主張します。 しかし彼の言葉を詳細に見てゆくと「現在の私のスピリチュアリズムは、英国で学んだこのスピリチュアリズムの土台をもとに、自分のインスピレーションによって得たスピリチュアル・ワールドからのメッセージを加えたものです」と述べています。 しかし、霊とインスピレーションの混同・混在は誤りです。 芸術家はインスピレーションを活用して絵画や音楽等の創作を行いますが、芸術家はほとんど霊能者ではありません。 同様に、超能力者と霊能者も別のものであり、両者を混同することは双方の能力をおとしめることになります。 また彼は「なぜ私たちがなぜ生まれてきたのか、なぜ生きるのか、本当の幸せとは何かという真理を探究する」とも言っていますが、幸福や真理を探究することは「幸福」や「真理なるもの」にとらわれたり、これら大衆的願望に従属することを意味します。 あるTV番組の中で彼は「人の役に立つ生き方をすること」これがスピリチュアリズムの生き方であると説明していましたが、これは自己の内奥を深く見つめることを放棄することであり、大衆に「阿片」(「宗教は阿片である」マルクス)にも等しい苦痛沈痛剤を与える世俗的発言なのです。 占い師:細木数子 その1 2007-04-05 16:14:06 このブログで江原啓之について論じたところ、いくつかの問い合わせがありました。 その中に細木数子についての質問がありましたので、著者の見解を述べることにしました。 細木数子は日本で最も有名な占い師であり、テレビのレギュラー出演は勿論のこと、毎年出版している六星占術の本はどれもベストセラーとなっています。 また、これまでに出版した六星占術の本の総販売部数は5000万部を数え、「世界一占いの本を売った人物」として、ギネスブックにも掲載されています。 彼女は、陽明学の大家である故・安岡正篤氏の弟子でもあり、自著のプロフィールのなかで、「安岡正篤氏と出会い、六星占術は単なる占いの域を越えた“人間学”にまで高められた。自然界のリズムにのっとった人間の生き方を絶えず追求し、荒波にもまれている人々に、つねに適切な指針を与えている」と書かれています。 実は、「人間学」を標榜する細木数子の言動はその姿勢とは裏腹に常に一致せず、発言や著書に多くの矛盾が見られます。 また水商売出身のせいか身なりは「華やかである」のに言葉に「品がない」という独特の特徴があります。 それだけではありません。 たとえば「六星占術」のヒントは4000年前からあったと彼女は主張しますが、その裏付けになる文献があるのでしょうか? さらに「六星占術」を実行した人は、一人の例外もなく幸せへの道を歩んでいると断言する「細木流 先祖供養」は本当に効果があり、本当に例外はないのでしょうか? なぜなら彼女自身が「占いで人生は変わらない」と言っているのであり、それを補っているのが「細木流 先祖供養」なのです。 「六星占術」は「例外なく幸せの道」であるはずなのに、「細木流 先祖供養」を実践しなければ「幸せになれない」という補足説明は、「六星占術は例外なく幸せになれる道ではない」ことになります。 何回かに分けて「大衆はなぜ占いや霊界を信じるのか?」について論じてみます。 (敬称略) 細木数子・その2 2007-04-06 23:57:40 細木数子は昭和13年4月に東京都渋谷区の円山町に、8人兄妹(三男五女)の四女として生まれました。 小学一年のころに父を亡くし、経営していたバー「ロマンスクラブ」(後に「南」さらに「千代」と店名を改名)を、「娘茶屋」というおでん屋に衣替えして、母親と女姉妹5人でお店を営んでおり、細木数子も13歳のころから店の手伝いをしていたそうです。 成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)に通っていた16歳のころに「ミス渋谷」に選ばれ、17歳になると高校を中退し、店の手伝いと客のチップを貯めていた金をもとに、喫茶店「ポニー」を開店しました。 しかしこのお店もわずか半年で売却し、その資金をもとに、1957年には新橋駅近くにクラブ「潤」をオープン。 しかしこの店舗も翌年には売却し、成城学園駅前に子ども洋服店「バンビーノ」を開店しています。 さらに翌1959年には、銀座にバー「かずさ」をオープン。同じ年、静岡の老舗の一人息子と結婚しましたが、すぐに離婚。 この1957年〜59年の3年間は、細木数子にとって大殺界の期間にあたり、彼女自身「大殺界」の過ごし方について現在彼女は、「新しいことを始めるのはタブーであり、事業はもちろん結婚も絶対にしてはダメ」と言っています。 1961年になると、銀座にバー「だりあ」をオープンし、「かずさ」はクラブに転進。 64年には、赤坂にディスコ「大使館」をオープン。 翌65年には世田谷に自宅を新築。 1970年には赤坂にクラブ「艶歌」を開店。 絶頂期を迎えるも、同じ年に10億円の詐欺に引っ掛かり、自宅も店も抵当に取られてしまう。 細木数子が占いに興味を持ち始めたのは、この人生のドン底の時期なのだそうです。 1972年に債権者を説得して再開した、赤坂のクラブ「艶歌」は幸い大繁盛し、75年には借金をほぼ完済しました。 そして、同年にディスコ「マンハッタン」をオープンし、大儲けしたのだそうです。 彼女はよく「10億円の詐欺に引っかかった」という苦労話をしますが、その借金はわずか数年で完済したことになります。 1977年になると、細木数子は、当時数億円の借金を背負っていた歌手の島倉千代子の後見人となります。このとき細木と島倉は結び付けたのは、ある暴力団の元相談役だった人物でした。 細木はこの人物との関係を、「夫婦以上、親子以上」だと語っており、2人の関係を否定したことは一度もありません。 細木数子・その3 2007-04-07 21:17:14 細木数子は、77年に債権者に追われて困っていた島倉千代子の借金1億5000万円を肩代わりし、その見返りに島倉の興行権を手に入れた細木らは芸能プロダクション「ミュージック・オフィス」を設立した。 島倉は、毎月数百万円ずつ返済することになり、3年近く要して完済した。 その後、島倉は知人の助けを借り1981年に「コロムビア」に移籍。 ところで島倉千代子は当初、「大恩人」と慕っていた細木に対し、独立後一切細木について語らなくなった。 推測であるが、島倉が抱えていた負債は当初「4億3000万円」で、それを債権者側に三分の一の「1億5000万」で納得させたという内容だった。 だが細木によればこの後、借金の額が次々と変転していくのである。 たとえば『週刊平凡』(1980年5月8日号)によれば、細木は取材に対し「16億円」あった借金を、「6億円」にしてやったと自慢している。 しかし、1982年に出した細木の初の占い本『六星占術による運命の読み方』(ごま書房)では、「4億数千万」の負債だと述べ、1988年に出版された『女の履歴書』(廣済堂)では、島倉の借金は「13億円」で、それを三分の一の4億3000万円で債権者に納得させたという話になっている。 さらに『週刊現代』(2005年3月5日号)の取材に対しては、「12億円」だった負債を「2億4000万」で債権者に納得させたと言う。 実は上記の金額は、いずれも細木本人が語った金額である。 なぜ島倉千代子の借金の金額が変転するのだろうか? ちなみに、この時点での細木数子は、まだ「占い師」ではなかった。 彼女が占い師としてデビューするのは、初の占い本『六星占術による運命の読み方』(ごま書房)を出版したこの2年後(1982年)のことである。 はたして彼女は信用のおける人物なのであろうか?「人間性」を論じる資格があるのだろうか? 細木数子 その4 2007-04-09 14:35:42 前回に続き、細木数子(敬称略)の占いや彼女の「人間性」に関する大衆向けメッセージについて懐疑(深く考えること)します。 前回・前々回の指摘のように彼女の発言はきわめて世俗的であり、一貫性がありません。 しかし、どうやら大衆はその曖昧さと世俗性に魅せられるのです。 『文藝春秋』(2004年11月号)の対談記事によれば、細木数子の最初の占い本は始めから占いの本として書かれたものではなく「銀座や赤坂で成功した女の体験記」として書かれた原稿を、ごま書房の当時の社長が「占い本として書き直すよう」助言し、しかも『週刊現代』(2006年6月24日号)によればその後の経緯を「ごま書房」の元社員が次のように説明しています。 「細木さんが持ち込んだ原稿をごま書房の編集部の社員が二人掛かりで(書き改めた)・・・細木さんが提供した資料を参考に、まるきりの素人が書き足し、(占い本にして発売)にこぎつけたんです」 一言でいえば、細木数子自身が言う「長年にわたり、中国古来の算命学・易学などを研究した結果、六星占術を独自に編み出した」という言葉には信憑性がないことになります。 また彼女は1983年から、故・安岡正篤を「先生」と呼ぶようになり、著書の中でも必ず同氏の名前を出し、同氏の「弟子」を自称し始めます。 しかし、彼女が同氏に初めて会ったのは1983年3月のことであり、その年の12月には同氏が死去しているので、両者の師弟関係はわずか7〜9ヶ月にすぎません。 それなのに、すでにこのブログでも述べたとおり、彼女はその著書の中で必ず恩師として同氏の名前を出し、自らのプロフィールでも「陽明学の大家・故・安岡正篤氏と出会ったことで、六星占術は単なる占いの域を越えた“人間学”にまで高められた」と堂々と書いています。 そして彼女は、テレビや著書の中で「人間学」や「心の常識」等、もっともらしいことを述べるのですが、実は東京にある彼女の事務所の入口には、長いこと「財団法人 安岡正篤顕彰記念」という実在しない架空の財団法人の名前を掲げていました。 また、これは周知の事実なのですが、彼女はテレビ番組で対談したり、番組の中で公開占いを行うタレントに対して「えり好み」の感情が露骨に現れ、自分の好悪によって態度が急変します。 また彼女の占い等はすべて否定的であり、「○○しなければ××になる(例:先祖供養しなければ地獄に堕ちる等)」と、常に相手に恐怖心を与えています。 こうした手法はエセ宗教の常套手段であり、エセ宗教は布教や資金集めの口実に必ず大衆の恐怖心を煽り信者を集めたり、「浄財」を集めるのです。 彼女が口にする「人間性」のためなら、大衆に恐怖心を与えつつ1項目に付き10万円もの相談料を取り、お墓の建立相談5万円、赤ちゃんの命名料50万円、建築や家相の相談100万円という高額な代金をせしめることなのでしょうか? 母親の男遊び 2007-04-10 22:31:11 ある若い娘さんが、何気なく放置されていた母親の携帯電話を見てしまいました。 メールを開いたら沢山の男性の名前があったそうです。 そしてメールの内容から推測すると、どうやら母親は出会い系サイトを通じて複数の男性と外泊しているらしいのです。 男性からのメールにはその男性の肉体的特徴が書いてあり、一緒に温泉に行ったことになっていました。 娘さんが自宅のカレンダーと外泊の記述を照らし合わせたところ、親しい女性の友人と温泉や海外旅行に行っていたことになっていたそうです。 その後、娘さんは急に母親を気持ち悪いもの、汚いものに感じてしまい、携帯メールを見なければ良かったと後悔しており、両親が離婚したら困るので兄弟や父親には相談できないと悩んでいます。 実はどんなに良妻賢母型の母親であっても「聖母」である思い込むことは錯覚であり、母親と言えども生身の女性、性欲もあれば恋する心もあるのです。 この娘さん自身、性欲がある両親がいたからこそこの世に生まれてきたのであり、多くの既婚者が家庭を壊さないで出会いのチャンスさえあれば、アバンチュールを楽しみたいと密かに思っているのです。 それは決して薄汚いことではありませんし、異常なことではありません。 むしろ性欲を楽しめる母親の娘であることを誇りに思うべきであると例外者たる著者は思います。 不倫のすすめ 2007-04-11 15:47:43 【勝手な私:私不倫中。娘も応援こそしてくれませんが、知っています。 しかし、私の母の恋話はなぜか許せないし、完全に(男に)騙されているのにと呆れます。勝手ですよね?私って! しかし、娘も私の事を(男に)騙されてると思ってるのかしら?と考える今日この頃】 このコメントを書いた人は「自分の母親の不倫は許せない、でも自分の娘には自分の不倫を認めて欲しい」と願っているようです。たしかに、ムシが良すぎるかもしれません。 では、なぜ娘2世代(コメントを書いた人とその娘さん)は、母親の不倫を許せないのでしょうか? それは生理的な不潔感ではなく、その根底に「母親を他の男に奪われるかもしれない」という家庭の危機感や、独占欲に根ざした疎外感があるからなのです。 その得体の知れぬ不快感が「不潔」とか「汚らしい」という感情になって娘に現れるのです。 しかし、家庭はいつか崩壊します。 崩壊しない家庭があるとすれば、それは単調で退屈で怠惰な家庭です。 恋は「だまされてもいいのだ。いま、この恋が愛おしい」という覚悟がなければ醜悪な結末を迎えます。 まず、不倫をするなら「生き残ることは考えない」と覚悟するくらいの決意をしてください。 アバンチュールは何度やっても自分が傷つくだけです。 安易な不倫を推奨するわけではありませんが、なぜ不倫をするのかという深い内省と、著者が勧める「オリジナルな性欲の発見」(昨年5月29日のブログ参照)や「官能領域の自己拡張」(昨年6月5日のブログ参照)のためであれば、不倫は命がけで楽しむ値打ちがある知的なドラマと豊かなファンタジーなのです。 性生活アンケート 2007-04-12 11:59:57 シカゴ大学が29カ国を対象に行った調査によれば、性生活で一番満足しているのはオーストリア人であり、オーストリアの男性の80%、同女性の63%がそれぞれの性生活に「満足している」と答えています。 その次に性生活に満足しているのがスペインの男性で73%、同女性68%です。 その次に満足しているのがベルギー、オーストラリア、アメリカ、ドイツであり、フランスはその次でした。 しかしこの調査で最も低かったのは日本の男性18%であり、同女性の10%でした。 興味深いことにこの調査では、ほとんど国の男性の満足度が女性の満足度を上回っています。 これは男性があいかわらず「ひとりよがり」の性交を行っていることを裏付けるデータでもあるのです。 なぜなら、男性のオーガズム到達時間は平均で挿入から4分、女性は11分というデータがあり、女性の方がオーガズムの到達に時間が掛かるのに、男性のほうが先に射精してしまい、それにも係わらず男性が「満足」していると回答しているからです。 一方、当然の帰結として、多くの国で女性の「満足」が男性の「満足」より少ない結果となっています。 しかし、アンケートに答えた人々が何を根拠に「満足」と回答したのか判然としていません。 男性のほとんどは射精=オ−ガズム=満足と考えており、女性の多くはもう少し深いオーガズム(エクスタシー)を求めているのです。 セックスレス夫婦 2007-04-13 14:31:48 婚姻関係にある夫婦で1ヶ月以上性交がない場合を「セックスレス夫婦」と呼ぶと日本性科学会が定義しています。 そして昨年11月の厚生労働省の「子ども家庭総合研究事業」の調査では、満16〜49歳の男女3000人に対する調査が行われ、「セックスレス夫婦」が全体の34・6%もおり、その比率が年々増加していることが判りました。 著者は時々性交を行うことが夫婦の義務や「あかし」であると決めつけるつもりはありません。 また「セックスレス夫婦」イコール「夫婦関係の破綻」と見なすことも誤りであると思います。 むしろ「セックスレス夫婦」の増加は、少子化の一因であると見るべきであり、このまま少子化が進行すると今後35年から40年続く団塊世代が生み出した超高齢社会(一人の働き手が2,2人以上の65歳を支える社会)を現役労働者が支え切れなくなくなることに真の問題があるのです。 このため、今後わが国では正式な婚姻以外で誕生した婚外子の実子並みの扱いや、「赤ちゃんポスト」の設置、あるいは代理母出産、300日問題(離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子であると推定する民法772条により、戸籍のない子供が増加し、その多くが行政サービスを受けていない問題)等についても積極的にこれを認める政策を導入すべきなのですが、安倍総理の発言は男系・男子としての建前的保守的な発言が多く、本当に深刻な少子化問題を理解しているのか疑念を感じさせます。 また、たとえ「セックスレス夫婦」であっても、夫・妻の双方に婚外性交(浮気・不倫等)の機会は多々あるのであり、夫婦間で1ヶ月間性交がなくてもその期間に婚外性交が行われることも想定すべきでしょう。 したがって、こうした調査を費用をかけて行うのであれば、「セックスレス夫婦」の調査だけでなく、婚外性交の調査も同時に行うべきなのであり、そのデータの中から「なぜ婚外性交が多いのに、夫婦間性交がないのか?」という新たな問題が見つかると思うのです。 「夫と妻は性交すべきである」という古めかしい概念や、婚姻制度そのものがもはや崩壊しつつあり、国家は性交というきわめて秘私的世界に干渉すべきではない時代に、「セックスレス夫婦」問題だけを調査することにどれだけの意義があるのでしょうか? ちなみに、あらゆる動物はオス・メスつがいで飼育すると、次第に生殖能力が衰退していくことが動物学者の間では広く知られた現象なのです。 子どもについて 2007-04-14 23:56:27 下記のようなコメントがありました。 【toshiki:代理母出産や赤ちゃんポストなど、子ども中心に考えているのだろうかと疑問を持ちます】 そうですね。でもこのブログは「あえて異論を唱え、大衆に向かって暴言を吐く」ことをモットーとしていますので、故意に異説を述べることにします。 大衆社会において、「子ども中心に考える」ことは親として、人として大切なことですが、「例外者」にとって自己以外を大切にすることや自己を自己以外のものの犠牲としたり、自己以外のものに奉仕・献身したりすることは、もっとも愚かなことであり、「ひたすら自分らしく生きる・自分の人生を自分だけのために贅沢に使い切る」ことが名誉となります。 また、子どもにとって、親が「子どものために良かれと思ってしたこと」が必ずしも子どものためにならないことは多々あることであり、「親がなくても子は育つ」のコトワザもあるように、過保護や過干渉が子どもの成長を阻害することだってあるのです。 自己陶冶(生まれもった才能や資質を磨くこと、鍛えること)すら満足にできない親が、生まれてくる子どものことを心配しても意味がありません。 アタマの蝿も追えないヤツが、他人のあたまの蝿を追っている状況と同じです。 子どものことは、子ども自身が人生を切り開けるように少し地ならしをしてやるだけでいいのです。 レールまで敷いてやる必要はありません。 子どもはいつか必ず、親が敷いたレールから外れていくものなのですから。 性にまつわる議論 2007-04-16 16:43:25 米連邦地裁が、「同性愛者への差別解消」に取り組む高校のクラブ活動を「性的で学校教育にそぐわない」として活動を禁じたフロリダ州オキチョビー郡の教育委員会などに対し、他のクラブ活動と同等の活動を認めるよう命じたとの報道がありました。 全米の高校には同様のクラブが3000以上あると言われ、テキサス・ジョージア・ケンタッキー等の各州では学生と学校側がクラブ活動の是非をめぐって対立し、訴訟になるケースも出ているそうです。 オキチョビー高校では、同性愛の生徒Y・G君(18)が「異性愛の生徒たちと一緒に、同性愛者への差別解消に取り組みたい」と考え「同性異性愛同盟」を作り、同性愛・異性愛の生徒約60名が入部していました。 しかし同郡の教育委員会側は「性的な行動を触発する」として活動を認めず、校内での活動を禁止したのです。 このため「同性異性愛同盟」側はある市民団体に相談し、担当弁護士が昨年11月提訴していました。 全米の高校生らで作る「異性同性愛同盟ネットワーク」では、米国の保守的な地域では「同性異性愛同盟」に関して、いまだにセックスの話をするクラブと誤解され、不当な扱いを受けることが多いとコメントしています。 我が国では高校の部活で同性愛について勉強したり理解を深めることは、たぶん認めらないでしょう。 それどころか、性愛について発言したり議論すること自体が嘲笑の対象になったり、好色な人物というレッテルを貼られることになってしまいます。 実は性愛の問題を直視できない、性愛を真面目に議論できないのが大衆の特徴なのであり、例外者は性愛の懐疑(深く考える)し続けます。 セカンドライフとは? 2007-04-17 23:59:43 「セカンドライフ」(Second Life)をご存知ですか? 「セカンドライフ」はインターネットを利用したバーチャルワールド(仮想現実社会)であり、広大な土地とリアルなデジタルボディ (アバター)が与えられ、想像可能なあらゆるものが本物そっくりの3DCGによって作られます。 この世界の中にユーザーは入り込むことができ、3DCGによるコンテンツを設計して販売したり、土地と専用通貨 (実際の現金に交換可能)を組み合わせて本物のビジネスを「セカンドライフ」内に構築することもできます。 たとえば「セカンドライフ」では土地を手に入れ、そこに家を建て、パートナーを神のごとく誕生させ、そのパートナーを愛し、理想のパートナーと結婚して子孫を作ることもできます。 またその土地にショッピングセンターやホテルを建設したり、カジノをオープンさせ、そこを訪れた「観光客」とギャンブルを楽しみ、その儲けを別のユーザーが開拓した土地に投資してさらに儲けることもできます。 「飾り窓の天使・脳内写生研究所」は「セカンドライフ」のように自己の外部に構築するのではなく、リアルな白昼夢を脳の中に鮮明に描くことで、あらゆる欲望や願望を満たす能力を高めることを提唱しています。 実は「セカンドライフ」のように、あらゆる欲望は自己の外部に求めても決して満たされることはありません。欲望や願望を外部に求めることは「渇望」となるからです。 少子化問題:続 2007-04-18 23:38:42 出生数が減ったため産科医のなり手がなく、このため婦人科があっても産科がない病院が増えています。 つまり産科と婦人科の両方を備えた産婦人科そのものが減少しているのです。 特に産科医は勤務時間が長く不規則、しかも、出産は今日でもハイリスクな「事件」であり、産科医は日常的な出産直後の不意の大量出血や母体および嬰児の体調の急変など、場合によってはどんなにベストを尽くしても医療過誤で訴えられかねない緊迫した状況のもとで、不眠不休で産科医不足に耐えているのです。 また女性器のトラブルはとても多く、子宮筋腫・子宮内膜症・卵巣嚢腫・月経に関する病(無月経・生理不順など)・膀胱炎・乳がん・卵巣がん・子宮内膜症・乳腺症・膣炎(カンジタ症・細菌性膣炎・トリコモナス膣炎・バルトリン腺炎)・子宮膣部びらん・卵巣腫瘍・子宮頸がん・子宮体がん等々複雑な病気がたくさんあり、これらの病気が少子化の一因にもなっています。 少子化の問題の根底には産科医不足と、女性器特有の病が関係していることは、ほとんど知られておりません。 「女性は産む機械」なのではなく、女性は危うくデリケートな性愛器官なのです。 質問に答えます。 2007-04-19 00:54:35 【一年以上ないのはどういうのですか?(苦笑)求めても拒否される。他の女性に走る。これって悪いことなのでしょうか?】 実は質問内容が曖昧で、困っています。 質問者は女性であり、パートナーとは1年以上もセックスレス・・・という状況なのでしょうか? あるいは質問者は男性であり、パートナーに拒否されるので1年以上もセックスレスであり、浮気をしてしまったけれども不倫が悪いことなのか?との質問なのでしょうか? もし夫婦なら1年くらいセックスレスという状況は、案外多いと言うデータがあります。 パートナーが拒否しているのであれば、不倫関係がバレて相手側から賠償請求されないように注意しながら、不倫を「楽しむ」ことです。罪悪感こそ不倫の最良のスパイスなのですから・・・ AVばなれ現象? 2007-04-20 01:02:37 アダルト雑誌・ビデオなどで知られる「英知出版」が東京地裁に自己破産を申請しました。 同社は1982年に設立され、アダルト雑誌や若者向けファッション雑誌で有名になりましたが、94年には猥褻図画販売容疑で警視庁の家宅捜索を受け、96年には東京国税局から関連会社を含め11億円の申告漏れを指摘されるなど経営上のトラブルが多い会社でした。 最近、街の小規模なレンタルビデオ店や、大手レンタルビデオチェーンに至るまでインターネットの画像配信・動画配信の普及に伴いレンタルビデオ業界が著しく業績が低迷しているそうです。 アダルト雑誌やアダルトビデオは、所詮何者かが販売することを目的に企画した「性欲を商品化した媒体」であって、これをいくら見ても自己のオリジナルな性欲は満たされることがありません。 インターネットの動画配信がアダルト業界の衰退の一因であるかも知れませんが、著者はこの難解なブログを読み続ける読者が1年を通じて平均150名前後いることを考えると、「他者の性欲を商品化した媒体=AV離れ」が確実に進行しているように思えます。 射精と写生 2007-04-21 00:38:21 50歳代の既婚女性ふたりと、20歳後半の結婚歴がある女性ひとり、そして著者の合計4人で雑談をしていたら、男性の前立腺の役割について女性陣がほとんど知らないことが判り、少々ビックリしました。 前立腺は膀胱の下にあるドーナツ状の器官であり、尿道の周囲を取り囲んでいます。 前立腺では前立腺液という精漿がつくられますが、この前立腺液は乳白色ゼリー状の粘り気のある液体をしています。 この粘液は亜鉛成分を含み、抗菌作用があり、精子が働きやすい環境を整え、精子運動を促進する働きがあります。 ここまで著者が説明したら、ある女性から「前立腺では精子は作られないのですか」との質問がありました。 精子は睾丸の中にある精巣で作られ、精巣で作られた精子は、睾丸の上にある精巣上体(副睾丸)で、10〜20日「熟成」され、受精能力と卵子をめざして一直線に進むための運動能力を身につけます。 そして「熟成」すると、オタマジャクシのような尾を振りながら、副睾丸から泳ぎ出て精管を経て精管膨大部にたどりつきます。 精管膨大部には、小さな部屋が多数あり、精子はそこにとどまり射精に備えます。 次に射精の際に飛び出す精液は、上記の精子の他に「前立腺液」と「精のう液」「尿道球腺(カウパー腺)」の3つの精漿が混じりあった混合液になります。 ちなみに「射精」とは性的な興奮が高まり、その刺激が勃起中枢と射精中枢に伝わり、射精中枢の働きで尿道球腺の分泌活動が盛んになって亀頭の外尿道口がぬれ始め、同時に精子がためられている精管膨大部の筋肉も強く収縮する現象です。 すると、精管膨大部の小部屋から精子が飛び出し、同時に精のうからは精漿が射精管に押し出され、前立腺に送られます。 すると前立腺の平滑筋も収縮し、前立腺、尿道球腺の精漿とともに尿道にあふれ出します。 そして尿道海綿体の根元の筋が収縮し、尿道が細くなると外尿道口から精液が押し出されます。 ちなみに勃起には2種類あり、精神的な性的刺激が間脳勃起中枢を介して脊髄勃起中枢に伝わっておこる中枢性勃起と、ペニス等に対する物理的刺激によって起こる反射性勃起があります。 膀胱に尿が充満して起こる「朝立ち」や、ペニスが刺激されて起こる勃起はは反射性勃起です。 「脳内写生」とは「精神的な性的刺激」を強い意志で鍛錬する中枢性勃起なのです。 実は前立腺は少々間抜けな器官であり、高齢になって射精の機会が減少しても、若い頃と同じように前立腺液を作り続けてしまい、これが前立腺肥大等の原因となります。 男性の性欲の単純さや射精願望は、前立腺の仕業なのかもしれません・・・ 強姦について 2007-04-23 12:10:54 今月は日曜日ごとにブログのお休みが続きましたので、読者の方から「日曜日に定期的に何かの予定が入るようになったのですか」という鋭い指摘がありました。 実は忙しいのは平日も週末も同じなのです。 カレンダーの書き込みや予定表を調べてしましたが、結局「日曜日ごとにブログのお休みが続いた」のは、単なる偶然にすぎませんでした。 でもこのブログを毎日閲読してくれている150名前後の読者のなかに、著者の「日曜日ごとの異変」に気付かれる方がいたとは驚きでした。 さて先日、大阪府警淀川署がJR北陸線の富山発大阪行きの特急列車内で大阪市内の会社員の女性(当時21歳)を強姦したとして、36歳の男を再逮捕したとの報道がありました。 なぜ再逮捕かと言うと、この男は昨年12月にも車内や駅構内で女性を強姦して滋賀県警に逮捕され、現在強姦罪などで裁判中だからです。 この男の犯行は、特急列車が駅を出発した直後に、女性の隣に座り、「逃げると殺す」「ストーカーになって一生付きまとってやる」などと脅し、約30分間にわたり、車内のトイレに連れ込み暴行したそうです。 女性は車両前方のトイレに連れて行かれる途中、声を上げられず泣いていましたが、付近にいた約40人の乗客もこの男に「何をジロジロ見ているんだ」などと怒鳴られたため、車掌に通報もできなかったのだそうです。 マスメディアの報道姿勢は「見殺しにした40名の乗客」に対し「冷たすぎる」という切り口でした。 しかし、あえて言えば被害に遭われた女性が泣くだけでなく毅然とした態度で「助けてください!」と大声で言わない限り、第三者から見れば単なる「男女の痴話げんか」としか見えず、制止に入ったら「プライベートことに口出しするな」と言われ、逆に恥をかくことになると考えてしまいます。 この事件の被害に遭われた女性達には、「大声で助けを求める」とか痴漢撃退ブザーを保持する等の防御策がなかった・・・犯人はそこに付け込んだのです。 脳内写生とは犯罪者になることではありません。 この男のように性欲をむき出しにしてストレートに行動に結びつけ、女性を強姦をしてしまったら、その後は自由を奪われ性欲や妄想を圧殺される人生を送るだけであり、彼は自分がなぜ性欲をコントロールできずに女性を強姦をしたのか、その原因すら判らぬまま出所してきます。 そうではなくて、脳の中に豊かでリアルな白昼夢や妄想・ファンタジーを自在に描き出し、日常的に「こんな事を考えてはならない・・・」と自己をセーブしている自分を、憲法が保障する「信教の自由」を活用して解放してやるべきなのであり、むしろこの訓練を行うべきなのです。 こうすることで官能的快楽の深さも体験でき、様々な創造力や想像力・アイディア・ひらめき等があふれるように「ほとばしる」ようになるのです。 AV女優 2007-04-24 23:56:05 アダルトビデオに出演したことがある女性(元AV女優)が、最近タレント活動を中止し唐突に引退したことがありました。 実はアメリカではAV女優の経験者が複数の性行為感染症(STD)を同時に発症し、突然の免疫不全や多臓器不全により急死したとの報道が以前あったのです。 このため上記の元AV女優の突然の引退の報道を聞いたとき、一瞬アメリカでの報道を思い出し、彼女の動向を気に掛けておりました。 かつて突然引退してしまった「黒木香」という元AV女優がおりましたが、彼女も激しい情緒不安定になり、やはり芸能界から消えてしまいました。 考えてみればAV女優という「性欲を商品化する職業」は、かなりリスクが高い仕事であり、平均20万円〜30万円の出演料では到底割が合わない「男どもに喰い物され、AV女優と持てはやされつつ安く使い捨てられる哀れな存在」なのです。 著者はかつて「R」という芸名でAV女優をしていた女性を今も気に掛けて捜しています。 彼女とは以前個人的にメールでのやり取りがありましたが、一度も会ったことはありませんでした。 それなのに気になるのは、彼女は当初「ネットアイドルとしてデビュー」し、次に「ネットアイドルがAVに出演」となり、それと同時に渋谷の風俗店で「現役AV嬢の顔出しフードル』として宣伝され、さらにその後「元フードル嬢として過激なAVに出演」、そしてその後は「有名AV嬢としてソープランド・デビュー」という絵に描いたような「出世街道」を歩んでいたからです。 勿論、これはあるプロダクションの売り出し戦略に彼女が乗せられ、背後にいる何人かのプロデューサーの画策があって徐々に有名になって行ったのですが、ある日突然「もうこれ以上連絡を取らないように言われた」とのメールを著者に寄こしてから、急に音信不通になってしまいました。 当時彼女は著者に対し「気が進まない仕事でも無理矢理させられて、抜け出せない。もし自分が私が連絡したら救けに来て欲しい」と言っていたのです。 文面から察すると「管理売春」の気配が感じられるのですが・・・ 2001年以来、姿を見かけなくなった彼女にいったい何があったのでしょうか? (このブログは、4月25日に加筆訂正しました) 再度「エロティック・スポーツ」考 2007-04-25 23:57:47 女子フィギュア、ペア・アイスダンス、新体操、シンクロナイズド・スイミング・シャラポアのテニス等は男性の目を楽しませてくれるスポーツであると以前このブログで述べたことがありました。 最近人気の女子ビーチ・バレーも良く見ていると、実にエロティックなスポーツであると気が付きました。 まずコスチュームがビキニ型の水着であり、女子フィギュア、ペア・アイスダンス、新体操、シンクロナイズド・スイミングに比べると、むしろ肌の露出が多いスポーツなのです。 次に動きが早く競技者が競技に熱中するため、試合中に意識しない様々なポーズを取る機会が当然多くなります。 上記のエロティック・スポーツはいずれも計算し尽くされた演技をミス無しに行うスポーツであるのに比べると、女子ビーチ・バレーは、やむを得ず見せるハレンチな仕草が数多く見られます。 たとえばビキニからはみ出しそうになった乳房をあわてて押し戻したり、お尻に食い込んだビキニを指でつまんで引っ張り出す等の無意識の仕草は、妙に「そそられる」光景なのです。 また女子ビーチ・バレーには皮膚に吹き出した汗に砂が付着して「泥んこ」状態になるため「ウェット&メッシー」と呼ばれるマニアックなフェティシズムに通じる要素が強く見受けられます。 つまり女子ビーチ・バレーには、これだけ男性の関心を惹きつける要素があるのですから、人気が出ない訳がありません。 著者は女性を性愛の対象と見ることに反対し、あくまでも対等な人格として尊敬すべきであるとのスタンスを維持していますが、スポーツを楽しむ一つの切り口として、かねてより「エロティック・スポーツ大賞」を創設したいと考えております。 性は脳なり 2007-04-26 00:44:46 官能的快楽は視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚などの五感の刺激受けた脳(前頭葉)と、その刺激に触発された脳の妄想が入り交じった反応であり、古来より「英雄色を好む」と言われるように前頭葉が発達している人物(男女)ほど性欲や性衝動が活発になります。 性欲や性衝動における男女差は、視床下部に存在する性欲中枢、特に性的二型核の大きさの違いにあると言われています。 ちなみに男性の性的二型核の大きさは女性の約2倍の大きさがあります。 このため、男性はいきなり性交を求める傾向が顕著である(痴漢行為やレイプなど)のに対し、女性は抱擁やふれ合いを求めるようになると言われています。 また男性はエクスタシーが急激に高まり冷めるのも早いのですが、女性のオーガズムは徐々に高まり、徐々に冷めていきます。 ある実験によると、女性はオーガズムに達しているあいだ脳全体が男性の10倍近いシータ波を発しており、女性は男性に比べれば10倍強烈な快感を味わっていることになります。 そこで男性は、他人が企画した性欲(AVやグラビアヌード等)に振り回されるのではなく、オリジナルな性欲や妄想を強化したり、五感を研ぎ澄ませることで前頭葉を活性化させ、シータ波を増やす努力をする必要があるのです。 ア○メイト:続報 2007-04-27 11:54:58 昨年8月10日・9月6日・同7日・9月9日・12月8日・同9日と、何度かこのブログで取り上げてきた?ア○メイトによる執拗な業務妨害について、新たな展開がありましたのでお知らせいたします。 福岡市大名にある「飾り窓の天使」は昨年3月13日に 「相互リフレクソロジー\ファンタジー気功\飾り窓の天使\ドールマニア&三次元美少女&ア○メイト 」なる商標を出願し、すでにこの商標登録が確定していますが、?ア○メイト およびその代理人(弁護士・弁理士ら5名)は何ら法的な根拠もなく、上記の商標出願を取り消すよう内容証明郵便にて何度も当方を恫喝し、公然と業務妨害行いました。 そして、まさにその一連の恫喝のさなかである昨年8月1日に特許庁に対して、「ア○メイト」なる商標を出願し、本年3月【商標登録番号】 第5036600号として登録商標を取得しています。 いま振り返ると、あのとき?ア○メイト 側の専門家が集団を形成して当方の抗弁にもかかわらず、長期間公然と当方を恫喝し、当方の業務妨害まで行った?ア○メイト側の行為はいった何だったのか?と思わざるを得ません。 結局?ア○メイトおよびその代理人らは、必要であればあらかじめ登録商標を行うべき自らの怠慢を棚に上げておいて、当方の正当なる商標出願を力ずくで妨害しようとしたのであり、専門家であればあの時点でも独自に「ア○メイト」なる商標を獲得できることが充分予測できたにもかかわらず、業務妨害という違法な手段によって当方の正当なる商標出願の取り下げを高圧的に要求してきたことが、より明白になりました。 当方は今回、?ア○メイト側が下記「44類」で「ア○メイト」なる商標を獲得した事実を確認したことで、昨年?ア○メイト 側が行った一連の不法行為について謝罪等を要求すると共に、改めて損害賠償請求の訴訟を行う所存です。 なお、今回?ア○メイト 側が取得した「ア○メイト」なる商標は、【商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務】 44 美容,理容,入浴施設の提供,庭園又は花壇の手入れ,庭園樹の植樹,肥料の散布,雑草の防除,有害動物の防除(農業・園芸又は林業に関するものに限る。),あん摩・マッサージ及び指圧,カイロプラクティック,きゅう,柔道整復,はり,医業,医療情報の提供,健康診断,歯科医業,調剤,栄養の指導,動物の飼育,動物の治療,植木の貸与,農業用機械器具の貸与,医療用機械器具の貸与,漁業用機械器具の貸与,美容院用又は理髪店用の機械器具の貸与,芝刈機の貸与という分野で取得しています。 おそらく?ア○メイトが得意なアニメ分野でメイドリフレクソロジー等の事業を行うことを想定してこの商標を取得したのだと思いますが、アダルトビデオやエロ同人誌を販売しているあの「ア○メイト」が、「医業」「歯科医業」「動物の治療」等の分野で「ア○メイト」なる商標を登録し、これを獲得したことのほうがスキャンダルになるのではないかと思っています。 フェラチオ文化考 2007-04-28 01:10:53 男性は恋人や妻に口腔性交を求め、多くの男性はそのまま口の中に射精し、そのまま精液を嚥下することを求めたがります。 たとえばインターネット検索で「フェラチオ」と打ち込むと、驚くほど多くのサイトが見つかり、しかもフェラチオは女性がパートナーである男性に奉仕する行為とか、そのテクニックを磨くことで男性を「とりこ」にすることができるとか、フェラチオが高度な愛情表現として位置づけられています。 しかし、フェラチオを好む男性のほとんどは自己の精液の味すら知らないのであり、パートナーである女性が口の中に精液を含んだまま男性に「くちづけ」しようとすると男性は思わず顔をそむけようとします。 大切なパートナーにフェラチオをさせておきながら、自分が射精した精液に嫌悪感を覚えるのは、とても矛盾した感覚であり、尿道を通じて排泄された精液だから「汚いものとみなす」という弁明だけでは女性が納得しないと思われます。 なぜなら「愛するパートナーに汚い精液を飲ませる」ことは、「パートナーを愛すること」と背反するのであり、それでも「口内発射」を求めるからには「愛の確認」という意味あいがそこに含まれていると思えるからです。 実は、市販されているサラダ用のドレッシングの中には精液に似た白濁したものや、精液の苦みを連想させる味のドレッシングがあり、女性用の美容液の中にもペニス様のボトルに入れられた精液に似た白濁した乳液等が存在しす。 案外メーカーは「精液のドレッシング!?」や「精液の化粧品」を研究しているのかもしれません。 ゴーヤのジュースや、「まずーいッ」でおなじみの青汁だって目隠しをして飲んだら・・・どうでしょう? ちなみに上あごの粘膜には、ある種の性感ポイントがあり、KISSのときにこの部分に舌で触れると、かなり感じる女性がおります。 フェラチオと上あごの粘膜には、何らかの因果関係があるのではないかと思うのですが。 精液と聖液 2007-04-29 01:26:21 まず、コメントを紹介いたします。 【かなり:……感じますけど…なにか? 】 【一言!:愛するパートナーの精液を汚いと思うのでしょうか?精液が汚いなら男性自身を汚いと思うはず。愛するパートナーの精液ほど神聖な物はないと女性は感じていますよ】 実はフェラチオについて書いたところ、「上アゴの裏って感じる女性が多いという意味なのか?それとも少ないという意味なのか?」との質問が結構ありました。 著者が「感じやすい上アゴの裏」に注目したのは、フェラチオと「感じやすい上アゴの裏」には相関関係があるのではないかと考えたからです。 また男性の視点から見ると、ペニスという排泄器官を直接クチに含む行為に抵抗感を覚える女性もいるため、「きたないもの」というイメージが一部の女性にあるのかなと漠然と思っておりました。 ところが今回のコメントを見ると「愛するパートナーの精液ほど神聖な物はない」とのストレートな表現があり、正直いってあのマズイ精液を「神聖」なものと思っていると断言する女性に「うらやましさ」を感じました。 これは著者の思い込みなのかもしれませんが、女性の地位の向上に伴い後背位(バックスタイル)を屈辱的な体位と考える女性や、フェラチオに同意しても精液を嚥下することを嫌悪する女性が増えているのではないかと考えていたのです。 もちろん、その一方で性愛に関して罪悪感や抵抗感がなくなり、ベッドの上で積極的に官能的快楽を求める女性も確実に増加していると思うのですが。 ちなみに「フェラチオ」という単語をブログのタイトルにしたところ、アクセス数がゆうに200を超えてしまいました。 ブログの管理画面に表示される毎日のアクセス数が突然2倍になり、思わず苦笑しております。 なお、精液と酷似したドレッシングの存在や、ペニスと酷似した化粧品(乳液類)が多い点についての女性からのコメントがありませんでした。 マトはずれな見解だったのでしょうか? 嫉妬と「やきもち」 2007-04-30 09:55:18 辞書によれば「嫉妬」とは ?「人の愛情が他に向けられるのを憎むこと。特に男女間の感情についていう。悋気(りんき)」 ?「すぐれた者に対して抱くねたみの気持ち。ねたみ。そねみ」とあります。 また、「やきもち」や「焼き餅」とは「嫉妬深い人。ねたみ深い人」と説明されています。 特に「やきもち」が強い人を「焼き餅焼き」と称して「焼」という字を2回も使用してその性格を強調します。 実は、嫉妬も「やきもち」も明らかなマイナス指向の妄想の一種であり、自分で自分を傷付ける行為なのです。 なぜなら多くの場合「やきもち」は当事者にとって「マトハズレ」な疑念であり、さらに「やきもち」には「可愛いやきもち」と、「憎々しいやきもち」があるからです。 つまり「やきもち」には明らかに「度合い」があるのであり、意図的に「やきもち」を焼いて見せることもあれば、相手の言動を一方的に解釈して自分の気持ちを高ぶらせ、愛情と憎悪の嵐に身を委ねることもあり、時に「やきもち」は殺人事件や傷害事件の動機になったりします。 脳内写生は「自分で自分を傷付ける行為」ではなく、妄想を活用して活力や創造力を高める行為なのです。 「やきもち」は、程良い焼き加減に限る・・・おあとがよろしいようで・・・ 優しさについて 2007-05-01 22:30:16 たとえば「どんなタイプの人が好きですか?」と質問されたとき、多くの人が「優しい人」と答えます。 では「優しい人」とは、いったいどんな人なのでしょうか? 「優しい人」とは、ただ甘やかすだけでワガママを許してくれるパートナーのことですか? 「優しい人」とは、何でも言いなりになる優柔不断な人のことですか? 「優しい人」とは、注意すべきときに注意すらしない人物のことですか? 「優しい人」とは、親切で思いやりがあり、あなたを大切にしてくれる人のことですか? 考えてみれば「優しい人」については明確な定義がありません。 「優しい人」とは、単に迎合的で覇気がないだけなの人だと断言したら、その「優しい人」は優しく「ハイ」と答えるのでしょうか。 「優しいひと」をパートナーにしたいと願う人は、ただ「優しい人」というイメージにとらわれているだけなのです。 本当に「優しい人」とは、いつも変わらぬ姿勢で温かくパートナーを見守り続け、いざと言うときに力強くパートナーを守ってくれる人であると思います。 ついでに申し上げれば「幸せにする」「幸せになりたい」という願望もイメージだけであって、実は何が幸せなのか具体的な欲求がまったくありません。 なにしろ何が「幸せ」なのかは、一人一人イメージが異なるのであり、「幸せ」の正体はほとんど「金銭」なのです。 それなのに「本当の幸せはお金なんかじゃない」と思い続ける・・・ これでは「幸せになれる」はずがありません。 しかし、お金だけを求め続けると「幸せ」は遠ざかってしまいます。 赤ちゃんポスト 擁護論 2007-05-02 14:45:18 「優しさ」に関するコメントがふたつありました。 【著者は? :自分を本当に優しい人だと思っていますか?貴方のパートナーは優しいと認めていますか?もし?自分は優しいからこのままでいい!とうぬぼれているなら…うぬぼれて勘違いを続ける事が幸せですね…」 著者は一見「優しい人」に見えるのですが、実は戦うこと・自分らしさを貫くことを固持する頑固者です。 このことは、1年近く続けているこの「暴言を吐くブログ」をご覧いただければ、たぶん自明のことと思います。 【優しい人が好き…:相手に優しさを求めていいのかしら?まずは自分が相手にどれだけ思いやりの心を持つかと、どれだけ相手を許せる心を持つかだと思っています】 あっ、同じ意見です、。トレランス(寛容)と忍耐・「思いつきではない思いやり」、そして献身とパートナーを守れる強さ。 これが真の「優しさ」でると思います。 「赤ちゃんポスト」の騒動も「真の優しさ」という観点からみれば、我が子を育てられなくなったと感じた人物から「おだやかな方法」で赤ちゃんを受け取り、母子双方の負担を軽減すると考えればすばらしいシステムであると著者は思います。 子育てを放棄しようと思う親に育てられる赤ちゃんの育児環境を考えれば、両者を「おだやかな方法」で引き離すほうが、両者を同居させておくよりは「少しはマシ」だからです されど赤ちゃんポスト 2007-05-03 23:51:06 【赤ちゃんをポストに:タイトルからして切なさを感じていましたが、赤ちゃんの幸福を考えるともしかしたら生きる為の希望のポストなのかしら。このブログを読み違う考え方ができました】 世論に逆らって、あえて異論・異見を述べることは大切なことなのです。 特に多数決で決まる大衆的民主主義(これを著者は「衆愚社会」と呼んでいます)の社会では軋轢を覚悟のうえで少数意見を大声で唱えることが重要なのです。 ただし、これは著者の経験ですが、「衆愚社会」において「あえて異論・異見を述べる」ことは、すなわち世間を敵にまわすことになり、結局は限りない災厄の連鎖におちいります。 そしてその災厄の連鎖のなかで、実は著者自身が大衆社会には住めない「例外者」(異人:まれびと)であったことに気付いたのです。 子作りに苦労している方には耳ざわりな言い方で恐縮ですが、あえて暴言を吐けば「赤ちゃんを産むこと」自体は、精子と卵子の出会いがあれば、さほど難しいことではありません。 問題はそのあとの子育て・育児なのであり、赤ちゃんには親を選ぶことも、生活環境もえらぶことすらできません。 特に子どもを育てる資格もない親元に生まれた赤ちゃんにとって、最悪の親・最悪の環境であっても親を選ぶことができないのです。 たとえば、生まれてみたら親は麻薬の売人だった・・・あるいは育児放棄の母親だった・・・場合、そしてどちらかの親が「子育てが困難」であると気付いたとしたら・・・ 従ってもし、「子育てができない」ことに気付いた親がいたら、せめて赤ちゃんポストを利用して育児権を第三者譲渡して欲しい、これが赤ちゃんポストの真の役割なのです。 先日、ある調査で赤ちゃんポストを利用したいと思っている方が全国で30人いるとの報道がありました。 この数字が正しい数字であるとしたら、それはむしろ祝福すべき値であると思います。 性欲と食欲 2007-05-04 14:06:14 「精液と酷似したドレッシングや、ペニスと酷似した化粧品(乳液類)の容器が多い」との著者の見解について、ある商品開発の担当者から丁重なメールをいただきました。 たとえば、「精液と酷似したドレッシング」や、女性用の乳液がいずれもペニスのようなボトル容器に入っています。 性愛懐疑派(性愛について深く考えること)として、かねてよりこの現象には強い関心があったのです。 結論的に言うと、商品開発の段階ではドレッシングも乳液も著者が予想したようにペニス様の容器に詰めることがかなり意図的に行われており、販売実績もそのほうが好調なのだそうです。 またアイスクリームに付いてくるプラスチック製のスプーンの舌触りや、ペットボトルの握り具合なども、かなり「性的なイメージこだわって」開発されるのだそうです。 またこのような戦略は、フロイトの理論(人はあらゆる「もの」と「こと」を潜在意識において性的に解釈しているとの主張)から派生したものであり、精液のようなドレッシングをサラダに降り掛けることは性欲と食欲を結合させるニュアンスがあり、精液のような乳液をペニスのような容器から取り出し、顔や躯に塗ることは 性欲を刺激し性ホルモンを活性化させるニュアンスがあるのだとか。 フロイトは性欲も食欲も、「若く美しくありたい」と願う美貌欲もすべて無意識の領域における快感原則にしたがって分離不可分に結合されて、常に無意識のうちにその快感原則の支配を受けていると主張しました。 実は著者は「フロイトの理論」と「マルクスの理論」、さらにキリスト教や大乗仏教等を代表とする「衆愚宗教」は21世紀に持ち込むべき概念ではないと思っています。 その理由は、古すぎる・決めつけすぎる・理論が随所で破綻しているからです。 したがって精液のようなドレッシングや乳液がペニス様の容器に詰められて販売されている現象をフロイトの理論で説明することに強い抵抗感があります。 むしろこのような現象は快感原則で説明するのではなく、他者が企画し商品化された性欲がドレッシングや乳液の分野まで浸透してきていると解釈したいのです。 なぜなら自分がコントロール不可能な本能的原則に支配され、常にその原則に従属していると認め屈服することは、「自分らしさと自分だけの人生を贅沢に消尽する」ことをめざす例外者にとって自殺行為となるからです。 熟慮のうえで決断した独自の生き方を貫くからには、自己以外の何ものかに従属することは屈辱でしかありません。 スパイダーマン 2007-05-05 23:48:14 ゴールデン・ウィーク中に公開された映画のなかに「スパイダーマン3」と「ハンニバル・ライジング」という2本の米映画がありました。 予告編を見ていたら今回の「スパイダーマン」には「黒いスパイダーマン」が登場するようです。 どうやら宇宙から飛来した黒い液状の生命体が主人公に取り憑くことで「黒いスパイダーマン」が出現し、このスーツを着ることで「スパイダーマン」の能力がアップするのですが、同時に主人公ピーターの心に潜む凶暴性も増幅されてしまい、このスーツは、やがて「スパイダーマン」にとって「最凶の敵・ヴェノム」(毒薬の意味)へと変貌していきます。 したがって今回は、主人公ピーターの内なる敵・内なる悪にスパイダーマンが打ち勝つことができるのかがテーマとなります。 ところで主人公ピーターの名称は読み方を替えれば新約聖書を編集した「ペトロ」なのであり、実はキリスト教にとって最悪の敵は内なるデビル(悪魔)なのですから「黒いスパイダーマン・ヴェノム」こそキリスト教におけるデビルを象徴しているキャラクターの出現ということになります。 次回は「ハンニバル・ライジング」を取り上げます。 ハンニバル・ライジング 2007-05-06 22:03:16 ゴールデンウィーク中に公開された映画「ハンニバル・ライジング」は、「羊たちの沈黙」という有名な映画の続編であり、その主人公である医学博士:ハンニバル・レクターの誕生秘話が今回のテーマになっています。 トマス・ハリス著の「羊たちの沈黙」には「レッド・ドラゴン」や「ハンニバル・レクター」という続編もあり、前回は主人公レクター自身が殺害した人物の脳味噌をサンドイッチにして食べ、しかもそれを何も知らない子どもに分け与えるという驚愕のシーンも登場しました。 ところで「ハンニバル」とは「カニバリズム」(人肉を食べることを肯定する考え)の読み方を替えたものであり、医師であり博士でもある高い知能の持ち主である主人公レクターが「羊たち」(大衆のこと)を沈黙させるような驚愕の犯罪を行うことで「大衆への反逆」(オルテガ著)を達成することが一連のテーマになっています。 この映画は例外者たる著者から見れば、主人公レクターは大衆が断じて理解できない私秘的領域をめざして強い明確な意志を持って「してはならないことをあえて行い、自分だけの生き方を突き進んだ」のであり、彼はある種の至高性(道徳や神仏抜きの解脱)のめざしたかのように思えます。 しかし残念なことに、主人公レクターは一貫して犯罪者なのであって、常にFBIに追われる境遇なのです。 誤解を恐れずに言えば「ハンニバル・レクター」はまぎれもなく著者の分身のひとつであり、同時に脳内写生によって「あえて考えてはならないことを考え、行ってはならないことをあえて行う」方法を身に付けていたら、FBIに追われることもなく、医学博士として堂々と「大衆への反逆」を達成できたのであろうに・・・と無念に思えます。 例外者ニーチェとバタイユは、共に「大衆への反逆」(大衆に理解されることを拒否する生き方)を貫きながら「あえて考えてはならないことを考え、行ってはならないことをあえて行う」生き方を貫き、犯罪者になることもなく至高性に到達し、貴重な資料を大量に残しています。 もし、レクターが実在の人物であったら、あるいは原作者トマス・ハリスがそばにいたら、著者はあの「脳味噌サンドイッチ」を一緒に食べながら、ぜひ至高性について議論してみたいと願っております 従軍慰安婦問題vs米DCマダム事件 2007-05-07 18:06:19 【サンドイッチは…:どこで買うの?売ってる?自分で作るの?】 面白い質問ありがとう、脳内写生のキオスクで買うつもりです。 もし、自分で作ったら「御用」ですから・・・ ------------------------------------------------------------ 「DCマダム」ことデボラ・パルフリー被告(50歳)は、今年3月に高級売春クラブを経営していたとしてワシントン地裁に起訴されました。 彼女はワシントンを拠点に13年間でおよそ2億4000万円を荒稼ぎしていたそうで、いまワシントンを震撼させているのが、およそ1万5000人分と噂される顧客名簿なのです。 この名簿の中には、「HIV予防のためには国際的な売春組織と戦わなければならない」と発言していた米・国際開発局の幹部の名前もあり、しかもこの人物は、マスメディアの取材を受けた直後に辞任してしまいました。 この人物の他にも、イラク戦略の策定に携わった人物やブッシュ政権内のエコノミスト、著名企業の最高経営責任者や司法省検察官・NASAの職員、空軍情報航空隊の司令官を含む軍の高官5人、さらに、世界銀行(World Bank)や国際通貨基金(IMF)、共和・民主両党のロビイストなどの氏名も記載されているのだそうです。 またABCの取材によれば、同クラブに登録していた女性も、大学教授や科学者・軍の女性将校・弁護士秘書・不動産経営者などの名前があり、副業として登録していたとのことです。 DCマダムは日頃「大学教育を2年以上受けた23歳以上の女性を派遣する」ことをウリにしており、先月30日の会見では「恥じることはなにもない。私のクラブに所属していた女性たちの多くはより高い学歴やキャリアを望んでいて、私はそれをかなえてあげたのだ。サービスは幻想的で性的なマッサージであり、合法的なもの(売春ではない)」と強調しています。 しかし彼女はかねてより、「(有罪となるのであれば)顧客1万人の電話番号を公表する。恥をかくのはワシントンの大物たちだ」と警告しており、その名簿の中には共和党や民主党の議員も含まれるとの噂もあります。 ところで売春は人類で最も古い商売であり、大衆社会においてはどんなに絶滅を企ててもけっして消滅しない必要悪の商売です。 共産圏や北朝鮮にも売春婦がいるのであり、同様にワシントンにも売春婦・コールガールは存在します。 換言すれば売春が行われていない国など皆無なのであり、ごく近年までバチカンの枢機卿が売春宿に資金を提供していたり、わが国でも神社仏閣の参拝には必ず買春行為が伴っていました。 しかし、成人した女性が自分の判断で自分の肉体を官能的快楽の手段として提供し、相手から金銭を受け取ることはむしろ国家が干渉すべきことではありません。 問題なのは強制売春・管理売春であり、いまだに従軍慰安婦が米で問題となっているのは、従軍慰安婦とは正しく定義すれば「旧日本軍が関わった中国人女性・韓国人女性対しムリヤリ強制した軍用売春であった」からです。 当時、いくら軍から金銭を授受していても、「軍用の強制売春」という事実は否定しようがありません。 ではなぜ従軍慰安婦が必要であったのか? ひとつには軍人が一般市民の女性に対し強姦等の行為をさせないため、あるいは梅毒等の蔓延防止のための方策であったことと、日々死の恐怖に直面している兵士の慰安という目的があったのです。 わが国の従軍慰安婦問題は、まずこの「必要悪」というところから釈明すべきすべきでしょう。 兵士でなくても若い男性は、あたかも犬が自分の縄張りにマーキングするように、若い男性はチャンスさえあれば出来るだけ違う相手を探して女性を口説き性交したがります。 実は本人も、どうしてガールハント(毎回異なる女性を求めての徘徊・女漁り)するのか、その意味をまったく自覚していません。 どこかに幻のピンクの花芯があるのではないかとか、どこかにもっと強烈なエクスタシーがあるのではないか、どこかにもっといい女がいるのではないか・・・と、大衆の男達は求め続けます。 そして、こうした妄想がある限り売春は絶えないのであり、旧日本軍の一兵卒から米政府の高官までもが売春婦に手を出してしまうのであり、さらに需要があればそれを供給しようとする女性たちも絶えることがありません。 結局、ワシントの高級コールガール騒動も、わが国の従軍慰安婦問題も「根っこ」はほとんど同じであり、60年の年月を経ても本質は変わっていないのです。 生殖と性交 2007-05-08 22:00:06 今日、札幌で桜が満開になったとのニュースがありました。 今年は東京の桜が福岡より早く開花しましたので、約40日間掛けて札幌まで北上したことになります。 ところで満開の桜は非常にエロティックな光景であり、満開の桜を愛でることは桜の生殖器と性行為を眺めることでもあります。 生殖や性交には「静的な行為」と「動的な行為」があり、植物の性交・生殖は汗が飛び散ることもなければ歓喜の声を上げることもない、静かで穏やかな行為に終始します。 一方動物の生殖・性交は異性を惹きつける行動や、メスを奪い合うオス同士の激しい争いを伴い、時には血が流れ、うめき声を上げエクスタシーに打ち震えます。 至高性に到達したとき、例外者は男性でもなく女性でもない、動物でもなく植物でもないn個の存在となり激しいエクスタシーを覚えながら同時に静かで穏やかで満ち足りた感覚に包まれるのです。 たぶん満開の桜もこのような充足感のなかで生殖行為を行っているのかも知れません。 猟奇的な彼女 2007-05-10 17:44:45 映画「猟奇的な彼女」と言うほど極端ではなくても、交際中の女性が突然泣き出したり、突然連絡がつかなくなったり、やっと連絡が付いたと思ったら「別れたい」とか「もう会うことはやめよう」と言い出したり、すぐイライラするとか、すぐ気分が悪いとか、まるで2重人格であるかのようにめまぐるしく性格が変わったりする女性がいます。 「あっ、私のことだ」と即断しないでください。 著者が思い出しているのは著者が20代の頃のことなのですから・・・ あの頃は恋愛に不慣れであったり彼女の不安定さや非常識な行動・我が儘に振り回され、いつもイライラしていたのですが、実はいつの間にか気まぐれな彼女に魅せられてしまい、彼女の気まぐれさがむしろ彼女の最大の魅力であることに気づいたのです。 あとで判ったことなのですが、彼女は思春期の女性特有の不安定ではなく、根っからの天の邪鬼・猫のような不服従・愛されても愛さない・天衣無縫・傍若無人なのです。 最近、若い女性がワガママで、協調性に欠けるタイプが多いと聞きましたが、とうとう彼女の子孫が繁栄し始めたのかな?と・・・まさかね。 わいせつ画像 2007-05-10 00:44:28 色っぽいコメントを頂きました。 【桜の下で…:気持ちも体も白になり。でも桜に見つめられるとだんだん体が桃色に変わりトロケマス。桜愛】 これがオトナの女の色気なのですね。しかも満開の桜と渾然と「まぐわう」なんて、実に素晴らしい! 桜とも恋愛ができ、桜の花にも抱かれることができるオンナ・・・ 性愛懐疑派として、例外者として、このブログの読者にのなかにこのような知的な読者がいたなんて、まさに奇跡ですね・・・ ところが大衆社会では、妻に携帯電話に保存していたわいせつ画像を見られ、激高した妻を夫が絞殺するという事件がありました。 この夫婦の間では、これまでも夫婦げんかのたびに妻が物を投げるなど暴れたため、この日夫はやむなく妻を殺害したと供述している。 夫は取り調べに対し「申し訳ないという気持ちはない。人を殺すことは正しいとは思わないが、家族や友人に被害が及ばなくてよかった」と供述しているのだそうです。 ちなみにこの夫婦は、今年2月に婚姻届を出したばかりで、6月に挙式の予定でした。 いったい、妻が激高し、絞殺に至るような「わいせつ画像」とは、どのような画像なのでしょうか? 恋人よ〜 2007-05-11 17:51:20 やっぱり、来ました。予期していたとおり、二つのコメントがありました。 【今お幾つ?:昔の彼女を思い出したり若い頃の恋愛を懐かしんだりするって事は…歳をとったという事ですよ。著者は現役で現在もラブゲームを楽しんでいる方だとかってに想像していました】 歳を取らない人はいないし、若い男は中身がカラッポ・・・たぶん著者は、中身が多い方だと思いますが・・・ ラブゲーム?いいえ!ゲームはしません。「恋はいつでも初舞台〜♪」・・・真剣ですから。 【???:即断しないでください…と書いてあるから、奥さんか?今も彼女がいるんじゃないか!と推理】 大切なパートナー有り。しかも「とても人間とは思えない相手」と同居中。 この「とても人間とは思えない相手」について、いつか特別編をやりたいと思っています。 乞うご期待!! お尻フェチ? 2007-05-12 20:15:53 メキシコ市で1万8000人が参加した全裸の集団ヌード撮影が行われました。 米の写真家スペンサー・チュニックさん(40)が開催したイベントであり、大勢のボランティアの協力によって実現したのだそうです。 チュニックさんによれば「メキシコが芸術としての裸をどう自由に受け入れるか」心配していたようですが、無事1万8000人の集団ヌード撮影が成功したとのことです。 彼はヌードを「ポルノや犯罪などではなく、幸せや思いやりのイメージでとらえてほしい」と日頃願っており、今回の集団ヌード撮影もこうしたメッセージが込められているのだそうです。 欧米では市民が下着姿や裸でデモ行進することは珍しいことではなく、今回の撮影にはほとんど批判はなかったそうです。 「ヌードは芸術である」と安直に肯定するつもりはありませんし、同様に「ヌードはポルノだ」と否定するつもりはありません。 むしろ真の芸術とは、大衆が理解できない領域のものであるべきであり、創作する者も被写体も演技者もそれを見る者も、かなり高度な知的レベルが求められる べきであり、また商業芸術と真の芸術は明確に区別されるべきものと思います。 ところで今回の集団ヌ−ドを見て驚いたことは、我が国だけの現象と思っていた「お尻の形の崩壊」が欧米でも進行していることでした。 近年男女のヒップの形がドンドン悪くなっているのであり、パンツスタイルの普及がよりその現実を強調していると感じていたのです。 形が良くて位置が高く、引き締まった丸いお尻が、どうして絶滅してしまったのでしょうか・・ 性的虐待 2007-05-13 23:58:04 ある女性から突然「子どものころ、実父による性的虐待を受けていた」との告白を受けました。 米国等ではこうした事例は「案外よくあること」なのですが、わが国では非常にマレな実例であり、実例に遭遇することはめったにありません。 従って、とても貴重な体験談を聞かせていただきました。 「実父による性的虐待」は、とても痛ましい事例であり、彼女はPTSD(心的外傷後ストレス障害)による小児喘息や自律神経失調症・鬱病などの心身症を発症し、現在結婚を考えずに、女性として自立することをめざしているとのことでした。 また彼女は大学で上野千鶴子氏らのフェミニズムや女性学を学ぶことで忌まわしい記憶を克服しようと努力してきたのだそうです。 しかし彼女のこれまでの努力には敬服しますが、著者は女性が「実父による性的虐待」を受けたと記憶している行為が詳細に調べて見ると、その多くが幼少期に父親とお風呂に入った際に、父親が幼い娘の性器を石鹸で洗った時の記憶等が「性的虐待」としてトラウマになって残っているケースがほとんどなのです。 特に日頃父親が娘に対して粗暴に対応していたり、幼い娘の扱いに不慣れなために娘の性器を洗うとき父親が少々乱暴に振る舞ってしまったことが、幼い娘の記憶の中で父親の行為が「性的虐待」として受け止められたり、大人になってから何かのきっかけで父親が嫌いになると、「後づけ的」に幼少期の記憶を蘇らせ、「実父による性的虐待を受けていた」というラベルを記憶の引き出しに貼ってしまうこともあるのです。 上記の女性はPTSDのために大変な苦労をしてきたのであり、そのうえ辛い作業とは思いますが、できればもう一度過去の記憶を整理し、はたしてその記憶がどのくらい鮮明な記憶なのか一度自問自答して欲しいと願っています。 実は、そうした作業を通じて誤解がとけたり、つらい記憶がつらい記憶でなくなることもあるからです。 夢と現実 2007-05-14 23:59:06 コメントが届いていたのに、お返事が遅れてしまいました。 【知りたいです:パートナーと同居人の違いを知りたいです。大人って不思議ですね‥夢と現実の違いとしか当方には理解できないんですな】 「パートナー」とは性愛懐疑派(性と愛について深く考えること)である例外者(大衆社会に決別した選ばれた少数の知的で異質な存在)が至高性(神仏や宗教・道徳・常識・社会規範等にとらわれない解脱・悟りのこと)をめざすための「命がけの戦友」「相棒」のことであり、「同居人」とは同棲・居候(いそうろう)・夫あるいは妻等の親族・伴侶のことです。 決して夢と現実の違いではありません。 できちゃった結婚 2007-05-15 22:17:08 最近の芸能界は「できちゃった結婚」が相次いでいます。 元「モーニング娘。」の辻希美(19)や、安達祐実・吉岡美穂・知念里奈・石川亜沙美とこのところ「できちゃった結婚」が連続しています。 離婚騒動の竹内結子、広末涼子も同じでパターンでした。 それにしても皆さん、有名になったとたんに大事な仕事を捨ててすぐ妊娠し、結婚してしまう。 今どきの若い女性タレントは、プロとしての自覚がまったくなく、腰掛け感覚でタレント活動しており、有名になりたから芸能界に飛び込み、有名になってチヤホヤされたら、もうそれで満足してしまうのでしょう。 プロ根性など始めからなく、すぐ妊娠してしまうということは、計画性もなければ性交しても避妊すらしないということなのです。 昔の女優や歌手は「芸に生きる」と私生活を犠牲にしてでもファンのために芸を磨いたものです。 ところが現代は、「仕事」より「結婚」が優先されます。 これでは若いタレントに振り回されるファンが可哀想です・・・ 公然の秘密でしたが昔から妊娠する芸能人は何人もいました。 でも、もし妊娠がバレたら芸能人として活動できなくなるから、盲腸とか風邪とか適当な病名を付けて入院させ、中絶させたりしていたのです。 もし国内で堕ろすとマスコミに漏れるため、こっそり海外で堕ろした芸能人もいました。 そして中絶の際に「父親」の欄に署名捺印することが、マネジャーの仕事でもあったのです。 ですから何度も中絶して体を壊すタレントもおり、そのために引退した女優もおりました。 でも「赤ちゃんポスト」のことを考えると、赤ちゃんが堕胎により犠牲にならないだけ「できちゃった結婚」はマシなのかもしれません。 ファンの皆さん、誠にお気の毒です。 猟奇的な彼 2007-05-16 12:13:10 1.福島の高校3年生が母親を殺害し、その母親の切断した頭部を持って警察に出頭した生首自首事件。 17歳の彼は、先月抗不安剤などの投与を受けていた。 (こうした事件は思春期特有の情緒不安定から起きる錯乱であり、わが国では5〜6年置きに発生しています) 2.スカートを履き女装した51歳の痴漢が、JR山手線外回りの新大久保−池袋駅間の電車内で、乗客の女子大生(25)の下半身を触ったとして池袋駅のホームで女子大生に取り押さえられた。 彼は女装が趣味で「女装していれば捕まりにくいと思った」と供述している。 (女装趣味の男性が女性に対して痴漢を行ったとしたら、彼は男性として女性に触れたいという性欲と、女性になりたいという願望の両方を保有していたことになります・・・女子大生アッパレ!) 3.東京都町田市の都営アパートに住む男から「女性が風呂の水を飲んで意識を失った」と119番があり、救急隊員が駆けつけたところ、室内には都内に住む区立中学の女子生徒(14)が倒れていた。 女子生徒は救急車で搬送されたが、水を飲んだ形跡はなく意識不明の重体。 警視庁町田署は同日夜、この部屋に住む男を覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで逮捕し、女子生徒が重体になった経緯についても追及している。 逮捕されたのは会社員(39)は、この女子生徒と一緒に生活していたとみられる。 (脳内麻薬ドーパミンやβエンドルフィンは、モルヒネの数千倍の快楽物質であり、完全な合法ドラッグで副作用もありません。この脳内麻薬は自分だけのオリジナルな性欲を妄想というファンタジーのなかで育てると、非常にリアルな「白昼夢」と共に大量に脳内に分泌されます。 脳内写生研究所はこの分野の研究を行っており、麻薬撲滅にも貢献しています。 調教師!? 2007-05-18 10:19:58 【知りたいです PART?:パートナーは男。同居人は女。著者はバイなわけでしたか…脱帽でした】 残念ですが、著者はホモセクシャルでもなければバイセクシャル(男女両性を性愛対象とする者)ではありません。 「残念」と思うのは、脳内写生という修法の中では性別も人格も人間であることも超越した「至高の聖なるもの」と一体になることができるのですが、現実の世界では男性を性愛対象とすることが困難です。 ただし、著者のパートナー(同居人ではありません)は、女性の「着ぐるみ」をまとった凶暴な野生のライオネスという一面を持っています・・・ もしかしたら、「人間とは思えない同居人」と「女性の皮を被ったライオネス」とお付き合いする著者は、ある種の「猛獣の調教師」なのかもしれません。 ライオネス:続報 2007-05-19 10:02:59 昨日のブログに「『人間とは思えない同居人』と『女性の皮を被ったライオネス』とお付き合いする著者は、ある種の『猛獣の調教師』なのかもしれません」と書いたら、案の定・メールや電話をたくさん頂きました。 【私も聞きたい!:二人の女性を、気持ちも体も満足させているの?平等に扱うの?】 【妄想でしょ:すべて妄想だからいくらでも満足させられるよ。このブログは著者の妄想の物語なんだからさ】 【この方は愛妻家 (著者の知り合いです):日頃、愛のない結婚をしたとか、レスキューの為の結婚と話をしてますが、これは他の女性を口説く為の決め台詞のようです。とても他に相手がいるなんて信じませんよ】 【決め台詞があるのに:相手がいないんじゃ・・・ 一人芝居。よほど空振り】 おやおや・・・。 とうとう「著者の知り合い」までブログに登場して面白くなってきましたね。 実はある女性から「私って猛獣なの?」と真顔で尋ねられたり、「私は女の皮を被っているけど、その下はたしかに猛獣、でもアナタは知らないけど、実はそれも被り物でロシアのコケシのように何重にも被り物をしているから私の正体は判らないはず」などと「念押し」されたりしました。 (いえいえ、とっくに気付いておりましたよ!微笑) ところで「知り合い」さんが書き込んだように、もし「他の女性を口説く為の決め台詞」があるとしたら???→「他に相手がいるなんて信じませんよ」との結論に至るのではなくて、「実は相手が他にもいる」という結論に至るのではありませんか? 著者は「猛獣の調教師」それともハーレムの「絶倫王」!?もしくは妄想のなかで「一人芝居」している「あわれな空振り男」なのかもしれません。 何度も言いますが、著者は「誤解されることが名誉」と思う異質な例外者ですので、皆さんから様々なコメントをいただくと、もっと誤解されたくなる性分なのです。 追伸:著者の「知り合い」である「愛妻家」説をコメントした方を、いま著者は一番「レスキュー」したいと切望しておりまする。またカラオケやりましょう! ミクシイ風? 2007-05-20 00:17:26 なんだかこのブログが急に「mixi」風になってきたようです。 【つまらない。 このブログは何を聞いても正解を出さないので、もう読まない】 はい、そうしてください。 至高性とは、判らない人には判らなくていい、判る人にだけ判ればいいのです。 【代わりに正解を:調教とは女性に対して失礼な言葉だから使いたくないが、著者夫妻は太郎次郎夫婦。まぁ正解です、次郎妻を持つ太郎夫は妄想の世界に逃げたくなるだろうなぁ…】 著者が「調教師」という言葉を用いたのは「猛獣」に対してであって、女性を調教するという意味ではありません。 「調教師」と言うよりは、むしろ「猛獣使い」と言うべきでした。 ところで脳内写生は「妄想の世界に逃げる」ことではなく、自ら妄想やファンタジー・白昼夢を強化してその世界に飛び込み、耽溺することなのです。 したがって、同居人が「この世のものとは思えない」人物であったとしても、またパートナーが女性の皮を被った猛獣であったとしても、逃げる必要はありません。 たとえ両者に喰い殺される危険があっても、猛獣使いは猛獣に妄想やファンタジーという栄養を与え、手なずけるのではなく、ますます獰猛(どうもう)で無邪気な気質を引き出すのです。 【よく働く (関係者):働き者の奥様ですよ。 いつもなりふり構わず働いていて、立派です】 同居人がこの書き込みを見たら喜ぶかもしれません。でも実はドジ・アホ・マヌケ100連発!「この世のもの」とは思えない、吉本喜劇トレード確実・・・状態なのです。 【レスキュー?:お断りします。カラオケ〜お断りします】 あらら・・・残念!じゃワインでフレンチ? 【妄想!:著者は立派じゃ。一人の女を何人もの女に仕立て上げ妄想するんだからな】 はああ?えええ?な、なに?(×L×) 美尻と胸の谷間 2007-05-21 00:22:06 コメント:【ショックでした:この世のものとは思えないほど素敵な人だと想像していたのに。この世のものと思えないほどヒドいって!あぁ幻滅】 中国には「美人で聡明な女ほどつまらない男と付き合い、イケメンで知的な男ほどつまらない女と付き合う」(かなり意訳しておりますが)と言う古いコトワザがありますから・・・世の中そんなもんですよ。(苦笑) 【他人から:なりふり構わず女を捨てて、後ろ姿は男?に見える。しかし、例外者からは吉本に見える。立派】 笑って誤魔化さないと「やってられないぜ」と言う世界もあるのです。(爆笑) 【ところで:相手の方々は著者をどう思っているの?そろそろ目線をかえてみよう】 残念ですが同居人および至高性のパートナーから「そろそろ内輪のネタはやめて欲しい」との申し出がありましたので「目☆線」はもっと違う方向へ移そうと思います。 m(_ _)m -------------------------------------------------------------------- 以前、美尻が絶滅寸前であるとブログに書いたら、周囲の女性から「それは好みの問題でしょう?」と言われてしまいました。 また体型補正下着という分野があり、胸の谷間と同じように、なんとお尻の形も簡単に作れるのだそうです。 それは胸の谷間を作るために上半身のお肉を掻き集めてブラの中に押し込むやり方と同じで、お尻の形を良く見せるために腰周りのお肉を掻き集めてガードルの中に押し込み固定するというやり方であり、両者は同じテクニックなのです。 しかも調べていたら、なんと「つけ尻!」というアイテムがあることが判りました。 この「つけ尻」は、ヌーブラと同じプルプルした人肌のような素材で作られており、HPを見たら「美尻と足長は人間工学に基づいて作られたヒップアップ用特殊シリコンにお任せ♪」とありました。 しかもモデルさんの「使用前・使用後」のお尻の写真に「これがハリウッド式の 付け尻ショーツをはいた瞬間ヒップアップです」と堂々と表示されていたのです。 ちなみに「人間工学に基づき、体の動きを変える下着」で検索してみたら、以下のような商品が見つかりました。 体型を気にする方は参考にしてください。 ?アシックスの「大腰筋強化スパッツ」は骨盤の内側にある大腰筋に負荷をかけ、鍛える機能があり、ダイエットしたい人に受けて売り切れる店舗が続出している。 大腰筋はインナーマッスルであり背骨を支え、姿勢を良くする。逆に大腰筋が弱ると猫背になるとか。 さらに同社は第2弾として「肩バランスアップ」のための下着も開発。この下着は肩甲骨の位置を補正し、肩こりを軽減する。 ?ワコールの「おなかウォーカー」・ウイングの「スタイルアップパンツ」は、歩き方を補正する下着であり、Y字型に腰を支える伸縮性素材が歩く時の後方への蹴り出しをサポート、歩幅を広くし、腰全体にひねりを加える。 これにより歩き方がきれいになり、姿勢が良くなるという。 ?ユニクロの「ドライコンプレッションスパッツ」は、慶應義塾大学と同社が共同開発したスポーツウェア、BODY TECH(ボディテック)の製品。伸縮率が異なる素材を組み合わせることで、運動機能をサポートする。ドライコンプレッションスパッツは筋肉にぴったりと張り付くことで、筋肉の内圧を高め、力の分散を防ぐ。素材は薄く、インナーとして使える。 こうした下着はテーピング技術の中から誕生した技術であり、人体の動きを補助すると同時に、生体に備わっている角速度センサーや圧力センサー・メカノレセプター(機械刺激受容体:靭帯や半月版、足の裏などに分布)を刺激、筋肉を活性化させ体型が矯正されるのだそうです。(情報はすべて受け売りです) 著者だけが「美尻が絶滅寸前である」と感じていたのではなく、ホントは下着メーカーもスポーツメーカーもそのことに気付いていたのでした。 でも、こうなると「脱ぐか」「脱がせるか」まで、お互いの本当の体型が判らないことになるのです・・・ つけ尻:続報 2007-05-22 01:10:39 【イケメンだと:自分で言ってしまうなんて、よほど自信があるんだ、会ってみたい〜〜〜】 お会いすることは「やぶさか」ではありませんが、著者はすでにどこかで「アナタ」にお会いしているような気がします・・・ ---------------------------------------------------------------------- さて、つけ尻の続報です。 ある読者から貴重な情報を教えてもらいました。 なんと2006年のカンヌ国際映画祭で「女優賞」を受賞したペネロペ・クルスは昨年の新作映画で監督から「付け尻」を着用するように言われたのだそうです。 この映画は『リターニング』という原題で、彼女はソフィア・ローレン風の主婦の役を演じたのですが、その際監督から「体の曲線が足りない、下半身にもっと曲線が必要だ」と言われたとか・・・ そこで彼女は用意された「付け尻」をお尻に貼り付けたところ、この「付け尻」が気に入って、撮影終了後も持ち帰りたいと語っていたのだそうです。 そして、どうやらこの「付け尻」がもう商品化されてしまったという訳なのです。 やっぱり「アイツはお尻フェチだ」といわれそうですが、女優さんが撮影後も持ち帰りたいと言い出すほど、「つけ尻」は凄いものらしいのです。 どなたか、試してみませんか? 食欲・性欲・物欲 2007-05-23 11:38:53 人間の本能的欲望はおおむね快感(心地よいこと)に対する欲求にもとづいており、人間の三大欲望と言えば ?食欲(空腹に対する恐怖心・美食飲酒に対する欲求) ?性欲(子孫を残したいとする生殖への欲求・官能的快楽にたいする欲求) ?物欲(所有欲・独占欲・支配欲・ブランド品等の購買欲)が、代表的な欲望でした。 また三大要望に「睡眠欲」を加える人もいれば、「美しくなりたい(やせたい・オシャレ命)」という美貌欲が強い人もおり、「有名になりたい」とか「モテたい」「愛されたい」という欲求が強い人もいます。 ちなみに唯一人の性愛懐疑派である著者は、「自己の性欲が外部や他者によって企画され商品化された性欲(ヌードグラビアやポルノビデオ等)に操られている」現実に強く反発しています。 なぜなら自己の本能に関わる部分を他者に委ねたくないからです。 ところが現代社会はあらゆる欲望が商品化されており、食欲ですらメディアが提供する情報にもとづいて「あれを食べてみたい」という欲求が生まれています。 そして最近では「食」に関する情報がさらに細分化され「自然食」を指向する人もいれば、スナック菓子やファーストフード・ジャンクフードに傾倒するひともおります。 また同時に「食にこだわる食の資格」も増えてきて「雑穀ソムリエ」(日本雑穀協会の検定制度)や、「ベジタブル&フルーツマイスター(通称・野菜ソムリエ)」とかワインの「ソムリエ」、「利き酒師」「日本茶インストラクター」「日本茶アドバイザー」「日本茶マスター(通称:茶ムリエ)」「デザートクリエイター」「中国種酒類鑑定士」「ビアアドバイザー」「焼酎アドバイザー」「シガーアドバイザー」「パーティーコーディネーター」「家庭料理技能検定」(女子栄養大学)「食生活アドバイザー」「ハーバル・フード・オーガナイザー」(日本ハーブ振興協会)「国際薬膳師」等枚挙にいとまがない状況です。 もちろん、これらの資格はあくまでも民間資格であり、内容がない資格もあれば、充実した内容の資格もあります。 しかし、実は「食にこだわる」ことは。文字通り「こだわり」であって、何かに「従属」したり「所属」することであり、「心が食にとらわれている」状態なのです。 古来より仏教界では「食(物欲)にとらわれた者」を「餓鬼」(がき)と称して、厳に戒めなけれならない「とらわれ」と見なされてきました。 医食同源と言われ、食べることは健康の源ではあるのですが、食に傾倒することはあくまでも大衆社会の現象であって、志が高かったかつての宗教家や哲学者は皆「質素な身なり・質素な食事」を旨としてしていたのです。 尻の谷間 2007-05-24 23:35:16 また、お尻フェチの話題か・・・と思われそうですが、実は著者の仕事を手伝ってくれている若い女性が、このところズーッと「ヘソだし」「半ケツだし」ファッションなのです。 彼女はスタイルも良く、とても働き者で良く気が付き、来客の応対も申し分ない魅了的な人なのですが、このところ忙しく動き回っているうちにズボンがずり落ちてきて、しゃがみ込んだ時ふと後ろから見ると、尻の谷間がクッキリと見えているのです。 「さぞや、いい眺めだろう」ですって? それがそうでもないのです。 著者が「お尻が見えてるよ」と指摘することが批判がましく受け取られるのではないかとか、 指摘したことで「お尻が見えていたことをなぜ今まで黙っていたのか」と勘ぐられないかとか、 今時このくらいのファッションは当たり前ではないのかとか、 年輩の女性の来客からみると反感を買うのではないのかとか、 あるいはお尻が見えていることを教えてやることが、無防備な彼女を守ることになるのではないかとか・・・ 著者はアレコレ考え、戸惑いを覚えているのです。 たかがファッション・されどファッション。 げに悩ましきは、尻の谷間ではなく、本人が「気に入っているファッション」と「周囲が期待するファッション」が必ずしも一致していないときの落差なのかも知れません。 変化球の行方 2007-05-25 14:33:14 昨日のブログについて、コメントが「殺到」しています。 ただ、そのコメントを引用すると彼女がますますキズ付くだけなので、今回は引用いたしません。 著者は「尻の谷間」について「戸惑い」を述べただけで、彼女を批判したつもりはありませんでした。 こうした服装は街にあふれており、ごく日常的に散見されることであり「時代の流れ」なのかなと思っておりましたので・・・ ブログとは、ある種バーチャルな世界なので著者の発言が著者のホンネではないかも知れません。 また批判と受け取れる発言も、実は婉曲な変化球や裏返しの魔球であるかもしれないのです。 昨日のブログを良く読んでくだされば、著者はけっして彼女を批判していないことが、お判りいただけると思うのですが。 ブログ「脳内写生」1周年 2007-05-26 10:17:03 昨年5月27日にスタートしたこのブログは、早いものでちょうど1年経ちました。 このブログは、昨年3月末に福岡市中央区の大名小学校前にオープンした「飾り窓の天使」というファンタジー気功のサロンに併設された「脳内写生研究所」の情報発信ツールとしてスタートしました。 そして、大衆社会ではタブー視されている性愛に関して真面目に深く懐疑(思索)しつつ、選ばれたごく少数の、知的で異質な例外者に向けて「判る人に判ればいい、判らない人にはわからくていい」との強烈なメッセージを発信してきました。 その結果、平均すると常に120名以上の読者がおり、こんなに多くの熱心な知的な例外者が潜在していたのかと本当に驚かされる1年間でした。 いま振り返って見ると昨年8月10日のブログから始まる(株)ア○メイト からの執拗かつ横暴な恫喝や、今年元日から始まり3月16日までの期間に集中的に論じた「至高性」(神仏ぬきの解脱・さとり・心的陶酔)に関するメッセージなど、実に異例・異質・異端の「暴言を吐くブログ」にふさわしい(?)内容となりました。 実は6月中旬をメドに「飾り窓の天使」がリニューアルされることになり、このブログも「引っ越し?どきかな」と思っています。 「飾り窓の天使という訳のわらないサロンを見てみたいな」とかねてよりお考えの読者は、ぜひこの機会に見学しておいてください。 なお、「飾り窓の天使」は、今後東京に進出の予定です。 衆知とは? 2007-05-27 23:55:20 【コメント:引越先にもお邪魔します】 著者がもっとも嬉しいのは、「沈黙せる至高性を求める例外者」がこの世界のどこかにいて、著者が発信する異質なメッセージを静かに受け止め、じっと懐疑(深く考える)してくれているという実感をひしひしと感じるときです。 大衆に誤解され、大衆に誤解されることを名誉と確信し、それをあえて実行したサド・ニーチェ・バタイユの時代はインターネットもブログもメールもありませんでした。 したがって、ニーチェのように難解な書物を刊行して大衆を攪乱したり、サドのよに大衆と決別すべく自ら独房に入り、外部から施錠されたとき同時に独房の内部からも施錠することで大衆から決別する道を選んだのです。 「衆知を集める」とか「世論のちから」に期待などすべきではありません。 誰もが考えること、誰もが思い付くことに価値などないのです。 大衆は所詮、烏合の衆であり群盲です。 たとえば「Wiki」というソフトは、大衆から情報を集め「衆智」を集結することで内容をアップグレードしてゆくシステムであり、フリーのオンライン百科事典「Wikipedia」がその代表的な事例ですが、いくら「衆知を結集」しても人知を超える叡智は誕生しません。 常に異質であること、異質であることを誇りに思うこと、あえて異質なことを考えること、あえて考えてはならないことを考えること、そしてあらゆる規範を侵犯すること、脳内写生による至高性という陶酔と陶酔を獲得すること・・・しかも犯罪者にならないこと。 あなたはそこをめざしてください。 いつかお会いできるかもしれません。 不倫と淫行 2007-05-28 22:51:49 先日、妊娠中の妻がいる教員が女子高生と不倫をしており、その女子高生の親から教員が未成年者に対する淫行罪(淫行処罰規定違反)として告発されていた裁判で、実に興味深い「無罪判決」がありました。 その判決によれば「真剣な交際であれば、たとえ未成年者との不倫であっても淫行とは言えない」(判決要旨)との見解であり、この裁判の被告である教員が真剣に交際していたために淫行には当たらないと判断されたのです。 ところで、はたして「真剣な交際」とは、いったいどのような交際なのでしょうか? 「真剣な交際」とは、結婚を前提にした交際のことなのか、それとも「愛してる、ホントに真剣なんだ」とどちらかが言えばいい交際のことなのか、あるいは相思相愛の熱愛ラブラブなら「真剣な交際」と言えるのか???とても曖昧なのです。 たとえば妊娠中の妻がありながら、教員が女子高生と不倫しても不倫同士が「真剣な交際です」と言い切れば、妊娠中の妻は泣き寝入りしなければならないことになるのです。 なぜなら妊娠中の妻は夫の不倫相手が成人女性であれば、夫(教員)との婚姻関係を危うくしたとの理由で「慰謝料」を不倫相手に請求できるのですが、不倫相手が未成年であるため妊娠中の妻は「慰謝料」も請求できないからです。 そもそも淫行条例とは、「本来いかなる理由があろうとも16歳以下の女性と性交してはならない」という条例であったはずであり、別名(通称)「恋愛規制条例」と批判されたこともあったのです。 上記の判決は「真剣な交際」という条件を付けたことで、この条例をほとんど形骸化してしまいました。 上記の裁判は「妊娠中の妻」「教員」「女子高生」と三つもデリケートな問題が絡みながら結局無罪になったのであり、もし普通の独身成人男性が女子高生と「真剣な交際」をしたとすれば、それは淫行ではなく「合法的な性交である」と判断されやすくなるからです。 著者は16歳以上であれば未成年であろうと双方合意の性交は法律が干渉すべき問題ではないと思います。 またこのブログで何度も主張しましたが、売春についても管理売春以外は国家が干渉すべきものではないと考えています。 でも著者自身は買春の経験もなく、また未成年との淫行の趣味もなく、むしろ成熟したオトナの女性や知的でスリリングな会話が楽しめる女性が好みです、念のため。 ミス・ユニバース2007 2007-05-30 12:59:59 ミス・ユニバース2007で日本代表の森理世さんが優勝しました。 一部スポーツ紙が韓国の代表と写真を間違えて掲載するというドタバタもありましたが、わが国の一部の女性がようやく世界レベルの美女になってきたことは喜ばしことです。 美人コンテストに関しては、男性が女性を観賞用と見なしているとか、水着審査が女性蔑視であると非難されています。 このため最近のミスコンでは、国際性とか知性・自己表現力とかボランティア活動の経歴までもが審査対象となっています。 しかし、美しいことは女性の一つの特権であり、美しい景色や美しい絵画・美しい彫刻を無心で美しいと「見とれる」ように、女性でも男性でも「美しい女性」をただひたすら美しいと眺めることは決して非難されるべきことではないと思います。 もともと「鑑賞」とは、「無心で見とれる」ことであり、我を忘れるほど見つめることなのです。 実は忘我の鑑賞という視点で今回の日本代表を眺めて見ると、なぜか「もの足りなさ」を覚えるのですが・・・ それは美しさ以外に「国際性」とか「ファッション性」等の不純物が多いためではないのか?と感じるのですが、これは著者だけの印象なのでしょうか? ミスコン問題 2007-05-31 23:34:12 【プロデュース:優勝させるためのプロデューサーがいるんですよ。合宿までして凄い辛いレッスンをするんです。去年・日本は二位、その人の力で今年は一位をとれたんです】 なるほど・・・ これまでは、米国やベネゼェラにあるモデル育成クラブ出身の女性たちがミスユニバースやミスインターナショナルを独占してきたようです。 ようやく我が国にもそうしたプロデューサーが出現したわけですね。 ところでミスコンに出場する彼女たちは「美容整形」しているのでしょうか? どこまで美容整形が許されるのか、基準があるのでしょうか? もしかしたら、かなりミスコン事情に詳しい方のようですので、差し支えなければ教えてください。 処女崇拝というわけでもないのに、ミスコンはなぜか未婚の女性に限られています。 なぜ「ミスコン」は「ミス」でなければならないのでしょうか? 離婚経験がある女性は「ミスコン」出場できなのでしょうか? シングルマザーは? 児童買春 2007-06-01 22:28:25 児童買春の逮捕者が相次いで逮捕されました。 教育番組担当のNHK出向職員・郵便局職員・テレビ北海道等で司会務めるタレント・茨城の産経新聞販売店店長などです。 また先月大阪市内に住む少女(16)に売春させたとして少女の義父(49)と、この少女に売春相手を紹介した男女が職業安定法違反(有害業務紹介)と児童福祉法違反容疑で逮捕されています。 この少女の義父は、売春させられると知りながら出会い系サイトで売春をあっせんしていた仲介者らに引き合わせ、大阪市内のホテルで売春させたのだそうです。 その後、少女が地元署に逃げ込んで事件が発覚しました。 少女は義父の妻の連れ子で、妻は5年前に死亡。少女は義父に小学生時代から性的暴行を受けていたと供述しています。 ちなみに、この少女と逮捕された義父は戸籍上、現在も親子関係にあるそうです。 どうして彼らは少女をお金で購う(あがなう)のでしょうか? 自分に自信がないから? それとも支配的な立場でいられるから? あるいは性的に未熟な者相手であれば「ヘタクソ」でもバレないから? 5月28日のブログで紹介した判決のように、児童や少女と淫らなことをするならたとえ不倫であっても買春するより「真剣な交際」をすべきです。 えっ?恋愛は「ウザイ」ですって? モーニング娘。 2007-06-02 23:21:52 ミーハーな話題で恐縮ですが「モーニング娘。」のリーダー藤本美貴(22)が1日、同グループを脱退しました。 (ミーハーという用語を使うと相当古い世代と思われそうですが、この言葉は今でも立派に通用します。ちなみに「ミーハー」とは低俗な話題に熱中することです) 愛称ミキティーの脱退理由はお笑いタレント(31)との交際が発覚したためだとか。 アイドルグループ「モーニング娘。」には多くの未成年者が所属しており、彼女はそのアイドルグループのリーダーとして「約束を破るようなことをした」との理由で脱退を申し出のだそうです。 しかも彼女のリーダー在任期間は「たった26日間」でグループ史上最短でした。 同グループでは2年前にリーダーの矢口真里(24)が男性俳優(24)との交際発覚で脱退したり、最近では加護亜依(19)が喫煙と男性問題で解雇され、さらに辻希美(19)が「できちゃった結婚」で休業したりとスキャンダル続きでした。 ところで「多数の未成年者が属するグループの一員としてのあり方」とか「リーダーである自分自身へのケジメとしてグループを辞めたい」とか、とても「イマドキのアイドルタレント」とは思えない古風な発想をするのでしょうか? かつて清純派アイドルタレントは「恋愛とスキャンダルは御法度」で「可愛子ブリッコを演じる」等のイメージづくりを重視し、「吉永小百合はトイレにも行かない」という神話まであったのです。 あれから40年も経っているのに交際発覚で脱退とは、あまりにも時代錯誤もはなはだしいと思いませんか? アイドルタレントには恋愛の自由すら認められていないのでしょうか? アイドルタレントが「作られた商品」であるとしても、恋愛の自由すら認められていないとしたら「基本的人権」も認められていないことになります。 はたしてファンは本当に彼女の脱退を納得しているのでしょうか? ファンよ立ち上がれ! 愛するアイドルタレントの恋愛の自由を擁護しよう! ゴスロリ 2007-06-03 12:55:56 ゴスロリとは、メイド系ではなく、むしろランクがかなり上の「お姫様系ドール」とか「お嬢様系ビクトリアン」と呼ばれる「ゴシック ロリータ スタイル」のことであり、「ゴスロリ」のキーワードでネット検索するとかなりのサイトがヒットします。 ロリータとは、ナボコフ著「ロリータ」(1955年刊)という題名の小説の主人公である美少女(12歳)の名前が由来であり、本来は大人の男性による少女性愛嗜好がテーマの小説でした。 特にこの小説は、思春期直前の少女にあらわれる微妙な性的な魅力を作家であるナボコフが「ニンフェット特有の倒錯した魅力」として巧みに描写した小説であり、社会的に多大な衝撃と影響を残した難解な作品としても有名です。 またこの作品に由来して「ロリータ・コンプレックス」と命名された心理学用語が生まれ、「10代前半の少女に特別な感情を抱く大人の男性」の性愛嗜好として分類されるようになりました。 さらにわが国では、「ロリコン」「ロリ」等と省略されることが多く、最近では心理学用語本来の意味を離れて、幼女や少女を性愛の対象とする男性を表す言葉として一般的に用いられています。 なお、ロリコンの類義語には「少女愛」「児童性愛(ペドフィリア)」があり、対義語として「少年愛」(大人の女性が10代の少年を性愛対象とするもの:ショタコン)があります。 上記の「ゴスロリ」とは成熟しつつもあどけない小公女のイメージを、ファッションとして取り入れたある種の流行であり、ニッセン等のカタログ通販にも「ゴスロリ」が取り上げられたことがありました。 実は今日、偶然電車に完璧な「ゴスロリ」ファッションの少女が乗って来ました。 レースたっぷり、リボンたっぷりのフワフワ・ドレスで、車内が一瞬注目したほどです。 あれは池袋駅でしたから、たぶん「おとめロード」の帰りなのでしょうか。 ところが電車が発車したとたん、その少女が大声で同乗していた友達と会話をはじめたのです。 それがひどい乱暴な話し方で、しかも少々言葉にも訛りがあり、話題も「定期代が高くてたまんねーよ」と言うとんでもない内容でしたので、皆ビックリ! 完璧な「ゴシック ロリータ スタイル」をしていても、それはファッションとしての「ロリータ」であって、大人の男性を惑わすような「ニンフェット特有の倒錯した魅力」ではなかったのです。 コスプレするなら、その間だけ中身も化けて欲しかった・・・ セーラー服姿と警察官とパンツ 2007-06-04 23:04:12 昨日のブログで「モーニング娘。」を取り上げたら490件のアクセスがありました!ゲゲゲッ・・・ さて、先日鹿児島市でパチンコ店のアルバイト男性(24)がセーラー服姿で他人の家に侵入し、洗濯して干してあった女性の下着1点を盗み逮捕されました。 女装して下着泥棒?という倒錯した犯罪は時折あるのですが、この事件で面白いのは下着泥棒が侵入した家がなんと警部補の家であり、しかも警部補はこの日非番のため自宅におり、さらに警部補は妻の知らせで約50メートル犯人を追いかけ、路上で犯人を取り押さえたことにあります。 「面白い」と思うのは、泥棒が窃盗しようと侵入した家がなんとお巡りさんの家だったと言うオチが付いた笑い話と、下着泥棒を捕まえて見たらセーラー服姿の女装男であったと言うほほえましい性癖と、娘のパンツを取り戻したお巡りさんの手柄話しが渾然としており、さらにもう少し想像すると「犯罪の証拠品」として押収された警部補の娘さんのパンツが、警察署の同僚に見られたり、その後取り調べに当たる検察官や裁判官等に「犯罪の裏付ける資料」とした「しっかり見られてしまい、娘さんもお父さんである警部補もかなり恥ずかしい思いをする」というオマケまでついた事件になるのです。 ちなみに男が着ていたセーラー服は、警部補宅に忍び込む直前に近くの住宅で盗み、駐車場の隅で着替えたものだそうです。 もし彼が「豊かな妄想を楽しむこと」(脳内写生)を知っていたら、先に女子高生のパンツを盗み、次にセーラー服を盗んだはずです。(あッ、これは冗談ですよ) お肌について 2007-06-05 12:56:15 女性は「他人に見つめられると美しくなる」とか「いいエッチをするときれいになる」と言われています。 しかしその一方で、荒淫は確実に女性の肌を荒らすのも事実であり、手当たり次第に男と寝たからといって、決して美しくなることはありません。 でも素敵な恋をしている女性は確かにイキイキと輝いて見えるし、突然きれいになった女性から、しばらくして「婚約しました」と告げられて「ああ、やっぱり」と納得したことも何度かありました。 また、ある女性は「なんで私のカラダとお肌は、こんなに判りやすいのかな?」と嬉しそうにボヤいておりました。 なんでも彼女は「いいエッチをするとお肌がツルツルになり、便秘も解消してお腹スッキリ」とノロケておりました。 これは深い恋情と満ち足りた性交によるホルモンの変化のせいと言われていますが、性交の際に女性のお腹の中を男性自身がたっぷりと掻き回すことで、大腸に溜まっていた宿便が排出され、その結果肌がツルツルになる・・・のではないか? こんなこと書いたら彼女に殴られるだろうな。 チョイ悪おやじ・ヒゲおやじ 2007-06-06 20:46:39 コメント【彼女に…:殴られましたか?】 股間を蹴られました(笑) いま、ヒゲをはやす男性が増えているのだそうです。 「チョイ悪おやじ」のブームと、団塊世代が退職を機にヒゲを伸ばし始めたのが大きな原因だとか。 女性にとってヒゲは「チクチクして痛い」ものである反面、ヒゲは男らしさの象徴、あるいはヒゲは「男だけのアクセサリー」でもあります。 著者の場合、毎日ヒゲを剃っていると顔の皮膚が「カミソリ負け」してヒリヒリしてしまうので、人前に出る機会がない日は、あえて不精ヒゲを伸ばすことにしています。 もともと皮膚が弱かったため、思い切ってヒゲを伸ばしてしまおうかと考えたこともあったのですが、結局人前に出る仕事をしていると来客の反応も考慮しなければならず、今日まで来てしまいました。 もちろん、著者にとってヒゲが「似合う」のか「似合わない」のか、自分でも良く判らなかったことがヒゲを伸ばさなかった最大の理由でもあります。 一部のイスラム教の国では成人男性はヒゲを生やすことが社会通念として定着しているようですが、それは「男らしさ」を強調し、女性を威圧するものでもあるのです。 従って、最近流行の「チョイ悪おやじ」のヒゲも、もしかしたら「ワルぶること」と「男らしさの象徴であるヒゲ」を組み合わせることで、めっきり弱くなってきた男権社会の復活を目論んでいる「きざし」と見ることもできそうです。 いずれにしろ、女性から見たら「チョイ悪おやじ」もヒゲ男の増加も、所詮「男どもの子供っぽい、ささやかな反抗」でしかないのですが・・・ 年間性交回数 2007-06-07 22:43:00 昨年もこの話題に触れましたが「Dr.北村 ただ今診察中」のブログ「第130話」で、今年の調査でも日本人のセックス回数が世界で最下位であることがグラフ付きで解説されています。 この調査は世界の性意識・性行動調査(デュレックス・グローバルセックス・サーベイ)で、世界26ヶ国の26,000人以上がこの調査に参加しています。 この調査によると一年間でセックスの回数が最も多いのはギリシャで164回(二日に1回)、ブラジルは145回、ポーランドとロシアは143回でした。 今回の調査の世界平均は103回であり、我が国の年間性交回数は最下位の48回(約8日に1回)でした。 Dr.北村も述べていますが、セックスは回数ではなく濃厚度や満足度のほうが重要なことは言うまでもありません。 しかし、現在のセックスに満足している人はごくわずかであり、残念ながら「性交回数」も重要な目安であることは間違いありません。 しかし、この調査は恋人同士や夫婦間の性交回数を調査しているのであって、売春・買春・少女に対する淫行・浮気は含まれていません。 もし、これらのアンケート調査に含まれない非合法性交を含めるとしたら案外、我が国はかなり上位に食い込んでくるのではないかと推測しています。 それからこの調査には男性特有の「ミエ」の問題が潜んでいると思うのです。 男性は「何回エッチしますか?」と聞かれたとき正直に答えるよりも、ちょっとミエを張ってしまうのではありませんか? だとしたら、この年間性交回数は少々マユツバ・・・ということになるのです。 セックス満足度 2007-06-10 14:59:34 年間性交回数の調査では、性交回数だけでなく「セックス満足度」についても調査しています。 そして満足度が高い国はナイジェリア(67%)、メキシコ(36%)、インド(61%)の順であり、逆に満足度が低いのは年間性交回数が最低の日本(1%)、フランス(25%)、香港(29%)となっています。 フランスは性交回数が年間120回であるにもかかわらず意外と満足度は低く、性交は回数が多ければ満足するというものではないことがこの調査でも裏付けられました。 また、性交回数が多くても、それは男性側の「自己中心的ひとりよがりセックス」にすぎず、女性側から見ると満足度に不満が残ることになるでしょう。 また、セックス満足度の調査自体が男性側の「満足度」と女性側の「満足度」では満足の度合いに違いがあるのであり、「女性がセックスに満足している」と回答しても「心的に満足している」場合と、「官能的快楽の深さに満足している」場合では満足度の基準そのものにも違いが生じるはずです。 それはさておき、我が国のように性交回数が少ないだけでなく満足度も低いとなると、やはり何か問題があるのでしょう。 次回はこの問題について論じてみます。 性愛コミュニケーション 2007-06-11 14:39:30 性交回数が少ない・満足度も低いという調査結果の続きです。 性愛に関する国際的な調査で、「満たされたセックスに必要なのは何か」にはという問いについて、 男性は「より強い性欲」(29%) 「パートナーと一緒の時間」(38%) 「さらなる楽しさ」(34%)と答え、 女性は「愛情・優しさ・情熱」(43%) 「パートナーとの一緒の時間」(38%) 「さらなる楽しさ」(37%) と回答しており、男性は性欲重視・女性はロマンス重視であることが裏付けられました。 そもそも性愛は原則として二人の合意の上での営みであり、それだけに相互理解やパートナーを尊重し、お互いの性愛に付いて深く話し合う必要があります。 ところが現実的には、性愛に関する話題を持ち出すと、ほとんどの人はニヤニヤ笑い出してしまい、むしろ真剣に性愛について話し合うことをを避けようとします。 そして、それでもなお性愛を論じようとすると、「エロいやつ」とか「スケベ」と思われたり、「いやらしい人」とみなされてしまうのです。 これでは「お互いの性愛に付いて深く話し合う」ことすらできない状況なのです。 特に女性は性器という自己の身体の重要な部位について、触れることも語ることも見ることも聞くことも嫌がるのであり、満たされた官能的快楽にはパートナーとのコミュニケーションが不可欠であるはずなのに心すら開こうとしません。 ちなみに、上記の調査で「セックスを楽しめない理由」について回答をまとめたところ、日本人女性では、 セックスの痛み(67%) 計画外の妊娠(28%) 腟の乾き(17%)を経験しており、 男性では勃起が持続しない(32%) 勃起不全(28%)などを経験していると回答しています。 特に性交痛について、我が国は世界と比較して約2倍の高い結果が出ています。 これでは性愛コミュニケーションなど成り立つはずもなく、合意の形成すら「あやしい」状況と言わざるを得ません。 それとも我が国の男性諸氏は、おしなべて巨根なのでしょうか? 性交する大脳 2007-06-12 19:16:12 コメントが二つ届きました。 【考えますね:私は満足してないから、また新しいコミュニケーションをトリタクナルのかもね、でもめんどくさい時でも仕方なし(゚-゚)に夫や妻の相手をしてあげる時ってあるでしょ?皆さん?後ろめたさか^_^;ら相手してごまかす時アルヨネー?】 確かに義理や成り行きで、仕方なく性交に応じることはあると思います。 しかも仕方なく性交に応じたはずなのに、結局はカラダが反応してしまい思いがけず「イッテシマッタ」ということだってあるはずです。 でも、「相手をしてあげる」とか、「後ろめたさから(性交の)相手をしてごまかす」ことはパートナーにとって失礼なことであり、上野千鶴子氏が主張する「したいときにする権利・したくないときにしない権利」というフェミニズムの思想にも反した主体性のない行為でもあるのです。 特に性愛懐疑派は、動機や理由・利害が絡む性交をすべきではないと考えています。 著者は今年1月10日のブログ「不純な性欲」の中で、性交について以下のように述べました。(長文ですが引用します) 「もし、本物のエクスタシーを知らずに死ぬなんてまっぴらだと思うなら、性欲に多くの妄想を与えて活性化させることだ。 人間の性器は大脳の中にある。 激しい性欲が大衆のささやかな平安を乱す「呪われたもの」ならば、例外者はあえて脳の中で性欲を強化すべきだ。 いかなる性欲も断念せず、あらゆる快楽の開花をめざせ。 全身全霊で官能的快楽をむさぼれ。 大衆にとって性交は単なる肉欲の吐けくちでしかないが、例外者にとって性交やエクスタシーは宗教以外の方法で聖なる至高性に向かう唯一の手段なのだ。 では、どのようにしたら商品化された性欲や外部からの性欲の刺激、あるいは「ペニスとヴァギナの幻想」から解放されるのか。以下はそのための忠告である。 単なる性欲で衝動的に性交してはならない。 遊びで性交してはならない。 愛を獲得・維持するために性交してはならない。 親密さを維持・確認するために性交してはならない。 孤独や寂しさを逃れるために性交してはならない。 他者とつながるために性交してはならない。 好意を求めて性交してはならない。 独占・所有・支配・和解・憎悪を理由に性交してはならない。 優越感・自尊心を満たすために性交してはならない。 義務・義理・権利のために性交してはならない。 いつわりの愛・演技で性交してはならない。 愛や恋の名目で性交してはならない。 地位・権力・出世・へつらいのために性交してはならない。 相手をあやつる手段として性交してはならない。 なにかを要求する見返りとして性交してはならない。 疲労・不満・ストレスの吐けくちとして性交してはならない。 習慣・間隔・惰性・暇潰し・成りゆきで性交してはならない。 無力感・倦怠感を埋めるために性交してはならない。 妥協のために性交してはならない。 好奇心・興味本位で性交してはならない。 人数・回数・テクニックを誇示するために性交してはならない。 スキャンダルを起こすために性交してはならない。 射精を目的に性交してはならない。 性交を強要してはならない。 妊娠および出産を目的に性交してはならない。 換言すれば、大衆はじつに多くの理由から性交しているのだ。 だが理由や目的・相手のある性交は、理由や目的に従属したものであり、性欲に不純物を含んでいる。 また、他者によって企画されたアダルトビデオやポルノをいくら見ても、エロティシズムの本質が判るものではないし、自己の固有の性欲をつかめるものでもない。 オーガズムを手がかりに、聖なるエクスタシーに到達するためには、その人固有の内奥の隠された純粋な性欲・オリジナルな性欲を発見する必要があるのだ」 【あなたも:回数をアンケートされたら見栄をはりますか?】 無記名非公開のアンケートであれば正直に回答しますが、性愛懐疑派として公開を前提にお答えする場合、たぶん著者は控えめに回答すると思います。 正直に回答しても、たぶん「見栄を張っている」っと勘ぐられると思いますので・・・ またそれ以前に、著者にとって年間性交回数を計算したり、思い出すことのほうが苦痛なのです。 なぜなら至高性に関わる性交(脳内写生)は「生きて戻れない」かも知れないという覚悟が必要だからです。 コメント 生きて戻れない? (蛍) 2007-06-12 21:41:55 私の大事な方は、戻れないというより、射精するとさらに元気になり、活き活きとします(^・^) ならないが多いナ (Unknown)2007-06-12 22:37:51 ハッキリ言ってよ。どうしたら?どんな場面ならしていいのかしらね 苦痛 (Unknown)2007-06-13 03:44:50 思い出すことが苦痛とは気持ちいいセックスしてないって意味にも… 再び至高性について 2007-06-13 14:20:35 594件を超えるアクセス、ありがとうございました。 いったい何が皆さんの関心を惹いたのでしょうか? まず、届いたコメントを紹介します。 【生きて戻れない? (蛍):私の大事な方は、戻れないというより、射精するとさらに元気になり、活き活きとします(^・^) 】 あっ、うらやましいな、それを真の「絶倫」と言うのですよ。 しかもただ射精するだけでなく、性交によってパワーアップすることは至高性(神仏・宗教・道徳ぬきの悟り・解脱・覚醒)があることになり、蛍さん自身もかなりレベルの高い至高性を有していることになります。 【ならないが多いナ:ハッキリ言ってよ。どうしたら?どんな場面ならしていいのかしらね】 そうですね。確かに判りにくいと思います。 なにものにもとらわれない心・なにものにも従属しない、所属しない生き方・なにものでもない自己をめざすこと、自分が他者とは違う自己であることに専念すること、そしていかなる打算やシガラミにとらわれることなくエクスタシーに没頭すること、これが脳内写生の奥義なのです。 だだしここまで到達した者はサド・ニーチェ・バタイユ等数人であり、それ以外の者は芸術家になったか、性犯罪者として処罰されています。 【苦痛:思い出すことが苦痛とは気持ちいいセックスしてないって意味に・・・」 過去の官能的快楽をいちいち回顧するヒマはないし、次なる機会に備えるべく新たなファンタジーを脳内にチャージしているので、過去の官能的快楽を回顧することが苦痛と言う意味なのです。 性交が苦痛なのではありません。 コメント 絶倫! (蛍です。) 2007-06-13 17:32:40 私の大事な方を絶倫と言う文字で表現してほしくないです。真の絶倫も少し違います。説明できない事が残念ですが、性愛性交性技を私を通じてエネルギーにかえて生きているようなお方です。著者も独自の性愛法をお持ちのようなのでコメントしました。それと蛍はただの女です。ただの女を磨いて性長させてくれたのが私の大事なお方です。著者は捜しているんですよね?パートナーを…そこが私の大事なお方との違いです。 コメント 蛍さん… (Unknown)2007-06-14 01:41:04 秘密がありそうでとても興味アリですわ 暗闇で光るオシリ 2007-06-14 11:57:23 興味が湧くコメントがありましたので、紹介します。 【絶倫! (蛍です):私の大事な方を絶倫と言う文字で表現してほしくないです。 真の絶倫も少し違います。説明できない事が残念ですが、性愛性交性技を私を通じてエネルギーにかえて生きているようなお方です。 著者も独自の性愛法をお持ちのようなのでコメントしました。それと蛍はただの女です。ただの女を磨いて性長させてくれたのが私 の大事なお方です。著者は捜しているんですよね?パートナーを…そこが私の大事なお方との違いです】 【蛍さん…:秘密がありそうでとても興味アリですわ】 著者も同感です。 蛍さんの性愛のパートナーは、かなりハイレベルな例外者であるようです。 宗教や道徳・常識等にとらわれることなく官能的快楽を味わい、その妄想のエネルギー「自分らしい生き方」に惜しげもなく使い果たし(こうした生き方を蕩尽といいますが)、しかもパートナーである蛍さんまでオトナの女として「磨いて」しまうのですから、その例外者は数百年に一人出現するかしないか・・・と言うレベルの方だと思います。 しかも現実社会において性犯罪者になることもなく、大衆社会にも適応しているとすればサド・ニーチェ・バタイユ以上の知的な存在といえます。 たぶん断られると思いますが、「脳内写生」の同士として一度蛍さんとそのパートーナーに是非お会いしたいと願っております。 なぜ断られるのか、ですって? 例外者は常に孤独であり、いかなるものにも所属せず、なにものにもとらわれません。 このため例外者は互いに連帯することを求めなくなるので、外部に広がることもないのであり、もし外部に広がったら、その異質さゆえに大衆によって排斥されてしまうのです。 コメント 誉めてますか? (Unknown) 2007-06-15 01:36:40 ブログをよんでますが、人を誉めたなんて初めてですよね。意外です。 あなたにも (蛍のヒカリ) 2007-06-16 02:42:53 パートナーが見つかったら、お会いしましょう。2対1じゃ、ツマラナイ 富士山と芸者 2007-06-15 12:37:26 誉めてますか?:ブログをよんでますが、人を誉めたなんて初めてですよね。意外です】 なるほど!著者も意外でした。 思わず誉めてしまうほど、蛍さんのコメントが素晴らしかったのです。 ------------------------------------------------------- 「ミスユニバース2007」で日本代表として48年ぶりの快挙を成し遂げた森理世さんについて我が国での評価がいまだに2分されています。 「ミス・ユニバース」は米国のトランプ財団と全米ネットのNBCテレビが共同出資するミス・ユニバース機構が主催しているミス・コンであり、毎年約80カ国からそれぞれの国の代表が出場しています。 同機構の広報担当によると、出場者は水着審査で健康的な肉体をチェックし、ドレス審査で着こなしと表現力を、面接で内面の美しさが審査され、「全世界の女性が手本とすべき女性」を選び出すのであり、この審査基準は55年間も変わっていないのだそうです。 また出場経験者によると、ミス・ユニバースの特徴の一つは普段の生活態度や人との接し方が観察され、会場審査会は1日だけであっても各国の代表は約1カ月前に開催国(今年はメキシコ)に結集し、審査会当日まで各地で交流会を催したり、HIV撲滅のチャリティー・オークション等に参加します。 そして、こうしたイベントを通じて出場者が「初対面の人とうまくコミュニケーションできるか」とか「疲れた時でも笑顔でいられるか」が試されるのだそうです。 なぜならもしミス・ユニバースになれば、その後1年間にわたってニューヨークを拠点に世界各地を回ったり、HIV撲滅運動等に参加しなければならず、その間各地のミス・コンテストで王冠を渡したりメディアへの取材等、そのスケジュールは超過密となることは必至であり、審査の段階からその試練に耐えられるかが観察されているのだそうです。 それなのにいまだに「えっ?なぜ彼女が選ばれたの?」という印象がぬぐえないのは、我が国の美人女性のイメージと外国人が抱く日本女性の美人のイメージの間にかなりの開きがあるからではないかと思います。 著者は決して森理世さんを「ブサイク」であると断言しているのではありません。 そうではなくて、著者から見て森さん以上に美形と思われる外国人女性が他にもたくさん出場していたのに、なぜ今回彼女が優勝したのかという疑念があったのです。 そして最近になって次第に判明してきたことは、西欧にはいまだに「フジヤマ・ゲイシャガール」(富士山と芸者)という抜きがたい日本のイメージがあり、外国人から見た日本女性の理想が「ゲイシャガール」にあるのではないか?という事実でした。 こうした視点から今回選ばれた女性の着物姿やメディアでの立ち振る舞いを見てみると、彼女が優勝した理由が少しは納得できるようになりました。 つまり彼女は外国人好みのジャポニズム的美人なのであり、外国人が抱く「ゲイシャガール」のイメージを上手に上品にアピールすることで大多数の外国人審査員を魅了したのです。 コメント 芸者ガール (Unknown)2007-06-15 16:39:19 舞子さんじゃなくて芸者ガールが日本女性のイメージなんでしょうね…。外国人と歩く日本女性をチェックすると皆さん薄い顔してますもんね。今回のNo.1はズバリ外国人好みの日本女性ですもんでも、飛行機おりた時から審査が始まっているんですよ。あっぱれ日本! 日本女性の美徳 2007-06-16 10:26:32 【芸者ガール:舞子さんじゃなくて芸者ガールが日本女性のイメージなんでしょうね…。外国人と歩く日本女性をチェックすると皆さん薄い顔してますもんね。今回のNo.1はズバリ外国人好みの日本女性ですもん。でも、飛行機おりた時から審査が始まっているんですよ。あっぱれ日本!】 「外国人好みの日本女性」といえば博多人形があります。 細身でたおやか(姿・形・動作がしなやかでやさしいさま)で慎み深いのが日本女性のイメージであり、多くの外国人男性は日本女性を妻にしたい女性と密かに思っているのだそうです。 特に欧米の女性に比べ日本女性は羞恥心が強く、昔は男性の前で着替えたり化粧しない・男性を敬う等の恥じらいとか謙譲・謙遜が美徳とされてきました。 ところが最近の日本女性は他人の前で平気で「いちゃいちゃ」する・メイクする・胸元に手を突っ込んで胸の形を整える・肌を露出する・髪を弄る(いじる・もてあそぶ)等、日本女性の伝統や美徳が見受けられません。 著者ですか?あいにく「とても人間とは思えない伴侶」と現在も「強化合宿中」です。 【あなたにも (蛍のヒカリ):パートナーが見つかったら、お会いしましょう。2対1じゃ、ツマラナイ】 「2対1じゃ、ツマラナイ」? 蛍さん、この提案は下世話な表現をすると3Pとか4Pをお望みなのかしらん?(笑) コメント 博多人形? (Unknown)2007-06-17 04:39:30 京人形でしょ。 クリトリスの退化 2007-06-17 14:40:32 【博多人形?:京人形でしょ。】 なるほど、鋭いですね。ただ著者の好みは表情豊かな博多美人人形なのですが・・・ --------------------------------------------------------------- 性愛懐疑派として、かねてから研究してきたテーマがあります。 それは着物を常用していた時代と洋装が普及した時代では、女性の官能的快楽の深さが大きく違っている可能性があるという仮説なのです。 着物を常用していた時代は腰巻きとか肌襦袢(はだじゅばん)が女性の下着であり、生理の時でも股間を圧迫するものを使用しない「ノーパン」が当たり前の時代でした。 これは有名な話しなのですが1932年12月16日、当時新装なったばかりの東京・日本橋の白木屋デパートの四階玩具売り場のクリスマスツリーの電飾から出火し、火はたちまち全館にまわり約600人の客は逃げ場を失いました。 このため消防車23台・ハシゴ車3台のほか軍隊まで出動し、屋上へと逃げた人の救助策として、7機の飛行機から数十本のロープを投下し、このロープを地上にたらして救出するという方法が取られました。 ところが当時の女子従業員らは全員和服であり下着を履いていなかったため、着物の裾の乱れを気にしてロープによる脱出をためらい、結局14人が死亡し重軽傷者130人を出す惨事となりました。 そしてこの事件を契機に我が国の女性も下履き(パンティー・ドロワーズ)を装用するようになったのだそうです。 (ドロワーズについてはネット検索してみてください。萌え系の世界でもかなり盛り上がっています) 以来、我が国の女性は下履きだけでなく、ガードルやパンスト・スパッツ等を履き、さらに最近では太股(ふともも)やお尻にピッタリと密着するジーンズやスラックスを常用するようになりました。 このように幾重にも股間を圧迫し、街を闊歩したり自転車をこげば当然女性の外性器に強い摩擦が加わり、クリトリスの包皮も自ずと自己防御のために厚くなってきます。 この結果、現代女性は官能的快楽のセンサーでもある性器の感度が鈍くなり、やがて性欲自体も衰退してしまう可能性が高いのです。 たとえばある解剖学学者が、かつて東大に保管されていた昭和初期の女性の性器と現代女性の性器を比較し、「陰核が退化しているようだ」と述べたことがあります。 もちろんこれはまだ仮説なのですが、実は著者の経験では女性に恐怖心を与えることなくクリトリスの皮膜をさりげなく除去すると、女性は急速に官能に目覚め積極的に性愛を求めるようになります。 「その皮膜をさりげなく除去する」方法ですか? それは性愛懐疑派・例外者の秘法ですから公表いたしません。 でも思い当たるフシがある女性もいるはずです。 あのときから急に敏感になったのはなぜ?・・・と。 ちなみに時間はかかりますが、「その皮膜をさりげなく除去する」簡単な方法がひとつだけあります。 それは女性が極力「ノーパン」で生活し、股間を圧迫しないことなのです。 男性の皆さん、パートナーに協力していただけるといいですね。 コメント 思い当たる (Unknown)2007-06-18 01:05:07 ふしがある女性がいるって事は秘法じゃないんじゃない!のかね? 皮を (Unknown)2007-06-18 03:40:56 取った女性が沢山いると言いたいんだろーさっ、自演か、自慢か、 クリトリス論争 2007-06-18 19:02:09 【思い当たる:ふしがある女性がいるって事は秘法じゃないんじゃない!のかね?】 では、もう少し詳しく説明しましょう。 唇の粘膜が自然に取れることがあるように、クリトリスの先端の皮膜(表皮)も偶発的に取れることがあります。 その場合、自然に取れた皮膜の下には、すでに新しい皮膜が形成されていますので、皮膜が自然に取れても表皮が極端に過敏になることはありません。 なぜならこうした粘膜の自然剥離はある種の脱皮現象であり、指で軽く触れたり入浴中に股間を洗う等の行為で容易に自然剥離が起こるからです。 一方著者が「秘法」と言ったのは、全体の約90%以上が恥骨の内部に深く埋没しているクリトリスの1/3くらいの粘膜を、女性に恐怖心を与えることなく穏やかに除去する方法のことです。 除去した約径約2cmの粘膜は肉眼で確認することもできます。 これは余談ですが20年以上前に、恥骨の内部に深く埋没しているクリトリスをブラジルのある外科医が手術で掘り出して扇状に広げ、膣の入口に移植するという不感症改善法を発表したことがありました。 そのときヨーロッパの女性からかなり問い合わせが殺到したそうですが、同時にキリスト教徒から「不謹慎である」との強烈な批判が殺到したとの報道を覚えています。 【皮を:取った女性が沢山いると言いたいんだろーさっ。自演か、自慢か】 著者はクリトリスの皮膜を取ったことを自慢したわけでもありませんし、自作自演でもありません。 また、ただクリトリスの皮膜を取ればいいと言うものでもありません。 性愛懐疑派および至高性をめざす例外者は、官能的快楽を外部に依存したり、ポルノ・ビデオのように「他者によって企画され商品化された性欲」に振り回されることを拒否しつつ、自己およびパートナーの官能領域の拡張と脳内写生(妄想の強化)に専念します。 上記の「秘法」は、そのごく一部・初期レベルにすぎません。 コメント どうしたら (Unknown)2007-06-19 04:26:15 あなたに会えますか? 問い合わせ先 2007-06-19 22:13:07 【どうしたら:あなたに会えますか?】 ときおり、こうした問い合わせがあります。 この世でも、あの世でも、福岡でも、東京でもお会いすることは可能です。 できれば福岡市中央区大名にある「飾り窓の天使」(kazarimado-tenshi.com)というファンタジー気功のサロンのホームページの中央にある「メール」ボタンをクリックし、メールにて連絡先をお知らせください。 「飾り窓の天使」の店長ジュンジュンさん(女性)が「いたずらメール」でないことを確認してから著者にメールを転送してくれます。 もし、お会いするとしても必ずジュンジュンさんを同行しますのでご安心ください。 なお、6月20日から福岡市中央区大名にある「飾り窓の天使」は、店長ジュンジュンさんが急遽帰京するためファンタジー気功(登録商標)をとりやめ、7月より足指マッサージのサロンとしてリニューアル・スタートいたします。 帰京後、ジュンジュンさんは都内で「飾り窓の天使」をオープンするための準備を始めます。 その間、パソコンの移動等で上記のアドレスのメールが一時的にチェック出来なくなりますが、このブログは今後も継続する方針です。 コメント 店長でございます。 (ジュンジュン)2007-06-19 22:35:19 福岡の皆様大変お世話になりました。東京の「飾り窓の天使」でまた、お会いしましょう(o^_^o)そして私に会いたい方も著者さんが同行するでしょーねー(笑) それでは私は少し背中の羽根をヤスメマス。ありがとう! ペニス鍛錬法 2007-06-20 16:10:10 クリトリスを敏感にする方法を論じていたら、男性側から男性器の官能的快楽を強化する方法はないのかとの質問がありました。 男性器の機能を強化する方法と言えば、一般的には「男性器をいかに鍛錬するか」というペニス鍛錬法と混同されてしまうのですが、実はペニス鍛錬法は「いかに女性を悦ばせるか」といったテクニック論の延長上にある技法であり、自分のペニスの感受性を向上させようとする試みではありません。 むしろペニス鍛錬法は、ペニスを物理的に鍛えてペニス自体の感受性を鈍くしようとする試みと言えます。 そうではなくて、男性の官能的快楽そのものを深めるためには、ヒトは脳で性交しているのであり、官能的快楽は脳で感じていることを直視する必要があります。 著者および性愛懐疑派は脳の中のオリジナルな妄想やファンタジーを強化することで、脳で感じている官能的快楽を深め強めることができると主張しているのであり、物理的にペニスの感受性を高めようと言っているのではありません。 もしペニス自体の感受性を向上させたら、ペニスは敏感になりすぎて男性は皆早漏になってしまうでしょう。 また脳の中で妄想だけを暴走させたら、男性は皆性犯罪者になってしまいます。 大衆は単に妄想を強化すると、性犯罪者か早漏になる宿命なのです。 重要なのは妄想を少しづつコントロールし、これを白昼夢として楽しむことであり、この訓練を重ねながらペニスが脳の快楽センサーとして機能するように脳を鍛えることなのです。 やや表現が抽象的になりますが、ペニスが脳の快楽センサーと化すとき、ペニスは昆虫の長い触角のようにデリケートな感覚器官となり、あたかもパートナーである女性の子宮の内壁を長い触覚で撫で回すようにサワサワと動き始めます。 著者のこうした表現に強く魅せられた方はいませんか? 脳内写生とは、このようにファンタジーの翼を広げ、白昼夢の世界を自在に飛び回ることであり、脳の中に様々な妄想を蓄え、その性欲の強烈なエネルギーを至高性のために活用する試みなのです 男性の性欲 2007-06-22 00:26:57 男性は性的に100%興奮すると射精してしまうので、性交中は興奮しすぎないように性欲や官能的快楽をセーブし続けています。 これは大変矛盾したことであり、男性は「気持ちよくなりたいのに、それを我慢し続けている」哀れな存在と言えます。 もし「気持ちよくなりたいので、オレは我慢はしない」と決めたら、その男性は早漏になるか、レイプ犯となるでしょう。 女性の読者の皆さんにはちょっと不快な話題で恐縮ですが、男性がいかに哀れ(愚か)な存在かレイプを例に説明しましょう。 米国では数分に1回どこかでレイプが起きていると言われるほどレイプが多いのですが、裁判記録や被害者の供述をもとにレイプ性交時間を算出すると、その平均所要時間は約2分であり、3分〜5分掛かることは珍しいと言われています。 それは「人目に付かないため」とか、「あわてている」ためと解釈されるのですが、実は多くのレイプ事件ではかなりの頻度で犯人が興奮しすぎてしまい、挿入直前に女性の「ふともも」にペニスが触れたただけで、膣口付近で射精してしまう事例も多いのだそうです。 このため被害女性はレイプされたと思い込んでいても、医師が診察すると膣内には性交の痕跡が認められないことも実際にあると言われています。 それほど男性は性的に興奮してしまうと自己制御が効かなくなり、未性交のままでもひとたび射精してまうとそれで「性交したつもり」になり、レイプ犯はこの「性交したつもり」という中途半端な気分が鬱積するのでレイプがやめられなくなり、これが原因で次第に犯行がエスカレートして行くと言われています。 このため米国のレイプから身を守るための護身術の中には、挿入前に軽く抵抗しながらふとももで巧みにペニスを挟み込み、レイプ犯を射精さる方法を教授するグループも存在します。 こうすることで犯人の性欲は一気に減退するので、その隙に犯人の股間を蹴り撃退するのです。 外部からの性的刺激→勃起→性交→射精という単純な性交パターンにとらわれている限り、官能的快楽が真に満たされることはありません。 官能と堕落 2007-06-23 09:51:45 ここしばらくクリトリスのことをテーマにブログを書いていたら、このところアクセス数が急増しています。 クリトリスを興味本位で取り上げるのではなく、これまで誰も論じなかった視点で真面目に論じたことが注目を集めた理由と思います。 それほど関心が高いテーマなのですが、実はもう一つ男性が気付いていないことがあるのです。 それは女性の官能的快楽が深まれば、クリトリスと乳首と性器等が互いにつながり合い、その快楽がひとつの大きなうねりとなって女性の全身の感受性を鋭くし、そのうねりが一つの激流となって全身を強く貫くという現象が起きます。 いま著者は「クリトリスと乳首と性器等が互いにつながり・・・」と書きましが、「互いにつながり合う」のはその三ヶ所だけではなく、「うなじ」や耳・まぶた・肩・唇および口の中・背中・お尻・指・肛門・足・足の裏など全身の各部位各器官に及びます。 こうした現象は官能小説等でも「性感帯が互いにつながり合う」現象として描写されたりしますが、こうした高度な「喜悦」や「陶酔」を実際に体験した女性はほとんどおりません。 むしろ、多くの女性は現実としてきわめて貧弱な性生活しか体験しておらず、信頼感と安心感を与えつつ官能の世界を拡張してくれるようなパートナーに巡り会えないでいます。 さらにほとんどの女性はこうした強烈な喜悦や陶酔を体験すると、自分とそのカラダが肉欲のために堕落するのではないかと考え、その恐怖心から逃げ出してしまうのです。 女性が官能と堕落のはざまで苦悩するというテーマは、実に多くの小説や映画等で描かれており、そのほとんどが「聖なる母」に戻って行く結末を迎えます。 官能的快楽の強烈なパワーを活用して神仏・道徳抜きの解脱(至高性)に到達するためには、まずこの内なる恐怖心(官能=堕落の構図)を克服しなければなりません。 性欲の司祭 2007-06-24 11:12:41 「恋をしたいけど、だまされるのではないかと思うと怖い」 「一度不倫してみたいけど、不倫がバレて離婚されると困る」 「心がときめくような恋をしてみたいが、相手がいない」 こんなジレンマを抱いている中年女性が実はたくさんいます。 そうした女性は、20代〜30代の女性で恋愛経験が豊富で不倫もバッチリ経験している若い女性の行動を見聞きすると、軽蔑するか尻軽女と決めつけがちなのですが、もはや一夫一婦制が形骸化し、婚外性交(男性の場合は不倫・ソープランド・風俗店・デリヘル・買春・スワッピング等、女性の場合は不倫・ホストクラブ・出張ホスト等)が日常的に氾濫している現状では、むしろ貞淑であることや恋愛臆病であることが、その女性の老化を早め、人生そのものも抑圧することになりかねません。 ただし、著者は「一回限りの人生なのだから、楽しまなきゃね」といった安易な動機や「エッチは最高の若さを保つサプリメントである」等の理由で、恋愛ゲームに興じなさいと申し上げているのではありません。 あなたの官能領域はあなたが拡張しようと決意しない限り、けっして広がらないと言いたいのです。 家庭における倦怠感を伴う貧しい性交や、アバンチュールだけでは一人一人が抱く「オリジナルな性欲」を満たすことはできません。 無論パートナーの手練手管で官能が開花することはあるかもしれませんが、そのためには官能的快楽の探求のために「自己を丸ごと身も心も官能的快楽の祭壇に差し出すこと」が必要なのです。 でも間違わないでください。 差し出すのは「官能的快楽の祭壇」であり、大衆レベルのパートナーではありません。 突き詰めて断言すれば、大衆レベルのパートナーは所詮、愚かであり消耗品なのです。 著者が至高性のために「丸ごと差し出せ」と言っているのは、例外者たる官能領域の司祭なのです。 大衆化への拒絶 2007-06-25 22:25:09 「昨日のブログは私へのアドバイスですか?」等の個人的な問い合わせが何件かありました。 実は明確に相手を特定して書いたわけではなかったのですが、「私のこと?」と聞いてくる読者が多くてちょっとビックリしました。 それほど「恋をしたいけど、だまされるのではないかと思うと怖い」とか、「一度不倫してみたいけど、不倫がバレて離婚されると困る」、あるいは「心がときめくような恋をしてみたいが、相手がいない」等のジレンマを抱いている女性がたくさんいたのです。 そして著者に問い合わせしてきた複数の女性が、昨日のブログの末尾にある「差し出すのは『官能的快楽の祭壇』であり、大衆レベルのパートナーではありません・・・著者が至高性のために丸ごと差し出せと言っているのは、例外者たる官能領域の司祭なのです」という文章をもう少し判りやすく説明して欲しいと申しておりました。 たとえば、「官能的快楽の祭壇」とは何かとか、「例外者たる官能領域の司祭」とはどこにいるのかと言った質問がそれにあたります。 実は以前もお答えしたことなのですが、著者がすべてを詳しく解説すると「至高性という聖なる領域」に雑多な大衆が紛れ込んでしまい、至高性のレベルが低下してしまうのです。 つまりハードルを下げた瞬間、至高性は大衆化してまうのであり、衆愚社会から隔絶させるためには、むしろハードルは常に引き上げ続ける必要があります。 判らない人には判らなくていい、判る人に判ればいい、選ばれたごく少数の異質な例外者にだけ至高性は伝わればいいのです。 車内で化粧する女 part.3 2007-06-27 12:59:42 山手線の車内での出来事です。 夕方のラッシュが一瞬解消された時、20代半ばのOLらしき女性が著者が乗っていた車両の空いていたシートに坐った直後から、その行動が始まりました。 まず彼女はシートに坐ると、すぐに周囲が自然と凝視するほど手際よくメイクの手直しを始め、それが終わると車内であるにもかかわらず公然とカレシ(たぶん)に携帯電話を掛け、それから再び鏡を出してメイクの再チェックをしました。 それは端で見ていて、どう見ても明らかに「デートのための準備」そのものの行動なのです。 ちなみにこの女性の隣隣には、ほぼ同世代の目立たない女性が坐っていたのですが、この女性は隣のOLらしき女性にはひたすら我慢の様子でした。 ここまでの彼女の傍若無人さだけでも、すでに相当な自己中心的無神経OLであると推測できるのですが、実はそれから彼女はさらに思いもよらぬ行動を取ったのです。 この自己中心的無神経OLは、なんと有楽町駅に近づくやバッグからやにわに香水スプレーを取り出し、両手首と両脇の下にシュッ・シュッと振りかけ、電車がホームに滑り込んで停車し、車両のドアーが開くや否や、まるで脱兎のごとくホームに飛び出して行ったのです。 車内には、彼女が振りまいた強烈な香水の匂いが充満したことは言うまでもありません。 著者は思いました・・・隣の女性は我慢のしすぎです。 そして大和撫子の奥ゆかしさは、慎しみ深さはもう期待してはいけない時代なのだとまたもや思い知らされたのでした。 追 伸 我が国の女性は、欧米のキツイ香水がそぐわないことを自覚すべきです。 また香水を使用するとしても、ごく少量にすべきだと思います。 バーチャルリアリティ 2007-06-28 12:57:22 3年ぶりに「第15回 産業用バーチャルリアリティ展」(於:東京ビッグサイト)に行ってきました。 バーチャルリアリティ(VR)とは日本語に訳すと「仮想現実」と呼ばれており、3DCG(立体コンピュータグラフィックス)と音響効果を組み合わせて、人工的な現実感(架空の現実)を作り出す技術のことです。 「人工的な現実感」と言えば、小説や映画等もそのカテゴリーに含まれるのですが、VRは・・・ ?体験可能な仮想空間の構築 ?五感のどれかに働きかけて得られる没入感 ?対象者の位置や動作に対する感覚へのフィードバック ?対象者が世界に働きかけることができる対話性、の4つがその構成要件として定義されています。 従って上記の定義づけに照らせば、「小説」には視聴覚による没入感がなく、「映画」には対話性がないためVRとはみなされません。 VRとは、一言でいえばコンピュータと各種センサーを組み合わせ、各種センサーがとらえた情報を五感に人工的な現実感・疑似体験としてフィードバックし、あたかもその架空の現実を本当に体験しているかのような没入感を与えるシステムのことです。 今回、VRの技術が相当進化したはずと期待して出掛けたのですが、実は期待はずれでした。 産業用としてVRがどのように進化していくのか、まだ明確なビジョンが定まっていないように感じられたからです。 VRについて、もう少し詳しく説明したいのですが長くなりますので、この続きは明日にいたします。 セカンドライフと「あの世」 2007-06-29 00:49:27 バーチャルリアリティとはなにか? 実例を挙げて説明しましょう。 大型航空機のパイロットは、毎日大型航空機を飛ばして飛行訓練を行うと、滑走路が使えなくなったり燃料代がかさむとか機体のやりくり、機体の整備など大変なコストが掛かってしまいます。 また様々な気象条件や事故等を想定した訓練となるとさらに時間がかかり、危険も伴います。 そこでフライト・シミュレーターを作り、本物そっくりの操縦席に座り、3DCGで作り出された滑走路を見ながら離着陸の訓練を行います。 フライト・シミュレーターはパイロットが操縦桿を動かせば、本物と同じような手応えがあり機体が動き、低気圧に遭遇すれば激しく機体が揺れ、機体の振動音や落雷音が操縦席に伝わって来て、さらにパイロットが乱気流を回避するために機体をコントロールすれば、機体も安定感を取り戻します。 その間、各種の計器は実機同様の反応を示し、機長や副機長は管制塔との交信も行います。 産業用バーチャルリアリティとは、こうしたシステムの総称であり、NASAでは宇宙飛行士の訓練にも利用されています。 また最近では、コンピュータを用いて設計(CAM)された建築物を3DCGで復元し、その架空の建築物の中にヘッドマウンテンプロジェクターと呼ばれる「覗きメガネ」を装着して入り込み、間取りや家具の配置等を確かめことができる技術も登場しています。 実は著者は、我が国でまだVRがほとんど知られていない17年も前からこの技術に注目してきました。 疑似体験・仮想現実・人工的な現実感・架空の現実と言葉を並べて見ると、一見空虚なイメージだけのゲームのように思われがちなのですが、妄想や白昼夢とバーチャルリアリティの技術は、実は非常に接近した概念であり、妄想や白昼夢は上記の ?体験可能な仮想空間の構築 ?五感のどれかに働きかけて得られる没入感 ?対象者の位置や動作に対する感覚へのフィードバック ?対象者が世界に働きかけることができる対話性、というVRの構成要件をすべて満たしています。 最近「セカンドライフ」というインターネット上に構築された「アナザ・ワールド」(架空の生活空間・あの世・別世界)が注目され、アバターと呼ばれる分身が「セカンドライフ」の中で生活し、働き、出会い、人生を送るというサービスが注目されています。 もしこのアバターに、生身である自己自身に取り付けた各種センサーが収集した健康情報や行動パターンを、デジタルデータとして転送することができ、対話がすることができれば「セカンドライフ」は完全なる仮想現実世界となり、かなり高度な 「あの世」(宗教世界)になるはずです。 コメント 高度なあの世で (Unknown) 2007-06-29 19:48:01 バーチャル恋愛ができるきっかけや場所があったらいいですね。 シャラポワ vs 杉山愛 2007-07-01 12:57:47 【高度なあの世で:バーチャル恋愛ができるきっかけや場所があったらいいですね】 こうした性愛懐疑派(性愛について深く考える人達)や例外者(選ばれたごく少数の、あえて異質であることや、誤解されることを名誉と受け取ることができる者)が、このブログを通じて少しづつコンタクトを求め始めましたので、近いうちに会員専用の掲示板を設けると共に、都内に脳内写生サロン「飾り窓の天使」をオープンさせるつもりです。 ----------------------------------------------------------------------- 深夜にTV中継されたシャラポワ対杉山愛のテニスの試合を少し観戦しました。 かねてより著者はフィギュアスケートやシンクロナイズド・スイミング、ビーチバレー、テニス、新体操等の女性スポーツは「エロティック・スポーツ」としての側面が濃厚であると発言してきました。 今回の対戦で、シャラポワは長さ10?以上もある細い鎖が2本ぶら下がったイヤリングを左右の耳に計4本付け、さらに金色のネックレスを付けていました。 一方、杉山愛も白い球状のイヤリングを左右の耳に付け、2本のペンダントを胸元に光らせて試合していました。 10センチ以上もある細い鎖を左右の耳に計4本もぶら下げてテニスの試合をしても、あの鎖は邪魔にならないのでしょうか? シャラポワの場合、あの長い鎖が試合中に目に入る危険性はないのでしょうか? スポーツに「オシャレ」を持ち込んできた女性たち。 いったい、何が目的なのでしょうか? それともあれは余裕の現れなのかな? スローセックス 2007-07-03 00:41:54 グルメブームが成熟してくると、ただ料理を食べるだけでなく「作る手間も楽しもう」という発想が生まれ、これを「スローフード」と呼んでいます。 そして従来の男性主導型の即物的なセックスを見直し、そこからの脱却を促すのが「スローセックス」であり、ゆっくり時間をかけ互いをいたわりながら肌を重ねる時間を楽しむことで、ただ肌を密着させて眠るだけでも精神的な満足を得られると説いています。 かつて五木寛之氏が、著書「愛に関する十二章」で紹介した「ポリネシアンセックス」が、その一つであり、「ファストフードを食べるかのような手軽なセックス」に代わる性愛技法として南太平洋の島々に伝わる技法を紹介しました。 スローセックスと呼ばれる性愛技法は、「結果を求める従来のセックス」と違い、過程を大事にするスタイルがあってもいいのではないかと考えます。 特にロマンチストの女性や性能力が低下しつつある中高年層からの反響が強かったそうです。 古代インドの性愛書「カーマ・スートラ」もスローセックスの技法のひとつであり、男性主導型の即物的なセックスを否定しています。 ただ、男性が「ケダモノ君から降りようとしている時代」(上野千鶴子)に、あたかも符合するようにスローセックスが台頭してきたのであり、スローセックスはセックスレス・カップルにとって都合の良い逃げ口となる可能性もあるのです。 著者はファーストフード派ではなく、じっくり食事に時間を掛けるタイプですが、性愛に関してはスローセックスではなく、時にはパートナーが望むなら「ケダモノ君」でありたいと願っています。 スローな「けだもの君」 2007-07-06 13:40:26 仕事で集中豪雨の九州地区に出張しておりましたので、2日間ブログをお休みしました。 【時にはけだもの君?:普段は何君?望まれてけだもの君になるなら普段は、癒し系セックスを楽しんでるのかしら?相手次第で変えるのかしら?愛人、恋人、妻、セフレ、どの相手にも全力投球かしら?】 上記のようなコメントを頂きました。 普段ですか?スローセックス派?けだもの君? たぶんそれは特別なパートナーが判断してくれることだと思っています。 仮に著者が「けだもの君」として頑張っても、パートナーから「まだ物足りなァい〜」なんて言われかねませんし、スローセックス・癒し系セックスを楽しんだつもりでも、「もっとソフトにさわって・・・」なんて言われるかも知れないのです。 性愛は相手がいるのですから。 「相手次第で変えるのかしら?」そうですね。そうした対応は必要でしょう。 でも性愛は「慣れ」も大切な要素であり、「いつもと同じように求められる」ことで、多くの女性は安心して官能的快楽に没頭できるのです。 著者は特に大切なパートナーに対しては基本的には「いつもと同じように求め」つつ、時折「秘密の魔球」を投げたり、ふと意外なことをしてみたり・・・普段決して見せない自分をさらけだしてみたり・・・特にシナリオはないのですが、結果的にパートナーが翻弄されたり、耽溺して「手放せなくなる男」であるらしいのです。 (「それって私のこと?」という質問には回答いたしませんので、あしからず:笑) 無論、全力投球でパートナーを求めることは、パートナーを大切にしているなによりの「あかし」ではあるのですが、ストレートであることは若さゆえにできる求愛方法であり、オトナの恋は、むしろ「知能犯がアドリブで登場するメロドラマ」なのではないかと思います。 こころがときめくような恋がしたい、もう一度激しい恋をしたい、危険な恋に憧れている等、私たちの心の奥には自分が密かに抱いている恋愛のイメージやファンタジーがあります。 脳内写生はこうしたファンタジーを思うさま楽しみつつ、至高性という「聖なる領域」に近づこうとする試みなのです。 読者の皆さんのファンタジーを、お聞かせください。 爆笑問題 2007-07-08 09:55:15 「手放せなくなる男」とブログに書いたら「爆笑した」「笑い転げた」と知人の女性から携帯メールがありました。 「手放せなくなる男」ではなくて、「いつでも手放せる男かも・・・」とキツイ突っ込みをいただき、著者も爆笑! 「手放せなくなる男」「手放したくない男」についてあれこれ考えていたら、女性から「手放せなくなる男」「手放したくない男」と言われることが男性にとってある種の「手柄」や「名誉」と感じるのに対し、女性から見ると所詮男は「身勝手・独りよがり」の存在なのだと改めて思い知らされました。 でも、パートナーである女性の気持ちを良く理解してくれる男性や「こまめな男」は女性にとって常に「手放せなくなる男」でもあるのです。 (たぶん女性はそうした男性を都合良く利用できるので、時々「エッチしてあげる」ことでつなぎ止めておくのでしょう?) この男女の深い溝をものともせず、性愛懐疑派は今日も脳内写生・官能的ファンタジーの海に舟を出すのです・・・ コメント その舟で… (Unknown) 2007-07-08 10:38:39 あちらこちらの島に行ってるんですね…♪ このブログは (Unknown) 2007-07-08 16:00:53 男女を入れ替えて読むともっと面白いわぁ。Hを餌に女を使う男は、多いもんなあ…。 羽賀研二 2007-07-09 10:54:14 スローセックスと「けだもの君」をテーマにブログを書いたところ、思わぬ反響で著者およびその周辺は大変な盛り上がりで、なんとアクセス数もウナギ登り! さらにコメントも頂きました。 【その舟で…:あちらこちらの島に行ってるんですね…♪】 そうですね、島というより港・・・港というより白いシーツ、ピンクのショーツという脳内スクリーンなのかな? 【このブログは:男女を入れ替えて読むともっと面白いわぁ。Hを餌に女を使う男は、多いもんなあ…】 「Hを餌に女を使う男」ですか? そうした男を我が国では「ヒモ」と呼ぶのですが、本当の「ヒモ」は「ヒモ」を養っている女性から大切にされ、むしろ「私が付いていなければ、この人はダメになる」「そうした男を養うことが生き甲斐だと感じる」ような関係になるのだそうです。 いまスキャンダル噴出の羽賀研二も、どちらかと言えば「Hを餌に女を使う男」「男の色気で女を食い物にする男」なのでしょう。 でもこの世には圧倒的に「女が男を食い物にする仕組み」のほうが多いのであり、そのほとんどが報道もされないし、犯罪にすらならない出来事なのです。 羽賀研二が梅宮アンナと梅宮家をさんざん食い物にし、さらに別の女性からも金銭を借りて踏み倒したことは、「女が男を食い物にする仕組み」を公然と逆転させたからこそ大騒ぎになっていると見ることもできるのです。 かつて作家・作詞家の山口洋子氏が「悪い男に愛されたい」という題名の本を書きましたが、善良で、ただ優しいだけの男には真の魅力がないのであり、羽賀研二のように「うわっつら」(外見)だけの男にも真の「悪党の魅力」はないのです。 真の「悪党の魅力」ですか?おまかせください! 迷惑メール考 2007-07-11 13:18:00 いわゆる「迷惑メール」特に「エロメール」が毎日のようにPCに送られて来ますが、毎日これらを削除しながら、ふと気が付いたことがありました。 著者は常に「大衆は他者によって企画され、商品化された性欲にあやつられた哀れな存在である」と考えていますが、個人に対し密かに送られて来る(否・無差別的なこともありますが)「エロメール」も、実はまぎれもなく「他者によって企画され、商品化された性欲」であると考えています。 なぜなら「エロメール」も、人妻不倫・出会いサイト・デリボーイ(男性の出張ヘルス)・SM・愛人契約・盗撮・裏ビデオ・流出モノDVD等、いずれも過去に企画され商品化された性欲ばかりなのです。 これらは「よくもまあ、これで退屈しないものだ」と思うほど、同じことの繰り返しであり、大衆の性欲は単純で単調で妄想に限界があることを物語っています。 なぜ大衆の性欲は単純で単調で妄想に限界があるのか、性愛懐疑派はこの疑問を深く探求するところからスタートします。 まず大衆は性器と性交と射精にとらわれており、パートナーと常識や道徳等の社会規範に従属しています。 換言すればこれだけの目に見えないとらわれや従属等に束縛されていたら、真の自在なる妄想など発生する余地がありません。 脳内写生とは、いかなるものにもとらわれず、なにものにも従属しない自在なるファンタジーを「白昼夢」として脳内にリアルに描き出し、この強烈なパワーを活用して「至高性」とよばれる聖なる領域に到達することをめざしています。 ロハスについて 2007-07-13 13:18:26 「スローセックス」の思想の根底には、自然と調和しながらゆったり生きようという「ロハス」の考え方があります。 ロハスとは Lifestyles of Health and Sustainability の頭文字をとった略語で、健康と環境に配慮し「持続可能な社会生活を心がける生活スタイル」のことであり、1990年代の後半にアメリカのコロラド州で生まれた新しいビジネス・コンセプトのことです。 ロハスは、地球環境問題や農薬汚染の問題に危機意識を持ち、オルタナティブ(代替物・代案・既存のものと取ってかわる新しいもの)な生き方やビジネスを始めた人たちに広まり、政治や地球環境の持続性に危機感を持つ、企業やクリエイティブな人たちがビジネスを通じて実現しようとする新しいパラダイムシフトでもあります。 この「ロハス」の思想が「スローセックス」の思想と結び付きやすいことは多少分かるのですが、性愛や官能的快楽の領域の内奥には「持続可能な社会生活」とは正反対の、蕩尽とか消尽と呼ばれる「自己破滅」の世界が広がっているのであり、俗に「イク」とか「死ぬ」と表現される性的絶頂時の「あえぎ声」も実は、この「自己破滅感」から発せられているのです。 したがって「スローセックス」は「けだもの君」からの優雅な逃避でしかないと著者は思っています。コメント こだわってるね (Unknown)2007-07-14 00:10:16 けだもの君にこだわってますよね。でも、いつかけだもの君じゃなくなる時が来るわけよね。80歳のけだもの君じゃ相手はどうなるのかしら?バイアグラ君?けだもの道だけが性愛なの?挿入なしでも、愛し合えるでしょ 男はいつまでも (Unknown)2007-07-14 01:35:02 心がけだものならいい 悪徳の栄え 2007-07-14 12:32:24 【こだわってるね:けだもの君にこだわってますよね。でも、いつかけだもの君じゃなくなる時が来るわけよね。80歳のけだもの君じゃ相手はどうなるのかしら?バイアグラ君?けだもの道だけが性愛なの?挿入なしでも、愛し合えるでしょ】 「挿入なしでも、愛し合えるでしょ」・・・そのとおりです。 サドは「悪徳の栄え」というタイトルの小説の中で「汝の全身の穴を差し出せ」と奴隷女に向かって有名なセリフを吐いていますが、著者が「けだもの君」にこだわるのは挿入したがるのではなく、脳内写生(白昼夢に耽溺することで創造力を高めること)という妄想の世界では、常にワイルドなアウトローでありたいとの意味なのです。 【男はいつまでも:心がけだものならいい】とのコメントがありましたが、おっしゃる通りです。 バイアグラ等の薬物に頼ることで性交したいと思うのは「性器→性交→射精」という単純な性欲・商品化された性欲にとらわれた人物のすることであり、肝心な妄想が伴っていません。 性交=挿入という貧弱な発想は大衆レベルの性愛であり、至高性(神仏・道徳抜きの「さとり」解脱のこと、選ばれた少数の例外者の特権でもある)の領域では官能的快楽のためには「お互いをまるごと差出せ」「生きて戻ろうと思うな」「オリジナルな性欲を探求し、その性欲に耽溺陶酔せよ」との覚悟が求められます。 つまり、妄想の領域でこれ以上の「けだもの」はないという限界まで行き付かないと至高性は見えてきません。 特に難しいのは、妄想の極限まで到達しながら性犯罪に走らないことであり、オリジナルな性欲を外部に向けるのではなく、脳内麻薬に転化させて自己の内部で一気に燃焼させることなのです。 このとき生じるエネルギーの強烈さは「いのち」にかかわると思うほど強烈なパワーがあり、その陶酔と酩酊はまったく安全で無害なのです。 コメント 残念ですが (Unknown) 2007-07-15 00:04:30 男性としては文字にして説明する事がお上手だと思いますが、所詮、男!女性でしか味わえない、感じる事ができない…言葉で表せない、体だけがわかるアノ快感を表現できないのはとても残念ですね。 女であることの歓び 2007-07-15 23:14:57 【残念ですが:男性としては文字にして説明する事がお上手だと思いますが、所詮、男!女性でしか味わえない、感じる事ができない…言葉で表せない、体だけがわかるアノ快感を表現できないのはとても残念ですね】 そうですね、たぶん「アノ快感」は議論しても伝わらないと思います。 クリトリス・ヴァギナ・子宮・乳首等がすべて「つながって」一気に登りつめるわけですから、男性には到底味わえない感覚なのであり、昔から女性の快楽に比べたら、男性の快楽は月とスッポンと言われてきました。 でも、例外者が商品化されていない性欲(オリジナルな性欲)の純度を高め、官能的快楽の爆発的なエクスタシーによって至高性に到達する過程で、例外者は性別を超え「n個の性」(昨年6月10日のブログ参照)を獲得します。 このため「女性でしか味わえない、感じる事ができない…言葉で表せない、体だけがわかるアノ快感」について、著者はかなり体感できます。 もちろんこれは信じるか、信じないかの問題なのですが、実は禅の世界には「不立文字」(ふりゅうもんじ)という概念があって、悟りの体験は言葉や文字では表せないものとされてきました。 悟りは「法悦」であり、「法悦」とは脳の中で起こる宗教的エクスタシーのことです。 同様に性的悦楽も脳の中で起きる官能的快楽のエクスタシーであり、両者はほとんど区別不可能なエクスタシー(脳の覚醒・脳の興奮)なのです。 このため宗教家は官能的快楽のエクスタシーを完全に排斥しないと、宗教の存立が危うくなるので性欲を敵視し続けています。 著者の体験で言えば、宗教的エクスタシーよりも官能的快楽のエクスタシーのほうがピュアで強烈です。 性欲を否定し続けることで「悟り」に到達することよりも、性欲をも肯定することで到達する「悟り」のほうが強烈であることはむしろ当然のことなのです。 干物女 2007-07-17 11:45:44 講談社の漫画雑誌『Kiss』に連載中の『ホタルノヒカリ』は、現在コミックスの売り上げ累計160万部(既刊8巻)を数える人気アニメであり、恋や仕事に華やかであるはずの20代女性の人生が、実は恋愛を半ば放棄して「ぐうたら」に過ごす「干物女」であったという現実がテーマとなっています。 このアニメの主人公:雨宮 蛍(あめみや・ほたる)の恋愛観やその性格・ライフスタイルには若い女性にとって共感できる部分があり、このアニメは女性たちに高く評価されています。 新人類・マニュアル世代・指示待ち人間・オタク世代と続いた若者文化の後に、遂に登場した「干物女」世代がどのようなライフスタイルや恋愛観を確立するのか、そのお手並みをじっくり拝見させていただきましょう。 いまどきの通勤着 2007-07-19 23:41:18 実はかなり前から気になっていたことなのですが、若い女性公務員の仕事中の私服がすごくハデハデ、唖然・呆然状態なのです。 また東大や学習院に通う女子大生の通学ファッションにも「ヘソ出し短パンスタイル」や「極限露出の超ミニスタイル」がちらほら。 もちろんこれらは、ほんの一部の女性公務員や女子大生の服装なのですが、暑くなってくると通勤のOLさんの中にも、デート用としか思えない薄くてチャラチャラとした私服を通勤着として身に付け、そのまま満員電車に乗り込んでくることもあります。 特に社会保険事務所のカウンターの中にいる女子職員が公務中であるにも関わらず、デート用の私服かと見まがうようなスタイルでチャラチャラと対応されると、来庁者は「アンタ、そんな服装でホントに仕事ができるのかよ」と言いたくもなるのです。 最近「品格」とか「マナー」が注目されていますが、せめて通勤着や通学着は実用的なものを使用して、ハデハデ・チャラチャラの私服はデートや休日に着るようにして欲しいものです。 ちなみに、品格やマナーは勉強したからと言って身に付くものではなく、内面や家庭環境から自然に「にじみ出てくる」ものなのです。(「こいつ、ウルセエーオヤジだぜ」と言われそうですが・・・)コメント 逆に (Unknown) 2007-07-20 09:42:45 シンプルな服を着ても、目立つ人、シンプルが貧乏くさくなる人もいますね。要するに、着る人次第だと思います。 食器と便器 2007-07-20 21:28:49 【逆に:シンプルな服を着ても、目立つ人、シンプルが貧乏くさくなる人もいますね。要するに、着る人次第だと思います】 なるほど・・・確かに着る人次第なのですが、若い女性の公務員が公務中にもかかわらず、胸元や背中が「ガッツリ」開いたフリフリ・ドレスを着ているが、どう考えても不似合い・不適切なのです。 今日は、著者のプライベート・アドレスに届いた相談を、相談者が特定できないように配慮しながら読者の皆さんに紹介いたします。 この相談の内容を簡単に説明すると、「現在交際している女性がバージンではなく、どうやら多くの男性経験があるらしい」という良くある話なのです。 相談者は純情でかなりショックを受けているようですが、著者に言わせれば「あいも変わらず処女性を重視する古典的な男性と、貞操観念が希薄な女性の増加の結果生じた、いわば当然・必然の現象」なのです。 相手の女性に多くの男性経験があることが嫌なら、別れればいいのであり、どうしても別れたくないのであれば男性が「目をつぶる」しかありません。 男性はこうした問題でウジウジしがちですが、女性は過去の男性のことなどケロリと忘れており、いま目の前にある恋に夢中なのですよ。 ところで、男性経験が豊富な女性と男性経験が乏しい女性の場合、女性は男性の過去に嫉妬したり豊富な性体験を嫌悪したりするものなのでしょうか? 突き詰めて言えば、男性にせよ女性にせよ性器は食器と同じで、汚れても綺麗に洗えば元通りになるものなのです。 これは米国のレイプ・カウンセラーがしばしばレイプの被害者をなだめるために使用する比喩であり、その背景には「教会で懺悔すれば、すべての罪は許される」との思想があります。 一方、イスラム圏では「同じ焼き物でも汚れた女性器は便器と同じで、いくら綺麗に洗っても食器には使えない」と考えるようです。 さて、お尋ねします。あなたの心の中の性器は、食器系ですか?それとも便器系ですか? コメント くだらない質問 (Unknown)2007-07-21 00:08:19 私の性器は便器ですと、答える人はいない! 私の性器は? 2007-07-22 12:51:13 【くだらない質問:私の性器は便器ですと、答える人はいない!】 はははッ、そりゃそうだ。 でも著者は「あなたの心の中の性器は、食器系ですか?それとも便器系ですか?」と尋ねたのであり、「あなたの性器は便器ですか?」と尋ねたのではありません。 むしろ性器は心(脳)と結びついているから、やっかいなのだと気付いて欲しかったのです。 たとえば、男性経験が著しく多い女性の場合、その性器は実質的には便器かもしれませんが、心の中では自己を気高く誇りに思っているのかもしれないし、たった一度の不本意な性交だけで「私のカラダは穢れてしまった」と思い込む女性もおります。 前回のブログで「食器と便器」の違いを説明したところ、ある女性から「非常に高価な食器を便器として使ったあとで、その事実をあなたが知っている場合、あなたはこの高価な食器を完全に洗浄し殺菌したとして、再び高価な食器として使いますか?」と質問されました。 実は前回のブログの続きは、まさにその問題に帰着するのであり、この答えの類型はほぼ決まっております。 以下の文章をお読みなる読者は頭の中で7月20日のブログに書いた「現在交際している女性がバージンではなく、どうやら多くの男性経験があるらしい・・・相手の女性に多くの男性経験があることが嫌なら、別れればいいのであり、どうしても別れたくないのであれば男性が目をつぶるしかありません・・・ところで、男性経験が豊富な女性と男性経験が乏しい女性の場合、女性は男性の過去に嫉妬したり豊富な性体験を嫌悪したりするものなのでしょうか?・・・男性にせよ女性にせよ性器は食器と同じで、汚れても綺麗に洗えば元通りになるもの・・・との思想があり、その一方には同じ焼き物でも汚れた女性器は便器と同じで、いくら綺麗に洗っても食器には使えないと考える」と書いた、あの文章を念頭に置いてお読みください。 ?潔癖な人は一度便器として使用した食器は再び食器としては使用しない、あるいは廃棄するか譲渡する。 ?便器として使用した記憶が薄れるまで食器として使用せず保管する。 ?合理的に思考し、衛生に関する知識がある人は、完全に洗浄殺菌された食器であれば平然と食器として使用する。 では便器として使用した事実を知らない第三者に対して上記の食器を使用する場合はどうでしょうか? (これが、現在交際している女性がバージンではなく、どうやら多くの男性経験があるらしい・・・というケースに該当します) ?何も知らない相手に便器として使用した食器を使用することはその事実を承知している人にとって「だます」ことであり、時としてある種の「復讐」の意味も生じて来ることがあり、あとでその事実を知った者は「だまされた」とか「裏切られた」と解釈する。 ?「見ぬもの潔(きよし)」の原則に従い、実際に確認できないものは無視する。 (実際に見たことがなければ、清らかなものであると解釈する見解。たとえばスーパーで売られている肉類や刺身は実際には生きているものを殺し、血を抜き、骨と身をバラし、切り刻んだものですが、その過程を見ていない消費者は陳列された肉や刺身を見て「おいしそうだ」と思う等) ?仮に後日すべての事実が明らかになったとしても、そのことに拘泥せず寛容に許諾する。 ちなみに著者は?と??の見解ですが、なにか? コメント もっと (Unknown) 2007-07-22 21:00:38 わかりやすいブログにして下さい。長く書きゃいいってもんじゃありませんよ…回りくどいは年寄りのする事さ。 清潔な性器 (有田焼) :2007-07-22 21:09:37 私の夫は不倫をしています。私は我慢して許していますが、夫の性器は私に入ったり、不倫相手にも入ったり、気持ち悪い汚いと思います。でも、私はセックスがしたいから汚いと思いながらも、その性器を使います。 邪悪な聖杯 2007-07-23 12:27:56 【もっと:わかりやすいブログにして下さい。長く書きゃいいってもんじゃありませんよ・・・回りくどいは年寄りのする事さ】 「もっと分かりやすく書いて欲しい・・・まわりくどい」との要望・指摘は何度かありましたが、このブログはごく少数の選ばれた限定された読者(大衆ではない例外者)を対象としており、あえてハードルを高く設定しています。 難解でなければ、このブログを読んで欲しくない雑多な読者が紛れ込んでくるからです。 詳細は「飾り窓の天使 脳内写生研究所」のホームページをご覧ください。 【清潔な性器 (有田焼さん):私の夫は不倫をしています。私は我慢して許していますが、夫の性器は私に入ったり、不倫相手にも入ったり、気持ち悪い汚いと思います。でも、私はセックスがしたいから汚いと思いながらも、その性器を使います】 すると「有田焼さん」の立場は、 ?潔癖な人は一度便器として使用した食器は再び食器としては使用しない、あるいは廃棄するか譲渡する。 ?合理的に思考し、衛生に関する知識がある人は、完全に洗浄殺菌された食器であれば平然と食器として使用する。 に近く、さらに ?仮に後日すべての事実が明らかになったとしても、そのことに拘泥せず寛容に許諾する。 との立場に近いけれども、決して許諾している訳ではないということになります。 ところで「気持ち悪い汚いと思いながら・・・セックスがしたいから汚いと思いながらも、その性器を使います」とあり、さらに夫の不倫を察知しなが「我慢」する、しかも「気持ち悪い汚い」と思いながらも性交するのであれば、 ?何も知らない相手に便器として使用した食器を使用することはその事実を承知している人にとって「だます」ことであり、時としてある種の「復讐」の意味も生じて来る・・・という方法もあるのです。 一言で言えば「有田焼さん」もひそかに不倫して、夫にすれば「気持ち悪い汚い」状態にしておいてから、平然と家庭の「食器」として夫に提供するのです。 でもいきなり安易な不倫はしないでください。 まず脳の中で不倫のイメージを広げ様々な妄想を強化して、心の中で「貞淑な妻」が「淫らな人妻」として生まれ変わるまでじっくり時間を掛けてください。 特に夫から見て、「まさか妻がそのように淫らなことは考えないだろう」と思うような妄想をあえて白昼夢として脳裏にリアルに思い描くのです。 これにより、まず心の中で夫を裏切るのであり、なによりも貞淑である「有田焼さん」自身を自ら裏切り、「考えてはならない淫らなことを、あえて考え、あらぬことを妄想する自己」を大胆に肯定するのです。 こうすることで、あたかも美しい蝶が固い醜いサナギを破って誕生するように、日常的な「有田焼さん」の中から、もう一人の別の人格が生まれてきます。 実はこの非日常の人格は、不倫しても穢れることもなければ、罪悪感を抱くこともありません。 むしろどんなに非道・邪悪なことをしても、いつも聖なる存在でいられ、夫の不倫などまったく気にもならない「したたか」で強い人格となるはずです。 なにしろこの人格は「この世のものではない」のですから・・・ 究極の絶頂術 2007-07-24 13:23:43 「女をイキっぱなし状態にするためのやり方を知っていますか? 1173人とエッチした元風俗嬢が明かす、オンナを簡単にイカせちゃう秘密のテクニックとは?童貞君を2週間でセックスの達人に変身させた私が、女を最高のエクスタシーに導くための究極の絶頂術教えます♪」 実はこんなサイトがあるのですが、この文章にふと疑問を抱きました。 1173人とエッチした元風俗嬢?はたして、風俗嬢は客と毎回エッチしているのでしょうか? 1173人とエッチした元風俗嬢が、男をイカせるのではなく、どのようにして女性をイカせるテクニックを会得したのでしょうか? また、童貞君を2週間でセックスの達人に変身させることが本当に可能なのでしょうか? 男は失敗したり、恥をかいたり、キズついたり、失望したりしながら女性という魅惑的な存在を少しづつ理解していくのです。 そして、女性は理解しがたい生きものであると、やがて気付くのです。 従って、童貞君を2週間でセックス・マシーンに変身させることは可能でも、そのことが即・女を最高のエクスタシーに導くための究極の絶頂術を身に付けたことにはなりません。 特に女性のエクスタシーはパートナーとの信頼関係に深く強く影響され、官能的快楽にめざめる時期も各自異なります。 性愛懐疑派である著者は、日頃から女性の官能的快楽の深さに比べたら、数秒〜10数秒で終了してしまう男性の射精こそむしろ改善し、開発する余地があると思っています。 何万年も繰り返されてきた「射精」が本当に男性のエクスタシーなのでしょうか? その答えを先に言えば「射精」はただの自己満足とエンド・マークにすぎません。 これに比べ「至高性」の領域に到達すると男性は短くても20〜30分、長いと60分〜90分のエクスタシーを体験します。 サド・ニーチェ・バタイユ等は、この「至高性」に到達した先人たちなのであり、大衆がこの領域に近づかないように大衆を攪乱し、眩惑させたのです。 コメント 男性なのに? (Unknown) 2007-07-24 21:24:39 そんなに長くエクスタシーを感じるんですか?じゃ性行為の時間はどれくらいですか?平均的に?かなり、場数をふんだ経験者だとはブログ内容でわかるんですが、少し高齢ですよね?それでも今も、長い時間を性行為に使ってらっしゃるのかと………それは素晴らしいですよね。 私は不倫してます (益子焼) 2007-07-25 00:11:00 彼とHすると次はいつかな?って待ち遠しいの。でもするたびにイクわけじゃないんです。もちろん気持ち良いふりするし、イクふりもします。なんでシタクテシタクテ待ち遠しいのにイカナイのかな?彼は絶対イクのに! シタクテ・シタクテ・・・ 2007-07-26 09:50:56 【男性なのに?そんなに長くエクスタシーを感じるんですか?じゃ性行為の時間はどれくらいですか?平均的に?かなり、場数をふんだ経験者だとはブログ内容でわかるんですが、少し高齢ですよね?それでも今も、長い時間を性行為に使ってらっしゃるのかと………それは素晴らしいですよね】 エクスタシーは脳そのものの興奮と、脳の中で作られた快感物質(ドーパミンやβエンドルフィン等)がもたらす陶酔・酩酊のことです。 したがってこの興奮と陶酔・酩酊を持続させ強化する方法を会得すれば、体力が続く限りエクスタシーは持続します。 いわゆる脳内麻薬は、モルヒネの5000倍の濃度がありますが、副作用もなく麻薬中毒になる心配もありませんし、違法性もありません。 ただし、脳や心臓に疾患がある人は危険であり、自律心(自己陶冶・自制心)が薄い人は間違いなく性犯罪者になってしまいます。 「場数をふんだ経験者・・・少し高齢ですよね?」 著者は「高齢者」と言われるとまだ抵抗を感じる世代です。 またとても忙しい仕事を抱えていますので、性行為に毎回時間を掛けているわけではありません。 むしろ1回毎に「中身の濃い」親密な時間を共有するように心掛けており、性行為と言うよりは「官能の祝祭」であると思っています。 【私は不倫してます (益子焼さん):彼とHすると次はいつかな?って待ち遠しいの。でもするたびにイクわけじゃないんです。 もちろん気持ち良いふりするし、イクふりもします。なんでシタクテシタクテ待ち遠しいのにイカナイのかな?彼は絶対イクのに!】 あらら、「毎回イクわけではない・・・気持ち良いふりをする・・・イクふりをする」とは、ちょと残念ですね。 まず雑念を捨てること、あれこれ考え事をしていると集中できませんから。 特に女性は避妊に関して不安があると、どうしても気が散ってしまいます。 また、これは良く言われていることなのですが、男性の興奮の曲線グラフと女性の興奮の曲線グラフが一致していないため、女性が興奮する前に男性が先に興奮しすぎて射精してしまうことになります。 こうした興奮のズレを一致させるためには、男性が興奮をセーブしながら、女性のためにたっぷり「前戯」する必要があり、「前戯」だけで女性が興奮し、十分に潤い、ほぼ絶頂に到達したような状況でインサートしてください。 また女性も受け身でいるのではなく、愛撫されながら「あえて妄想してはならないような淫らなイメージを脳内にリアルに描く」脳内写生を練習する必要があります。 男性・女性にかかわらず、人は脳で性交しているのです。 このため、妄想が少ない女性はどうしても性的に満足しにくくなりますので、できれば「シタクテシタクテ待ち遠しい」ときに、まずソフトな自己性愛(オリジナルな性欲を高め、その妄想をネタにオナニーすること)から始めてみてください。 自分の脳の中で作られた脳内麻薬に自己陶酔するという不思議な経験を、まず体験することです。 コメント 素敵ですね…‥。。 (益子焼) 2007-07-26 23:04:56 同居人のチンパンジーさんもパートナーさんも、満たされた性活をしてるんですね。お二人とも女性としてきっと魅力的なものを撒き散らしてるんですかね?共通点はあるんですかね?お二人を育てたんですか? 羨ましくて仕方ない (Unknown)2007-07-27 01:30:25 妻の席は一つで埋まってますよね?でもパートナーの席はまだありますか?何席分ありますか?私をパートナーにして下さい。体には自信があります。 脳内写生研究所 2007-07-27 10:07:39 【素敵ですね・・・(益子焼):同居人のチンパンジーさんもパートナーさんも、満たされた性活をしてるんですね。お二人とも女性としてきっと魅力的なものを撒き散らしてるんですかね?共通点はあるんですかね?お二人を育てたんですか?】 このコメントは著者の身近な人物のものかもしれません。 「魅力を撒き散らしている」と言うよりは、「二人を育てた」あるいは著者が個性と至高性を引き出したのです。 ただし、同居人のチンパンジーに関しては、今なお「改築中」「治療中」であります (~l~ゞ 【羨ましくて仕方ない:妻の席は一つで埋まってますよね?でもパートナーの席はまだありますか?何席分ありますか?私をパートナーにして下さい。体には自信があります」 実はこのようなお申し出が数件あります。 著者はこのブログに何度も書いてきたように、一夫一婦制という婚姻制度はもはや古すぎて、家族という概念すら希薄になっていると主張してきました。 例外者にとって血縁は幻想であり、血縁や家族はやっかいなシガラミでしかなく、「なにものにも従属しない、なにものにもとらわれない、なにものでもない自在なる自己でありたい、道徳や常識・社会規範・組織等に従属したり束縛されるくらいなら、死んだほうがましである」と常に確信しています。 「体には自信があります」との書き込みには若さが感じられて少々魅せられますが、著者特有の「性愛懐疑派」「例外者」「至高性」というスタンスをある程度理解してくださるかたでないとパートナーになることができません。 つまり、かなり高いハードルがあるということです。 現在「飾り窓の天使・脳内写生研究所」が福岡から東京に移転中ですが、近々ホームページを更新して東京で研究会を開催する予定です。関心がある読者はご参加ください。 いつか皆さんとお会いできるといいですね。 コメント 研究会? (Unknown)2007-07-27 23:07:51 中身はあくまでも脳内ですか? Unknown (Unknown)2007-07-27 23:41:51 血縁さえもというならばなぜ?結婚なんてしてるんですか?恋愛して結婚したわけでしょう。身内が欲しかったわけだよね。 非公開:メールアドレス 2007-07-28 12:16:43 【研究会?:中身はあくまでも脳内ですか?】 まず、脳の中で商品化されていないオリジナルな官能的ファンタジーを自在に広げる訓練と巡礼が必要です。 なぜなら現代社会は、道を歩きながらも「右側通行しなければならない、太股丸出しのミニスカートとすれ違っても振り返ってはならない、胸の谷間は見るな、歩行禁煙、信号を守れ、他の歩行者にぶつかるな」等々さまざまな禁止や規制に囲まれており、家庭でも会社でも淫らな妄想を思い浮かべることそれ自体が厳しく規制されており、「そんなことを考えている私は異常なのかな」と悩む人がいるほど世の中は無意識に抑圧されているからです。 しかし憲法は「信教の自由」を保障しており、脳の中で色々なことを思い浮かべることに罪はありません。 むしろ自在なる発想・自在なる創造は妄想の中からしか生まれてこないのです。 パートナーと巡り会って官能的快楽の頂点である「至高性」をめざすためには、妄想の翼を広げる訓練と巡礼を十分に行うことが前提になります。 その際、著者が選んだ「ヘタイラ」(ギリシャの古代神殿にいた神聖娼婦・神聖男娼)が訓練と巡礼の案内役を務め、その過程で真のパートナーと引き合わせてくれます。 なお、読者の皆さんから著者宛に「個人的な相談をしたいので相談内容が公開されないメールアドレスを教えて欲しい」との要望が多く届いています。 このため内容非公開のメールアドレスを新設いたしましたのでお知らせいたします。 非公開専用メールアドレス oxoxo90@hotmail.com (オーエックスオーエックスオー90@hotmail.com) このアドレスの利用にあたって、プライバシーは厳守しますが、冷やかし・誹謗中傷・荒らし行為・ウィルス攻撃等には厳正に対処しますので御了承ください。 【Unknown:血縁さえもというならばなぜ?結婚なんてしてるんですか?恋愛して結婚したわけでしょう。身内が欲しかったわけだよね】 何度かこのブログで同居人のことに触れましたが、著者の結婚は恋愛結婚ではありません。 親族によって深いキズを負った凶暴な野生人が救助を求めて来ましたので、著者がレスキューしに出向いたところ、「レスキューすらなら責任を取れ」と当人から要求されたのです。 このため同居人をその親族から合法的に保護するために入籍したまでです。 身内ですか?例外者には身内など必要ありません。 コメント 綺麗事いいなさんな (Unknown)2007-07-28 22:00:05 著者は誰かれとレスキューするのか?気にいったからレスキューしたのだろ?誰も嫌いな女性をレスキューしないだろ? 例外者って? (Unknown) 2007-07-29 10:28:46 普通人ができない事をしてしまうんじゃないかなだから愛情うんぬんじゃなくても入籍同居できるんじゃないの。偉大なる愛情の持ち主?けして誰も愛さない?まぁ答はしないだろうが! スカートの中の激情 2007-07-29 10:54:20 【綺麗事いいなさんな:著者は誰かれとレスキューするのか?気にいったからレスキューしたのだろ?誰も嫌いな女性をレスキューしないだろ?】 消防のレスキューは、救助の要請があればだれであろうと命がけで救助します。 また医師は治療にあたり、患者さんを差別することはしません。 相手がだれであろうと救助するし、危険を承知で手を差し伸べます。 それがレスキューの使命であり、義務なのですから。 それと同じで、追い詰められた人からレスキューの要請があれば、著者は相手を選ぶことを考えません。 少なくとも例外者である著者に直接レスキューを求めてきたのです。 そうである以上、傍観はできません。 ただし、そうして救助した相手に、かなりの頻度で手を噛まれ、凶暴な相手を救助したことを時折悔やんでおりますが(苦笑) 綺麗事ですか・・・?それは見解の相違ですよ。 【例外者って?:普通人ができない事をしてしまうんじゃないかな。だから愛情うんぬんじゃなくても入籍同居できるんじゃないの。偉大なる愛情の持ち主?けして誰も愛さない?まぁ答はしないだろうが!】 うん、このコメントはこのブログのかなりの愛読者と思われます。 至高性に到達した例外者は、もはや「この世のものではない」のです。 そうです、愛情なんて心という池に浮かんだ気泡にすぎませんよ。 ----------------------------------------------------------------- 暑くなってくると、女性のファッションがどんどん薄着になってきます。 かつて女性は「下着を見せない、見られたくない」とかなり神経を使っていました。 それだけでなく、下着が透けて見えるとか、下着のラインがパンツ(スラックス)に浮き出るとか、ブラジャーの肩ヒモが露出することすら嫌がっておりました。 ところが街のランジェリー・ショップのウィンドーの中には、挑発的で超ド派手な下着が誇らしく電飾トルソーに着せて展示されており、それをごく普通のお嬢さんが品定めしているという光景も、もはや当たり前の時代になってしまいました。 そればかりか、デパートの下着売り場の試着室のカーテンの中に首だけ突っ込んで、試着中の恋人らしき若い女性に向かって「可愛じゃない」と言っている若い男の姿さえ見受けられます。 こうなると若い女性は「下着を見せたい、見られたい、目立ちたい」と願っているとしか思えなくなります。 問題はカレシだけに「見せたい、見られたい」と思っていても、そのファッションが街の中で目立ってしまい、皮肉なことに不特定多数の男性の注目を浴びてしまうことです。 まあ、それがまた若い女性のプライドをくすぐるのでしょうが。 もう30年前になりますが、かつて上野千鶴子さんは「スカートの中の劇場」という著書のなかで「下着は女性の価値を高めるラッピングである・・・秘すれば華・・・隠すことであらゆるものは価値が高まる」(要旨)と述べていますが、最近の女性の下着は逆で、「記号論」における「表象」なのであり、自己および他者の心を動かすためのツール、もしくは自己と他者を結ぶ無言のメッセージをやり取りするための情報ツールになりつつあると著者は考えています。 たとえば勝負下着を身にまとうことで、女性はテンションを高め、カレシに自己の気持ちを伝えたいと思い、カレシは勝負下着をチラつかせる彼女を見て、彼女の「決意」を理解するのです。 上野千鶴子さん、ぜひ今度は「スカートの中の激情」というタイトルの本を書いてくださいマセ。 m(。 。)m ペットと恋人 2007-07-30 11:40:56 ペットを溺愛していた婚約直前の女性がいました。 そして最近そのペットを亡くし、悲しみのあまり極端に落ち込んでしまい、著者から見ると軽いウツ状態に陥っていました。 まさにそのとき、彼から「オレとペットとどちらが大切なのか?」とストレートに問い詰められたのだそうです。 それでなくても不安定な心理状態にあった彼女は、とっさに「どちらも大事、でもペットとあなたを比べることはできない」と答えました。 その瞬間、彼は8年の同棲生活を解消して彼女と決別してしまいました。 このため彼女はさらに深刻なウツ状態に陥り、著者にアドバイスを求めて来たのです。 普通の精神科医ならたぶん「心的外傷ストレス症候群」と名付けると思いますが、実はその前に別の問題があるのです。 この彼の上記の行動を「おとなげない」とか「優しさがたりない」と思った方はいますか? 最近、ペットを過剰に偏愛する人が増えていますが、ペットが亡くなったという「心的外傷ストレス」の前に、「ペット依存症」(ペット中毒)とも呼ぶべき心的障害があるのです。 どんなに可愛くても所詮ペットはペット、いつ行方不明になるか分からないし、人間に比べたら寿命は1/4〜1/10しかありません。 人間でさえ「いつか別れるときが来る」のですから、はじめからペットに対して過剰な偏愛・溺愛はしないように自己をセーブするバランス感覚が欠けているから「ペット依存症」になるのです。 このような視点から言えば、いつまで経っても落ち込んでいる彼女を「生涯の伴侶」として見限った彼は、それなりに評価すべきであると思います。 彼の上記の彼の行動を「おとなげない」とか「優しさがたりない」と思った方は、もしかしたらバランス感覚が欠けているのかもしれません。 「ペットを選ぶか、オレを選ぶか」と問われて戸惑う方は要注意です。 もし「ペット」を選んだとしたら、ペット以下の人物と付き合っていたことになるからです。 あやしいイベント 2007-07-31 10:58:19 先月、幕張メッセで「ATE」(ADULT TREASURE EXPO 2007)が開催されたとの報道があり、「ミスATEクイーンコンテスト」が開催されたそうです。 「ミス・コン」には「女性を性的対象として鑑賞するイベント」という側面がありますので、さらにネットで検索してみたら、このイベントは「成人を対象にした映像等の産業展」とのことでした。 「成人を対象にした産業展?」と言われると、さらに興味が深まります。 そこで協賛している団体を調べてみたら、元祖はAVN ADULT ENTERTAINMENT EXPOと呼ばれる米国で開催されているアダルト産業の展示会であることが判明しました。 つまり分かりやすく言えば、アダルトビデオやアダルトグッズ・セックス産業等の総合展示会であったのです。 ところが、このイベントの協力メンバーがまた意外な団体でした。 総務大臣所管 日本予防医学行政審議会 総務大臣所管 日本療術予防医学政策審議会 総務大臣所管 日本療術予防医学協会 総務大臣所管 日本予防医学推進委員会 なんで「成人を対象にした産業展」に総務省なのか? なんで「予防医学」が関係あるのかと思いませんか? 実は「総務大臣所管」の団体のうち、選挙管理委員会以外の団体等は「政治団体」なのであり、「政治団体」は総務大臣宛に届出書類をただ提出するだけで結成できる団体であり政治資金を集めることが主たる目的なのです。 念のため総務省に電話で確認してみたら、上記の政治団体には「W」という人物が関与しており、著者は数年前に「W」に直接寄付金を強要されたことがありました。 もうひとつ、「成人を対象にした産業展」と「予防医学」にどのような関係あるのでしょうか? それは上記の協力メンバーの中に、「日本エイズストップ基金」が含まれており、「成人を対象にした産業展」の発展とエイズ予防を連携させたいとの思惑があるらしいのです。 しかし、「予防医学」とはネット検索してみると「代替医療」のことで「代替医療」(だいたいいりょう)とは、医療機関において医師により施される医療すなわち、科学的に効果の証明された西洋医学、または医師による漢方薬による科学的根拠に基づいた医療ではない治療法の総称であり、補完医療または相補医療とも言う」とあり、主にコンドームの配布と使用を推進する「日本エイズストップ基金」の活動とは「似て非なるもの」でしかありませんでした。 「成人を対象にした産業展」の協力団体は、まさに魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)するアダルトなイベントにふさわしいメンバーであったようです。 水着姿のTVCM 2007-08-02 09:36:27 今年の夏は、水着姿のTVCMが特に多いと思いませんか? その内容は紫外線対策の化粧品からエステ・各種ドリンクなど枚挙にいとまがなく、しかも今年は「あのお堅い有名大企業」までもが水着CMを制作している状況です。 しかし、性愛懐疑派として水着姿のTVCMの増加に深い疑問を感じています。 女性の水着姿は「スリムになりたい」という女性の願望を刺激し、過剰なダイエットに誘導するという側面と、若い女性のセクシーな姿を見たいと思う男性の視線を集める効果があり、さらに男女の性差を際だたせることで「女性の水着姿は美しい・男性の水着姿は醜い」というイメージを拡散しかねません。 また性徴期にある10歳〜16歳頃の少年にとって、大人の女性の水着姿の「胸の谷間」やヒップライン・濡れた着衣は強烈なエロスを与える映像であることは明白です。 しかも、こうした問題にPTAや女性の側から疑義が発せられないことが問題であり、さらに男女平等という法的立場からあえて言えば、CMに登場する女性の水着姿の数だけ水着姿の男性が同じCMに登場すべきなのです。 今回は「あえて異論を述べる」という著者の立場で発言しましたが、個人的には水着CMは楽しく鑑賞させていただいております・・・ 夏休み性教育講座1 2007-08-03 17:36:55 これまで性教育と言えば、男女の性器の違いとか「雄しべ」と「雌しべ」の図を用いた受精の説明から始まるものであり、男子には禁欲的生活を勧め、女子には純潔であることの大切さを説くものでしたが、最近では「包括的性教育」という用語が生まれ性教育の内容が大きく様変わりしています。 これは親と学校ぐるみで支援せざるを得ないような少年少女間の妊娠が多発しており、さらに性交開始年齢そのものが低年齢化し、しかもその数が急速に増大していることが背景にあります。 そしてこの問題の最大のポイントは、「どうしたら禁欲を強要せずに、性交開始年齢を遅らせることができるか」という点に議論が集約されて来て、この問題に取り組む教育を「包括的性教育」と称するようになりました。 つまり、禁欲や純潔を説くことはもう事態を沈静化させる効果がないのであり、むしろ「少年少女が性交するのであれば避妊やSTD(性行為感染症予防)に配慮して行動せよ」という具体的な指導こそ重要だとようやく気付いたのです。 現代の大人たちは、自己あるいは他者の如何にかかわらず10代の子ども達が「愛してるからエッチしたい」「愛しているからエッチした」と言い出た場合、もはやそれをとどめるいかなる論理も説得方法もないのであり、ひたすら避妊方法を教えSTDの恐さを説くしかない時代であることを「いさぎよく」自覚すべき時代なのです。 こうした時代であるからこそ、性愛懐疑派は「まず愛について深く考える必要があるのであり、次に性行為の意味も深く考える必要がある」と主張しているのです。 夏休み性教育講座2 2007-08-05 12:55:45 前回は包括的性教育について説明し、性交開始年齢をどのように遅らせるか、そしてその議論は避妊法やSTD(性行為感染症)に関する具体的な指導が必要との結論に到達したというお話をしました。 すると多くの方がこのブログを読んでくださり、いまアクセス数が急増しています。 そこで今回は別の視点から包括的性教育について論じることにします。 実は性交開始年齢にばかり関心を向けていると少年少女による性交以外の性行為の問題が見落とされてしまうのです。 「少年少女による性交以外の性行為」といってもピンッと来ないかも知れませんが、少年少女たちは家の中を探し廻り、見つけたアダルトビデオを密かに見ていることが多く、そうした情報源からオーラルセックス(フェラチオ)や手指を用いた相互オナニー(ペッティング)に興味を持つ事例がかなりあります。 たとえば、著者が実際に遭遇したケースでは、ある少女が大好きな少年から一緒にビデオで見たことがあるオーラルセックスを求められ、それ以来約2年間ほぼ毎日彼の精液を飲み続けてきたという告白を聞いたことがあります。 著者がその理由を聞いたところ、彼女は「好きな人から求められたら断れないし、それに応じることが愛だと思う」とケロッと答えていました。 しかし、その少女の長い話しの中に彼である少年が「おまえのあそこはキモイ、奇形じゃないのか」と言ったことがあり、それ以来彼は少女の性器に触れようともしなくなったという話しが出てきて、しかも少女が「私はまだバージンです」と誇らしく言ったのです。 著者は何ヶ月も掛けて少女に「それは愛じゃないよ」と説明し、彼女がようやくその不自然さに気付いたとき、少女は突然著者の前で彼に電話を掛け「バカヤロー、オマエとは二度と会わない!」と怒りをあらわにしておりました。 現代はこの事例のように非常に歪んだ性愛関係が少年少女の間で横行しており、大人たちがそのことに気付かない状況にあります。 そして、その多く事例に大人たちのルーズな情報管理の問題が横たわっています。 (家庭の中にあるアダルトビデオやバイブレター等は、子どもの眼に触れぬよう厳重に保管すべきでしょう) 実は、性交開始年齢だけがすべてではないのです。 コメント 大人だって (未成年) 2007-08-05 23:33:19 不自然な性行為してるし不自然な関係を持っているし、妻がいて浮気してる人が、子供の…性について語っていいのか?うちの親父と同じだよ。もうブログ見たくなくなる前にもっといい話して下さい。 倖田來未とパチンコ 2007-08-06 13:01:07 【大人だって:(未成年)不自然な性行為してるし不自然な関係を持っているし、妻がいて浮気してる人が、子供の…性について語っていいのか?うちの親父と同じだよ。もうブログ見たくなくなる前にもっといい話して下さい】 未成年らしいストレートなコメントですね。 大人と未成年の違いは「自己責任」の有無にあります。 たとえ不倫していても、不自然な性行為をしていても「いかなる責任も自分で負う覚悟があれば何をしてもかまわない」という生き方が例外者の思想であり、この生き方は光源氏(源氏物語の主人公)以来普遍なのです。 そして、こうした例外者でも「自己責任能力」がない未成年の性交や妊娠には重大な関心を抱くべきなのであり、「自己責任能力」がない者の暴走はちからずくでも阻止する義務があります。 ちなにみ著者は「浮気」などしておりません。 至高性という選ばれたオトナの領域には法律も常識もないからです。 ------------------------------------------------------------- 先日ある下町のパチンコ店の店頭に「倖田來未」というエロカッコイイ系のアイドル歌手のポスターが貼ってあり、最近TVCMで流されている「倖田來未」のパチンコ台が、ようやく導入されたと表示されていました。 そしてなんとそのポスターの前に地元ではお嬢さん学校として知られている私立中学校の女子生徒たち12人ぐらいが集まり、「ワーッ、私もやって見たい」と大声で騒いでおりました。 なんとパチンコの機械を開発しているメーカーは、10代の女子生徒が将来パチンコをしたくなるような遊技装置を戦略的に開発していたのです。 こうした戦略を「コワイ」と見るか、「スゴイ」と見るか見解が別れるところですが、現代はあらゆるところで「オトナ向けの誘惑」が未成年者に向かって意図的に流出していることは確かです。 不特定多数の人物が出入りするコンビで、堂々とアダルト向けの雑誌を販売していることがその良い例です。 コメント 大人の責任 (元未成年) 2007-08-06 18:36:42 私も最近大人の仲間入りしましたが、責任の二文字には少し疑問です。実に私は妻子持ちとお付き合いしていますが、私は相手の家族に責任を負えるか?無理です。相手は私に対してどう責任を感じているのか?著者は浮気じゃなくて恋愛ですか?ずるくないですか?言葉を変えて逃げていませんか?相手の女性と奥さんにはどう責任をとるのですか? 責任なんて (相手の女性の代弁) 2007-08-07 18:14:03 責任なんてとってもらおうと、考えてしまうなら不倫イコール大人の恋愛ゲームをする資格ないです。恋愛に責任などありません。ただ相手を大事に愛せればいいのです。 不倫なんてバカ (Unknown)2007-08-07 22:51:09 なにが愛せればだよ!男は妻にはお前だけだよって言って浮気相手には妻なんて愛してない君だけだよ。って言ってんだよ。 浮気と恋愛のちがい 2007-08-09 09:47:54 出張中にコメントが3つ届きました。 【大人の責任 (元未成年):私も最近大人の仲間入りしましたが、責任の二文字には少し疑問です。実に私は妻子持ちとお付き合いしていますが、私は相手の家族に責任を負えるか?無理です。相手は私に対してどう責任を感じているのか?著者は浮気じゃなくて恋愛ですか?ずるくないですか?言葉を変えて逃げていませんか?相手の女性と奥さんにはどう責任をとるのですか?】 このコメントは不倫中の女性からのコメントなのでしょうか? まず「浮気」と「恋愛」の違いを定義してみます。 「浮気」は性欲を満たすため、あるいは逃避・打算・遊び・気晴らし・経済力の誇示など「不純な要素」が多く含まれます。 一方、「恋愛」はある種の熱病・恋愛という心理的中毒・「相手のためなら死んでもいい」と思うほどの真剣さ・オトナ同士の恋の駆け引き等が重視されます。 ただし、性愛懐疑派である著者の立場から見ると、愛とは心という池に浮かんだ気泡にすぎず、実に「はかなく」とりとめのない葛藤にすぎません。 換言すれば愛は大衆レベルの心象にすぎず、「オトナの恋」にはややゲーム的要素があり、「オトナの恋」も所詮大衆レベルの心象に留まっています。 そこで、上記の定義を前提に「不倫の責任の取り方」を述べてみます。 もしその不倫が単なる「浮気」であれば不倫がこじれたとき不倫相手の配偶者から慰謝料等の請求を受ける可能性があり、場合によっては不倫の相手から直接「手切れ金」や慰謝料(生活費の返還・婚約不履行等)を請求されることがあります。 また不倫がこじれたとき、「責任を取れ」となじられ、その直後にどちらかの不倫相手が突然姿を消したり、逆に恐喝まがいの金銭的要求を受けることがあります。 一方、もしその不倫が「真剣な恋愛」であれば、何らかの問題が生じて「不倫の責任を取れ」と追い詰められた時、駆け落ちするとか心中する・離婚・別居という精算を経た上で不倫同士が同棲したり結婚することになります。 世間一般的には「真剣な恋愛」のほうが周囲に同情され、「責任」は軽く寛容に受け入れられることが多いのです。 そして、こうした視点で二つ目のコメントを見てみましょう。 【責任なんて (相手の女性の代弁):責任なんてとってもらおうと、考えてしまうなら不倫イコール大人の恋愛ゲームをする資格ないです。恋愛に責任などありません。ただ相手を大事に愛せればいいのです】 もうお判りだと思いますが、このコメントは 「真剣な不倫恋愛」について述べたものです。 しかし、三つ目のコメントは、 【不倫なんてバカ (Unknown):なにが愛せればだよ!男は妻にはお前だけだよって言って浮気相手には妻なんて愛してない君だけだよ、って言ってんだよ】とあり、明らかに「浮気」を前提にしていることが分かります。 今日のブログの終わりに、 【著者は浮気じゃなくて恋愛ですか?ずるくないですか?言葉を変えて逃げていませんか?相手の女性と奥さんにはどう責任をとるのですか?】という質問にお答えしたいと思います。 もう分かっていただけたと思いますが、「浮気」と「恋愛」は言葉を換えたものではなく、その内実には明らかな差異があります。 従って「ずるく・・・言葉を変えて逃げている」わけではありません。 次に【相手の女性と奥さんにはどう責任をとるのですか?】との質問ですが、著者の場合は浮気でも恋愛でもありません。 「煙に巻く」といわれそうですが、実は「愛」や「恋」の先に至高性と呼ばれる愛や信仰を超越した領域があるのです。 そこには「責任」も「法律」も「常識」も「世間体」も超越した官能的でファンタジーな領域があるのです。 コメント いくら (Unknown)2007-08-09 23:03:27 戸籍上の妻だけの関係とはいえ、奥さんはパートナーに焼き餅を焼かないんですか? 焼き餅もプレイ (Unknown)2007-08-10 10:28:34 焼き餅の演技も必要です恋の駆け引きには必要 初めて読みました。 (Unknown) 2007-08-10 20:57:48 一番の不思議な人はパートナーって人ですね!どうしてなったのか?なぜパートナーなのか? 残暑お見舞い申し上げま〜す♪ 2007-08-12 22:35:14 【いくら (Unknown):戸籍上の妻だけの関係とはいえ、奥さんはパートナーに焼き餅を焼かないんですか?】 そりゃ、ヤキモチは妬きますが、「どんだけ〜」の焼き加減の問題なのです。 それと、いつ同居人に刺されてもいいと言う覚悟は必要ですが。 【焼き餅もプレイ (Unknown):焼き餅の演技も必要です、恋の駆け引きには必要】 確かにヤキモチは恋のスパイスとして活用できますが、著者と同居人の間に「駆け引き」はありません。 ちなみに、著者は同居人について語りたいのですが、かねてより同居人より「私のことを面白おかしくブログに書かないで」と抗議しておりますので、同居人に関するコメントは避けたいと思っております(と、一応書いておきます:笑) 【初めて読みました(Unknown):一番の不思議な人はパートナーって人ですね!どうしてなったのか?なぜパートナーなのか?】 著者が言うパートナーとは、「生きて戻れないかも知れない、破滅するかもしれない」という覚悟で「至高性」をめざす著者のために厳選された伴走者のことです。 「どうしてなったのか?」ですって! ただ出会った一瞬でパートナーをパートナーとして見抜いたとだけ言っておきます。 またそのパートナーも、著者に出会った瞬間に著者を強烈な例外者として察知したそうです。 「なぜパートナーなのか?」ですって! これは愚問です。 パートナーは、パートナーだからパートナーなのです。 禅の世界では言葉や文字で現せない悟りを「不立文字」(ふりゅうもんじ)と言うのですが、ここから先はまさに文字や言葉では現せない領域なのです。 コメント 皆様見習おう。 (Unknown)2007-08-14 00:44:35 著者が素晴らしいのは必ず正確に答えないところですね。例えば同居人との間に駆け引きがない〜同居人にはアナタとの間には嘘偽りなどないんだよ。それほど一番に愛している。彼女には、駆け引きなんていらないのさ!妻とは愛がないから!と二種類の答ができる。読者にも想像させる。素晴らしい愛のプレーヤー シコウセイ? (Unknown)2007-08-14 05:18:34 現実話?妄想を極める?快楽への道?Hのマニュアル?爺さんの独り言?何か実話があるの? 戦争は愛であるか? 2007-08-15 00:20:20 【皆様見習おう (Unknown):著者が素晴らしいのは必ず正確に答えないところですね。例えば同居人との間に駆け引きがない〜同居人にはアナタとの間には嘘偽りなどないんだよ。それほど一番に愛している。彼女には、駆け引きなんていらないのさ!妻とは愛がないから!と二種類の答ができる。読者にも想像させる。素晴らしい愛のプレーヤー】 このコメントは深読みのし過ぎです。 むしろ著者の同居人は社会にとってかなり「邪悪な存在」なのです。 このため著者が「おもし」となってその邪悪さが外部に流出しないように蓋をしている状況なのです。 その蓋が時々吹き飛ばされて、周囲がひどい目に合うことも・・・あるのですよ。 もしそれを「愛」と呼ぶのであれば、「戦争」を愛と呼ぶことも可能になるはずです。 「シコウセイ? (Unknown):現実話?妄想を極める?快楽への道?Hのマニュアル?爺さんの独り言?何か実話があるの?】 至高性とは「至高性 呪われた部分」ジョルジュ バタイユ著(翻訳:湯浅博雄等) によって触発され、定義された官能的快楽による「ある種の非宗教的さとり」のことです。 「大衆的・宗教的さとり」は、あらゆる妄想を抹殺しようとしますが、ジルドレ→サド→ニーチェ→バタイユと受け継がれた「例外者の系譜」は、妄想や官能的快楽を強化することで至高性に到達してきました。 実話や現実は、法律や常識等の社会規範という見えない檻のなかの人為的遊園地にすぎません。 これに比べ、強化され純度が高められた自在なる妄想は、大衆の妄想よりもっと怖ろしく、現実よりも凶暴でコントロール不能の強大なエネルギーを一気に噴出します。 このため無知なる大衆が妄想を故意に強化したら、間違いなく犯罪者か変質者となります。 しかし大衆ではない例外者は、この爆発的エネルギーを活用して「この世の者ではない、何ものにもとらわれない、何ものでもないもの」をめざすのです。 ただし、ここは大衆が立ち入ろうとしても、決して立ち入ることができない「呪われた領域」ですので頭で理解しようとしないでください。 コメント 日本に (Unknown)2007-08-15 21:46:26 例外者って何人いるんですか? 例外者の数 2007-08-16 00:30:00 【日本に (Unknown):例外者って何人いるんですか?】 至高性に到達した例外者で生存している者は、たぶん著者一人だと思います。 しかし、大衆であることに疑念を抱きつつある準例外者は、我が国に120名ほど存在しそうです。 その根拠として、福岡市に約1年間開設した「飾り窓の天使」という名称の例外者のための誘導灯に自らアクセスし、さらにそこから「脳内写生」と言うタイトルのこのブログに辿り着き、しかも1年半もの間この難解なブログをじっと読み続けている「沈黙せる読者」の数が、平均すると常に約120名いるからです。 実はこの準例外者の数は多すぎるのであり、著者はこのブログを通じて「ことあるごとに大衆をふるい落としながら」、この120名の読者の中からさらに選ばれたごく少数の異質な真の例外者を選び出す努力を続けています。 至高性に到達した例外者は、ほぼ100年ごとに一人が地上に出現していますが、彼らはすべて身近に大衆を近づけないように、故意に「誤解される言動」を繰り返し、大衆に嫌われ、大衆に誤解されることを名誉と思う生き方を貫いてきました。 ちなみに著者も「大衆に理解されるくらいなら死んだ方がマシだ」と心底思っております。 盗撮について 2007-08-17 11:40:46 最近見たTVのリポート番組で、海水浴に来ている水着姿の女性をビデオカメラで隠し撮りして検挙された男性が取り上げられ、こうした事件がとても多いとリポーターが告げていました。 また、「盗撮」という用語をネット検索してみると実に多彩なサイトが存在し、盗撮映像が売買されていることも分かります。 このため盗撮行為は都道府県の迷惑防止条例によって禁止されており、有罪が確定すると1年以下の懲役又は100万円以下の罰金が課せられます。 ところが意外なことに、この「盗撮」の定義があいまいなのです。 現在、盗撮を取り締まる法律を作るための議論が国会で行われていますが、それは法律を作り盗撮にに罰則を設けるというものであって、「どこまでが合法で、どこからが違法なのか」という明確な定義を設けた法案ではありません。 換言すれば、「盗撮」はそれほどあまいで取締りが難しい行為と言えます。 たとえば「軽犯罪法1条23項(窃視罪)」では、「正当な理由がなく、他人の住居、浴室、便所、その他人が通常衣服をつけないでいるような場所を密かに覗き見た者は拘留又は科料に処する」と定めていますが、この法律では「水着を着用して海水浴に来ている女性」を公然と「夏の風景の一部」として撮影した事例では取締りができません。 開放的な海辺で思い切り肌を露出することで「注目されたい・自己表現したい」と思っている若い女性を見知らぬ男性が撮影して記憶に残したいと思うのは、男性として当然の発想であり、もし「見られたくない・撮られたくない」と思う女性は目立つ水着を着なければいのです。 なお、「水着を着用して海水浴に来ている女性」を「取材」という名目で無断撮影した場合でも、被写体である女性が明確に取材を拒否しないかぎり、違法とはなりません。 なぜならこうして撮影した映像を、TV局は昔も今も夏の風物詩として堂々とオンエアするからです。 (無論、プライバシー保護の観点から被写体の顔をボカすことがあっても、水着姿は堂々と放映されてしまいます) ただし、女性トイレや更衣室に小型ビデオカメラを設置したり、他人の家に盗撮カメラを密かに取り付け、画像を電波で送信することは不法侵入となり、電波法等に違反します。 また植草元教授のようにエスカレーターに乗って、ミニスカートの女性の下半身を鏡で覗いたり、携帯カメラで撮影することは盗撮ではなくて痴漢行為となります。 なぜならミニスカートの女性の下半身を鏡で覗いたり携帯カメラで撮影すること、あるいは赤外線カメラを用いて女性の水着を透視することは、広義の意味で「着衣の中に侵入」することであり、盗撮は二次的な行為と見なされるからです。 コスプレ・コンテスト 2007-08-18 11:05:42 盗撮をテーマに取り上げたところ普段の3倍ものアクセスがあり、「アンタも好きねェ」という現実を改めて見せつけられました。 8月5日、愛知テレビ主催の「世界コスプレ・サミット2007」が名古屋市の大須で開催され、翌日は同市中区で「世界コスプレチャンピオンシップ」が開催されドイツ・スペイン・イタリア・フランス・中国・シンガポール・タイ・ブラジル・日本がコスプレ・コンテストに参加しました。 ところが、このコスプレの国際コンテストの出場条件を調べてみて、ふと疑問を抱いたのです。 参加資格: 1.日本のマンガ・アニメ(ゲームも可)のコスチュームであること 2.衣装は手作りであること、既製品は不可。 3.全て本人の手作りが望ましいが、一部家族・友人の手助けを受けても可。 4.既製品を加工し、コスチュームに使用するのは可。 5.年齢は18歳以上、18歳未満の場合は、両親の許可を得ることが必要。 6.世界コスプレサミット2007で自己制作のパフォーマンスをすること。 7.世界コスプレサミットに関して、主催者から資料提出を求められた場合は、速やかに用意し提出すること。 8.世界コスプレサミットへの積極的な協力。 著者が最も疑問を抱いたのは参加資格の第一条件が「日本のマンガ・アニメ(ゲームも可)のコスチュームであること」という記述でした。 なぜ国際コスプレ・コンテストが我が国のアニメのコスチュームに限定しなければならないのでしょうか? なぜ、コスプレをアニメとゲームのキャラクターに扮することに限定しなければならないのでしょうか? コスプレとは「もう一人の自分になりきること」であり、そのイメージは人それぞれ違うはずです。 いかに日本のアニメが世界を席巻しているとしても、「世界コスプレチャンピオンシップ」と名乗るからには、せめて外国のアニメや創作コスプレにも参加の門戸を開いて欲しかったと切に思います。 ちなみに著者は「人格を遊び着のように着替える」ことができる至高性の研究過程で、コスプレに強い関心を抱きライフワークとしてコスプレを研究していますが、まだ著者自身がコスプレを経験したことはありません。 トリンプ美尻コンテスト 2007-08-20 00:34:24 女性用下着メーカー「トリンプ」が、ネット上で世界一美しいお尻を決定するヒップコンテスト「SHOW ME YOUR sloggi〜あなたのsloggi(お尻)を見せて〜」を開催しています。 参加方法は、下着か衣服を着用したお尻の写真をネット上に投稿するだけで、すでにこのサイト上には世界各国の美尻がズラリと並んでいます。 ちなみに優勝者はオンライン投票によって選ばれ、日本大会の優勝者には芸能界デビューが約束されており、世界大会の優勝者にはモデル契約と賞金約162万円および美尻のための傷害保険加入という特典がついています。 実は著者の身近にとびきりの「美尻」女性がおりますので、このコンテストにぜひ応募したいと思っています。(ほら、誰だろう?って想像しているでしょ?) ちなみに、世界大会は男性も応募できます・・・ でも良く考えてみると、このコンテストは実物の美尻審査ではなく写真画像だけの審査なので、撮影の角度や照明の当て方等で相当イメージが変わると思いますし、いざとなれば画像処理という手段だってあるのです。 そうだ、お尻用のヌーブラという手もあったぞ・・・ コメント 応募したい? (Unknown)2007-08-20 00:48:16 あなたのお尻じゃないんだから、きっとお断りされますよ(≧∀≦) 処女懐胎!? 2007-08-21 00:38:53 【応募したい? (Unknown):あなたのお尻じゃないんだから、きっとお断りされますよ(≧∀≦)】 あっ、どうやら「美尻」のご本人からコメントが来てしまったようです・・・ できれば世界中の男性に、あのお尻を見せてあげたいのですが。 --------------------------------------------------------------- 受精していないマウスの卵子を取り出し、その卵子の遺伝子を2ヶ所操作してから再び子宮に戻したところ、受精していないマウスの卵子だけでそのマウスが妊娠し、確率30%の割合でマウスの子孫(子供)が生まれたというニュースがありました。 将来は、高級和牛を効率よく繁殖させる技術として注目されていますが、いずれは妻を妊娠させることができない夫が妻の遺伝子のみを受け継いだ実子を設けたい時に利用される技術となるかもしれません。 卵子が精子ぬきで受精と同じように細胞分裂し、妊娠同然の現象が起きるのであれば、キリスト教は「聖母マリアの処女懐胎神話」の証拠として悦ぶことでしょう。 それはさておき、このブログでは何度か「すでに一夫一婦制は崩壊している、一夫一婦制は『国家が結婚相手を制約するもの』であり、厳密にいえばプライバシーの侵害であり、将来は女性と女性の婚姻・男性と男性・人間と動物の婚姻も認めるべきである」と主張してきました。 著者は同性愛者ではありませんが、性愛懐疑派として「あらゆる性愛が肯定され、自在であるべきである」との立場から、同性間の婚姻も早期に認めるべきであると確信しています。 素人と玄人の境界線 2007-08-22 10:57:07 このブログでは何度か「若い女性の短パン+ヘソ出し+見せパン+見せブラ」ファッションについて著者の見解を述べてきました。 これまでの見解を要約すると、 1.「若い女性の短パン+ヘソ出し+見せパン+見せブラ」ファッションは男性の視線を集め男性の目の保養になっており、著者を含めて基本的に男性は皆楽しんで見ている 2.しかし、時と場所と状況を考えて欲しい。たとえば通勤着や普通の商店での仕事着として、あのファッションはNGである 3.あの過激なファッションは、たしかに男性の視線を集める効果はあるけれども、同時に男性の性欲をストレートに刺激することがあることを女性は自覚すべきである。従って、あのファッションで満員電車に乗り込んできて「肌に触れた」だの「上から胸を覗かれた」だの言わないで欲しい等 ところで連日の猛暑が続く日々の中で、上記の視点に一つ欠けている要素があることに気付きました。 それは素人(シロウト)と玄人(クロウト)の境界が、あの「若い女性の短パン+ヘソ出し+見せパン+見せブラ」ファッションによってさらに曖昧になってきているという現実なのです。 かつてのファッション業界には「シロウト向け」と「水商売向け」の棲み分けがあり、シロウト女性は絶対にお水系のファッションをしないと言う不文律がありました。 ところがおよそ10年ほど前から、結婚披露宴の会場にいる招待客の若い女性がお水系と見まがうような背中が開いたロングドレスを着ていたり、まるで風俗嬢と見まがうような超ミニのハデハデ・スケスケファッションで街を歩いていた女性が、突然丸の内の「文部科学省」に入って行き、警備員に堂々とIDカードを見せて入館していく等の状況が日常化しています。 服装や外見で相手を判断すべきではありませんし、かつて「好きな服着ているだけさ〜悪いコトしてないよ〜♪」という歌もあったように、著者は個性の表現・自分らしさの確立に反対する訳ではありません。 しかし服装は社会的人格の象徴(警官の制服・営業マンのスーツ姿等)あるいは文化的な象徴(指揮者のタキシード姿・お祭りのハッピ等)でもあり、服装は第二の肌(肌や肌の色を隠したり、強調するもの)、もしくは内面の脆さを補う鎧(よろい:軍服・礼服等)でもあるのです。 こうした現実的視点から、あの「若い女性の短パン+ヘソ出し+見せパン+見せブラ」ファッションを眺めて見ると、あの品の悪いファッションは「オトナ社会に対する若者の反抗」というよりは、「シロウト向け」と「水商売向け」の棲み分けの崩壊を自虐的にさらに加速しようとするある種の「暴走」でないのかと思われるのですが、読者のご意見はどうでしょうか? メイド喫茶文化論 2007-08-23 23:01:49 メイドカフェやメイドリフレ(メイドによる足裏マッサージ)がブームになって、すでに6〜7年経つのではないかと思います。 メイド系のサロンは、いずれ飽きられ、いつかすたれるのではないかと思っていたら、最近は海外に進出したり、ゲーム化されたりして、どうやらサブカルチャーとして完全に定着しており、秋葉原ではもはや観光ルートに織り込まれたり、駅前のメイド服姿のチラシ撒きが「名物」になってしまいました。 なぜメイドカフェ等のブームが続くのでしょうか? そろそろこの社会現象を、真面目に研究して見てもいいのではないかと思うのですが。 著者の一つの見解は、コスプレとは別の人格を着たり脱いだりすることであり、さらにメイド姿になることで今日失われた「身分の差」を復活させ、その差異強調し明確するサロンを構築することで客に優越感を与える装置となっていることです。 ビデ倫について 2007-08-24 12:12:22 昨日、アダルトDVD等の画像修整審査が不十分だったとして警視庁保安課は、「わいせつ物頒布ほう助」の疑いで東京都中央区の「日本ビデオ倫理協会」(通称:ビデ倫)などを家宅捜索しました。 ちなみに、ビデ倫が同容疑で強制捜査を受けたのは初めてなのだそうです。 戦後まもなく、成人向け映画を審査するために映画業界が自主審査機関である「映倫」を設立し、この「映倫」の審査が通っていれば警察が公開された映画を「ワイセツである」と告発しても、裁判所が判決の中で「映倫」の審査結果を支持するというところまで「映倫」の権威は高められてきました。 一方「ビデ倫」(ビデオ倫理審査会)は、そうした「映倫」を模倣する形で設立され、過激なAV画像を自主審査し、「ワイセツなビデオ等が流通しないように自己規制する目的でAV業界が設立した機関であり、業界内部では「ビデ倫」が最も厳しい審査基準を設けているとさえ言われていました。 今回の家宅捜査は、いわば影響力の大きな「ビデ倫」に対して「自主審査や修整審査がまだ不十分である」と警視庁が判断した結果であり、特に今回は過激化する一方のAV作品全体に対する厳しい「ダメ出し」の意味合いが濃厚です。 なんでも最近「ビデ倫」は、「モザイク新基準」と呼ばれる規制緩和を行い、モザイク処理していてもほとんど局部が見えてしまうような画像処理を行い、これが「わいせつ物頒布ほう助」あたると見なされたようです。 実は、性愛の世界は隠し方によっては「直接見るよりも、よりワイセツに見える隠し方」あるのであり、この際AVメーカーはなんでもモザイク処理するのではなく、少し隠して妄想をかき立てるような映像作りを試みてはいかがでしょうか? ただし性愛懐疑派である著者にとって、AV作品はあくまでも「作り手が買い手を発情させるべく企画し、これを販売することで利益をあげる目的で作られた商品化された性欲」(発情装置:上野千鶴子著要旨)はオリジナルな性欲ではないので、いくらこれを見ても各自の性欲が満たされることはないと確信しております。 またオトナが自己の責任において「ワイセツ物」を保有したり鑑賞することは、法的にはなんら問題がなく、本来国家が介入すべき分野ではないと思います。 (このブログは昼休みにUPしましたの、後で加筆訂正します) ワイセツとは? 2007-08-26 22:50:41 著者は前回このブログにおいて「オトナが自己の責任において『ワイセツ物』を保有したり鑑賞することは、法的にはなんら問題がなく、本来国家が介入すべき分野ではないと思います」と述べました。 しかし後でこのブログを読み返してみると、我が国ではいまだ『ワイセツ物』の定義が曖昧であり、しかも「ワイセツ」か「ワイセツ」でないかの判断が裁判所によって認定され、その裁判所の判断は個々の裁判官による「一般社会において行われている良識すなわち社会通念」にもとづいて判断されてることを説明しなければならないことに気付きました。 過去の有名なワイセツ裁判と言えば、 日活ポルノ裁判(無罪判決) 四畳半襖の下張事件判決(罰金刑) チャタレー事件に関する最高裁判所判決(昭和32年3月13日大法廷判決 有罪) 悪徳の栄え事件(罰金刑) が有名ですが、実はこれらの裁判はあくまでも「ワイセツな文書等の頒布(はんぷ)もしくは販売等に限って処罰の対象としたものであり、ワイセツ裁判において裁判官はその書籍が頒布・販売された場合、読者の好色的興味に訴えるものと認められるか否かを検討し、さらにその時代の健全な社会通念に照らして、それが「いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものといえるか否か」を判断します。 従ってワイセツ裁判は、裁判官(国家)が個々の国民に対して特定の価値判断や道徳観念を強制し、その脳内の妄想を抑圧するものではないのです。 だからこそ著者は「オトナが自己の責任において『ワイセツ物』を保有したり鑑賞することは、法的にはなんら問題がなく、(性愛や官能的快楽の領域には)本来国家が介入すべき分野ではない」と述べたのです。 なお青少年保護育成条例等を制定している都道府県では、著しく性的感情を刺激し、少年の健全な育成を阻害するおそれのある図書を有害図書として個別に知事が指定し、その販売等を規制していますが、有害図書とは全体の2割に「性的好奇心をそそるため」の描写があり、さらに衣服を脱いだ人の姿態では、大腿部を開いた姿態・陰部・臀部又は胸部を誇示した姿態・自慰の姿態・排泄の姿態・愛撫の姿態又はこれを連想させる姿態・緊縛の姿態、性的な行為を表す場面では、男女間の性交又は性交を連想させる行為・強姦・輪姦その他の陵辱行為・性交類似行為・変態性欲に基づく性行為があるものと定義されています。 はたして「全体の2割」という基準は文字数なのか、時間なのか、回数なのか・・・ヨクワカリマセン。 サンマは目黒、ワイセツは脳内写生に限る! ビーチバレー:浅尾美和選手 2007-08-28 00:57:23 日本ビーチバレー連盟主催の「マーメイドカップ」に出場している浅尾美和選手(21歳)が試合前に殺到したファン囲まれ、あわや「セクハラ事件?」「痴漢行為?」かとTVで報道されました。 実は、「セクハラ」とは主に職場における性的嫌がらせのことであり、人気がある女性スポーツ選手がファンに囲まれて「もみくちゃ」にされたからと言って、即「セクハラ」になるハズがなく、また身体を触られたことが即「痴漢行為」になるものではありません。 最近「スポーツアイドル」(スポドル)とか「アイドルアスリート」という造語まで出現し、人気がある女性スポーツ選手が写真集を出したり、サイン会を開くなど競技以外の分野でも人気を煽っているケースが数多くあり、その結果人気を煽られたファンがひいきの選手を見付けて殺到することはむしろ当然の出来事であり、それはあくまでも「有名税」の一部にすぎません。 特に上記の連盟は公式HPの中で「観戦時のお願い:撮影に関する注意」として、 「選手の権利を守るために、また、選手が試合に集中できるように本大会においては撮影について規制させて頂きます」と断ったうえで、 ・スチール(カメラ)、ムービー(ビデオカメラ)の使用は一切禁止 ・携帯電話付属カメラも使用禁止 ・ご不便をおかけしますが、選手のためにもご協力お願い致します と、撮影の全面禁止を打ち出しているのです。 人気が過熱していて、撮影を全面禁止されたら、ファンは試合前の「ナマ美和チャン」を見付けたら一気に殺到して「もみくちゃ」にするのは、むしろ当然の結果であり、こうした状況を招いたのは、あくまでも主催者側の警備の手落ちであり、無防備と言うほかありません。 同連盟の公式HPにはビーチバレーの試合の様子が動画で見られるようになっており、「健康的な小麦色の肌」に「小さなビキニ」をまとい、懸命にボールを追いかける選手の姿が観戦できるのですが、ときおり「小さなビキニ」からはみ出しているお尻がアップで画面一杯に表示されるなど、どうみても主催者側が「チラリズムを売り物にしている」ような意図が見受けられるのです。 著者はこのブログで何度か「セクシーなスポーツ」(女子フィギュアスケート・シンクロナイズドスイミング・新体操・女子テニス等)を取り上げ、これらのスポーツにひそむエロティシズムとそれを売り物にする協会やメディアの存在を指摘してきましたが、「セクシーなスポーツ」は抑圧するのではなく、むしろ健全な方法で発散・昇華させ無害化させるほうがいいと考えています。 試合中の撮影が競技の邪魔になるのは、他のスポーツでも言えることであり、「写メ」まで規制したらファンの欲求不満は高まる一方でしょう。 スポドル:浅尾美和さんガンバレ! 夏休み性教育講座 3 2007-08-28 18:46:45 夏休みももう終わりなのですが、夏休み後に急増すると言われている「中絶」についてお話します。 1955年当時、我が国の人工妊娠中絶は年間117万件もあったのに、それがいまでは30万件以下に減少したとの専門家のデータがあり、我が国の産婦人科医の多くが確かに中絶が減少したと実感しているのだそうです。 かつて海外では、我が国の中絶の多さを揶揄(やゆ)して『堕胎天国』などと酷評していた時代もあったのですが、いつの間にか事態は急変していたようです。 ちなみに、避妊教育を奨めている団体では「中絶が減少した理由」として、 1.高校での性教育の効果 2.避妊教育及びインターネット等による避妊方法の普及 3.妊娠だけは避けたいと言う考えが一般化した 4.低用量ピルや緊急避妊ピルの普及等を揚げています。 実は、我が国における低用量ピルの普及率は僅か1.8%(西欧先進国では50%以上)に過ぎません。 また緊急避妊ピルは、我が国では未承認薬であり、入手が困難です。 と、なると中絶の減少は性教育の効果と言わざるをえないのですが、本当にそれだけ効果がある避妊教育が我が国で行われているのでしょうか? やや想像をたくましくしてみると、避妊教育が普及し過ぎたことが我が国の少子化の一因なのであり、その効果と少子化の相乗効果で人工妊娠中絶が急激に減少したと見ることもできるのであり、さらに中絶の減少と少子化の伸展が産婦人科医の経済的収入を減少させ、それに伴って産科医の数も減少し、実際にお産を引き受けてくれる産院までもが減少したのではないのか・・・と推測することもできます。 著者は最近まで、産婦人科医の減少はお産というハイリスクな医療行為を忌避したがる医師が増加したためと思っていたのですが、どうやら真の原因は避妊教育の効果と急激な少子化にあったようです。 中絶という母体を危険にさらす手術と幼い生命が暗闇に葬られることが少なくなったことは、もっと大きなニュースとして国民に知らせるべきと思うのですが、どうして我が国のメディアはこの問題に消極的なのでしょうか? 愛人への手紙 2007-08-30 10:24:43 漢字は象形文字(山・川・魚・門などモノの形から生まれた文字)と、これらの文字を組み合わせた文字(峠・開・訓など)があり、漢字は中国で作られました。 ところが我が国に伝わったとき、この漢字のニュアンスが微妙にズレてしまい、たとえば「愛人」と言う言葉は日本と台湾では同じ「世間に知られたくない、いとしいひと」の意味ですが、中国で「愛人」と書くと配偶者のことであり、韓国では恋人の意味になります。 また良く知られたことですが「手紙」という文字は、中国や台湾では「トイレトペーパー」を意味し、韓国では通じないそうです。 さらに我が国の「豆腐」は本来「納豆」のことであり、我が国の「納豆」は本来「豆腐」のことであるとも言われており、中国では婦人の「婦」は「女ヘンに帚(ホウキ)と書くので「婦人」と書くと「ハウスキーパー」の意味になるそうです。 有名な般若心経は全文が漢字で書かれていますが、実は漢字として意味がある部分と、古代サンスクリット語を耳で聞いて音写(原語に近い音感も持つ漢字を当てはめること:たとえばアメリカ→亜米利加など)した部分があり、我が国の仏教界ではこの経典を解釈する際、すべての漢字に意味があるとみなして解釈します。 このため般若心経は本来の意味とかなり乖離した内容となっています(中村元著:バウッダ仏教 要旨)が、それでも強引に「ありがたいお経」として押し通すのが我が国の仏教界なのです。 アンネの日記 2007-08-31 13:10:30 「アンネの日記」 あらすじ 「アンネの日記」の著者アンネ・フランクは、1942年オランダのアムステルダムでヒトラー率いるナチスの侵攻により、ユダヤ人であることを理由に追い詰められ一家は隠れ家生活をよぎなくされます。 この隠れ家生活は約2年間におよぶこの生活の中で、感受性の強いアンネはさまざまな思いを日記につづり、のちにこの日記が発見され出版されたのが「アンネの日記」です。 2年後、一家は発見されナチスの強制収容所でユダヤ人であることを理由に毒ガスで処刑され15歳の生涯を終えました。 それは、収容所が解放される1ヵ月前のことだったのです。 思春期の少女アンネが残した平和へのメッセージは今も色あせることなく、今なお私たちの心をゆさぶり続けています。 関心がある読者は「アウシュヴィッツ平和博物館」のHPをご覧ください。 http://www.am-j.or.jp/exhibition/002_auschuwitz.htm ところで、この「アンネの日記」にはこんな記述もあるのです。 「内側は真っ赤で、醜くて、生肉っぽい感じです。てっぺんに、外側の大陰唇にはさまれてちっぽけな皮膚の重なりがあり・・・これがクリトリスです」もちろん、発表当時この記述は削除されていました。 著者は名作「アンネの日記」の品位をおとしめるつもりはありません。 そうではなくて、ナチスから逃げ回る生活を2年間も続け、現代では考えられないほど性的抑圧が強かった時代に、しかも恐怖と食料難に脅え、狭い隠れ家にいた13〜15歳の少女の内面に、これほど強い性的関心が潜んでしたという事実なのです。 追い詰められた生活だからこそ、押さえがたい欲求がこみ上げてきたのかもしれません。 コメント 何度も (Unknown)2007-08-31 22:37:43 読み返した本でした。 何度も涙が出ました。 その文章は私の記憶にはありません。たぶん載ってなかったと思います。でもアンネの恋心は書いてありました。人を想う気持ちってとても強く生きる力になるんだなと子供心に感じたものです。 アンネ・フランク 2007-09-03 13:30:24 【何度も (Unknown):読み返した本でした。 何度も涙が出ました。 その文章は私の記憶にはありません。たぶん載ってなかったと思います。でもアンネの恋心は書いてありました。人を想う気持ちってとても強く生きる力になるんだなと子供心に感じたものです」 確かに「アンネの日記」は多くの人の心を揺さぶり、世界中で愛読されたベストセラーなのですが、イメージに合わない記述は刊行にあたり家族等の希望で削除されていますので、編集されていない完全版はまだ出版されていないのではないかと思います。 でもアンネ・フランクの真の内面を知るには他者が手を加えた本より、実際に彼女が書き記した文書に触れるほうが、より実像に近づけるはずです。 ただ・・・アンネがあの日記を「公表」することを前提にしていなかったとすれば、彼女の実体に近づこうとする試みは彼女のプライバシーを暴き立てることになってしまうのです。 ダルビッシュの結婚 2007-09-04 22:37:18 マタニティ・ブライダルという用語があることをご存知ですか? ネットで「マタニティ・ブライダル」を検索してみると、「マタニティ・ブライダル・インナー」に関するサイトがたくさんヒットします。 マタニティ・ブライダルとは要するに「出来ちゃった結婚」のことであり、さらに「出来ちゃった結婚」の際に特別な下着を身に付けることで腹部を目立たなくするインナーまであるという訳です。 換言すれば、それほどマタニティ・ブライダルが多いのであり、最近では「出来ちゃった結婚」がむしろ当然といった風潮まであることになります。 しかし問題はここからなのです。 では、なぜマタニティ・ブライダルや「出来ちゃった結婚」が多いのでしょうか。 それは結婚を望んでいる女性に対し、男性が積極的に「結婚しょう!結婚してください!」と言わないことに原因があるのです。 女性はどんなに強く見えても「プロポーズだけは男性からして欲しい」と切望しているのであり、決して女性は自分から「結婚してください」と言いたくないのです。 このため女性たちは妊娠という既成事実を男性に突き付けることで、優柔不断な男性から「結婚しょう!」という一言を引き出すのです。 結局マタニティ・ブライダルや「出来ちゃった結婚」の陰にヤワな男性の存在があり、さらに「プロポーズだけは男性からして欲しい」と切望している古風な女性がいるのです・・・ ダルビッシュ君はどうだったのかな? 「出来ちゃった結婚」のあとでやがて生まれてくる赤ちゃんが、心から両親に待望されて誕生する赤ちゃんであることを願うばかりです。 風俗マニア 2007-09-06 09:33:38 出張中の新幹線のなかで隣の乗客が「収入の大半を風俗店とソープランドで使い果たす人がいる」と話していました。 当人は「エイズで死んでもいい」と豪語しているそうですが、性愛懐疑派たる著者から見ると、そうした蕩尽(オンナ遊びで財産を使い尽くすこと)は外見が豪快に見えるだけで、実は見知らぬ他人が企画した性欲に振り回されやすい人物なのです。 風俗店やソープランド・アダルトビデオ等は性欲を外部に依存しやすい人物をターゲットとして企画し商品化した性的サービスにすぎません。 これをあたかも「自分の性欲である」かのごとく勘違いして買いあさることは、見知らぬ他人に自分の性欲を委ね、さらに金銭を巻き上げられる愚かな行為なのです。 人は各々「何をしたいのか、何をされたくないのか」が異なるのであり、性愛の世界は各々オリジナルな性欲が存在し、好みが複雑かつ微妙になります。 それなのに自己の性欲を無防備に見知らぬ他人に委ね、他人が企画した「商品化された性欲」に対して金銭を支払うことは、あまりにも軽率すぎます。 著者は「商品化された性欲」に何ら疑問を抱くことがない人を「大衆」であるとみなし、「商品化された性欲」を拒否する人を「選ばれた例外者」であるとみなしています。 第二の性器 2007-09-07 17:25:07 口は「第二の性器」と呼ばれており、その外形は女性器に酷似しています。 そしてその口に、あまり清潔とはいえないペニスを挿入する行為をフェラチオ(オーラルセックス)と言いますが、「フェラチオされることで彼女の愛の強さを感じる」男性も多く、一方彼のペニスを口に含むことが悦びと感じる女性も確かに存在します。 ところで最近の研究(米国)では、フェラチオと口腔癌には深い関係があることが明らかになってきました。 ありふれたウィルスであるHPV(ヒト乳頭腫ウィルス:ヒトパピローマウィルス)はパポーバウィルス科に属するウィルスの一つであり、乳頭腫(にゅうとうしゅ)と呼ばれるイボを形成します。 このHPVは子宮頸癌の原因として注目されているのですが、このHPVは口・咽頭・舌・扁桃・腟・ペニス・肛門等や皮膚のあらゆる部位に感染します。 さらにHPVには80を超えるウィルスの型分類があって、中でも16型と18型が子宮頸癌の95%以上を占めているのだそうです。 そしてこの16型と18型のHPVが口腔癌の発生率を増大さることがジョンズホプキンス大学のモーラ・ギリソン博士の研究で明らかになりました。 同博士は、口腔癌と診断された100人と健常者の血液と唾液を採取し、さらに性交経験や性交相手の数・オーラルセックスの経験の有無・HPVに感染したことがあるかどうか・喫煙飲酒歴などについて比較研究したところ、HPV感染者の口腔癌のリスクは、かつて感染したことがないと回答した人の32倍もあり、特にHPV16型に感染したことのある人では58倍、喫煙飲酒経験のある人では約3倍と高率でした。 また性交経験との関連を調べたところ、1〜5人のフェラチオ経験をもつ人では2倍、6人以上では2.5倍もリスクが高く、同博士は「口腔癌のリスク因子にフェラチオによるHPV感染を加える必要がある」と主張しており、通常のキスでもHPVに感染するリスクを否定できないと述べています。 キスもできない、オーラルセックスもできない、肌も触れることができないとなれば性愛はどのように行うことになるのでしょうか。 もしかしたらこのブログのテーマである「脳内写生」だけが、唯一清潔で衛生的で安全な性愛となるのではありませんか。 コメント 第三の性器 (Unknown)2007-09-09 09:57:54 どう思います? 第三の性器 2007-09-09 20:18:24 【第三の性器:(Unknown)どう思います?】 この書き込みは著者に対してコメントを求めているのでようか? それとも、このブログの読者に向かって感想を求めているのでしょうか? 著者は前回「第二の性器」というタイトルのブログを書きました。 そうしたら「第三の性器をどう思います?」と尋ねてきましたので、著者の見解を述べてみます。 「第一の性器」をペニスとヴァギナとすれば、第二の性器は口腔であり、「第三の性器」はアナル(肛門性交)やバイブレーター(ディルドー・電動性具等)・ラブドール(ダッチワイフ)等が「第三の性器」となります。 また「第三の性器」をペニスとヴァギナ以外の性器のことと解釈すると性感帯や乳首・クリトリスも「第三の性器」と呼べることになります。 さらに両性具有(ふたなり)や性同一性障害も「第三の性器」といえるかもしれません。 (ちなみに、性同一性障害の問題を「障害」と呼ぶことに著者は以前から強い疑問を抱いていますが・・・) そして人は脳で性交するのですから、著者は実は脳こそが「第三の性器」なのであると考えています。 コメント そーですよ (Unknown)2007-09-09 21:12:46 脳こそ…第三の性器です 第四の性器 2007-09-10 23:09:57 【そーですよ (Unknown):脳こそ…第三の性器です】 このコメントを書いた読者は、相当長くこのブログを読んでいる人です。 大衆は「外部からの商品化された性欲」によって勃起したり発情し、性交や挿入・疑似性交によって射精します。 その仕組みは非常に簡単で単純であり、あっけなく、常に商品化された性欲(アダルトビデオ等)とパートナーと性器と性交にとらわれています。 一方、例外者は仮にパートナーがいてもパートナーにとらわれることもなく、性交や挿入・疑似性交してもその行為にもとらわれず、射精しても射精にとらわれることもありません。 なぜなら例外者は脳の中で官能的快楽に耽溺するのであり、そのとき全身が官能器官と化するからです・・・ 実は、脳が「第3の性器」と化し、「全身が官能器官と化する」ことを「第4の性器」と形容することもできるのです。 コメント あなたの射精 (Unknown)2007-09-11 15:29:29 脳でするんですね。 射精する女性 2007-09-12 00:30:18 【あなたの射精 (Unknown):脳でするんですね】 たぶん、このコメントを書いた人は理解していると思いますが、著者は脳の中で物理的に、生理的に射精するわけではありません。脳内写生=脳内射精ではないのです。 脳内写生は、商品化されていないオリジナルな性欲や妄想をあえて強化し、その純度を高め、極限まで圧力を高めることで噴出する官能的快楽の爆発的なエネルギーを活用して一気に「至高性」に到達しようとする試みであり、現実的な射精よりも陶酔感が深く、酩酊感も長く、体力を消耗することもありません。 普通の男性にとって、射精は絶頂感のENDマークなのですが、脳内写生はむしろ絶頂感の継続と高揚なのであり、時には数時間続くある種の祝祭なのです。 従って女性でも脳内写生は可能なのであり、女性だけでなく男性でも「全身が官能器官と化するような第4の性器」になりきることも可能なのです。 コメント だから (Unknown)2007-09-12 21:44:20 毎日でも愛し合えるんですか?毎日性愛の時間を作ってるんですか?相手の人に合わせた性愛やHをしてるんですね? ルージュをひく女 2007-09-13 00:55:54 【だから (Unknown):毎日でも愛し合えるんですか?毎日性愛の時間を作ってるんですか?相手の人に合わせた性愛やHをしてるんですね?】 脳内写生は絶倫のことでもなければ、性交回数を誇示するナンパ師でもありません。 また相手を必要とすることもなければ、相手に合わせることもありません。 毎日性交することは惰性や慣れに陥ることになり、性愛の新鮮さを失わせる結果となります。 むしろ官能の世界は「逢いたいけれど離れていて逢えない」とか「逢うことが禁じられている」と言った状況のもとで性欲や妄想の純度を高めておき、再会した瞬間に激しくスパークさせるべきなのです。 -------------------------------------------------------------- 実は出張中、電車のなかで一心に化粧する50代の女性と向かい合わせになりました。 人前で女性が化粧することについては、このブログで何度も批判してきましたが、今回は彼女の様子を見ていて、普通の奥さんが艶っぽいオトナのオンナに変貌してゆく過程は「案外いいものだな」と身勝手に思いました。 なぜなら、上品な慎ましい中年女性がスッピン状態から「下地作り」「ファンデーション」「アイライン」「眉を描く」「ルージューを塗る」といったフルコースのメイク動作を、まったく初対面の著者の前でせっせと行ったのです。 この様子を眺めていたら「貞淑であることは人生を浪費していることなのだ」とふと思いました。 昼下がりの快速電車のなかで、窓側に小さな化粧セットを並べ慣れた手つきで手早く変身してゆく彼女は、どうみても「これから愛しい人」に逢う準備にいそしんでいるとしか思えない光景でした。 彼女は彼との密会の前に人前で化粧をしなが、日常的な自分から非日常の世界へと移動しながら、少しづつ自分の気持ちを高ぶらせてゆくことを楽しんでいたようです。 おそらくそのための手段として、あえて「人前で化粧をする」という「禁じられたこと」を彼女はあえて行ったのでしょう。 こころ憎い「オトナのオンナの楽屋」をかいま見ることができて、とてもラッキーでした。 コメント 時間がなくて (Unknown)2007-09-13 03:49:00 電車で化粧しただけです。 オーガズムマッサージ 2007-09-13 23:16:13 「オーガズムマッサージ」 アダム徳永著(データハウス刊)をご存知ですか? この本の著者であるアダム徳永氏は、高級住宅地である港区麻布台にある「adam」なる名称のセックスのテクニックを教えるスクールで「アダムタッチ」という一種の性感マッサージの指導をしています。 ネット検索によれば開講は2003年10月で、生徒にはビジネスマンや主婦などが多く数ヶ月先まで予約でいっぱいなのだとか。 アダム徳永氏は女性モデルを教材にして、女性への愛撫の方法等をマンツーマンで指導しており、「adam」は、我が国初のセックススクール(各種教授業)とかで、まるでマン・ツー・マンで英会話を習うように女性の快楽ポイントや指の動かし方・愛撫の方法等を実技を通じて教えているそうです。 しかし、問題がふたつあります。 性愛懐疑派たる立場から批判すると、官能的快楽のあり方まで他人に習わなければならない人物に、はたしてどれだけの人的・性的パワーがあるのか、はなはだ疑問です。 テクニックだけで「いかせる」ことが、女性を本当に満足させることなのでしょうか。 また相手がいなければ満足できない、イクことができない女性を感じさせることに男性としてどれだけの意義があるのかも疑問です。 お互いに強い妄想や純度の高い性欲、あるいは固有のシチュエーションがなければ、真のエクスタシーなどあり得ないからです。 なおアダム徳永氏については毀誉褒貶の噂が多く、女性への愛撫の方法等をマンツーマンで指導している様子を撮影したビデオが外部に流出したとか、学歴を詐称している等の指摘も散見されます、念のため・・・ コメント 性愛懐疑派は (Unknown) 2007-09-14 04:11:43 誰でもイカセラレルの? 女性の (Unknown)2007-09-14 23:11:58 例外者っていないんですか?男性限定ですか? 期待は裏切るためにある 2007-09-15 18:45:33 ふたつ、コメントをいただきました。 【性愛懐疑派は (Unknown):誰でもイカセラレルの?】 「イク」「イカない」はそのときの状況によると思います。 「今日はたぶん、イカないだろうな」とお互いに思っていても、あっさりイッテしまうこともあるし、イクはずなのにイカないこともあります。 「イク」「イカない」は、お互いの体調や状況等によって左右されることであり、アダルトビデオのように「いつもイキっぱなし」「いつもイカせられる」というものではありません。 しかし、「してはいけないこと」「禁じられたこと」をあえて行うことで人はエキサイトしやすいので、常に「いつもと違うこと」をしたり、あえて「そんなことするの・・・」と思わせるような意外性を発揮することで「イカせる」確率は相当高くなるはずです。 性愛の世界は「期待は裏切るためにある」のです。 【女性の (Unknown):例外者っていないんですか?男性限定ですか?」】 よくぞ聞いてくださいました。 このブログは性愛懐疑派たる例外者のための情報サイトであり、常時120名ほどの読者がおります。 著者この沈黙せる読者の中にごく少数のホンモノの例外者がいると確信しており、特に時々コメントをいただく女性はかなりのレベルの例外者であると思っています。 コメント 私!元不感症 (普通の女)2007-09-15 21:10:43 今は、自分の気持ち次第でイク事ができます。もちろん彼がいつも大事に愛してくれて気持ちよくなる事を沢山してくれるからですが…。最近はすべて終わってから、彼の腕の中でゆったりとしてる時にもイケます。これが脳での性愛だと、彼に秘密で感謝しています。私の彼は著者よりも、最高の例外者だと、体で感じます。自慢でした。 コメント 男に… (時々コメント女) 2007-09-16 08:53:27 期待なんてしてはイケマセン。男は裏切る。裏切る前提でいると男を許せるのです。女にどれだけの許せる心があるかで…すべて決まるのです。 裏切りと寛容 2007-09-17 00:01:25 【私!元不感症 (普通の女):今は、自分の気持ち次第でイク事ができます。もちろん彼がいつも大事に愛してくれて気持ちよくなる事を沢山してくれるからですが…。最近はすべて終わってから、彼の腕の中でゆったりとしてる時にもイケます。これが脳での性愛だと、彼に秘密で感謝しています。私の彼は著者よりも、最高の例外者だと、体で感じます。自慢でした】 「私の彼は著者よりも、最高の例外者だと、体で感じます」 なるほど・・・ぜひその「最高の例外者に会いたいものです。よろしくお願いします m(。。)m 【男に… (時々コメント女):期待なんてしてはイケマセン。男は裏切る。裏切る前提でいると男を許せるのです。女にどれだけの許せる心があるかで…すべて決まるのです】 はい、これはトレランス(寛容)の度合いのことを言っているのですね。 女性が寛容であれば、たとえ男が浮気しても許される・・・でもその度合いを逸脱すると女性の「回し蹴り」に合うのです。 また女性が寛容さを装っている場合、女性の側にストレスがたまり、いつか突然爆発します。 あっ、著者自身は「回し蹴り」にも、「爆発」にも遭遇した経験はありません。 すでに「死んだ」ことにされたことはありますが。 倖田來未・ネイルクイーン2006 2007-09-18 21:25:48 倖田來未さんがネイルアートのクイーンを受賞したそうです。 「付け爪」と言うのでしょうか、4〜5センチもある長くて綺麗に装飾されたご自慢のネイルアートがネット上に配信されていました。ご本人いわく「この賞をもらうためにこだわってきた」のだとか。 ある女性に聞いたところ、ネイルアートにこだわるのは「時間と余裕がある証拠なのであり、それは豊かさのシンボルなんです」との由。ふむふむ、ところでこれだけ爪を装飾してしまうと、頭髪が汚れても頭を洗えないのではないか?朝、顔を洗えないのではないか?背中が痒くても背中を掻けないのではないか?と心配したくなります。 すると著者にネイルアートの解説をしてくれた女性は、「頭は美容院で洗う・メイクは専属のメイク係りが行う・背中はアシスタントが掻く」と即座に答えました。 じゃ、トイレでお尻を拭く時は?「ウォッシュレット+温風乾燥に決まってる」 お風呂で下半身を洗う時は?「全自動ボディ洗浄バス」(ホンマかいな) 床に100円コインを落としたら?「拾わない」 エッチの時は?「本人に聞け」はあ、そうですか。 でも自分でお尻のオデキも掻けないなんてお気の毒です。 (ちなみに、簡単に着脱できる「付け爪」もあるのだそうです・・・) コメント 人の心配 (著者の母)2007-09-18 22:24:51 してないで、自分の心配しなさい。 えっ (Unknown)2007-09-21 01:59:41 ネタが古いです。 ツッコマナイで (Unknown)2007-09-21 09:33:01 書き手が古いんだから。 生と死 2007-09-22 02:12:44 ネタが古い? でも「インターナショナルネイルエキスポ2006」(日本ネイリスト協会主催)が開催されたのは9月20日なのですよ。 あらら、とうとう著者の「母」なる人物まで倖田來未さんのネイルアートに対してコメントするなんて、スゴイ反応ですね。 ここ数ヶ月の間、著者にとって体力をはるかに上回る猛烈な忙しさでした。 しかも夏バテと慢性的な過労・・・ 実は数日前、遂に路上で動けなくなり、一時的に視野が狭くなって、あわや救急車を呼ぶかというきわどい状況になりました。 「あっ、ヤバイな・・・」と思いつつ、「このまま逝ったらさぞや楽だろうな」とか「とうとう脳梗塞か・・・」と思いながら、自分でも驚くほど冷静に自分の体に麻痺が起きてないかとか、ロレツが廻っているかとか観察することができました。 そしてその冷静さが次第に「まだ生きられるぞ」という自信に変化していったのです。 死は年齢に関係なく、いつも背後に迫っています。 人間および生物は、死にたくないのに死んでゆく存在であり、いわば生きとし、生けるものすべては「いつそれが来るか判らない、執行猶予の死刑囚」なのです。 幸い今回は数時間の安静で「復活」しましたが、つくづく「生きているあいだに、やりたいことを何でもしておく」べきだと再認識させられました。 もちろんオトナの恋ですよん! コメント 一人の女性を (Unknown)2007-09-22 20:30:05 大事にする。そのようなお付き合いはなさらないんですか?やはり多くの女性と恋をし続けるのでしょうか? 性と死 (Unknown)2007-09-23 00:57:09 タイトル間違ってるよ。 お身体 (Unknown)2007-09-24 17:15:23 ご自愛下さい。現在未来生きている限り恋愛し、ブログを書いて下さい。現在リアル話楽しみにしております。 大人の恋って? (Unknown) 2007-09-26 22:25:50 大人の愛と違うの?ドロドロしてないのが恋?プラトニック?早く大人になりたいなぁ…素敵なカフェで午後のひと時を過ごして、お散歩して?映画のシーンみたいな時間を過ごすんですか?なんだか、素敵な恋愛してそうで、勝手にお二人に憧れてしまいました。 流行通信 2007-09-25 01:32:30 【一人の女性を (Unknown):大事にする。そのようなお付き合いはなさらないんですか?やはり多くの女性と恋をし続けるのでしょうか?】 やはり?!と言われると、まるでいつも浮き名を流している(表現が古いのではなく、オトナの恋を「やまと言葉」で言い表したつもりなのですが)ようで、ちと抵抗があります。 どちからと言えば、浮気よりも本気の恋・それも例外者との「夢中」の恋のほうが面白いのです。 【性と死 (Unknown):タイトル間違ってるよ】 スゴォーイッご指摘ありがとうございました。 まさしくあのブログのタイトルは「生と死」ではなく、「性と死」とか「性都市」(笑)がふさわしかったと思います。ご指摘痛み入ります。 【お身体 (Unknown):ご自愛下さい。現在未来生きている限り恋愛し、ブログを書いて下さい。現在リアル話楽しみにしております】 あ、ありがとうございます。 実はリアル話をたくさんしたいのですが、著者が出張したりするとお会いした方が御自分のブログに「あんなこと言ってました」「こんな話、してました」なんて書いてしまうのです。 また久しぶりに会った人から、「このあいだのブログ、○○さんのことですよね」とマジに尋ねられたりするので、リアル話はしにくいのです。 「脳内写生」はリアル話と思われることでも、あくまでも著者の「脳内写生」(妄想・白昼夢)としてお話していますので、根堀り葉掘りの詮索はオトナの良識の範囲でお願いいたします、何とぞ m(。 。)m 今朝、徒歩で電車の駅まで歩いている著者を、若い女性が勢いよく自転車で追い抜いて行きました。 いつものごく普通の風景・出来事なのですが、その女性は例によってジーンズの後ろから「見せパン」を覗かせている「あの」スタイルだったのです。 もちろん、それだけのことなら街のなかでいくらでも見かけるスタイルであり、このブログの話題にする値打ちもありません。 実は彼女の「見せパン」は、ジーンズの後ろから「見せパン」を覗かせているだけではなく、「見せパン」から長さ4〜5センチの「タグ」を覗かせていたのです。 よほど見せつけたいブランドだったのか、「うっかり」だったのか判りませんが、さっそうと走り去っていく自転車のお尻のあたりから白いリボン状の物がヒラヒラと風にそよいでいた様子は妙に滑稽で、ついニヤニヤしてしまいました。 もしかしたら、「見せパン・タグチラ」のあのスタイルがこの秋流行するかもしれませんね。 えっ、もう流行しているですって? 愛と恋のちがい 2007-09-27 10:03:17 【大人の恋って? (Unknown):大人の愛と違うの?ドロドロしてないのが恋?プラトニック?早く大人になりたいなぁ…素敵なカフェで午後のひと時を過ごして、お散歩して?映画のシーンみたいな時間を過ごすんですか?なんだか、素敵な恋愛してそうで、勝手にお二人に憧れてしまいました】 コメントありがとう! 性愛懐疑派として、例外者として著者は「愛」と「恋」を明確に区分しています。 「愛」の実体はほとんど独占欲かエゴイズムであり、「恋」とはその『愛』が熱病のようにカラダと心にからみついて、一種の中毒症状になることです。 従ってもの凄くドロドロもするし、凄くピュアなプラトニックラブにもなるし、お互いに深い官能的快楽に耽溺したりします。 「早く大人になりたいなぁ・・・」ですか?なんて可愛いコメントなんだろう。 アナタを優しくエスコートしてくれ、素敵なオトナのオンナに育ててくれるパートナーと出会えるといいですね。 コメント 大人の恋って? (Unknown)2007-09-27 23:36:47 コメント書き込みしたの僕なんですけど… 僕なんですけど 2007-09-28 16:10:33 【大人の恋って? (Unknown):コメント書き込みしたの僕なんですけど・・・】 あらら、僕ちゃんでしたか・・・(苦笑)もしかしたらO君かな? ネットの世界は「なりすまし」もできるし、男性にも女性にも「なりきれる」ので判断が難しいし、まぎらわしいのです。 あのコメントが男性なら、恋のアドバイスはたくさんあります。 まず、たくさん片思いすること、そして失恋すること。 たくさん傷付き、たくさん傷付けられること。 たくさん失敗し、たくさん失望し、女性に絶望すること。 エッチは回数や人数ではなくて、どれだけ親密で官能的な交際ができるかが重要です。 そしてアタマが悪い女性、下品な女性とは付き合わないこと。 できれば「この世のものではない聖なるもの」を探してください。 なぜなら、商品化された性欲に振り回されている限り、「この世のものではない聖なるもの」が見えないからです。 脳内写生と膣内射精 2007-09-29 10:27:42 東邦大学医療センター大森病院リプロダクションセンター(泌尿器科)の永尾光一講師によれば、最近「射精障害」が増えており、「膣内射精不能」が最も多いのだそうです。 ちなみに同講師は日本性機能学会の理事であり、専門医制度の事務局長を務めるスペシャリストです。 膣内射精不能とは、通常の性交によりペニスが女性器内で射精することができない性的トラブルであり、その原因として男性のマスターベーションのやり方に問題があるとのことです。 たとえば ?ペニスを手指で摩擦するのではなく寝具や手で強く押さえつける ?膣内の圧力よりも強い力でペニスを握る ?腰の動きよりも手指の動きが速い等が考えられます。 つまり通常の性交と極端に異なる違う方法でマスターベーションを行っていると、柔らかな膣内では充分な摩擦が得られなくなり、その結果射精も出来なくなるという訳です。 また同講師によれば膣内射精不能は全男性の37%に潜在的に見られる現象であり、マスターベーションで射精できても膣内では射精できない男性がかなりいるのだそうです。 ところで上記の?〜?の原因の他に、著者は「射精障害」の原因として「妄想の欠如」と「商品化されすぎた性欲」の問題があると思っています。 大衆は日常的にアタマのなかで常に「○○○しなければならない」「○○○してはならない」と自己規制するように訓練されているため、脳の中の妄想に関しても「そんなこと考えてはいけない」と抑圧してしまいます。 実はこれが「妄想の欠如」となり射精中枢が起動しにくくする可能性があるのです。 また現代はあらゆる性欲が他者によって企画され商品化されており、アダルトビデオ・各種風俗産業・官能小説等のすべてが性欲を商品化するビジネスとして発展しています。 このため大衆の性欲は、すでにほとんど商品化されてしまっていて、「商品化されすぎた性欲」が氾濫している時代でもあるのです。 たとえば外食ばかりしていると、ふと「おふくろの味」が恋しくなるように、「商品化されすぎた性欲」ばかり与えられていると商品化されていないオリジナルな性欲が恋しくなるはずです・・・ ところが大衆は「商品化された性欲」に飼い慣らされているため、肝心の「商品化されていないオリジナルな性欲」そのもが見付けられない状況なのです。 妄想がなく、性欲もないとすれば性交しても射精することはできません。 なにしろ人間は脳で性交しているのですから。 生理痛と大学受験 2007-09-30 23:34:25 このブログで時折紹介してきた「Dr.北村 ただ今診察中」の「第137話 月経と上手に付き合おう」に、注目すべきデータが紹介されていましたのでその「あらまし」を引用します。 女性は月経の1週間前から徐々に下腹部痛・腰痛・イライラ・疲労感・憂鬱・乳房痛・オリモノ等の体調の変化が増加し、月経開始が最も体調が悪くなり、月経後も1週間におよぶ体調不良が続くとの図表データを公表しています。 女性が1ヶ月のうち2週間の期間も月経の影響を受けているというデータは、男性から見ると驚きであると共に、「女性であること」の大変さに思わず同情の念を禁じ得ませんでした。 なにしろ月経による体調の変化は、軽度の女性よりも、より重い体調変化の女性のほうが統計上圧倒的に多いのです。 そこで「Dr.北村」は大学受験に望む女子高生に、事前に低用量ピルを使い始めることを提唱しており、低用量ピルを使うと女子高生の大学受験の合格率がかなり高くなるとのことです。 著者の同居人は、「その時期」になると顔つきから人格まで豹変するタイプなので 「Dr.北村」のデータに納得する秋の夜でした。 コメント ビルを (Unknown)2007-10-01 00:15:56 飲んでるなら一石二鳥で安全安心なセックスを楽しめてますね〜 音楽中毒? 2007-10-01 18:01:45 【ビルを (Unknown):飲んでるなら一石二鳥で、安全安心なセックスを楽しめますね〜】 このコメントは「ピルを飲んでいれば、生理痛等で大学受験に失敗することもなく、安心してセックスも楽しめ一石二鳥」だと言っているのですが、そんなに安心してセックスを楽しんだら、逆に受験に失敗するかもね。 それはさておき・・・ 通勤電車の中でヘッドフォンを使用して音楽を聴取する人がかなりいます。 またSONYの「ウォークマン」が登場して以来、街を歩きながら音楽を聴く人も増えました。 そしてそのヘッドフォンから漏れる不快なシャカシャカ音が社会問題になり、外に音が漏れないヘッドフォンも開発されました。 今日から民営化された郵便局で(混雑のせいではなく)1時間ほど待たされている間、ひたすらジッと椅子に座っていたら隣の人がヘッドフォンで音楽を聴いていました。 不快なシャカシャカ音はあまり気にならなかったのですが、実はひとつ気付いたことがありました。 著者は待ち時間の間、今抱えているいくつかのテーマについて、あれこれ考えをまとめたり、思い付いたことをメモしていたのですが、隣で音楽を聴いている人は、ただ音楽を聴いているだけで完全な「思考停止状態」でした。 もしかしたら、ヘッドフォンで音楽を日常的に聞いていると、思考力が低下してしまうのではないか・・・と、ふと思うほど彼は音楽に没頭しておりました。 いまさら何をと言われるかもしれませんが、「時は金なり」なのです。 わいせつを懐疑する 2007-10-02 23:58:56 実はわいせつ図画をネット上に公表して逮捕された事件を調べていたら、「わいせつ」か「わいせつ」でないかの判断は事実認定の問題ではなく、法解釈の問題であることが判りました。 判例によれば「ある著作が一般読者に与える性的興奮、性的刺戟や読者が抱く羞恥感情の程度といえども、裁判所が判断すべきものである。そして裁判所が(わいせつか否か)の判断をなす場合の規準は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念である。この社会通念は、個々人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによつて否定するものでない」(判りにくいなあ)とされており、「かような社会通念が如何なるものであるかの判断は、現制度の下においては裁判官に委ねられている」とされているのです。 判りやすくいえば大衆が「わいせつ」と感じるか感じないかの判断は大衆が行うのではなく、すべて裁判官が大衆の代わりに斟酌するのです。 でも、もっと判りやすくいえば「わいせつ」か否かは裁判官の主観で決まるのであり、大衆から見れば誠に「大きなお世話」という仕組みと言えます。 裁判審判員制度が始まったらこのややこしい「わいせつ」の基準が大きく変わるのではないかと期待しているのですが・・・ 沢尻エリカ 2007-10-05 10:11:11 インタビューの際に同じ質問を何度も繰り返され、キレてしまった女優:沢尻エリカさんですが、あの「別に・・・」「特にありません」とボソっと答える態度を見て、ふたつの印象を受けました。 1.あの態度は自分が出演した映画のPRをしなければならない女優として職務放棄に等しい、態度が生意気だ。 2.あの態度を女優として貫くことで、彼女は「生意気で不機嫌な女王様系女優」という新しいキャラクターを確立できたのではないか。 ところがあの舞台挨拶の翌日になると、一転して「全面謝罪」「涙の謝罪会見」が大々的に報道され「退屈なインタビューに疲れはてた可哀想な若い女優」というプロダクション側の巻き返しキャンペーンが始まりました。 これは当然のことなのですが、今回の騒動でより鮮明になったことは結局、女優:沢尻エリカはあくまでも作られてイメージであり、所属プロダクションにとって女優=商品なのであって、商品は「売り手」と「売り方」に口をはさめないという現実でした。 そして我が国の芸能界とマスメディアは、常にタレント等を「さんざん祭り上げておき、あるとき突然祭壇から叩き落とす、誠に「怖ろしい世界」であるとの実例がまた一つ追加されたのです。 それにしても各社が別々に同じ質問を何度も繰り返し、相手を退屈させてしまうインタビュアーの素質・方法にも問題があると思うのですが・・・ メイド文化について 2007-10-06 21:26:58 ネット検索で「メイド」とキワードを入力してみると、メイドサロン・メイドカフェ・メイドリフレクソロジー・メイドデリヘル等、実に多様な「メイド」文化があることがわかります。 なぜ、我が国にこんなに「メイド文化」があるのでしょうか・・・ なぜ、我が国の「メイド文化」は衰退しないのでしょうか・・・ それは我が国は「メイド・イン・ジャパン」の国だからなのです(笑) (いま椅子から転げ落ちたアナタ、ちょっと笑いすぎですぞ) コメント つまんねー (Unknown)2007-10-07 00:01:27 KY 空気論 2007-10-07 10:16:58 【つまんねー (Unknown):KY】 やっぱり! ところで、KYとは何かご存知ですか? KYとは、空気(Kuuki)を読めない(Yomenai) の略で周りの空気を読めない人を差して使われ、転じて「空気読め!」(空気嫁)の意味にも使われる現代若者用語です。 世の中はなぜか「周囲の気を読む」ことが求められ、どれぐらい空気を読む才能があるかがその人物の評価になっているのです。 たとえば「空気が読めるか」「読めないか」を判定するソフトや「空気を読む」ためのノウハウ本も出版されています。 しかしこの軽いノリの背後には、相手に媚びたり「へつらう」風潮が見え隠れしており、異端であることや異質であること、「自分らしさ」を貫こうとする者を排除しようとする「いじめ感覚」も見え隠れしています。 これは蛇足すが、かつて朝日新聞社の記者が沖縄の珊瑚礁に自分のイニシャルを落書きした「朝日新聞のサンゴ礁事件」でサンゴの表面に落書きされた文字が「KY」でしたので、KYには「(アホ)記者は辞めろ」の意味もあるのかもしれませんね。 福岡の問題 2007-10-10 12:07:01 【どんだけぇ〜ww (ふぇらってGO♪):極うまふぇらにすとに出会ったょ♪しかもお小遣い付ってどんだけ〜www45】 はあ?そりゃどうも・・・ぜひ著者にも「極うまふぇらにすと」をご紹介くださいませ m(。。)m 2日間福岡に出張しておりました。 最近、あえて出張にPCを持参しない、出張中はPCに触れないという主義を貫いているのですが、今回はそのお陰でかなり「寝溜め」ができました。 そのうえ宿泊したホテルのそのフロアーだけTV回線が「調整中?」とかで、誰かが著者に眼を酷使させないように、こっそり手を回したのかと思うほど、たっぷり睡眠+あれこれ考える時間を取ることができました。 実は今月初め頃から、まだ10月上旬だというのに、東京ではもうロングブーツを履いた女性がかなり目立っていました。 確かにあの猛暑に比べたら、ずいぶん涼しくなりましたが、革のロングブーツはいくらなんでも早すぎるし、少し歩けばまだ汗ばむ季節なのです。 あんなスタイルでホントに暑くないのだろうか、足は蒸れないのだろうかと気になっていたのですが、福岡に着いて驚きました。 初日は東京より2〜3度気温が高めでかなり蒸し暑い天気だったのですが、なんと都内でちらほら見かけていたロングブーツ姿と同じスタイルの若い女性の数が東京より明らかに多いのです。 しかも頭には毛糸のスキー帽、首の回りにグルグル巻きのスカーフ、上半身は半袖かタンクトップ、そして例のヘソ出しルック、長いハイソックスを履いて革のロングブーツ姿。 う〜ん、分からん。ねェ、そんなに寒いの?それとも季節の先取り? どこかのファッション雑誌がそういうファッションを特集してるの? あっ、ひょっとして街なか我慢大会?ふと、そんなことを考えてしまうような異様な光景。 もしかして我慢できないほどスゴク足元が冷えるの? それなら脚力がまったくなくて、代謝機能も極端に低下している証拠なのですが・・・ コメント あれこれ (Unknown)2007-10-11 14:24:30 考えた事が女性の服チェックですか?暇?単なるエロ? キッスは目にして 2007-10-12 15:24:36 【あれこれ (Unknown):考えた事が女性の服チェックですか?暇?単なるエロ?】 ハイハイ、「あれこれ」は「あれこれ」であり、「これだけ」ではありません(微笑) 電車の中吊り広告に「不倫キス」というキャッチコピーが踊っていました。 なんでも妻子ある男優が独身の女優とキスをしていた瞬間を週刊誌に激写されたのだとか・・・ はたしてキス(正しくは「キッス」なのですが)しただけで、不倫したことになるのでしょうか? 法律上はキスだけでは、不倫にはなりません。 キスには社交上の儀礼とか、習慣的行為という見方もあるからです。 まっ、無理矢理キスしたらセクハラにはなるでしょうが・・・ ところで、男女の間にはキスに対する深い価値観の違いが存在します。 これは受け売りなのですが、 ?男性はキスに性的刺激を求めるが、女性はキスに精神的なつながりや愛情を求める。 ?キスをしている瞬間、男性はセックスしたくなるが、女性は長期的な関係を期待する。 ?男性は舌を挿入するキスを好むが、女性は唇の触れ合いを好む。 ?男性は視覚を重視し、キスしている女性の服装や髪型・ボディライン・唇等を見て興奮するが、女性は五感全てでキスを受け止める つまり男性と女性では脳の使い方が違うから、キスに対する感じ方が違っているのです。 でも、実はこの違いが判ると女性はどんなキスが好きで、どんなキスに酔うのかという問題の手掛かりになるのです。 女性が好むキスは 1.五感(嗅覚、視覚、聴覚、味覚、触覚)に訴えるキス たとえば音楽・耳元での囁き・耳やうなじ等のキスする場所・舌と唇の使い分け・吸うとか軽く噛むなど女性が「ゾクッ」とするような キスなど。 2.キスに至るプロセスや、キスを求めるシチュエーションを重視したキス たとえばキスされることを予期していない時に不意にキスするとか、ここは絶対にキスが必要というシチュエーションを逃さずキスするとか、逆に別れ際のさりげない軽いキスなど。 これは著者の体験なのですが、夏場のデートでタンクトップから露出している女性の肩に軽くキスをしたら、路上に坐り込んでしまい歩けなくなった女性がおりました。 ずいぶんあとになって聞いたことですが彼女は「子宮がキューッと収縮してピクピクした」とのことでした。 そのあとですか? 著者はみぞおちに強烈なボディブローを喰らいましたが、肩へのキスはみぞおちのボディブローより強烈らしく、彼女は著者のハートに見事にKO(ノックアウト)されました。 コメント 大事 (Unknown)2007-10-14 23:32:38 キッスは大事なコミュニケーションの一つですね。主人は毎日してくれます。なかなか日本の男性は苦手なようですね。アナタは毎日キッスしてますか?大事な愛情表現ですものね。 舌先の格闘技 2007-10-15 01:20:58 【大事 (Unknown):キッスは大事なコミュニケーションの一つですね。主人は毎日してくれます。なかなか日本の男性は苦手なようですね。アナタは毎日キッスしてますか?大事な愛情表現ですものね】 コメントありがとうございました。 「キス」ではなく「キッス」と厳密に表現してくださったことに深い配慮を感じます。 著者もたぶん欧米人と比べたら、キッスはヘタなほうなのかもしれません。 なにしろ彼らは子供のころから、サクランボに付いている茎を口の中で舌だけ使って丸く結わえる練習をしているのですから・・・ それほどキッスのとき彼らは複雑に舌を動かしているのでしょうね。 それとも舌の長さもちがうのかな? コメント 大丈夫だよ (Unknown)2007-10-15 23:14:35 貴方のキッスは上手でしたよ…☆☆☆ なぜかアクセス数急増中!! 2007-10-18 10:20:36 【大丈夫だよ(Unknown):貴方のキッスは上手でしたよ…☆☆☆】 あっ、ありがとございます。 でも正直言うとキッスが上手とほめられるような女性を思い出すことが難しいのです・・・ 心あたりといえば○○さん?それとも△△ちゃん?□□さん? それともこの世のものではない素敵なアナタ? 「上手でした」という過去形にちょっと引っかかるのですが。 胸の谷間・1 2007-10-19 00:10:16 最近、仕事や会議で会った初対面の女性がどなたもブラウスの胸元が深くV字型に切れ込んでいて、胸の谷間を見せつけるような服装でした。 彼女たちは、なぜ誇らしく仕事の時にも胸の谷間を見せつけるのでしょうか? 胸の谷間を見せつけることで仕事をスムーズに進めたいからなのでしょうか? それとも仕事の上でも女性であることを強調したいのですか? 実は正直に告白すれば、著者は女性の胸の谷間になぜ自分の視線が向いてしまうのか、時々自問自答することがあるほど、熱心?(爆笑)なオッパイ星人なのですが、もし女性が仕事の上で男女平等でありたいと心底願うのであれば、仕事や会議のときはブラウスのボタンを一つ多く閉めるように勧告します。 仕事には仕事にふさわしい服装があるのであり、プライベートな時間にはそれ相応の服装があるはずです。違いますか? 男性が仕事のシーンで目のやり場に困るような肌の露出にはオッパイ星人も困っていることを、どうぞご理解ください。 若い営業の女性が胸と太ももを露出し過ぎていると、ちょっと「あさましく」「あさはか」に見えるのですよ。 ところで乳房は、なぜあの形をしているのでしょうか? 授乳しやすいような形だから? 母性を感じさせるため? 男性を惹きつけるため? 男性をまどわすため? たぶんそのすべてなのでしょうが、答えは永遠に見つからないと思います。 コメント たまけだねぇ (Unknown)2007-10-19 00:06:20 おっぱい星人じゃなくておっぱい星なの?どんな基地かい? お尻フェチと (Unknown)2007-10-19 23:14:36 お聞きしてましたが…… 胸の谷間・2 2007-10-20 00:15:03 【たまけだねぇ (Unknown):おっぱい星人じゃなくておっぱい星なの?どんな基地かい?】 書き込みの間違いのご指摘ありがとうございました。 「たまけだねぇ」とは、標準語では「たまげたねぇ」のことですか? ナンチャッテ( 0V0) 胸の谷間のことをブログに書いたらアチコチからご意見をいただきましたので、前回の「乳房のかたち」というテーマについて性愛懐疑派として、もう少し深く考察してみようと思います。 ちなみに、「懐疑」とは物事を疑うことではなく、「深く考える」という知的な作業のことです。 以前から著者は女性の一部に、「胸の谷間コンプレックス」とか「乳房コンプレックス」と定義すべき心理学上の観念複合体が存在すると考えておりました。 なぜなら、たとえばネット検索で「胸の谷間」という言葉を調べて見ると、「バストアップエステ」や「豊胸(整形)手術」「バストアップ体操」などがヒットし、女性の一部に熱心な「大きなバスト願望」があることが判ります。 そしてこれらのサイトにあるアンケート結果を見てみると、以下のような願望が数多く記載されていました。 ・適度にふっくら、キレイな丸みのピンと上向きバスト??そんな風になりたぁい ・私自身にはないが、胸が大きくてスタイルがいい子の胸を見ている男の子を見かけたことがあります・とにかく谷間は必要だと思う!!大きくなくても・大きさよりもふわっとした感じの綺麗さ・ふくらみが無いので、もっとおっきくなりたーいです・C以上・触りたくなるキュートな胸・美乳でぷりぷり☆・ふっくらとした綺麗な胸元・やっぱり大きいこと。水着や夏の薄着では形のよさも重要ですが、大きければ通常時でも思わず人目を引きます・ハリのある上向きの胸・大きくて形がいい胸だと思う!・やっぱり谷間かなあ・張りがあって形がきれい、つんと形のいいセクシーな胸・上に持ちあがっている胸、デカィのも目がぃくけど・ボリュームのあるHっぽいVセーターからクッキリ谷間の見える胸元・「体は細いのにバストは大きくて上向き」な意外性がある胸とか・小さすぎず大きすぎず上向きに向いたバスト・私はBカップだからないけど、大きいだけではなく、形だと思う。とんがっている、いわゆるロケット・おっぱいは私も見つめちゃいます・厚着だと大きさ、薄着だと大きさ+カタチ・スレンダーな身体に似合わず、グラマーな胸だと思う。そうなりたい・ボリュームがある胸・胸元の開いた洋服を着たい・ぷるんとした柔らかそうな胸・大きさは関係ないと思う。やっぱカタチ!ツンと上を向いている、まぁるい胸☆・大きい胸!やっぱりそこに目がいくんじゃないかなぁ〜・貧乳だから大きな胸の方には”いいなぁ〜”って視線が向く・同性の目で見ても、トップとアンダーの差がくっきりある形の良いバストだと「あ、おいしそうな胸」って思います・谷間があったり形の良い胸かなぁ・第一に大きさ!!でも付いてる位置変だと不自然でパットじゃないかな〜なんて疑っちゃうから注意!!・やっぱり大きい胸、やっぱ形が綺麗な胸!!・体型とバランスの取れた形の良い胸。女性の視線も集めれそうな・ちらリズム・やはり大きい胸でしょうか・胸のサイズに関係なく、本人が着たい・大きいよね!っていわれるくらいになりたい!(Eカップだけど、大きく見えないのが悲しいとこです。アンダー65だから?)・究極の(!?)Aカップなので、もっと張りがあって大きくて、でも柔らかくて触り心地の良いバストになりたいです・ほんっとに小さいので人並みでいいのでもう少しサイズアップしたいです・もう少しサイズが欲しいかな〜・左右の大きさが違うのでお椀型みたいなきれいなバストになりたいです・柔らかいおっぱいw・Aしかない、せめてB欲しい・巨乳になりたい!! ・大きめでツンとしたバスト☆・恋人が、感じてくれるバストになりたい!!・年齢のわりには張りもあって垂れてもいないDカップなので、何とか維持していきたいとプエラリアジェルに頼りきっておりまする〜♪・今はAカップもないからせめてBカップくらいになりたい でも形にはちょっと自信アリ・大きすぎず小さすぎず感度良好がいい!・ぷりんとはった適度な大きさ・左右の大きさを揃えたい!・冬に厚着をしても胸があるって分かるくらいの大きさ・主人の手に余るくらいになりたい・月並みですが、小さいこと。形が崩れていないのが救いです・自分で触って「いい感じ」と思える大きさで、形も整っている方がいい。大きさはBくらいかな・大きすぎず、小さすぎないBサイズの胸・とりあえず手のひらに収まらないようなサイズになりたいです…そこそこに大きくて形のきれいな胸・形は悪くないので、もう一回り大きくなったらなぁ(笑)ノーブラでキャミ着たい…・ツンと上を向いたバスト♪・谷間が自然にできる・最近胸が小さくなりました(涙)やっぱりハリのあるDカップくらいの美乳になりたいです!・もう少し大きくなりたいなぁ〜マッサージがんばってます!・左右の大きさがアンバランスなので、バランスよくなりたいです。ふっくらかつ垂れてない、みたいな・理想はCカップ!なるべく垂れてほしくない〜・大きくなりたいです!!・ハリが欲しい・両方ふっくらした形いいバスト・ツンと上向きのバスト♪・ある程度ふっくらしていて、ツンと上向きのハリのあるバスト・くっきりとした谷間が出来るようなバストが理想・きれいな形・ペチャパイなので巨乳になりたい・ぎりぎりBなのでCにはなりたい。 どうですか? これが「胸の谷間コンプレックス」なのであり「乳房コンプレックス」なのです。 次回は「アンチ胸の谷間コンプレックス」「逆乳房コンプレックス」を取り上げます。 胸の谷間・3 2007-10-21 00:00:24 【お尻フェチと (Unknown):お聞きしてましたが・・・】 はい、確かに著者はお尻の形に関心があり、さらに「胸の谷間フェチ」でもあります。なにか?(笑) さて今日は「アンチ胸の谷間コンプレックス」もしくは「逆乳房コンプレックス」について著者の見解を述べます。 前回の「胸の谷間」に憧れる女性たちの回答の中に、実は下記のようなコメントが混ざっていました。 「胸の谷間?強調?私はEなのが恥ずかしくて隠してます」 「Eカップなので、胸が小さくなりたい。シャツのボタンは閉まらないし、ブラは高いし。大きくてもいいことなんて何もないです」 つまり女性たちの一部には、乳房が大きいことを恥ずかしいとか迷惑と考えている人たちがおり、女らしさを強調することに「わずらわしさ」を覚える一群が存在するのです。 最近、クリントン元米大統領の妻であるヒラリー上院議員が議会においてセクシーな服を着て、ほんの少し胸の谷間を覗かせたことがありました。 そのことをワシントン・ポストが746の英単語を駆使してヒラリーの胸の谷間について記事いたところ、「(ワシントン・ポストが女性の)体の部分について語るなんてひどく不適切」であり、「(ヒラリーの)演説の中身でなく、女性の体に焦点を当てて(演説を軽視する)ことは女性に対する侮辱である」とヒラリー陣営は反発しました。 ワシントン・ポストによると、ヒラリー上院議員が公の場でセクシーな服装をしたのは、ビル・クリントン元米大統領が1期目の時に肩を出して以来のことであり、それ以降彼女は上院選挙のときも女性らしさを強調しない服装だったと述べ、さらにヒラリーの「胸の谷間」は、だれも見たくない全く不要な飾りであり、まるで「ズボンのチャックが開いている男を見てしまったような気分」だったと酷評しています。 ところがワシントン・ポストには「あの記事は女性と、重要な演説の内容の両方の品位を下げるものだ」という内容の数千通の手紙や電話が寄せられ、非難が高まっているのだそうです。 一方、ネット上では圧倒的に「ヒラリーに胸の谷間の記事は面白い」という趣旨のコラムやブログが多く、これらのサイトにはアクセス数が急増しました。 結局この問題は、ヒラリーが女性であるのに政治的な理由から女性らしさをあまり強調しなかったはずなのに、そのヒラリーが女性であることを不意にのぞかせたところ、「ヒラリーは女らしさを売り物にした」とメディアが受け止め、騒動が大きくなったと分析することができます。 ヒラリーは政治的なメリットを考え、あえて女性らしさを強調しないのかもしれませんが、もともと女性はエロティックな存在なのであり、エロティックな存在であることに反発し、自分がエロティシズムの対象にされることを嫌がる女性もいるのです。 このように「アンチ胸の谷間コンプレックス」や「逆乳房コンプレックス」は「胸の谷間コンプレックス」や「乳房コンプレックス」の裏返しであることは明らかです。 ついで・・・で恐縮ですが、かつて「オッパイが大きな女性は頭が悪い」というヒドイ予断や先入観がありました。 華麗なる(!?)オッパイ星人としては、女性に対するこの偏見だけは完璧に抹殺したいと願っております。 教頭の買春と米海兵隊レイプ事件 2007-10-23 00:01:18 札幌中央署は今月はじめ、16歳の少女に現金を渡して性的な行為をしたとして、札幌市立星置東小学校の教頭 細○孝幸(54)を児童買春・ポルノ禁止法違反(児童ポルノ製造)の疑いで逮捕しました。 またその後の捜査で同教頭は「アスピリンスノー」のペンネームで複数の投稿写真雑誌へ「わいせつ写真」の投稿を続け、投稿の報酬として過去7年間で計約1800万円(月約20万円)を受け取っていたことも判明、さらに同教頭の自宅や車の中から盗品のセーラー服や体操着が多数見つかっており、自ら児童ポルノDVDも制作していたのだそうです。 小学校の管理職である教頭が少女買春や少女ポルノ制作という性犯罪に手を染めていたとの報道はたしかに衝撃的でしたが、その一方で「またか・・・」とか「さもありなん」との印象も否めませんでした。 最近、岩国基地の近くで米海兵隊員4人が飲食店勤務の日本人女性を集団レイプしたとして、日米犯罪者引き渡し協定に基づいて4人の身柄の引き渡しを求めています。 同様の事件は特に沖縄で多発していた時代があり、このニュースを聞いたときも「またか・・・」との印象が否めませんでした。 考えて見ると、中世ヨーロッパの十字軍の遠征も旧日本軍の従軍慰安婦問題も、要するに「兵士による強姦は歴史的に見て絶えることがない」という歴然とした事実があるのであり、軍人のレイプ事件を耳にするたびに半ばあきれていたのです。 小学校の管理職である教頭による少女買春や少女ポルノ制作事件にせよ、米海兵隊員による集団レイプ事件にせよ、それが重大な事件であるのに、ニュースを見るとつい「またか・・・」と受け止めてしまうほど、この種の事件は慢性化しているのです。 そして重大な事件にマヒしている自分に気付いて、そのような自分にあきれているこの頃です。 暴露話をひとつ: 今夜、「散歩の途中でパチンコ屋に入りシコタマ儲けた」とのたまうY社長さん、パチンコ屋まで歩いて行くことを普通「散歩」とは言わないのですよ。(これやっかみかなあ?) コメント 儲けました… (?Y社長?)2007-10-23 00:44:07 その儲けで明日のディナーを出せとか、豪華ランチをとか、S社長は言いました(-_☆)でも、S社長は先日ランチに自転車でやってきて、帰りは歩いて帰ろうとしたのです、爆笑?でしたよ コメント あれー? (Tマネージャー)2007-10-23 23:04:14 こんだけ書くネタがあったんですから暴露話の分は省いてもOKだったでしょw まったくS社長は!S社長はまったく!w 軌道修正 2007-10-24 00:00:31 【儲けました… (Y社長):その儲けで明日のディナーを出せとか、豪華ランチをとか、S社長は言いました(-_☆)でも、S社長は先日ランチに自転車でやってきて、帰りは歩いて帰ろうとしたのです、爆笑?でしたよ】 目には目を、暴露には暴露をと言う訳ですね。 わかりました・・・もう、ランチやめます。 1時間半のパチンコで○万円も稼ぐ女社長のランチ代まで払えません、ふん! 【あれー? (Tマネージャー):こんだけ書くネタがあったんですから暴露話の分は省いてもOKだったでしょw。まったくS社長は!S社長はまったく!w】 あははッ、とうとうT君まで登場してしまった! なにか、急に内輪話になってしまったようです。 軌道修正しなくては・・・脳内写生のブログなのですから。 コメント やめます? (Y社長)2007-10-24 00:23:51 今まで私が行ってあげてたのになぁ…やめますって?なんでしょうねぇ?皆さん?S社長について懐疑しませんか? 謎解き (聞き耳)2007-10-24 01:28:53 著者とS社長は同一人物なんですか?聞きたいです。いつも謎なブログでしたので、暴露希望 暴露。 (Unknown)2007-10-25 15:53:08 世の中には知らなくてもよい事が沢山あるのだよ。知らぬが仏。 性別 (Unknown)2007-10-26 08:56:32 Sは男性、Yは女性、両者好意はあるが、恋愛関係ではない。懐疑してみました、毎日通勤時にブログ読ませてもらってます。朝の暇つぶしでしたが、最近は楽しみになりました。 お答えします。 2007-10-26 16:07:59 【やめます? (Y社長):今まで私が行ってあげてたのになぁ…(ランチのお誘い)やめますって?なんでしょうねぇ?皆さん?S社長について懐疑しませんか?】 【謎解き (聞き耳):著者とS社長は同一人物なんですか?聞きたいです。】 【暴露(Unknown):世の中には知らなくてもよい事が沢山あるのだよ。知らぬが仏】 【性別(Unknown):S社長は男性、Y社長者は女性、両者好意はあるが、恋愛関係ではない(と)懐疑してみました、毎日通勤時にブログ読ませてもらってます。朝の暇つぶしでしたが、最近は楽しみになりました】 お答えします。 皆さんコメントありがとうございます。 特に「やめます」さんと「朝の暇つぶし」さんのコメントは、「懐疑」というこのブログ特有の用語が使用されていて、著者はとても誇りを感じました。 例外者にとって「至高性」について「懐疑」されることは望むところであり、懐疑しても理解されないこと・誤解されることは名誉なことなのです。 さて「暴露」の件ですが、著者はたった一つしかない人格では「窮屈」であり、社会的人格の着脱を行うと共に「あえて異質であること・あえて例外的であること」をめざしています。 このことは、2006年5月29日や8月27日等のブログで何度も論じてきましたので、関心がある読者はこのブログの初期のメッセージをお読み下さい。 したがって、著者の人格は社会的人格だけでなく「ネット人格」もあれば「バーチャル人格」もあり、時には人間という名前の「着ぐるみ」を着脱することもあり、「S社長」はその「着ぐるみ」のひとつにすぎません。 ちなみに、このブログの「著者」は社会的人格を脱ぎ捨てた例外者であり、「S社長」に対して「S社長=著者か?」と尋ねれば即座に「NO」と答えるであろうし、「著者」に対して「S社長=著者か?」と尋ねれば即座に「NO」と答える関係です。 精神病理的には人格を複数有することは「多重人格」とか「二重人格」とみなされ、人格の着脱は宗教的な憑依(狐つき等)とみなされるのですが、著者は複数の人格や性別を自己の強い意志で自在にコントロールしており、著者自身「精神病」でもなければ法律を犯す者でもありません。 著者の脳内世界の複雑さを少しはお判りいただけましたか? コメント 面白い! (楽) 2007-10-27 00:48:38 わからない、わからないから面白いぞ… 自己欺瞞 2007-10-27 23:35:48 「著者は複数の人格や性別を自己の強い意志で自在にコントロールしており、著者自身『精神病』でもなければ法律を犯す者でもありません。著者の脳内世界の複雑さを少しはお判りいただけましたか?」と前回のブログに書いたところ、【面白い!(楽):わからない、わからないから面白いぞ・・・」とのコメントをいただきました。 そうなんです。例外者とは実に自在であり、道徳や宗教に従属せず、常識や法律に束縛されることもありません。なにしろ、脳の中の出来事は憲法で保障されているのです。こんな楽しい世界はないのですよ。 さて今回はその脳を少し違う角度から論じてみることにします。 実は私たちの脳は非常に「だまされやすく」むしろ「だまされたい」と願っているのです。 たとえば、先頃問題になった健康商品販売業「エル・アンド・ジー(L&G)」社の減らない通貨「円天」にだまされた人は約5万人もおり、総額1000億円も集めていたそうです。 また過去には出資法違反の詐欺的投資話しになぜだまされた事件や依然として被害者が続出している「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」等の「だまされやすい人々」のケースがあります。 また、私達は「仕掛け」があることを承知のうえで、手品やイリュージョンと呼ばれる大掛かりな「魔術」を見ることが大好きであり、さらにフィクションである小説や映画に傾倒したりします。 いささか古臭い学説ですが、フロイトの心理学では「快感原則」と呼ばれる法則があり、人は過酷な真実よりも心地よい嘘のほうを好むとされています。 脳は確実に「だまされやすく」「だまされたい」という仕組みを内包しています。 そこで著者は「だまされたい」と思っている自分の脳をこっそり「だまして」見たのです。 まさに確信犯的「自己欺瞞」(じこぎまん)の世界です。 どうなったと思いますか? コメント Unknown (Unknown)2007-10-28 04:20:36 私は異性に言い寄られると逃げてしまう習性があります。だけど自ら(気になった)異性を追う勇気もありません。恋愛が成立しません。どうしたら変わることができますか? 恋の迷路 2007-10-28 13:44:40 【Unknown(Unknown):私は異性に言い寄られると逃げてしまう習性があります。だけど自ら(気になった)異性を追う勇気もありません。恋愛が成立しません。どうしたら変わることができますか?】 困りましたね。著者が回答したら相談者は混乱するのではないかと困惑しています。 ま、一言でいえば「ホンモノの恋をしたことがない」「オトナの恋をしたことがない」と回答するしかないのです。 なぜなら恋愛という熱病ウィルスに感染したら、「恋愛が成立」したのか・しないのかなんて「そんなの関係ない!」状態に陥るからです。 さて、この相談者が女性の場合は心のどこかに「男性不信」や「男性恐怖」があると思うのです。 それも幼い時期に受けた父親の独裁的態度や、いわゆる子供どうしの「イジメ」の記憶はありませんか? あるいは結婚後の夫に対する鬱積した不満や、結婚までに至らなかった悲しい恋愛の痛手が尾を引いている可能性もあります。 もし、あなたの臆病なトラウマを理解してくれて、時間を掛けてあなたの心の迷路を解きほぐしてくれるような温厚で忍耐強く、しかもあなたが好意を持てる異性が身近にいるのであれば、ぜひご自分からメール等で「私は異性に言い寄られると逃げてしまう習性があります。だけど気になった異性を追う勇気もありません。これでは恋愛が成立しません。どうしたら変わることができますか?」と尋ねて見てください。 敏感な相手であれば、かならずあなたの気持ちに気付いてくれるはずです。 (「そんな、理想的な相手はいないよ」と言われそうですが) 実は著者の身近にもまったく同じ悩みを抱えている女性がおります。 なにしろ追えば逃げる・諦めようとすると近づいてくる・・・これがもう3年にもなります。 なぜ彼女が脅えているかと言うと、著者の同居人が世界中に最悪の害毒をぶちまけながらも、そのことに気付かず平然としている恐るべき存在であるからなのです。 (前回の続きは明日書き込みます) 神秘体験 2007-10-29 19:13:00 ヒトの脳の側頭葉には「見えないものが見える領域」があり、ここに弱い電流を流すと様々な幻覚や妄想がリアルに見えることをスイスのふたつの大学病院の研究チームが発見しました。 この研究チームによれば、43歳の女性のてんかん患者の治療の過程で、発作の原因となっている部位を特定するため脳に電極を差し込み、脳に電気刺激を与える実験をしたところ、右側頭葉(右脳)にある聴覚野の後ろを刺激すると、この患者は「ベッドの中に沈んでいるような」感覚を訴え、この刺激を強くすると「横たわっている自分の下半身を上から見ている」とか「ベッドの上2メートルほどのところに自分が浮かんでいるような感覚がする」と話たのだそうです。 こうした結果から、同チームでは、平衡感覚と自分の体の部位をイメージする感覚を脳でうまく処理できない状態の時に、ヒトは肉体の外に意識が出たような「幽体離脱」を感じると結論付けています。 たとえば「脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス」(アンドリュー・ニューバーグ他著PHP研究所刊2003年)によれば「人間は人間の力を超えた何ものかに説明を求めたり頼ったりせざるを得ない存在であり・・・あらゆる宗教の起源、あらゆる宗教の根底には神秘体験がある」と述べています。 そして、多くの宗教で神秘体験と呼ばれるものの内容が驚くほど似通っているのであり、脳の中に神秘体験の構造と機能や基盤があるために似通った神秘体験が起こると結論付けています。 重要なのは、神秘体験は決して脳の病的な状態や機能異常などではなく、むしろ健康な人間なら誰でも、程度の差はあれ同様の現象を体験できるということであり、多くの宗教共同体で行われている礼拝などの儀式を通じて、時間や空間の感覚・自己意識等が消失し、「絶対的一者」あるいは正反対の「万物精霊」の状態が出現するという脳の機能なのです。 この本では、すべての神秘体験は頭頂葉後方の「方向定位連合野」への情報の流れが遮断される「求心路遮断」によって起きるのであり、方向定位連合野への感覚情報の供給が抑制されると、脳は自己と非自己の境界を確定して自己を時間・空間的背景の中に位置づけることが困難になると結論付けています。 著者は宗教体験や霊現象は脳の中で起きる幻想であって、「脳は真実よりもフィクションを好み、空想と現実が区別できない」と、このブログで何度も述べて来ました。 そして誰かが作り出した宗教という規律を伴う幻想にハマルくらいなら、自分の脳の中で自分が自在に生み出したオリジナルなファンタジーに耽溺するほうが、余程面白く創造的であることに気付き、このバーチャルな領域に「至高性」という名称を命名しました。 どうやらヒトの脳には「ゴッドスポット」と呼ぶべき神秘現象を体験させてくれる領域があるのです。 今回のテーマは、ちょっと難し過ぎたでしょうか? トリンプ美尻コンテスト決定 2007-10-30 23:53:53 トリンプがドイツで開催する世界一美しい「おしり」を決めるコンテストの日本代表に選ばれた渡辺花穂さん(18歳)のお尻の写真をネットで拝見しました。 「オッパイ星人&お尻フェチ」を自称する著者ですので、「日本一の美尻」の決定を心待ちにしていたのですが、トリンプさんには申し訳ないのですが少々落胆しました。 渡辺花穂さんのお尻は形はいいのですが、あまりボリュームがありません。 美尻とは小尻のことでもなく、単に丸ければ良いというものではないのです。 美尻とは、男女を問わず思わず視線が釘付けになるような存在感があり、個人的なこだわりを申し上げれば果肉がギュッと詰まった完熟フルーツ、特にうれた水蜜桃のような肉感があるお尻のことであり、18歳の女性には到底かなわない成熟したボリュームがあるお尻なのです。 従って著者の経験では、街を歩いていて思わず振り返りたくなるような美尻に出会う確立は2年に1度ほどであり、ここ数年は「美尻の不作」が続いております。 コメント 魅力的なヒップ (ぷりん)2007-11-01 11:48:50 マリリンモンローのおしりって女性から見ても?セクシーですよね。歩いてる姿がとっても誘惑的。日本ではまだ女性でおしりの整形をする人は少ないらしいけど、特にアメリカではおしりに、ボリュームをつける手術が多いらしいのですよ 永遠の (Unknown) 2007-11-01 20:59:46 セクシーNo.1はモンローですがな〜♪ Unknown (Unknown)2007-11-02 00:25:01 恋人さんや、彼女さんや、パートナーさんや、愛人さんや、ついでだけど、同居人さんは、魅力的なお尻ちゃんの持ち主なの?好みの基準以上なの?選ぶ時にお尻みたの? マリリン・モンロー 2007-11-02 00:50:45 前回、「個人的なこだわりを申し上げれば果肉がギュッと詰まった完熟フルーツ、特にうれた水蜜桃のような肉感があるお尻・・・18歳の女性には到底かなわない成熟したボリュームがあるお尻」が好みと申し上げたところ、下記のようなコメントがありました。 【魅力的なヒップ (ぷりん):マリリンモンローのおしりって女性から見てもセクシーですよね。歩いてる姿がとっても誘惑的、日本ではまだ女性でおしりの整形をする人は少ないらしいけど、特にアメリカではおしりに、ボリュームをつける手術が多いらしいのですよ】 【永遠の (Unknown):セクシーNo.1はモンローですがな〜♪】 そうそう、実はあのブログを書きながら頭の隅でマリリン・モンローのお尻をイメージしていたのです。 でも、できればモンローのお尻は「誘惑的」ではなく「蠱惑的」(こわくてき:人の心を引きつけてまどわすこと)といって欲しかったな。 なにしろモンローのお尻には「悩殺的」という最上級の形容詞が付いていたのです。 になみに「悩殺的」とは「大いに悩ますこと。特に女性がその美しさや性的魅力によって男性を夢中にさせること、殺されるくらい悩ましいさま」のことです。 あっ、お尻のボリュームアップ整形のことですね。聞いたことがあります。 お尻用のヌーブラだってあるのですから・・・ 【Unknown (Unknown):恋人さんや、彼女さんや、パートナーさんや、愛人さんや、ついでだけど、同居人さんは、魅力的なお尻ちゃんの持ち主なの?好みの基準以上なの?選ぶ時にお尻みたの】 はい、しっかりと拝見いたしました(爆笑!) お尻のランクはAAAからB・C・D&チンパンジーのお尻まで一通りコレクション?しております、はい。 コメント 三人の女性と (Unknown) 2007-11-02 23:37:28 同居人と3+1で4人の方のお尻をいつも見て回ってるんですかぁ…いつまでもお元気ですわねぇ。若さの秘・けつ・ですね エイズとHIVの違い 2007-11-03 00:01:15 【三人の女性と(Unknown):同居人と3+1で4人の方のお尻をいつも見て回ってるんですかぁ…いつまでもお元気ですわねぇ。若さの秘・けつ・ですね】 正確に言うと「見て回ってる」のではなく、いつも著者の視界の中に「めでる」ための形がいいオシリがあるという状況です。 ------------------------------------------------------------ 実は、エイズとHIVは同じ用語であると思っていました。 しかし、エイズ(AIDS)とは後天性免疫不全症候群のことであり、HIVとは後天性免疫不全ウイルスのことであって同一の用語ではないのだそうです。 厳密に言えばエイズは病名であり、HIVはエイズを発症する原因となるヴィールス(ウィルス)の名前であったのです。 それがどうした?か、ですか・・・ 問題は私たちはエイズの問題は過去のことであり、仮に患者が発見されたとしても一部の人達のことと思い込んでいる無関心さにあるのです。 エイズはHIVに感染してから発病するまで数カ月〜十数年掛かるのですが、我が国の場合血液検査に関心がないため、エイズを発病してから初めて感染を知る人が多いのだそうです。 このため、エイズはHIVに感染してもすぐに症状が現れないという特徴があるため、知らず知らずのうちに長期に渡って他人に感染を広げてしまうことになるのです。 こうしたことから、エイズの専門家は、HIV感染者の報告数は氷山の一角であり実際にはその3〜7倍もの患者がいると警告しています。 ちなみに平成18年エイズ動向調査報告によれば、1985年から昨年までのエイズの感染経路は異性間の性的接触が全体の42.0%を占めており、同性間の性的接触(両性間の性的接触を含む)が28.3%、静脈注射や薬物濫用が0.8%、母子感染が0.4%とあります。 つまり我が国のエイズは、ほとんど異性間の性的接触によって感染が広がっていることになります。 なお我が国では、HIVの検査が保健所において休日や夜間に無料で匿名で検査が受けられるため、保健所における血液検査数が2006年には11万6000件を超えています。 ところが第18回日本エイズ学会(静岡)で発表された都立駒込病院の報告によれば、HIVに感染していることが発見された機関は保健所は9.3%、献血3.4%に過ぎず医療機関における血液検査による発見が75%を占めています。 このため自覚症状がなくてもコンドームを付けないセックスを経験したことがある人は、ぜひ医療機関での受診の際に血液検査を進んで受けることをお勧めします。 また過去に性感染症や性病・A型やB型肝炎の人、口腔内にカビが生えているとか身体に慢性的に痒みがある、あるいは肛門周辺部にイボができている人はぜひ医療機関を受診することをお勧めします。 過去のブログ:昨年12月2日付け「バチカンはHIV撲滅の敵・女性の敵」も是非ご覧ください。 コメント 自分は? (Unknown)2007-11-03 00:36:41 血液検査してますか? 女4人と (Unknown)2007-11-03 21:20:56 いつも一緒なの?すげー 胸のボタン 2007-11-04 00:00:26 【自分は?(Unknown):血液検査してますか? 】 もちろん!著者自身も、またお付き合いしている大切な女性のためにも血液検査はしております。 ただ・・・最近、中性脂肪がやや多いと医師から注意を受けたばかりです。 ちなみに、著者は各種予防注射が使い回しの注射器で行われていた世代ですので、同世代にはC型肝炎が非常に多いのですが幸いなことに、著者は何度検査してもC型肝炎が陰性でした。 【女4人と(Unknown):いつも一緒なの?すげー】 まさか!それではハーレムじゃないですか。 男性のひとりとして確かにハーレムには憧れますがね。 ------------------------------------------------------------------------- さて、本日のテーマです。 男性と女性では、ワイシャツやブラウスの胸のボタンの掛け方が違います。 男性のスーツやワイシャツのボタンは左の「あわせ」が上になるように留めます。 一方女性のスーツやブラウスのボタンは右の「あわせ」が上になるように留めます。 市販のあらゆるボタン付きの衣料品は必ず上記のように、男女の違いがあるのです。 しかし、着物の場合は男性も女性も左の「あわせ」が上になるように帯びを締めます。 そして葬儀のときだけ「あわせ」が逆になるように「左前」(右の「あわせ」が上)にします。 俗に「左前になる」とは「経済状態が悪くなること。落ち目になること。斜陽になること」ですが、和服の右衽(おくみ )を左衽の上に重ねる着方は死者の装束に用いるため不吉なものとされます。 ではなぜ、市販のあらゆるボタン付きの衣料品には男女の違いがあるのでしょうか? 一説によれば、向かい合っているとき、男性が女性の胸のボタンを外しやすいからとか、女性がシャツの中にナイフ等を隠していても右手で取り出しにくくボタンを付けているとか、あまり根拠がないと思われ諸説フンプンの状態なのです。 これは著者の体験から生まれた仮説なのですが、男性が女性を背後から抱きしめ、右手で下腹部に触れながら左手で乳房を「まさぐる」とき、女性の胸のボタンは左手で外しやすい方法で縫いつけられていることに気付きました。 しかし、そうなると女性の胸のボタンを「右のあわせが上になるように留める」と決めたのは男性側の都合であったことになるのです・・・女性の皆さん、ご不便・ご不満がありませんか? マリリン・モンロー伝説 2007-11-05 00:17:21 先日、美尻についてブログを書いたところ「美尻といえば、やっぱりマリリン・モンロー」と言った内容のコメントがありました。 著者自身もそう思っていたのですが、ふと手元にあるマリリン・モンローの写真を改めて確認してみたところ、実に意外なことにモンローのお尻そのものはそれほど存在感がある形状ではありませんでした。 そこで気付いたことなのですが「美尻といえば、やっぱりマリリン・モンロー」という印象が強烈なのは、モンローのお尻の形が良かったと言うことではなく、むしろモンロー・ウォークと呼ばれ、後世にまで伝わる彼女独特の歩き方がモンローの美尻伝説となり、それが彼女の死後ファンの間で広がった様々なモンロー神話と結びついて「美尻といえばモンロー」という神話になったのではないかと思います。 つまりモンローの美尻は、ファンたちの脳の中で形成された共通幻想であり、ある種の集団「脳内写生」(著者の造語:脳の中に白いスクリーンを広げ、そのスクリーンにオリジナルな官能的ファンタジーを投影する方法)であったのです。 ちなみに、若くして逝去した著名人には夭逝(ようせい)伝説ともいうべきある種の「神話」が必ず付きまといます。 イエス・キリスト、ジェームス・ディーン、源義経、尾崎 豊、松田優作、夏目雅子・・・ コメント たまにゃ (Unknown)2007-11-05 23:09:24 いい事書くじゃんか… 性愛の駆け引き 2007-11-06 00:02:09 【たまにゃ(Unknown):いい事書くじゃんか…】 そりゃどーも・・・ --------------------------------------------------------------- 今年も外国のコンドーム・メーカーから世界26カ国、2万6032人が参加した世界最大規模の性意識・実態調査の結果が発表されました。 この調査によれば、世界の平均50%の人々が刺激的な性生活を送っていると回答しているのですが、日本人の9割は逆に性的刺激に欠けていると回答し、なんと今年も26カ国中最下位の結果となりました。 しかし、日本人男性のセックスパートナーの数は平均14人と多く、日本人女性のパートナーの数も8人と世界平均を上回っています。 また日本人が、前戯を含めセックスにかける時間は平均34分であり、フランス人より1分多く、世界平均より2分短くなっています。 性的刺激が少ないのに、セックスパートナーの数が多く、しかも前戯を含めセックスにかける時間が長いということは、やや釈然としない結果なのですが、日本人は配偶者とのセックスに退屈しており、配偶者以外の複数の異性と時間を掛けたセックスを楽しんでいると分析することもできます。 あるいは日本人は性的刺激が少ないのに「義務と演技」で性交の回数と時間だけを維持しているのかも知れません。(皆さん、思い当たるフシがあるのではありませんか?) 昨年、このブログにも書きましたが、日本人の年間の性交回数は48回(月平均4回)であり、これも世界平均の半分以下です。 それでいて男女のマスターベーションは世界の平均が86%に対し、日本人は89%がマスターベーションを経験しています。 これは異性と充分なコミュニケーションを図ることが苦手であるために「マスターベーション」を行っていると推定される数字であり、なんと38%の男女が毎週マスターベーション行っているのだそうです。 著者はかねてより、他人が性欲を商品化し、これを大衆に営利目的で販売することが各自のオリジナルな性欲を退化させていると指摘してきました。 一言でいえば「官能的な妄想の欠如」なのであり、男女間における「性愛の駆け引き能力の欠如」がこそが問題であると思っています。 妄想を楽しむ才能 2007-11-07 08:57:20 前回の続きです。 外国のコンドームメーカーの国際調査でもう一つ判明したことは、日本人はベッドルームでの楽しみ方が単調であることが明らかになったことです。 たとえばオーラルセックスを楽しんでいるのは約三分の一であり、性欲を刺激するために女性がセクシーな下着を身にまとうことを好む人は16%にすぎません。 また、日本では性的空想にふける人は男女合わせて40%以下であり、アダルトビデオやポルノ雑誌などを好む人も40%にすぎません。 さらに性欲を高めるためのロールプレイング(役割プレイ)については、調査対象国中の最下位なのであり、官能を高める工夫がまったくないことが歴然としています。 ところが日本人のほぼ半数は、性生活を改善させるためのアダルトグッズを利用している人が25%もおり、今後使用してみたいと強く願っている人が16%も存在します。 しかしアダルトグッズの中でも、代表的なのはバイブレーターなのですが、日本のバイブレーターの開発技術が世界一と言われるのに、実際にこれを使用している人は、世界の平均以下の16%にすぎません。 こうしたセックスに関する相矛盾した調査結果が出るのは調査データに曖昧なところがあるか、イメージと現実のギャップが乖離しているためと思われます。 ところで最近、教育関係者や公務員による性犯罪が相次いで発覚しています。 たとえば下記の事件をご覧ください・・・ 「20件以上の空き巣と下着泥棒の警視庁第7機動隊巡査長27歳を懲戒免職」 「世界的指揮者・小澤征爾氏らに師事、相愛大学(大阪市)で非常勤講師も務める有名な指揮者が、女性の腹部と指先を撫で回す痴漢行為で逮捕」 「教え子の母親襲った51歳独身小学校教諭を免職に:都教委」 「社保庁職員が痴漢 被害者にネクタイつかまれ御用」 「集団強姦で財務省職員2人を逮捕 警視庁」 「東大の広報・渉外担当副理事が痴漢『目が覚めたら女性の太ももを触っていた』」 こうした性犯罪はどれも直接的で、妄想を楽しむ才能が貧弱だから性欲の暴走を阻止できなかったのです。 もっと脳のなかで妄想やファンタジーを楽しむ必要があるのです。 それから、もし痴漢をするなら「たとえ人生や家族を失ってもいい」との覚悟を決めて決行すべきです。 犯行後、「やっていない」とか「魔が差した」「うっかりしていた」と供述するぐらいなら、はじめから性犯罪は決行すべきではありません。 なぜなら、「犯罪は割に合わない」(犯罪は必ず損をする)と言われますが、性犯罪ほど「割に合わない」犯罪はないからです。 ねッ、植草センセイ!そうでしょ? 愛撫とは 2007-11-08 09:27:05 ベッドの中で官能的快楽に陶酔している女性ほど美しい姿はありません。 女性が美しく官能する姿を見ると、男性はもっとパートナーを愛撫したくなり、その愛撫によってパートナーが次第に官能の世界を広め、さらに深めていきます。 すると、愛撫する側も愛撫される側も楽しくて仕方がない状況になります。 愛撫の楽しさとは、お互いがパートナーを興奮させ、その愛撫がパートナーを官能的快楽に耽溺させ、いつしかその愛撫から離れがたくなる様をお互いに優しく見守り合うことにあると思います。 なぜ急に、このような話題を始めたのか・・・ですって? それはヒ・ミ・ツです。 コメント ヒミツ? (Unknown)2007-11-08 23:24:25 言えないならブログ書くな‥もっと堂々としろ。いつも何かから逃げている。女に逃げられるのを恐れている。 ちょい悪おやじ 2007-11-09 00:00:55 【ヒミツ?:(Unknown)言えないならブログ書くな‥もっと堂々としろ。いつも何かから逃げている。女に逃げられるのを恐れている】 え?女に逃げられる?逃げている? 著者はいつも魅力的な女性に囲まれ、モテモテなのですが。 -------------------------------------------------------------- ふと耳にした会話です。 女性:「最近、若い女性がジーンズの後ろからショーツを見せたり、お尻の谷間を見せていますよね。そこで聞きたいのですが男性から見てショーツとお尻の谷間とどちらを見たいと思いますか?」 男性3人、口を揃えて:「どちらも見たい」 女性:「私としてはお尻の谷間を見られることは気にならないけど、ショーツを見られることは嫌ですね」とキッパリ。 著者:(あれれ?それって逆じゃない?) 男性3人:「見せパン・見せブラ(見られてもいいような下着のこと)は見られてもいいものだけど、お尻の谷間は見られたくないんじゃない?」 女性:「私は逆なんですゥ」 著者:(面白い女性だなあ・・・では胸の谷間もお尻の谷間もバッチリ拝見させていただきまーす) でもいざとなると、ついドギマギしてしまってしっかり凝視することができないのはなぜなのでしょうか? ついでに、見せパン・見せブラ・胸の谷間・お尻の谷間を誇示している若い女性の皆さんにお願いです。 男性が貴女の見せパン・見せブラ・胸の谷間・お尻の谷間をふと見てしまったとき、「この、エロオヤジめッ」みたいな目つきで睨らまないでいただきたいのです。 見られたくないなら、始めから隠しておいてください、お願いします。 コメント 笑える (Unknown) 2007-11-09 01:51:15 本当にモテモテな人は、自らは言わないわよ。 医師不足 2007-11-10 00:06:43 【笑える(Unknown):本当にモテモテな人は、自らは言わないわよ】 あっ、著者はモテモテを自慢するタイプなのです、嫌なヤツでしょ? 内閣府「男女共同参画社会に関する世論調査」をご存知ですか? 著者は男女共同参画事業に関わる仕事をしておりますので、日頃から「夫は仕事・妻は家庭」という古い概念に一貫して反対してきました。 実は最近の調査で男女の役割分担について「反対」する人の数が初めて逆転し、「夫は仕事・妻は家庭」に「賛成」する人よりも「反対」する人の数が多くなりました。 これは働く女性が急速に増加したこと、男性女性の賃金格差が減少したことが背景にあると思われます。 また、少しづつですが確実に家事を分担する男性が増加していることも事実です。 ただ、出産・育児はどうしても女性の負担重くなります。 最近医師不足が表面化していますが、女性の医師の増加に伴い30歳前後の女医さんが今一斉に産休を取っているために我が国は医師不足となっているのだそうです。 子宮について 2007-11-14 17:29:28 九州地区に出張していたため、3日間のご無沙汰となりました。 決して「また、倒れた」訳ではありません。 さて出張帰りに、こんな話題を持ち出すと「さては出張先で浮気したな?」なんて想像されかねないのですが、実は出張中はいつもこのブログの下書きの書溜めをしていますので、今回のテーマも九州地区とは直接関係がありません、念のため・・・ 著者は以前から「はたして子宮は『感じる』のか?」と疑問を抱いていました。 なぜなら医学的に子宮は、出産直前の胎児の膨張に伴う痛みや陣痛を軽減するため神経分布が薄く、俗に鈍い臓器と言われています。 このため膣(産道)が感じることはあっても「子宮が感じる」ことはないはずなのですが、女性の多くが「子宮に響く」とか、子宮が「ギュッと収縮した」あるいは「子宮がジンジンしびれた」等の表現を、ごく自然に口にします。 そこで考えられることは、ペニスによって女性お腹の中が掻き回され、子宮が繰り返し突き上げられ、さらに恥骨同士が接触することでクリトリスが刺激され脳が興奮し、官能的快感が深まると考えることもできます。 そして、著者を含め身近な男性諸氏に密かに聞いたところ、下記のように子宮をノックする方法があることが判明しました。 1.削岩機orマシンガンタイプ(ひたすらガンガン子宮を打ちまくる:女性にとって迷惑なこともある) 2.ラテン系打楽器タイプ(リズム良く適度にノックし、女性を心地よくする) 3.マリンバタイプ(繊細なテクニックで感じるポイントを探し出し、時に「調律」も行う) 4.街のピアニストタイプ(クラシックからジャズまで自在に弾きこなす) 5.とろろ芋&擂り粉木(スリコギ)タイプ(すり鉢である子宮を擂り粉木というペニスでとろろ芋を作るようにかき混ぜる) 理想的には上記のすべての要素を自在に・臨機応変に使い分けることなのですが・・・判っていて、これがもなかなか難しいのです。 アナタハドノタイプデスカ? アナタハドノタイプヲコノミマスカ? ドメスティック・バイオレンス 2007-11-15 23:59:40 恋人の間に起きる暴力を「デートDV」と言います。 デートDVには、配偶者や内縁関係者の暴力を規制する「DV防止法」が適用されないため、内閣府は先頃、10〜20代の若者世代における恋人間の暴力に関するWeb調査の結果を発表しました。 その結果、男女とも約半数が交際相手から肉体的・精神的な暴力を受けた経験があると回答しており、しかも43%は誰にも相談していませんでした。 恋人との関係について、男性の35%(複数回答)、女性の56%(同)が「恋人が自分勝手な行動を取ると不愉快である」と回答しており、「暴力を受ける側にも悪いところがある」と考える人も10%(同)おりました。 しかしこうした考え方こそが、デートDVを拡大させているのです。 また男性の53%、女性の45%が携帯電話に絡むDVを経験していました。 たとえば、 「電話に出なかったり、メールにすぐ返信しないと怒られた」(39%・以下複数回答) 「着信・発信履歴を勝手に見られた」(17%) 「1日に何度も行動を報告するよう命じられた」(7%)などだった。 「機嫌が急に悪くなったり、急に優しくなる相手にいつも気を使わされる」(34%) 「行動を制限される」(22%) 「言葉で嫌な思いをさせられる」(13%)などのトラブルが目立ちました。 携帯電話はコミュニケーションが苦手な若者たちにとって不可欠なツールなのですが、実はその携帯電話が恋人の間のトラブルの原因にもなっているのです。 やれやれ・・・ コメント あえて異論を唱えます (Unknown)2007-11-16 00:53:31 この「 」の中にあるような内容って本当にDVですか? 一般的にはDVに見えるかもしれないけど、気持ち(心)があるからこその行動ではありませんか。 私はこのようなことをされたら愛情表現と捉えますが‥。 もっともこちらは、他人に愛情を持った事がないのか、「 」のような事を他人にした経験がないですが。 愛という名の独占欲 2007-11-16 12:48:45 【あえて異論を唱えます(Unknown):この「」の中にあるような内容って本当にDVですか?一般的にはDVに見えるかもしれないけど、気持ち(心)があるからこその行動ではありませんか。私はこのようなことをされたら愛情表現と捉えますが・・・もっともこちらは、他人に愛情を持った事がないのか、「 」のような事を他人にした経験がないですが】 念のため昨日の「 」の部分を引用しておきます。 「電話に出なかったり、メールにすぐ返信しないと怒られた」「着信・発信履歴を勝手に見られた」「1日に何度も行動を報告するよう命じられた」「機嫌が急に悪くなったり、急に優しくなる相手にいつも気を使わされる」「行動を制限される」 「言葉で嫌な思いをさせられる」 確かに著者も「こんなことがDVと見なされてるのかな?」と思っていますが、この調査は内閣府の調査なので、政府はあくまでも上記の行為をDVとして分類しているようです。 また、どうやら政府は「セクハラとは性的嫌がらせのことであり、相手が望まない性的言動・行動全般のこと」という我が国独自のセクハラ基準を流用して、「女性が望まない男性からのすべての言動」を精神的DVと見なしているようです。 実は冒頭のコメントにある「気持ち(心)があるからこその行動・・・愛情表現と捉えます」との見解には多分に主観が含まれており、こちらの許容範囲と相手の許容範囲が毎回「せめぎ合う」状況は非常に不安で少々危険です。 たとえば相手から「1日に何度も行動を報告するよう命じられた」とします。 このような場合、束縛されることを「愛情表現」として受け止めるか、「過干渉」として受け止めるかは個人差があり、その日のスケジュールや気分によっても受け取り方に違いが生じます。 そして女性がこうした要求を「過干渉」と受け止め拒否したたとき、多くの男性は「他に付き合っている男がいるのではないか」という嫉妬心を抱いてしまいます。 なにしろ男性は「愛情=独占欲=愛情」と信じ込む単純な生き物なのです。 またデート中に突然強引に抱きしめられたとき、その行為を「愛情から生まれた熱意・衝動」と捉えるか、ある種のセクハラと捉えるかは非常に微妙です。 米国ではデート中のレイプがとても多いのですが、(法廷ドラマになるほど)被害女性が告訴しても裁判では男性側が「強い愛情表現の結果」とか「暗黙の合意による性行為」を主張するため、実際には有罪を勝ち取ることが難しい状況であり、一緒にお酒を飲んだ後とか、女性が肌の露出が多い服装をしていたケースでは男性が無罪になってしまうのです。 お互いが信頼し合え、寛容であることが愛情の基本であると思うのですが、反対に私たちの心は束縛されたり干渉されることを愛情と感じることもあり、一方的な献身や犠牲が愛情と見なされることもあるのです。 だからこそ、著者は何度も「愛ほどあてにならぬものはない」と主張してきたのですが。 「他人に愛情を持った事がない・・・」?あらら、もったいないなァ。 いつも恋をしていることが人生の楽しみなのですよ。 コメント 愛情など (Unknown) 2007-11-17 00:05:10 持たなくても恋はできます。自分が一番好きなら恋はできます。 愛ほど… (Unknown)2007-11-17 22:07:18 あてにならない…と言い続ける人がどうして??恋愛をするのでしょうか?人を愛せるのでしょうか?言い続けている事とブログから伝わる女性との付き合い方が違うように感じられます。 至高性:ふたたび 2007-11-17 23:11:47 【愛ほど…(Unknown):あてにならない…と言い続ける人がどうして??恋愛をするのでしょうか?人を愛せるのでしょうか?言い続けている事とブログから伝わる女性との付き合い方が違うように感じられます】 実はこのコメントの回答が同じ日に前後して届いていました。 それが下記のコメントです。 【愛情など(Unknown):持たなくても恋はできます。自分が一番好きなら恋はできます】 著者はこのブログで一貫して「愛などあてにならない・愛はエゴでしかない」と主張し続けてきました。 そして、愛も常識も道徳も宗教も法律さえも超越する「至高性」と呼ばれる内奥の聖なる領域に到達することをめざします。 そして「至高性」に到達した者と「至高性」に到達した者との恋こそが著者が求める「この世の者ではない恋」なのです。 追伸:昨日、アクセス数がいきなり2倍になりました。いったい何があったのでしょうか?不思議です・・・ デートDV:続 2007-11-18 22:09:39 デートDVについて11/15のブログに加筆します。 デートDVとは「結婚していない男女間における体・言葉・態度による暴力」ことであり、親密な相手を一方的に思い通りに動かすために使われるあらゆる種類の言動のことです。 また、この「あらゆる種類の言動」には以下の行為が含まれています。 ?身体的暴力:たとえば相手に向かって物を投げる、、殴る、叩く、噛む、蹴るなど ?言葉の暴力:たとえば馬鹿、ブス、デブ、汚いなど誹謗する言葉 ?心理的・感情的暴力:たとえば無視する、嫌がらせする、ストーカー行為、執拗な電話、過剰な嫉妬、同性の友人と付き合うことを制限したりする、携帯電話を勝手に見るなど ?性的暴力:たとえば合意のない性交、避妊に協力しない、性交時に痛めつけたり侮辱したりするなど ?経済的暴力:お金を貢がせたり、大金を貸してくれと強要するなど 特にデートDVは、様々な種類の暴力によって相手のアイデンティティ(自己決定権)を否定し剥奪し、力を持って相手を支配したり、相手を自分の思い通りにすることにあります。 従ってデートDVは「愛すればこその行動」とか「愛情表現の一種」とはまったく異なる次元の問題なのです。 男性のフェロモン 2007-11-20 16:21:05 なぜ女性たちは「イケメン」や「タフガイ」を好むのでしょうか? 実は女性の脳は男性を外見で判断するという特性があり、しかも女性は五感全てをを駆使して男性の品定めすをしているのだそうです。 なぜなら、女性は男性の体型を見ることでその人物の健康状態や免疫力、あるいはいざという時自分や子どもを守ってくれる体力等があるか否かを本能的に見抜く必要があるからです。 たとえば女性が魅力的だと感じる男性の体型には 1.引き締まった体・逆三角形の体型 2.適度に筋肉が付いた男らしい体型・見るからに健康で免疫力が高く感じられる体型 3.広い背中・後ろから見ても頼りがいのある体型 4.左右対象の体型 5.優秀な遺伝子を持っているとみなされる外見と頭脳 ちなみに、アメリカのある脳化学者は「筋肉質の男性はテストステロン(男性ホルモン)のレベルが高すぎて、このホルモンの働きによって免疫力が低下することもあるが、それにも関わらず健康を維持している男性は、それだけ免疫力が高い男性である」と述べています。 どうやら女性たちは鋭い嗅覚で左右対称の体型をした男性のフェロモンを嗅ぎ分け、望ましい遺伝子を持っている男性をかぎ分けている可能性があるのです。 ほら、夫や彼氏がワイシャツを脱いだとき、女性はさりげなくワイシャツの匂いを嗅ぐでしょ? あの行動にはどうやら重要な意味があるらしいのです・・・ えっ?さりげなく男性のワイシャツの匂いを嗅ぐのは、ほかのオンナの匂いがしないかチェックしているんですって! クワバラ・クワバラ・そりゃヤブヘビでした! 結婚とは? 2007-11-21 19:35:44 時計メーカーのシチズンが、結婚30年を漢字一文字で表すとどんな字になるか?と団塊世代を中心にアンケートを実施したところ、下記のような結果が出ました。 1位は「真」:「結婚30周年を意味する真珠婚からとった」という理由が一番多く、「真心を込めて接している」との理由もありました。 2位は「和」:「悲しい事件が多いが、夫婦の時間は和やかにしたい」等 3位は「絆」:夫婦には血縁関係はないけれど、深い連帯感と子どもという「かすがい」がある 4位は「愛」:ふむふむ、やはり愛ですか。 「忍」の字は男女総合で5位以内に入りませんでしたが、実は妻側の回答では「真」に次ぐ2位と圧倒的な数でした。 その理由として「結婚はつらいことばかりだが、稼ぎ頭である夫を支える毎日」「我慢があってこその幸せと割り切っている」とあり、耐え忍ぶ妻という構図がうかがえます。 一文字に込められた夫婦生活30年間の苦楽は全体として穏やかな言葉が多かったようですが、中には「戦」とか「諦」等の字もありました。 著者の場合はバツイチで、しかも再婚7年ですから、とても一言では表現できませんが、あえて言えば「運」「援」「火」「願」「救」「錯」「診」「凄」「暴」「療」「縁」でしょうか・・・ちょっと多すぎますか? でもなにしろ同居人が尋常ではありませんので・・・ 最後に結婚とは「!」かな? コメント いつ (Unknown)2007-11-21 23:45:20 離婚するんですか? 色々な (Unknown)2007-11-22 00:24:08 結婚がありますが、始めから恋愛感情がなく治療レスキューの為の結婚をして、今も妻とは愛じゃありません。愛していません。と冷静に堂々と話をしている姿がとても衝撃的でした。 コメントありがとう。 2007-11-22 00:50:05 【いつ (Unknown):離婚するんですか?】 予定は未定にして決定にあらず、明日か・100年後か・未定です。 【色々な (Unknown):結婚がありますが、始めから恋愛感情がなく治療レスキューの為の結婚をして、今も妻とは愛じゃありません。愛していません。と冷静に堂々と話をしている姿がとても衝撃的でした】 どうやら私の「姿」を実際にご覧になったのですね。私はいつもそうなのですよ・・・ 愛にもとづいた結婚はエゴにもとづいた結婚であり、利害損得にもとづいた結婚でもあるのです。 また結婚は幸福の入口に過ぎず、人生の墓場でもあると先人も申しております。 結婚する・しない・未婚・既婚にかかわらず、要は「自分の人生を自分のために自分らしく贅沢に使い切る」ことに人生の目的があるのです。 コメント お得意な (Unknown)2007-11-22 01:35:07 はぐらかし!答えになってねーぞ おひとりさまの老後 2007-11-23 00:30:07 【お得意な(Unknown):はぐらかし!答えになってねーぞ】 そりゃ答えにならない「答え」もあるのですよ、世の中はすべて割り切れないんですから・・・ ----------------------------------------------------------------------- 上野千鶴子・著「おひとりさまの老後」には「結婚していようがいまいが、最後はひとり。これで安心して死ねるかしら」とのキャッチコピーが付けられています。 結婚していようがしていまいが、世界一長寿の日本女性は、最後はどうしても「おひとりさま」になる確率が高いのです。 この本の著者自身「子どもに頼る老後という選択肢がない東大大学院教授」であり、非婚シングルなのです。 しかし非婚シングルでなくても、人はいつ・いかなるときも孤独なのであり、たとえ結婚していても生涯孤独であることに変わりがありません。 所詮、人は一人で生まれ、一人で暮らし、一人で死んで行きます。 これが当たり前の人生であると達観すれば、孤独であること、自在であることが 素晴らしい「特権」であったことが実感できるようになります。 そしてこの「特権」に気付いた者同士が血縁関係ではない「互助会的ファミリー」の形成めざせばいいのです。 コメント 誰が (Unknown)2007-11-23 01:57:57 その特権とやらに気づくんでしょうかね。著者は気づいた人を知ってるのかい。まさか?自分とは言わないよな 人は (Unknown)2007-11-23 13:12:26 人から産まれ、人に、育てられ、人に、看取られ死ぬ。あなたも母から産まれ親に育てられたはず。結婚してるし最後は、ほぼ、妻に看取られるはず。自分は安全策しながら、物書いたらいかんよ 子育ての失敗作 2007-11-25 00:33:45 【誰が(Unknown):その特権とやらに気づくんでしょうかね。著者は気づいた人を知ってるのかい。まさか?自分とは言わないよな】 著者および著者のパートナー(配偶者のことではありません、念のため)は確信的「例外者」です。 このブログの右下に「検索」アイコンがありますので「例外者」と入力し、「このブログ内で」「検索」してみてください。 ちなみに「孤独」と入力して「このブログ内で」「検索」することもおすすめします。 要するに、例外者とは大衆と決別した「砂漠の一匹ライオン」(ニーチェ)なのであり、いかなるものにも依存せず従属することもありません。 【人は(Unknown):人から産まれ、人に育てられ、人に看取られ死ぬ。あなたも母から産まれ親に育てられたはず。結婚してるし最後は、ほぼ妻に看取られるはず。自分は安全策しながら物書いたらいかんよ】 これは大衆の見解です。だから大衆は血縁幻想から脱却できないのです。 世の中には子育てに失敗した親のせいで歪んだ性格になり、人生そのものを誤った大衆がゴマンといます。 ほとんどの場合、子育てや躾・教育は「過干渉」や「抑圧」であって、当人の可能性を阻害し、成長の邪魔になっているのです。 また逆に自由放任は当人の自己管理能力の欠如や暴走をもたらします。 このことは女優:三田佳子の次男の覚醒剤事件を見れば一目瞭然でしょう。 いわば大衆とは、皆「子育ての失敗作」なのですよ。 その失敗作の集団を行政や国家が大金を掛けて「人命は地球よりも重い」と手厚く保護しているのが民主主義の正体なのです。 著者の場合、両親による養育に関して感謝しておりますが、親離れ・子離れを完全にするため親族・血縁の絆は完全に断ち切り、結婚も係累を作る目的での入籍ではありません。(配偶者と著者の関係はパンダかチンパンジーの管理人かカウンセラーに近い関係であり、入籍は合法的同居の方便にすぎません) また著者は断固として「妻に看取られる」とか「老後の面倒を見てもらう」つもりがありません。 配偶者および他者の看護・介助を受けるぐらいなら「自爆」するか、著者一人での「大衆社会に対する反逆」(オルテガの要旨)を望みます。 コメント 他者とは (Unknown)2007-11-25 01:07:28 あなたのパートナーの事も他者ですか? 著者に…(匿名)2007-11-25 01:40:27 ハッキリと君の息子は失敗作です?と言われた事を思い出しました。言われた時は大シュックで?びっくりしましたが、すぐに貴方こそ日本一の失敗作ですよね?と言った覚えがあります。。貴方のお母様と母親同士話し合い納得しました。それからの私は何も怖くありません。世間も周りも親戚も…♪はい。私の息子は私の大事な愛する失敗作です?なんか文句あるかぁ?みんな失敗したくてもできないでしょ? 今はハッキリ言ってくれた著者に感謝しています。私が殻から破れた事で遅咲きの自立できた事と失敗作って人と違うって事で人と違う才能、可能性があるって事だから?? この世のものではない怪物 2007-11-26 00:06:13 【他者とは(Unknown):あなたのパートナーの事も他者ですか?】 もちろんです。自己以外すべて他者です。それが著者のアイデンティティなのですから。そしてお互いに絶対的孤独を認識したレベルで、なおも互いに絶対不可欠なパートナーであると確信したからこそパートナーとなり得たのです。 【著者に・・・(匿名):ハッキリと(あなた)の息子は失敗作です、と言われた事を思い出しました。言われた時は大シュックでびっくりしましたが、すぐに(著者に対して)「貴方こそ日本一の失敗作ですよね?」と言った覚えがあります。 貴方の(すでに逝去している)お母様と母親同士話し合い納得しました。それからの私は何も怖くありません。世間も周りも親戚も…♪はい。私の息子は私の大事な愛する失敗作です。なんか文句あるかぁ?みんな失敗したくても(失敗)できないでしょ?今はハッキリ言ってくれた著者に感謝しています。私が(常識という)殻を破った事で遅咲きの自立ができました。「失敗作」ってことは、人と違うって事であり、人と違う才能や可能性があるって事なんです】 (上記の匿名さんのコメントを著者が少し補足させていただきました、ご了承ください) 実はただの「子育て失敗作」ではダメなのですよ。どうせ失敗作になるのなら「この世のものではない大失敗作」になること、「この世のものではない大失敗作」(怪物)を育てることです。 コメント 愛する息子が… (Unknown)2007-11-26 00:15:51 ただの失敗作になるか、世界一の失敗作になるか?どうぞ楽しみにして下さい。そのためには長生きしてして下さいね。 リアルでm(_ _)m コメント よその息子さんに (Unknown)2007-11-26 18:17:17 心配や口出しする前に、周りに迷惑かけ過ぎる奥様をどうにかして下さい。人をバカにしたり!見下したり!意地悪する事だけでもやめさせて下さい。せめてこの三点だけでも…お願いします。 おあいにく様です。 2007-11-27 00:12:06 【愛する息子が…(Unknown):ただの失敗作になるか、世界一の失敗作になるか?どうぞ楽しみにして下さい。そのためには長生きしてして下さいね。 リアルで m(_ _)m 】 あっ、長生きは約束できません。彼が「世界一の失敗作」になれたら著者は安心してこの世からドロップアウトできるからです。 【よその息子さんに(Unknown):心配や口出しする前に、周りに迷惑かけ過ぎる奥様をどうにかして下さい。人をバカにしたり!見下したり!意地悪する事だけでもやめさせて下さい。せめてこの三点だけでも…お願いします】 この手の書き込みは何度もありました。著者はその都度「彼女は独立した人格であり、干渉するつもりがない」旨説明してきました。なにしろ当人には一切「三点」の自覚がないのです。 また周囲に「舐められる」より周囲に害悪をもたらすほうが、当人にとって「強く生きやすい」ようです。 従って今後も彼女は「混ぜるな危険」「アンタチャブル」「触らぬ神にタタリなし」の心得で「珍パンジー」としてお付き合いください。 なお、著者はソクラテスがどれほど妻に悩まされていたのか良く判りますが、著者とソクラテスの決定的な違いは、著者にはそうした妻を「けしかけている」部分があるということです。 ミス・インターナショナル2008 2007-11-28 00:11:21 世界各国から選ばれた女性たちが“美の親善大使”として年に一度集う平和の祭典『ミス・インターナショナル世界大会』(第46回)の2008年度日本代表選出大会が10月15日都内で開催され、絢爛豪華な着物姿で日本舞踊を披露する着物審査や大胆に胸元の開いた水着による審査を経て神奈川県出身・23歳でタレントの杉山恭子さんが日本代表の座を射止めました。 彼女は受賞後「今、世界中で悲しい事件が起こっているので、役立つことをやりたい。普通に女優として活動していたら経験できない国際親善活動・社会貢献に従事に関われるので、プラスにしていきたい」と抱負を語りました。 外見の美しさのみならず、内面の美しさや外国語等のコミュニケーション能力等多面的な審査を経て日本代表となった彼女や前年度の代表たちは、いつも口を揃えて国際親善活動・社会貢献を強調しますが、単に各国の美女達が諸外国を歴訪することが本当に国際親善活動と呼ぶにふさわしい活動なのか、あるいはほんの一瞬の社会奉仕活動が社会貢献と呼ばれるほどの活動なのか、いつも疑問を覚え釈然としないものを感じています。 ミスコンに関しては賛否両論があることは充分承知していますが、ミスコンはミスコンであって、あくまでも「中身よりも外見」が第一というスタンスを貫き、国際親善とか社会貢献活動などと言う口実を設けないほうが、よほどストレートに支持されるのではないかと思います。 ミスコンの目的はまず「美しい女性を選ぶ」ことであり、「美しいことが善」であり、選ばれなかった者たちから嫉妬されることに選ばれる意義があるのです。 「美しいものは美しい」・・・ミスコンはいかに批判されようと、開催するからには常にこのスタンスを貫いて欲しいものです。 品格あるまなざし 2007-11-29 00:06:27 けさ、寒いというのに驚くほど短いマイクロ・ミニ姿の女性が駅の階段をバタバタと駆け上がって行きました。 先日、女性にも「裸になる権利」があるとスウェーデンの女性団体「裸の胸」のメンバー約40人が公共プールで一斉にトップレスになって人々に手を振りながら、女性差別への抗議キャンペーンを繰り広げたというニュースがありました。 この団体は、以前公共プールでトップレスで泳いでいた女性メンバー2人が、胸を覆う水着を着用しない場合、退場するように管理者から求められたことをきっかけに結成された団体であり、トップレスを禁止することは「女性が裸になる権利」を侵害していると主張しているのだそうです。 著者は、けさの光景を目撃して「見せる権利」があるとすれば「見たくない権利」もあるはずだと、ふと考えました。 「チラリズム」という言葉があるように、ベロンと胸を露出するよりも「見えそうで見えないように誇示しつつ隠す」いわゆるラッピングの手法(上野千鶴子)こそがエロティシズムの神髄なのです。 たとえば超ミニのスカートや、胸が広く深く開いたブラウスなどは、「見えそうで見えないように誇示しつつ隠す」戦略そのものであり、こうした戦略は女性が男社会で生きていくための「武器」であって、最近ではそうした服装を男性が注意すると女性が憤慨し「女性差別である・表現の自由の侵害だ」と反論する者さえおります。 けさの光景は、通勤着としてはいささか非常識であり、良識ある立場から見ればまさに「目のやり場に困る」状況でした。 これはスウェーデンの公共プールがトップレスを禁じたことに相通じるものです。 つまり、当人はただ「目立ちたいだけ」「お気に入りのファッションを楽しんでいるだけ」「トップレスは開放的で気持ちいい」と考えていても、女性の場合、本人が望む・望まないにかかわらず常に男性から見ると「性的身体」なのであり、女性が「自己表現(ファッション)のひとつとして、あるいは活動的・開放的であるとの理由からミニスカートを履いたり、胸のボタンを外していたとしても、そこには必ず「男を誘惑する」要素がおのずと発生してまう存在なのです。 換言すればミニスカートとはそれを履いている女性の思惑とは無関係に、多くの男性の性的妄想を喚起する危険な装置(欲情の引き金)なのであって、女性たちはその手軽でスリリングな発情装置(上野千寿子)をもてあそぶことで男性の視線の支配(注目される優越感)を獲得しているのです。 と、すれば、あえてそのような「露骨な戦略」や「発情装置」に乗せられてたまるかというスタンスが生まれてくるのであり、故意にミニスカート等を「無視」することで「品格ある男性のまなざし」が「注目される優越感」を覚えている女性たちを困惑させ失墜させることができるようになります。 上野千鶴子さま 2007-11-30 12:11:23 上野千鶴子さんに関するトラックバックが届きました。 彼女の女性差別やフェミニズムに関する著作や、セクシャリティに関する著書は非常に刺激的でスリリングなのですが、たった一つ困惑するのは、彼女はいまだにマルクス主義フェミニズムの立場に留まっていることです。 著者はキリスト教・回教等の大衆宗教からの離脱と、共産主義・社会主義等の大衆を惑わす思想の根絶を心底願っています。 人類がこうした宗教や思想の「阿片」になぜ傾倒したがるのか・・・ それが分かっている上野千鶴子さんほどの論客が、ソビエトや中国・北朝鮮で70年も続いた「共産主義革命」という「まやかし」をどうして見破れないのか不思議でなりません。 ミニスカート論 2007-12-01 23:50:52 暑い夏にピッチリと太腿に張り付くキツキツのメンパンを履き、なぜ寒い冬に超ミニやショートパンツを履いて太腿をあらわにするのでしょうか? 動きやすくて、開放的だから?足がキレイに見えるから?注目されたいから? 今回、著者が問題にするのはミニスカートを見て劣情をかき立てる男性の視点ではなく、ミニスカート等を身にまとうことで女性が獲得する女性側の視点なのです。 たとえばショートパンツやテニスウェアのように「太腿を見せることを前提にした衣装」や見せパン・見せブラ・ヘソ出しファッション等からうかがえるメッセージは、「股間の奥さえ見せなければ見せたもの勝ち」という女性側の発想が見え隠れします。 またミニスカートは女性にとって「着る人を選ぶ衣装」であって、ミニスカートが似合うボディを作ろうとして、ダイエットを始めたりするのであり、ミニスカートが似合うことは、いわば「若さ」と「スタイルの良さ」のシンボル(あかし・象徴)になっているのです。 女性にとって自己の身体を意識すること、あるいは自己の身体のイメージの獲得は、男性の視線をあたかもカガミのように受け止め、その視線を内面化することによって獲得されます。(上野千鶴子:要旨) そうしてできあがった 自己の身体のイメージをガラスの鏡に投影して女性はひそかにほほ笑むのです。 でも・・・その美しさは彼女自身のものではなく、男性というカガミに写った美しさなのです。 あっ、著者のカガミは外見だけでなく内側も映しますので、あしからず。 コメント 曇った鏡 (Unknown)2007-12-02 15:49:36 だから外見も中身もいい奥様なんですね… ミニスカの魔力 2007-12-03 00:13:03 【曇った鏡 (Unknown):だから外見も中身もいい奥様なんですね・・・】 またか・・・このブログは著者の配偶者をテーマにしておりません。 何度も茶々を入れないでくださ、次回から削除します。 「茶々」とは「他人の話しのコシを折ること」です。 ----------------------------------------------------------------- ミニスカートを論じていたら色々な情報が入って来ました。 あるサイトでは階段を登っているミニスカートの女性と、階段の下にいる男性の視線の角度から計算して何?の丈のミニスカートなら確実に「見える・見えない」と真面目?に検証していました。 ちなみにこのサイトでは、「34cmだと丈が長すぎて見えない」「30cmだと下着が見える」のであり、「見える・見えない」の境界が32cmにあるのだそうです。 またこのサイトではミニスカートの丈が短くてもスカートの中が暗いと内部が見えないことから「内部が見えるスカートの中の明るさ」をアルキメデスの計算式で予測しています。 涙ぐましいと言うか、「アホらしい」と言うか、こうした男性の試みは女性側から見たら理解不能と一刀両断されるかも知れませんが、こうした「努力」から判明したことは、ミニスカートは単なる衣装ではなく完全に「フェティッシュな存在」であり、しかも相当な「魔力」を持ったフェティッシュであるという事実でした。 たとえば、一部の女性は同性のミニスカートを見るとドキッすると告白していますし、男性はミニスカート姿のグラビア写真や美少女フィギュアを見ても視線を引き寄せられます。 つまりミニスカートは、生身の肉体すら必要がないほど「Oh.モーレツ」な存在感と魅力的なパワーがあるのであり、その強烈さはもはや「ミニスカ教」と断言しても良いほどなのです。 甘えと暴力 2007-12-04 22:53:48 中野隆生氏によれば、都市空間には「物質的な空間」「観念的な空間」「非物質的な空間」の3つの形があるとのことです。 たとえば、「物質的な空間」には建築物が集まって広がっている状態のことであり、「観念的な空間」とは都市の表象(都市の名前を聞いて思い浮かべるイメージの総体)「非物質的な空間」とは「情報的空間」のことであり、携帯電話・メール・ネットという21世紀の情報ツールによって形成される都市と農村といった古典的な空間の区別さえも無効にする人類史上初の空間のことです。 特に携帯電話がもたらした「情報的空間」は都市空間を変えただけでなく、人間関係も大きく変えてしまいました。 最近内閣府が発表した調査では、電話やメールにすぐ返信しないと怒られたとか、夫婦や恋人の間で1日に何度も携帯電話やメールで行動や報告を強制された等の事例が報告されており、こうした強制が新しい形のDV(ドメスティック・バイオレンス)となっています。 実は内閣府の調査で「こうした強制が新しい形のDVとなっている」と指摘されましたが、「この程度の間接的な強制がはたしてDVと呼べるのか」という疑念を著者は抱いておりました。 しかし、中野隆生氏によれば携帯電話・メール・ネットという新しい情報ツールは「相手に寄りかかれる甘えの道具であり、相手への甘えと暴力を同時に可能にする道具である」との定義を聞いて、ようやく「なるほど」と納得した次第です。 なぜなら「甘えと暴力」は幼児が最初に遭遇する両親との関係であり、未熟な者が携帯電話・メール・ネットという新しい情報ツールを容易に手に入れ、日常的に弄べば「甘えと暴力」はたちまちエスカレートしてゆくからです。 チョコレートと性交 2007-12-06 23:33:49 認知心理学者のテリー・ホーン氏と生化学者のサイモン・ウートン氏は、その共著のなかで、知力を最高の状態に維持するためには、ライフスタイルの選択が極めて重要な意味を持つと指摘しています。 特に両氏は17歳を過ぎると認知能力が低下するとの学説を批判し、ライフスタイルを注意深く選択することで「予備の認知能力を作り出せる」と反論しています。 たとえばホーン氏は、あるインタビューで「ストレスは思考に悪い。過剰なアルコール摂取やマリフアナの吸引もダメ。恋愛ドラマを見るのをやめ、愚痴や泣き言・文句・皮肉ばかり言っているような人たちとはかかわらないことだ」と述べ、甘くないチョコレートを食べ、頻繁に性交し、朝食には冷たい肉や魚をとることが知力を高めるのに有効であると主張しています。 「ライフスタイルを注意深く選択すること」が「甘くないチョコレートを食べ、頻繁に性交し、朝食には冷たい肉や魚をとること」 であると言うのも非常に「慎重」な学説であると思います。 著者は確かにココア好きで、頻繁に性交し(エーッ、ほんまかいな?)冷めた肉や魚を毎朝食べています。共働きで朝、いつも時間がありませんので。 でもそのせいで「予備の認知能力を作り出せる」とは思えないのですが・・・ コメント 性行と…は? (Unknown)2007-12-07 00:46:03 口内射精も数にはいりますか? 頻繁とは (Unknown)2007-12-07 09:11:20 高齢になっても回数を決めキチンと計画的に性交するといつまでもできる体と脳だそうです。高齢でも頻繁にできるのは、すごいんじゃないかな 同居人の事を (Unknown)2007-12-07 23:47:02 書き込みするなと言いながら、自分で夫婦の性生活を載せるとは、いつもながら言う事書く事が違いますな。 大爆笑 (Unknown)2007-12-08 00:41:01 珍パンジーと、頻繁爺(ひんぱんじー)で、仲良しですね。 あれ? (Unknown) 2007-12-08 00:44:29 頻繁に性交していることを、自ら発表するのは、「自分が早漏である」ことの暴露ではないのですか? 珍パンジーが (Unknown)2007-12-08 00:46:21 言っていたのは事実だったのか!! 妄想は貴重な資源である 2007-12-08 01:32:50 【性交と…は?(Unknown):口内射精も数にはいりますか?】 厳密に考えるとオーラルセックスは性行為であっても性交そのものではありません。 【頻繁とは(Unknown):高齢になっても回数を決めキチンと計画的に性交するといつまでもできる体と脳だそうです。高齢でも頻繁にできるのは、すごいんじゃないかな】 でも「計画的な性交」はちょっと味気ないんじゃありませんか? 【同居人の事を(Unknown):書き込みするなと言いながら、自分で夫婦の性生活を載せるとは、いつもながら言う事、書く事が違いますな】 【大爆笑(Unknown):珍パンジーと、頻繁爺(ひんぱんじー)で、仲良しですね」 【あれ?(Unknown):頻繁に性交していることを、自ら発表するのは、「自分が早漏である」ことの暴露ではないのですか?】 【珍パンジーが(Unknown):言っていたのは事実だったのか!!】 上記の4つのコメントは前回のブログを読み違えています。 もう一度引用しますので、冷静に読んでみてください。 「著者は確かにココア好きで、頻繁に性交している(エーッ、ほんまかいな?)冷めた肉や魚を毎朝食べています。共働きで朝、いつも時間がありませんので。でもそのせいで『予備の認知能力を作り出せる』とは思えないのですが・・・」 お判りですか? 前回のブログは「頻繁に性交している」と書いたのではなく、その後に「エーッ、ほんまかいな?」と疑問符が付いているのです。 そしてココアと冷めた魚肉(缶詰の青み魚)を食べて、仮に頻繁に性交したからと言って「認知能力を作り出せるとは思えない」との見解を述べたにすぎません。 夫婦のことを書いたわけでもないし、著者が頻繁に性交していると自慢したわけでもありません。 コメントは、このブログ一部を切り取るのではなく、文脈を正しく把握してから投稿するようにお願い致します。 追伸:このブログの古い読者はすでにご存知のことなのですが、このブログは以前福岡にあった「飾り窓の天使」というファンタジー気功のサロンのHP(現在は残念なことに「野ざらし」状態ですが)に付随した「脳内写生研究所」のブログです。 このブログは妄想を否定するのではなく、妄想やファンタジーを肯定し、白昼夢と呼ばれる妄想の世界を積極的に活用することで創造力や想像力を活性化しようとする試みなのです。 特に妄想の大半は性欲と結びついており、性欲を否定すると妄想やファンタジーの世界が広がりません。 豊かな妄想やファンタアジーがないのに、「頻繁に性交」しても脳は活性化しないのです。 著者は妄想は「知的資源」であり、枯渇させてはならない才能であって、あらゆるアイデア・発明は妄想から生まれてくると確信しています。 「脳内写生」というブログのタイトルは、キワモノ的な表現ですが、このタイトルには「あえて、あらぬことを考えること・考えてはならないことをリアルに大胆に考えること」という意味が込められています。 従ってこのブログの著者の人格=著者の社会的人格ではありません。 凶悪な犯罪を描いた推理小説の作者が、犯罪者ではないのと同じことです。 コメント Unknown (Unknown)2007-12-08 13:23:49 筆者と珍パンジーのあらぬことをリアルに大胆に妄想しました。これも『脳内写生』ですか? 文章力 (Unknown) 2007-12-08 20:50:21 誤解されない、勘違いされない、わかりやすい書き方をしないからです。読み手は……好きに読み好きに理解するんだから 現実が (Unknown) 2007-12-09 00:09:45 仕事も恋愛も上手くいってるように見えてるけどストレスが溜まる。楽に儲かる仕事を妄想しながら色々アイデアを浮かべ相手の事を妄想しながら幸せは自分次第だ!と前向きになり、私は愛されてると納得する。でも、現実の仕事は厳しいし、現実の恋愛は障害が有りすぎる?妄想から覚めた時の切なさをどうしたらいいのか?妄想だけで生きたい。でもそれは死を覚悟しないといけない。 珍・パンと、頻・パン(笑) (Unknown)2007-12-09 00:17:31 夫婦なんだから、周りがうるさく言ってくれるな でも (Unknown) 2007-12-09 00:28:44 仮面夫婦で愛情ないんでしょ? 一般人には (Unknown)2007-12-09 00:34:28 絶対にできない。愛のない共同生活を実際してるなんて素晴らしいですね。マイナスをプラスに妄想するって発想でしょ!!すごいよ。すごい あっ珍パンジー (Unknown) 2007-12-09 11:14:15 書き込みしてるじゃないやっぱり辛いよなー。 かわいそうな人だねー。 誤解される名誉と栄光 2007-12-08 23:59:44 【Unknown (Unknown):筆者と珍パンジーのあらぬことをリアルに大胆に妄想しました。これも『脳内写生』ですか?】 もし「あらぬことをリアルに大胆に妄想」したのであれば、妄想と気付くような書き方をしてください。妄想力なら負けませんよ。 【文章力 (Unknown):誤解されない、勘違いされない、わかりやすい書き方をしないからです。読み手は……好きに読み好きに理解するんだから】 著者は、この「読み手は……好きに読み好きに理解するんだから」という表現が大好きです。 読者には誤読する権利や誤解する権利があるのです。 どうぞ皆さん好き勝手に著者の妄想を「理解」してください。 でも著者がめざす「至高性」に関しては著者の許可なく「理解」することを厳禁します。 また「至高性」を少しでも誤解した読者は例外者たる資格がありません。 「選ばれたごく少数の例外者の領域」は、大衆が断じて入れない世界なのです。 12月に入るとお酒を飲む機会が増えます。 そしてお酒を飲むと、ついつい相手に愚痴をこぼしたり、説教をしてしまうのですが適度な愚痴は、女性の母性本能をくすぐるのだそうです。 また、相手を思う軽い説教は好感を抱くきっかけになるんだとか・・・ しかしくどい愚痴や、執拗な説教は酒癖が悪いと見なされます。 著者の好みは、ほろ酔い加減のトロンとした表情の女性が好きです。 しらふでシャキンとしている姿と、ほろ酔い加減のトロンとした表情のギャップに妙にゾクゾクするからです。あっ、「誰のことかな」という詮索は禁物ですよ。これは「妄想」なのですから。 妄想と現実 2007-12-09 12:55:45 12月8日のブログで「妄想は貴重な資源である」と書いたらコメントが急増しています。 【現実が (Unknown):仕事も恋愛も上手くいってるように見えてるけどストレスが溜まる。楽に儲かる仕事を妄想しながら色々アイデアを浮かべ相手の事を妄想しながら幸せは自分次第だ!と前向きになり、私は愛されてると納得する。でも、現実の仕事は厳しいし、現実の恋愛は障害が有りすぎる?妄想から覚めた時の切なさをどうしたらいいのか?妄想だけで生きたい。でもそれは死を覚悟しないといけない】 このコメントは、かなり鋭い指摘を含んでいます。 特に「妄想から覚めた時の切なさをどうしたらいいのか?」との記述は重要です。 実は宗教や信仰も人類が作り出した偉大な妄想の一つであり、社会主義や共産主義も大いなる妄想であると思います。 そこで宗教や信仰に深く傾倒し、修行や善行を積むことで「救済」や「慈悲」を強く求めている、まさにそのとき不条理にも災厄がその人物に降りかかってきたとします。 彼は神仏を呪い一切の信仰心を捨てるか、逆に「信仰心が足りなかった・これは神仏が私を選んで与えてくれた聖なる試練なのだ」と考え試練に立ち向かうかのいずれかの選択をすることになります。 別に死を覚悟しなくても良いのであり、多くの民衆が何度も神仏に見放されながら生き延びてきたし、信仰のために神と結婚し、修道院で生涯を送る人もいるのです。 上記の仕組みに気付けば「妄想から覚めた時の切なさ・むなしさ」を解消する方法があることが分かります。 妄想が消えたら「もう妄想なんて無意味だ、捨てよう」と考えるか、「妄想は貴重な資源であり、創造力の源」なのですから、再度さらなるオリジナルな妄想を強化してよりリアルな至高性(神仏抜きのさとり)に挑むかのどちらかなのです。 後者の場合に不可欠な要素は、厳しい現実と甘いファンタジーの世界を自在に往復できる精神の強靱さと、あたかも過酷な修行や試練に挑み続ける肉体的なタフさが求められます。 ちなみに「死」そのものが「妄想」なのですよ、なぜなら「死」の時点で本人は「死」を自覚できないからです。大衆が「死」を恐れるのは「死に至る苦痛」なのです。 ぜひ高齢者に聞いて見てください、皆さん「ポックリ死にたい」と心底願っているのですよ。 【珍・パンと、頻・パン(笑) (Unknown):夫婦なんだから、周りがうるさく言ってくれるな】 いいえ、騒々しいの大好きです! 【でも (Unknown):仮面夫婦で愛情ないんでしょ?】 仮面夫婦? 違います、本気で吉本興業に売り飛ばしてやりたいと思うほど、毎日が笑いと涙のコテコテのナニワ漫才生活なのです。 まさに「タフでなければ生きられない・タフでなければ生きる資格がない」の日々なのです。 【一般人には (Unknown):絶対にできない。愛のない共同生活を実際してるなんて素晴らしいですね。マイナスをプラスに妄想するって発想でしょ!!すごいよ。すごい】 あっ、このコメントを書いた人はかなりこのブログを読んでいる人です。 「マイナスをプラスに妄想するって発想」なんて言葉は簡単に言えるもんじゃありませんよ。なにしろ「妄想は貴重な資源」なのですから・・・ 【あっ珍パンジー (Unknown):書き込みしてるじゃないやっぱり辛いよなー。 かわいそうな人だねー】 質問!このコメントは同居人である珍パンジーへの同情ですか?それとも同居している著者に対する憐憫でしょうか? コメント 吉本興業は (Unknown)2007-12-09 16:43:31 買ってはくれません。みんな授業料を払ってNSCという所で笑いの勉強をしてデビューします。 しかも珍パンは、人に迷惑をかけるタイプの笑いなので、商品価値のある芸人には不向きでは? 吉本興業を (Unknown)2007-12-09 16:56:56 馬鹿にしないで下さい。家庭用の笑いでギャラ頂けませんから! はじめまして (Unknown) 2007-12-09 17:15:42 皆さんこんにちは。珍・パンジーちゃんです。 頻パンジーと共に来年デビューが決まりました。4649ね。 同意求ム! (Unknown)2007-12-09 17:26:05 俺は一度珍パンに会ってるが、珍パンジーとか言ってるけど、JJモデル並みのかなりイケイケアゲアゲの若妻だぜ。ミニスカ生足がたまんねーよ。毎日一緒にいりゃ頻繁にやりたくもなるぜよ。 幻滅 (Unknown)2007-12-09 17:58:59 レスキューで同居生活と思って読んでたけど、結局毎日楽しんで生活してると今更書くなんて…。一般人の愚痴ブログか! ミニスカ若妻? (Unknown) 2007-12-09 19:37:36 ノーノー!それは、公認愛人さんですよ。皆さん知ってます。でも皆さんしらぬふりしてます。 楽しそう。 (Unknown)2007-12-10 01:35:50 次は、年上をゲットしてみたらどうですか?年上を愛人に出来たら男としてかなり尊敬しちゃうけどな。若いのは騙せばついてくるから。 爆笑しました!2007-12-10 12:11:28 【吉本興業は (Unknown):買ってはくれません。みんな授業料を払ってNSCという所で笑いの勉強をしてデビューします。しかも珍パンは、人に迷惑をかけるタイプの笑いなので、商品価値のある芸人には不向きでは?】 なるほど・・・でもヒール(悪役)というキャラなら受けると思うのですが。 【吉本興業を (Unknown):馬鹿にしないで下さい。家庭用の笑いでギャラ頂けませんから!】 これもなるほど、です。 もちろんギャラは無用なのですが、同居人の笑いは家庭の笑いの限度を超えております。 吉本がダメなら、著者が息切れする前にどこかの動物園に「売り飛ばしたい」と願っております。 【はじめまして (Unknown):皆さんこんにちは。珍・パンジーちゃんです。頻パンジーと共に来年デビューが決まりました。4649ね】 ガハハハハハッ!遂に出た!! 珍・パンジーのニセモノが!!! 【同意求ム! (Unknown):俺は一度珍パンに会ってるが、珍パンジーとか言ってるけど、JJモデル並みのかなりイケイケアゲアゲの若妻だぜ。ミニスカ生足がたまんねーよ。毎日一緒にいりゃ頻繁にやりたくもなるぜよ】 ガハハハハハッ!また出た!! ホンモノの珍・パンジーは「死んでもミニは履かない」と断言しております。 ちなみに本人は「JJモデル並みの・・・若妻だぜ。ミニスカ生足がたまんねーよ」という書き込みを見て「妄想は素晴らしい」と拍手しております。 【幻滅 (Unknown):レスキューで同居生活と思って読んでたけど、結局毎日楽しんで生活してると今更書くなんて…。一般人の愚痴ブログか!】 毎日、悲壮感にひたって生活するよりも、いっそのこと開き直って「笑い飛ばす」ほうが気持ちが楽です。 たとえば、追い詰められた絶体絶命の場面で映画の主人公がとんでもないヤケクソのギャグを一発かます、あの心境なのです。 【ミニスカ若妻? (Unknown):ノーノー!それは、公認愛人さんですよ。皆さん知ってます。でも皆さんしらぬふりしてます】 これも爆笑! ミニスカの公認愛人さんが著者にいたとは!!ウラヤマシイ・・・ぜ。 そう言えば、政治団体を名乗る人物から「愛人を暴露されたくなければ○○万円出せ」と恐喝されたことがありましたが、もちろん拒否しました。 【楽しそう。 (Unknown):次は、年上をゲットしてみたらどうですか?年上を愛人に出来たら男としてかなり尊敬しちゃうけどな。若いのは騙せばついてくるから】 「若いのは騙せばついてくるから」?これは経験者とお見受けしました。 もしかしたら女性からのコメントかな? 問題は「騙されてもいいから」と付いてくる年下・年上の女性なのです。 こうした女性はホントーに騙してもいいのかな? コメント ヒール? (Unknown)2007-12-10 15:49:27 女子プロレスラーになれば人気者になんとかなれるんじゃない!お得意な嫌がられる事しても都合よろしいじゃない。ミニスカはハカナイじゃなくてハケナイでしょ!! ハロー (Unknown)2007-12-10 18:42:02 珍・パンジーちゃんです。ミニスカ見たかったら履いてもいいのよん☆リクエストお待ちしておるぞよ。読者へお願い (Unknown)2007-12-11 16:36:44 珍パンジーになりすますのはやめてください。迷惑しています。珍パンジーより。 ED治療薬 2007-12-11 21:33:27 【ヒール? (Unknown):女子プロレスラーになれば人気者になんとかなれるんじゃない!お得意な嫌がられる事しても都合よろしいじゃない。ミニスカはハカナイじゃなくてハケナイでしょ!!】 ふむふむ、あたらずも・・・遠からずですな。 【ハロー (Unknown):珍・パンジーちゃんです。ミニスカ見たかったら履いてもいいのよん☆リクエストお待ちしておるぞよ】 【読者へお願い (Unknown):珍パンジーになりすますのはやめてください。迷惑しています。珍パンジーより】 とうとう「なりすまし」の「なりすまし」が出現しました。 無益な珍パンジー種はこのへんで終わりにしましょう。 ---------------------------------------------------------- なんと36時間持続するED(勃起不全)治療薬「シリアス」が我が国にも登場しました。 ED治療薬といえば有名な「バイアグラ」や「レビトラ」があり、遂に3番目のED治療薬が出現したのです。 「シリアス」の語源はフランス語のCiel(そら)だそうで、英語のserious「まじめなさま・厳粛なさま・重大で深刻なさま」ではないそうです。 著者はED治療薬の名前としてseriousのほうが適切だと思うのですが・・・ それはさておき、従来のED治療薬は短時間しか持続しないため服用しても性交が始まる前に効果が消えてしまう恐れもありました。 それに比べ「シリアス」は36時間という驚異的な持続力があり、第1日目の夜に服薬すると3日目の朝まで効果が継続することになります。 しかし、36時間勃起し続けると仕事にも就けないし、街を歩くこともできません。 このため「シリアス」は、心地よい性的な刺激が加わらなければ勃起しないという特徴があります。 ちなみに「シアリス」の公表資料によれば、 (1)勃起不全(満足な性行為を行うに十分な勃起とその維持ができない患者)の改善にすぐれた効果がある。 (2)性的刺激があったときのみ勃起機能改善効果が発現する。 (3)食事の有無にかかわらず服薬が可能。 (4)投与後36時間にわたって勃起機能改善効果が認められている。 また「バイアグラ」にはいくつかの副作用がありましたが、「シリアス」の副作用は頭痛・潮紅・ほてり・消化不良等であり、「シリアス」の服用を避けなければならない人は、狭心症発作・心臓病・不整脈・低血圧・高血圧などの人です。 いうまでもなく、これらの症状を持つ男性はもともと性交を避けなければならない人達ですので、「シリアス」は「バイアグラ」に比べ多くの勃起不全の男性が服用できるはずです。 ED治療は、男性としての自信回復に役立つと評価する専門家もおりますが、男性はハゲ・薄毛・勃起不全・インポテンツと「男の自信」を喪失させる要素が多々あります。 大切なことは、たとえハゲ・薄毛・勃起不全・インポテンツ等に見舞われても薬に頼るのではなく、才能や仕事あるいは「背中」で勝負できる男性になることです。 コメント 筆者は (Unknown)2007-12-12 02:09:50 服用の経験がありますか?私は友人に譲ってもらったものの、なんか情けないような気がして使用出来ません。 芸術の誕生 2007-12-12 18:58:16 【筆者は (Unknown):服用の経験がありますか?私は友人に譲ってもらったものの、なんか情けないような気がして使用出来ません】 これまでのところ著者はEDのトラブルがありませんので、バイアグラ等の服用の経験はありません。 一度、同世代の知人から「いつか必要になるから」と無理矢理ポケットにバイアグラをねじ込まれたことがありました。 このことを知人の女性に話したところ「子どもが出来なくて困っている女性がいる、彼女に分けてあげたい」と言ったので数錠差し上げました。 ところが後日彼女から「お陰様で妊娠したそうです」と、ウソのようなホントの話しがあり、びっくりしたことがあります。 ところが、残りの「バイアグラ」は、著者の同居人が著者のスーツのポケットを確認せぬままクリーニングに出してしまい、結局紛失してしまったのです。 「なんか情けないような気がして使用出来ません」とのお気持ち、良くわかります。 このブログのテーマである「脳内写生」の立場からアドバイスを申し上げると、他人によって企画され商品化された性欲(アダルトビデオ・ポルノ写真等)を追い求めていると、いつか飽きてきます。 そうではなくて、自分だけのオリジナルな純度の高い性欲(ある種の性癖)を自分の内奥から見つけ出すと減退していた精気が甦って来ます。 自分の内奥にあるオリジナルな性欲は、時に醜く本来「劣情」とも言うべき稚拙な衝動であり、日常生活においてこの劣情は「あたかも存在しなかのごとく」、自分の社会的人格や道徳・宗教によって完璧に抑圧されています。 著者はこのオリジナルな性欲を自ら発見し、勇気を与え、さらに妄想という栄養を与え、自分独自の官能的快楽の領域を自ら積極的に拡張することが必要であると確信しています。 確かに性欲が外部に向かって暴走したら植草センセイのように性犯罪者になりかねません。 しかし、脳の中はもともと夢や空想が大好きな無法地帯なのであり、「考えてはならないことを、あえて考えること」を、憲法も「信教の自由」として保障しているのです。 著者はあらゆる芸術・創作活動・アイデア・意欲はこの無法地帯にから生まれ、ソフィストケイト(上品さ)されて誕生すると断言できます。 一度だけの貴重な人生なのですから、人生経験がある程度豊富になったら、是非無法地帯に足を踏み入れ、あなただけの性衝動を発掘し、その抑圧してきたもう一人の自分と対面してみてください。 コメント 珍パンったら。 (Unknown)2007-12-13 14:27:19 やきもちさんねぇ。ワザとクリーニングに出したんだね。他で使われないように。 女性の品格 2007-12-14 19:18:08 「女性の品格 装いから生き方まで」(板東眞理子著)によれば、女性の品格とは板東氏によれば「正義感・責任感・倫理観・勇気・誠実・友情・忍耐・持続力・節制心・判断力・決断力・優しさ・思いやり・道徳心・マナー・話し方・服装・人間関係」等のことであり、これらの要素を身に付けることで女性の品格が生まれると彼女は著書のなかで述べています。 しかし、はたしてこれだけの要素を自覚するだけで簡単に身に付けることができるのでしょうか? それこそ付け焼き刃であって、うわべだけの軽薄な品格になってしまうのであり、かえって女性の品格を落としかねない発想ではないのかと危惧しています。 まっ、こうした本がベストセラーになるということは、オトナの女性の品質が低下してきた証拠でもあり、なによりも女性自身がこのことを自覚し始めたのです。 (昨年の8月18日のブログ参照) 品格とは生まれ持った品の良さ・バランスが取れた芯の強さ・身のこなし・さり気ない教養であって、大人になってから急に身に付くような人格や気質ではないように思います。 以前このブログで論じましたが、たとえばミス・スユニバースの選定基準は外見の美しさだけでなく、「内面の美しさ」が求められると言われていますが、ではミス・ユニバースとして上位に選ばれた女性に本当の「品格」があるかと自問してみると、彼女たちがいかに立ち振る舞いを練習しても真の女性の品格とは言い難いように思われます。 何度も言いますが、ミス・コンが世界一の美女を選ぶのであれば、「内面の美しさ」などと言った曖昧な基準ではなく、いかなる品格を有する女性でも問答無用で黙らせるような息を呑む美しさ(「絶世の美女」)だけで勝負して欲しいものです。 「オトナの女の品質向上委員会」を設立しましょうか? アダルト・ビデオ 2007-12-15 23:46:43 【珍パンったら。(Unknown):やきもちさんねぇ。ワザとクリーニングに出したんだね。他で使われないように】 なるほどー、そう言う見方もあるのか・・・まっ、相当複雑な精神構造をしていることは確かです。 今月はじめ、強姦致傷罪に問われたアダルトビデオ制作会社の経営者(43)の論告求刑公判が東京地裁で開かれました。 論告によると、同被告は、平成15年12月〜翌年9月にかけて4人のAV女優に対し、「軽いレイプものを撮る」と嘘をつき1人のAV女優に対して20人から30人の男優が長時間にわたって性交し続けたのだそうです。 その際、被告等はAV女優の手足を縛ったうえで、水中に何度も顔を沈めたり、大量の酒を無理やり口に流し込んだりしてAV女優が演技ではなく、本当に苦しみ助けを求める姿を撮影し、4人のAV女優に全治6日〜2週間のけがや精神的な障害を負わせました。 しかも、これらの撮影したレイプ・ビデオをシリーズ化して販売し、多額の利益を得ていたのです。 法廷で朗読された被害者の供述調書によればAV女優たちは「お願い、もうやめて」「ごめんなさい、家に帰りたい」と泣いて懇願したと述べ、法廷では「本当に殺されるかと思った」「今でもお風呂に入ることが怖い」と供述しています。 アダルト・ビデオに代表される「他人によって企画され商品化され、お金で買うことができる性欲」の製作現場が、これほどひどい状況とは・・・ でも他人が企画して金儲けの手段にされた性欲は、どんなに買い漁ってもオリジナルな性欲が満たされることはないのです。 ちなみに、この被告に対する求刑は懲役20年でした。 浅田真央と胴長短足 2007-12-17 15:44:29 最近、文部科学省が公表した学校保健統計調査で、身長から座高を引いた数値を脚の長さと定め、身長に占める脚の長さの割合を算出したところ、親の世代よりもほんの少し胴長短足になっているとの意外な結果が出ました。 街を歩いていると脚が長くスラッとしたスタイルのいい女性やイケメン男性を見かけるので、我が国の骨格もかなり欧米に近づいてきたなと内心感心しておりました。 また電車の中で長い脚を通路に投げ出して坐っている若者を見ると、その脚のが邪魔に見えたこともあったのです。 ところが、実際に学校保健統計調査では、身長は伸びていても脚が伸びておらず、逆に胴長短足化が進んでるとの結果が出ました。 この意外な結果に文部科学省も「原因は分からない」としていますが、著者は若者の姿勢の悪さと体型の二極化に原因があるのではないかと推測しています。 体型の二極化とは、脚が長くスラッとしたスタイルのいい女性や男性が増えた反面で、姿勢が悪いズングリとした胴長短足世代が確実に増加しているということです。 なぜ体型がズングリするかと言うと股関節を支える脚力等が極端に低下し、上半身も下半身も支えきれなくなっているからです。 そういえば、どこかのアパレルメーカーが、すでにこの体型の二極化に気付いて2種類の規格をリリースするとの発表があったように思います。 ちなみにスケート靴を履いて演技するフィギュアスケートは胴長短足の東洋系アジア民族に最適なスポーツなのだとか・・・浅田真央や韓国のキム・ヨナ選手が強いのはそのためかな? ポルノと女子大生 2007-12-18 22:38:21 米国ある研究によると、米国の女子大生の半数は、ポルノ写真を見ることを容認していることが判明しました。 同国内の大学6校の18〜26歳の大学生800人と学生の親を対象に行った調査によると、ポルノ画像がインターネットでも簡単に入手できるようになったことで、ポルノ写真に対する見方が軟化したことが一因のようです。 また大学生の父親で「ポルノ写真を容認できる」とした回答が37%にとどまった一方、9割の男子学生が過去1年間にポルノ写真を見たことがあると回答しています。 また米国の女子大生の過半数は、男子学生がポルノ写真を見ることを容認しており、ポルノ画像に対する抵抗感が希薄化していることが裏付けられました。 換言すれば、ポルノ画像という「商品化された性欲」が、いわば飽和状態にありポルノ画像自体に希少性がなくなって来たのです。 こうした潮流のなかで、「脳内写生」と著者が呼ぶ妄想力や創造力・想像力を強化するには、「考えてはならないことを、あえて考える」というオリジナルな劣情の密かなデーターベースを脳の中に構築する他ありません。 実はこれを試みると唖然とするのですが、大衆はすでにこの「妄想力」が退化しており、自分だけの独自の妄想を生み出すことができないのです。 セクシャル・ウェポン 2007-12-20 14:05:02 男性にはいろいろな角度から女性を眺め、愛でる楽しみがあり、たとえば女性をオブジェとして眺めることがあります。 マスコットガール・イメージガール・キャンペーンガール・レースクィーン・グラビアモデル・TVの女性アシスタントなどが「オブジェとしての女性」の代表的な例でしょう。 そしてこのオブジェがある種のシンボル(象徴)にまでまつりあげられるとイヴ・ヴィーナス・マリア等の「聖なる女性」として神格化されます。 一方、女の武器(美貌・肉体・甘え・涙・ヒステリー等)を逆手に取って男性を従属させる戦略に出る女性もおります。これが「SMの女王様」や「○○のマドンナ」です。 こうした現象は、男性はもともと女性に対して過大な幻想を抱いていることからに生じる一種の倒錯(とうさ・とうさく)であり、男性は女性に対する幻想を破壊するのではなく、自らの恋愛のために自ら眩惑されることもあるのです。 恋愛とは女性と女体をめぐる男たちのメルヘンやファンタジーが根底にあるのであり、この女性をめぐる幻想を女性が逆手に取ったとき「セクシャル・ウェポン」という妖艶なオトナのおんなが出現するのです。 コメント 大人の女 (Unknown)2007-12-21 14:05:20 ヒステリックな女にいい女はいないぁ…ヒステリーを女の武器にするなんて、そんなの馬鹿か計算高いか、Sでしょ。 オンナを磨く 2007-12-21 18:04:07 前回のブログで【女の武器(美貌・肉体・甘え・涙・ヒステリー等)を逆手に取って男性を従属させる戦略に出る女性もおります。これが「SMの女王様」や「○○のマドンナ」です】と述べたところ【大人の女 (Unknown):ヒステリックな女にいい女はいないぁ…ヒステリーを女の武器にするなんて、そんなの馬鹿か計算高いか、Sでしょ】とのコメントを頂きました。 女性のヒステリーは確かにやっかいですが「ヒステリックな女にいい女はいない」というご意見には少々異論があります。 たとえば大変な美人でプロポーションが良く、頭も良い女性は得てして「わがままで高慢チキ、鼻持ちならない高飛車オンナ(タカビー)」になるものです。 そして思い通りにならないと彼女は途端にヒステリックになり暴れ出します。 著者はそうして暴れ回る女性の心理が手に取るように分かるので、むしろ「可愛いらしい」とすら思います。 まるでオモチャ屋の前で「あれ買ってー!」と駄々をこねている子どもと同じだからです。 ところが著者が寛容にヒステリーを見守っていると、今度は彼女はヒステリーを戦略的使い始め、確かに一見「計算高いオンナ」なります。 しかしその計算は意外と単純なので、計算方法さえ把握してしまうと、案外簡単にその女性をコントロールすることができるのです。 ちなみに彼女は「S」ではありません。 内面の弱さを他人に知られたくないから強がっているだけなのです。 ヒステリーを武器にする女性は芯が弱いので、強い支えを求めています。 つまり、こうした女性は磨けば光るダイヤモンドの原石なのです。 (読者は、著者の周囲にいる女性を思い浮かべてあれこれ推測しないでください。上記の女性は過去の人物であり、複数の女性がモデルになっています) コメント これが (Unknown)2007-12-23 01:29:35 妄想?女にモテてた妄想してんの?それとも本当にモテてたの?でも結局現在は猿飼ってるだけ?飼育係のおっさんでしょこれからも妄想話作りまくって頑張れよ。でもちゃんとした大人の女と付き合う努力しなよな。所詮猿相手じゃハジマラナイよ 著者には (Unknown)2007-12-23 11:17:38 珍パンがダイヤモンドに見えるんだから、皆様…ツッコミはやめましょう。全てモデルは私です。と胸張って言ってる珍パンさんでしたよ。 女を磨くのは男 (Unknown)2007-12-24 00:11:32 女は男によって磨かれる。付き合う男が悪いと?どんなにいい女でも錆びつく。最初からいい女なんていないさ… 付き合う男に? (Unknown)2007-12-24 09:03:35 女は自分で磨きをかけて美しくなるんだよ。恋する人のために綺麗にならなきゃ、いつも相手を思いやっていれば内面の穏やかさが顔にでるもんだよ。相手に大切にしてもらってれば、さらに美しくはなるけどね‥恋は化粧水。愛は濃厚な美容液 珍パンちゃんと (Unknown)2007-12-24 13:59:38 同居して、恋愛パートナーが他にいると書いてましたが、二人の女性は磨かれた方なのでしょうか?バレないようにするって神業ですよね? お待たせしました! 2007-12-25 02:08:25 回答が遅れてすみません。 講演会・年末の雑用・あれこれ・多忙・・・なのです。 【これが (Unknown):妄想?女にモテてた妄想してんの?それとも本当にモテてたの?でも結局現在は猿飼ってるだけ?飼育係のおっさんでしょ、これからも妄想話作りまくって頑張れよ。でもちゃんとした大人の女と付き合う努力しなよな。所詮猿相手じゃハジマラナイよ】 「猿相手じゃハジマラナイよ」 このブログのテーマは例外者でなければ判らない「至高性」にあります。 従って著者はすでに「この世のものではない」のですから、珍パンジーとも同居できるし、例外者たる「自他共に磨かれた女性」を至高性のパートナーとすることもできます。 大衆から見たらただの猿も、例外者にとっては「宇宙猿」なのですよ。 【著者には (Unknown):珍パンがダイヤモンドに見えるんだから、皆様…ツッコミはやめましょう。全てモデルは私です。と胸張って言ってる珍パンさんでしたよ】 「著者には珍パンがダイヤモンドに見えるんだから・・・(ここまでは正しいのですが、この後の)全てモデルは私ですと胸張って言ってる珍パンさんでしたよ」という部分が事実と異なります。 同居人である「珍パンジー」は、間違っても胸を張るようなヤツではございません。 【女を磨くのは男 (Unknown):女は男によって磨かれる。付き合う男が悪いと?どんなにいい女でも錆びつく。最初からいい女なんていないさ・・・】 ところが、世の中には思わず気絶させて誘拐したくなるような「すこぶる付きのいいオンナ」がいるのです。 そういうオンナは、まるでダイヤモンドのように、磨く前から輝いており、「もっと磨きたい・磨かれたい」と切望しているのです。 問題は、こんなオンナに出逢ったとき、さりげなく品格を保ちつつ「磨く」チャンスを作り出すかにあります。 【付き合う男に? (Unknown):女は自分で磨きをかけて美しくなるんだよ。恋する人のために綺麗にならなきゃ、いつも相手を思いやっていれば内面の穏やかさが顔にでるもんだよ。相手に大切にしてもらってれば、さらに美しくはなるけどね・・・は化粧水。愛は濃厚な美容液】 「愛は濃厚な美容液」! この言葉は凄い。この書き込みをした方は、きっとあの熟女でしょう。経験者でなければとても言えない一言ですね。 【珍パンちゃんと (Unknown):同居して、恋愛パートナーが他にいると書いてましたが、二人の女性は磨かれた方なのでしょうか?バレないようにするって神業ですよね? 】 「二人の女性は磨かれた方なのでしょうか?」 同居人である珍パンジーのほうは、磨くというよりは基本的には「体当たり漫才」のように触れるものすべてを傷付け、破壊するタイプですが、大暴れしてクタクタに疲れると案外自己嫌悪に陥り、コントロールしやすくなります。 「バレないようにするって神業ですよね?」 これは大衆的発想です。 著者は「この世のものではない」ので、一度に複数の場所に存在することができます。従ってバレることはありませんし、バレることを案ずることもありません。 まさしくこれは「神業」なのです。 コメント 珍パンさんと (Unknown)2007-12-25 09:33:18 パートナーさんは同一人物ですの?ただの同居人をダイヤモンドと褒め称えないでしょう?一人二役ですかな?まさか? 宮沢リエと中森明菜 2007-12-26 13:12:00 【珍パンさんと (Unknown):パートナーさんは同一人物ですの?ただの同居人をダイヤモンドと褒め称えないでしょう?一人二役ですかな?まさか?】 もちろん、一人二役ではありません。 かといって、同居人以外に親しい女性が身近にいることを肯定すると、すわ「愛人発覚」などと物議を醸しますので、至高性のパートナーについては、単なる「愛人」などではなく、「時空」と「常識」を超えた「いと、いとしい例外者」であることを強調しておきます。 最近のコメントの中に「愛は濃厚な美容液」という表現がありました。 著者は恋愛が女性を美しくすることに着目して「恋愛美容法」なる美容メソッドの開発を試みています。 この研究の中で判明したことは、「恋愛をプラスのエネルギーとして活用できるタイプ」の女性と、「恋愛することでエネルギーをすり減らすタイプ」の女性がおり、前者は「色恋をコヤシにできるタイプ」であり、後者は「色恋でダメになるタイプ」であると言えます。 「色恋をコヤシにできるタイプ」は女優さん等に多く見られる特徴であり、女優さんの多くは「恋愛は芸のコヤシ」と公言するほどです。 同様に「愛は濃厚な美容液」であると断言された方は、当然「色恋をコヤシにできるタイプ」であり、コヤシどころか精液を美容液として吸収してしまう女性なのです。 一方、中森明菜や宮沢リエは「色恋でダメになるタイプ」であり、たった一度の失恋の痛手を非常に長い期間引きずってしまいます。 これは「未練」なのか「後悔」なのか「傷心」なのか、いずれにせよ後ろ向きのエネルギーであることに違いありません。 ところが失恋して傷付いている女性もまた、実はとても魅力的でエロティックな存在なのですよ・・・ お姫様とメイド文化 2007-12-28 11:07:37 原宿あたりで流行している「お姫様ファッション」のグループを何度か見かけました。 全身ピンク色で、レースやリボンがたくさん付いたフワフワのドレスを着た20歳前後の女性たちが、金髪巻き髪に薔薇柄のお姫様ドレスを着てぞろぞろと街を歩く姿は、確かに異様でありものすごく目立ちます。 しかしお姫様ファッションは、結局メイド文化の対局にある「身分格差を強調することで目立とうとする戦略」のひとつであって、若い女性が「身の程知らず」に豪華に装えば装うほど、中身がないことがバレバレになり、軽薄であることを外見やハッタリで隠そうとしていることが容易に見抜かれてしまいます。 若い男性から見ると、たぶん「お姫様ファッション」は目立ちすぎて、近づきがたい対象と見なされるでしょう。 その点、メイド文化はあえて身分を下げて柔順さを装うことで「ご主人様に仕える」というポーズが強調されるため、たとえ中身がなくても自分を委ねられるという安心感が生まれやすくなります。 著者はこのブログで「常に異質であること、他者に理解されないことを誇りに思うこと、してはならないことを、あえてすること、なにものにも依存しないこと」を繰り返し強調してきましたが、それはファッションやライフスタイルのことではなく、あくまでも精神世界や脳の中での思考・思索・創造のことなのであり、大衆を相手にするのではなく、世界史に残る「例外者の系譜」に加わり、至高性をめざすことなのです。 盗撮とコンパニオン 2007-12-29 23:30:11 「東京モーターショー2007」が開かれていた幕張メッセで、イベントコンパニオンの女性(23)のスカートの中を盗撮したとして、千葉県警千葉西署が同県迷惑防止条例違反(盗撮)の現行犯で、神奈川県相模原市の会社員(35歳)を逮捕しました。 その後の調べによると、この会社員は東京モーターショーの会場で、ショルダーバッグに隠し持ったビデオカメラでコンパニオンのスカート内を盗撮したとのことです。その際、バッグを左右の手で何度も持ち替えるなどの不審な動作をしたためイベント関係者の男性が会社員を取り押さえ、同署員に引き渡しました。 実はこの「事件」には、いくつかの問題があるのです。 イベントコンパニオンの女性の多くは極端に短いミニスカートを着用しているため、必ずミニスカートの下にアンダースコート等の「見られても良い」ような着衣を付けています。 見られる・覗かれることを前提にしたイベントコンパニオンのミニスカートの中をこっそり撮影した行為が、はたして迷惑防止条例違反(盗撮)に該当する行為なのでしょうか? それとも堂々とコンパニオンのミニスカートの中を撮影すれば、「盗撮」にはならないのでしょうか? イベントコンパニオンは注目され、不特定多数の来場者に撮影されことを「仕事」として報酬を得た上で「あえてミニスカートを着用している」のであり、来場者は入場料を支払ってそれを見に来ているのです。 街中で女性のスカートの中を隠し撮りする行為と、イベント会場でコンパニオンのミニスカートの中を撮影した行為の間には明確な違いがあるはずです。 盗撮とは「見られたくないところを秘かに隠し撮りする」犯罪行為であり、見られること・撮影されることを前提にした暗黙の合意撮影を警察が混同したり同一視することは司法の濫用に相当します。 なぜマスメディアがこのような逮捕を批判しないのか・・・不思議です。 性にまつわる上記のような軽度の疑似犯罪は「厳重注意」で済ませるべき事例であり、マスメディアがフルネームで報道するような事例ではありません。 続・盗撮とコンパニオン 2007-12-31 16:30:05 前回、「盗撮とコンパニオン」というテーマで「盗撮とは見られたくないところを秘かに隠し撮りする犯罪行為」のことであり、「見られること・撮影されることを前提にしたイベント・コンパニオンに対する暗黙の合意撮影」はごく軽微の疑似犯罪であり、迷惑防止条例違反(盗撮)の現行犯で逮捕されたうえ、フルネームが公表されるような事案ではない、上記の異なる事案を混同したり同一視することは司法の濫用に相当すると述べました。 ところが著者の発言はイベント・コンパニオンに対する男尊女卑の考えであり、どのような状況で会社員がイベント・コンパニオンのスカートの中を撮影したのかを検証する必要があるとの指摘がありました。 たしかに、イベント・コンパニオンが極端に短いスカートを履いていたのであれば足元から撮影されることが容易に推測でき、イベント・コンパニオン側も事前にアンダースコートを着用するなどの対応を行っていたと思われます。 一方、イベント・コンパニオンが長めのスカートを履いていたとすれば、そのスカートの中を撮影することは当然「盗撮」行為となるでしょう。 もう一つの指摘は著者が「イベントコンパニオンは注目され、不特定多数の来場者に撮影されことを『仕事』として報酬を得た上であえてミニスカートを着用しているのであり、来場者は入場料を支払ってそれを見に来ているのだから盗撮とは言えない」との主張についての反論でした。 著者のこの発言は「キャバクラの客がキャバクラ嬢の胸やお尻を触っても痴漢にはならない、客は金を払っているからだ」といった考え方と同じであるとしたうえで、キャバクラ嬢の報酬には胸やお尻を触わられることが含まれているが、イベントコンパニオンの報酬にはスカートの中を撮影されることまで含まれていないのではないかとの指摘もありました。 なるほど、面白いですね。 読者の皆さんの指摘は非常に聡明であり、いずれも「脳内写生」の読者にふさわしい意見です。 著者が男尊女卑なのか、コンパニオンの職務の範囲なのか、議論すればするほど千葉県警の「盗撮」判断と現行犯逮捕が不当であったことが判然としてきます。 何気ない報道でも、そこにはつい見落としかねない重要な問題が潜在していることがあるのですね。 読者のみなさん、今年1年の御愛読ありがとうございました。
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